ブログ 「ごまめの歯軋り」

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熊倉正修 著 「日本のマクロ経済政策」

2021年06月26日 | 書評
東京都世田谷区 「豪徳寺井伊家第13代 井伊直弼墓」

熊倉正修 著 「日本のマクロ経済政策」 

岩波新書(2019年6月)(その18)


第5章 マクロ経済政策と民主主義―日本が生まれ変わる条件

4) 日本は変わることができるか

日本が合理的な経済政策が行われる国に生まれ変わることは容易ではない。しかし日本の大きな問題は、政治がそうした新しい社会への移行を後押しするのではなく、むしろ特定政治利益団体が利益を独占するため改革への阻害要因となっていることである。現行憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表がこれを行使し、その権利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理である」と宣言されている。国家が主権者である国民の意志によって作られたものである。自民党憲法改正案では個人の自由意思を否定し、地縁国家の延長線上に国家があるとする。民主主義国家の基本単位は個人であることも否定されている。自民党はおびただしい数の民間団体と密接な関係を築いている。こうした利益団体との結びつきは国家予算に濃厚に反映されている。地域社会や中小企業・経営者団体の守護者としてふるまうことで支持者を集め集票マシーンにしてきたことが自民党の選挙での強さであった。こうした自民党の基盤は産業構造の変化によって緩んできており、今日では大多数の浮動票の行方が圧倒的勝利か敗北かの分け目になっている。選挙の度の所得税減税や特別減税措置などの乱発によって税収はあまり増えていない。消費税率の増加は所得減税と拮抗し、国全体の増収にはならなかった。配分の変化に過ぎなかった。プレミアム商品券などのバラマキ政策やオリンピック特需、住宅ローン減税は将来の需要の先食いである。こうした政党が与党である限り、財政の計画性や持続的な財政規律運営などは夢のまた夢と言うべきであろう。政府の財政の冒険主義と非合理主義は今日の経済政策に蔓延している。政治家官僚の総無責任時代は景気のいいことを煽るだけで、持続性を持たない。私有財産を公債や貨幣に代えた人は戦争で全てを失った。

(完)