ブログ 「ごまめの歯軋り」

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熊倉正修 著 「日本のマクロ経済政策」

2021年06月25日 | 書評
京都市上京区 「大徳寺高桐院 細川家霊廟」

熊倉正修 著 「日本のマクロ経済政策」 

岩波新書(2019年6月)(その17)


第5章 マクロ経済政策と民主主義―日本が生まれ変わる条件

3) 日本の民主主義の未熟さ
EU加盟国財政の健全化を確保するための制度作りは進められている。近い将来の日本においてマクロ経済政策の改革が行われる可能性は低いとと考えられる。その理由の一つは現行の政策が隘路にはまり込んで身動きが取れなくなっているからである。同時に日本国民の間で合理的で持続性のある政策を求める機運が低調である。「日本の財政危機を生みだしたのはシルバー民主主義か民主主義の未熟か」という問題に立ち返って考えてみよう。今日の日本のシルバー世代の人々は、自分たちが現役世代や将来世代を食い物にしたという自意識を持っている人はまれである。若者の中でも自分たちはシルバー世代の犠牲者だという意識は希薄である。日本で世代間闘争が起きているとは思えず、若者は社会制度の設計の責任を負わされることを忌避している様だ。若者の政治参加意欲が低いことはよく知られている。今日の日本には現代的な民主主義政治の前提である個人の自律の意識が十分に定着しておらず、個人と共同体との境界が曖昧な伝統的社会の要素が少なからず残っている。成熟した市民社会では伝統的地縁的共同体の機能が後退し、村落が家族を束縛する力は弱い。全体として個人は広い社会に対して関心と帰属意識が高い。「共有地」を管理する能力も高い。それに対して伝統的な日本社会ではつねに「共有地の悲劇」が起きている。持続不可能な環境破壊、資源枯渇、資源の奪い合いは個人が属する共同体のためならば何でも許される。自然環境、資源、税金、国家、社会福祉は収奪の対象でしかない。

(つづく)