ブログ 「ごまめの歯軋り」

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本庶佑著 「がん免疫療法とは何か」

2021年06月04日 | 書評
京都市中京区 「数寄屋風町家」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 

岩波新書(2019年4月)(その6)

第3章 命とは何か

本章は既版の「いのちとは何か 第1部」(岩波書店 2009年)をそのまま採用している。分量からすると本書の約半分を占めるが、本書の題名からするとむしろ第2章「PD-1抗体でがんは治る」(岩波書店 2016年)が主役でなければならない。第3章は第2章を理解するための免疫学概論に相当する。だから気楽な参考書である。生物学が生み出した思想で、社会的に大きなインパクトを与えたものは、ダーウインの進化論である。第2の思想、メンデルの遺伝の法則である。この二つは生物学の基本公理で人類社会における人々の生き方に大きな影響を与えた。さらに生物学から生命科学への転換が起こった20世紀後半の爆発的生命科学の発展によって、生物学引いては社会思想・倫理の世界観の変革を迫った。例えば生殖医療の発展から親子関係を捉えなおす必要があり、再生医療は人間を分解し個の尊厳と命の有限性について再考を促した。脳科学の進歩は意識とは何かという哲学の永遠のテーマに科学的なメスを入れるかもしれない。本章では命について、生きることについて生命科学の立場から考えてゆこうという。

① 幸福感の生物学
「幸福とは何か」はアリストテレス以来の哲学の命題であった。「幸福」を感じる根本には「快感」があるという。快感とは欲望を満たすことであり、欲には食欲、性欲、権力欲といったものが主である。食べなければ生物は死ぬ、性欲がないと子孫が増えない、権力欲は敵と戦って勝つということで、これらは生きるためであり、生存競争には必須の要因である。生物が生きるための行動と連動するように、快感神経中枢へつながる感覚(認識機構)を埋め込んだようだ。「進化は遺伝子の無計画な変異とその結果生じた形質の環境集団の中での選択によって進行する」というダーウインの進化論は分子生物学的データーによって裏付けられる。幸福感も進化の産物なのである。生命科学の進展の成果が人文社会科学の分野で正しく評価されないと人文社会科学も新しい展開を図れない。倫理的な行動、他人を思いやる心といったものは、ヒトのみが持つ高度な倫理性である。ピグミーチンパンジーでも仲間を思いやる行動や助け合いがみられるという。利他性が高等動物に見られるのは、進化論的には、小数の個体からなる集団が生き残るためには仲間を助けることは不可欠である。ヒトの遺伝子の変異は偶然が支配するが、その結果としての形質が生き残るうえで有利ならば、その変異を受け継ぐ個体は必然的に優勢になる。突然変異が常に不利な形質ばかりではなく、環境条件では有利になる場合がある。快感刺激を与える物質が明らかにされた。摂食による快感を増進する物質はグレリンという28個のアミノ酸からなるペプチドホルモンである。食欲を低下させる物質はレプチンというペプチドである。性欲刺激ホルモンはフェロモンといわれる。興奮および危険時の刺激物質はアドレナリンである。生物学的に欲望充足型の幸福感と、不安除去型の幸福感がある。不安感を取り除き安心を得る社会的装置が宗教である。3.11原発事故以来政府は「安全安心」というスローガンを打ち出した。これはもう宗教である。
   
② ゲノム帝国主義 
量子力学と素粒子論・相対性理論が20世紀の「物理学帝国主義」というなら、20世紀後半から始まった遺伝子生物学の進展は間違いなく21世紀には「ゲノム帝国主義」となるであろう。20世紀後半は分子生物学の物質的基礎が明らかにされ、その集大成というべきヒトゲノム全解読が2003年に発表された。そして大腸菌、酵母、マウス、ショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、イネ、チンパンジー、オポッサムなどのゲノム解読が完了した。DNAの塩基配列決定法の高速化と低価格化が進んでいるので、個人のゲノム解読も進む事であろう。次のヒトゲノム解読の社会的意義は次第に認識されるだろう。
a.遺伝情報の全体像が分かったが、蛋白構造を決める遺伝子は2万個ていどであった。物質の発現と消失を通じて機能を制御する情報によって統合された見事な複合体である。
b.生物が有限の枠組みの中で活動していることが明らかになった。ゲノム情報にないものは生命体には存在しないが、その情報の複雑性は物理学をはるかに超えている。
c.霊長類のチンパンジーとの比較によって、ヒトをヒトたらしめている制御の仕組みが分かるようになるだろう。
生命科学は物理学や化学の原理に反することは無いが、生命科学の原理は物理学や化学からは演繹的に導かれるものではないということである。その理由はゲノム情報というものは偶然と必然の組み合わせの結果が今日の姿で存在するからである。生命体の仕組みが進化過程の偶然性に依存している例は枚挙にいとまがない。生物の眼のレンズである透明で安定な蛋白の「クリスタリン蛋白」に混在する酵素類の差異である。酵素の存在は必要なく全く説明がつかない偶然としか言いようがない。遺伝子構造にとって最も基本的な3塩基の配列と翻訳されるアミノ酸の種別にも何の説明もつかない。現存する生物は全て1回の偶然によって獲得した原始生命体の子孫「だということである。遺伝情報の原始系はRNAによって担われたという考えもあるが、安定なDNAにとってかわられた。RNAは遺伝子とたんぱく質をつなぐ媒体となった。遺伝情報の発現は、DNAがmRNAに転写され、その配列がたんぱく質に翻訳されるというセントラルドグマが確立した。全ゲノムの中でたんぱく質をコードする遺伝子領域は極めて少ない。何もコードされていない領域に実はたんぱく質に翻訳されないRNAを生む配列が存在し、このRNAが遺伝子の発現制御やたんぱく質の翻訳制御などに係わるという説がある。この「マイクロRNA」と呼ばれるRNAの解析に多くの研究者がくぎ付けになっている。「生命の原理は、生命独自の法則によって作り上げられたゲノム情報に規定される」という「ゲノム帝国主義」の考えが提案されている。

(つづく)