ブログ 「ごまめの歯軋り」

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熊倉正修著 「日本のマクロ経済政策」

2021年06月16日 | 書評
京都市東山 「東福寺 国宝山門」」

熊倉正修 著 「日本のマクロ経済政策」 

岩波新書(2019年6月)(その8)

第3章 金融政策―デフレ対策という名の財政ファイナンス

1) 日本は本当にデフレだったのか
2013年4月第2次安倍内閣の日銀政策委員人事で黒田新総裁が就任した。黒田氏は消費者物価指数CPIでインフレ率を2年程度で2%に引き上げると宣言した。その後何年経ってもこの目標は達成されず先送りされ、2018年には目標の達成期日さえ消えた。2%のインフレ率が達成できなかったことは大きな問題ではなく、問題は「デフレが解消されればあらゆる経済問題が解決される」という幻想を振りまいたことに根拠がなかったのである。黒田氏の空手形不履行を笑うことはインフレ率に我々が拘っていることになり、いつまでも黒田氏の呪縛に取り込められていることに事に気が付く人が少なかった。失われた30年という経済的現実の原因がデフレであって、その克服のためのインフレ促進―経済成長というストーリーを承認することである。「一般物価の持続的な下落」という意味のデフレが生じたことは無く、特殊な金融緩和策はやってはいけないことであったというのが本書の著者の出発点である。物価が上がるかどうかは別にして異次元緩和は絶対にやってはいけない政策であった。異次元緩和とは要するに日銀が国債を大量に買い付ける政策である。政府自ら税金を収集する代わりに、日銀が財政赤字や公的債務を肩代わりする「財政ファイナンス」と同義の政策であった。異次元緩和策は日銀の発案ではなく(白河旧総裁は抵抗したようだ)、実質的に公的債務の重圧に耐えられなくなった政府・財務省が仕掛けた政策である。黒田日銀総裁は就任前より、「日本経済は1998年以来デフレに苦しめられ、デフレが定着した。それを払しょくしないと経済は再生しない。日銀が其のためなら何でもやるという強い姿勢を示すべきだ」と繰り返していた。ところが統計データを虚心坦懐に見れば日本においてデフレが生じたことは一度もないことがわかる。日銀は3か月に一度「生活意識に関するアンケート調査」を実施し物価の見通しを聞いてきた。2006年から2018年の間大多数の国民は物価は変わらないか、少し上がることを予期していた。CPIで測ったインフレ率と人々の予想が乖離することはよくある。総務省が実施している2010年以降年間のCPIは0-1.3%であった.CPIは生鮮食品・エネルギーを除いた総合指数で、技術による値下がりの激しい(品質調整の大きい、高めのCPIになりやすいヘドニック統計による)IT関連品目(ウエイトは3-5%)を除くとさらに低い値となる。2010年以降はCPI総合指数と一致する。年率CPIがゼロ以下になったことは一度もなかった。これはもう物価は安定していたというべきである。

(つづく)