ブログ 「ごまめの歯軋り」

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本庶佑著 「がん免疫療法とは何か」

2021年06月07日 | 書評
京都市右京区  仁和寺 「金堂」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 

岩波新書(2019年4月)(その9)

第4章 社会の中の生命医科学研究

この賞は生命科学の成果を社会的に還元するメカニズムについて考えることが目的の総論である。生命科学は要素還元型の研究成果は素晴らしいものであったが、これからは生命体として有機的複合体的に研究する「分析から統合へ」の時代になった。生命科学の「生きるとは何か」という研究が、如何に病気を治すかということに直結することになった。生命科学と医学には教会がなくなったと言える。医学研究は動物モデルによって生体の仕組みを知り、ヒトへの適用を図る「社会実装」が医療である。政府は確実な投資効果を求めて医薬品や医薬機器の開発プロジェクトに多額の投資を行っている。とりわけ国立大学の法人化以降、性急な研究開発投資は研究の種を枯らすことにならないか危惧される傾向(これを出口志向という)が強くなった。生命科学では病気を治すプロジェクト研究はなじまない。誰も工程表が書けないからである。よく分からないことが多くそれをブレークスルーすることが尋常な方法では困難だからである。その要因は生命科学の膨大な要素の複雑性・多様性・階層性にある。第3章の⑨節に書いたように、遺伝子発現制御に係わる仕組みの組み合わせが膨大で(10^20は覚悟しなければならない)、実験計画が策定できないからである。だから何らかの病気を治すという目標から出発しないで、原理の解明を目指した生命科学研究から大きな展開がなされ、重要な病気の治療に貢献する場合が少なくない。医師が患者に向きあうとき、社会制度、倫理、環境、文化を考慮しなければならない。そして医師は常に特殊解として個人にむかうことになる。出口志向が強いプロジェクト型研究は生命科学研究には向かない。

21世紀の初め日本の科学技術関係予算は4-5兆円で、科学研究費補助金は2000億円、そのうち生命科学関係は30%ほどであった。2015年に日本医療研究開発機構AMEDが米国のNIHをまねて創設されたが、出口開発に特化した研究資金制度である。基礎研究に近い機構には科学技術振興機構JST、日本学術振興会JSPSがあり、これらを総括する機関がない。2016年総合科学技術会議では生命科学の第五期基本計画は誰も描けなかった。物理学のような分野では、国家をあげて国際協力を行い世界一の観測装置をどこに作るか、予算獲得に血眼になっている。そこでは「競争」より「協調」が強調され論文執筆者に数百人の人が連署するような世界である。これに対して生命医科学は個人の創造性(感性)が重要視される分野で、有名雑誌に発表される論文の8割は誰も読まない論文で、半分以上は間違っているといわれる。甚だしきは研究のねつ造さえ報じられる状況である。日本の生命医科学研究費は世界的にみてもはや立ち遅れている状況で、国民からの寄付金による研究支援は他国に比べて少ない。日本における科学ジャーナリストの育成が立ち遅れており、日本のマスコミの閉鎖的、国際性の欠如、科学的判断の欠如は、国民の生命科学への理解の阻害要因となっている。典型的な例として、STAP細胞事件、子宮頸がんHPVワクチンをめぐる報道が目を覆うばかりであった。新聞社(ましてや週刊誌)に所属する科学記者ではなく、独立のサイエンス・ジャーナリストに依頼して記事を書く、健全な生命医科学ジャーナリストを育成することが必要である。

(つづく)