ブログ 「ごまめの歯軋り」

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本庶佑著 「がん免疫療法とは何か」

2021年06月05日 | 書評
京都市中京区押小路通り大宮西 「神泉苑」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 

岩波新書(2019年4月)(その7)

第3章 命とは何か

③ 有限のゲノムの壁を越える仕組みⅠ-流動性
生命は個体ごとに異なり、1個体のうちにも多種多様な細胞を含む。それもまた誰が計画したわけではなく偶然の結果生じた仕組みを取り込んだせいである。個体の遺伝子情報は進化の過程で個体の生殖細胞のゲノムに変異を蓄積した結果である。驚くべきはゲノムの構造変化が個体を構成する体細胞で別々に起こることである。遺伝情報が、個体の一生の間に自由に変化し、違った機能を発現することが研究されている。一例として酵母の性決定遺伝子を述べる。酵母では個体の性認識に基づく接合によって2つの性決定遺伝子(aとα)が可逆的に返還されることが知られている。酵母はどちらかの性遺伝子因子を分泌し受容体を発現する。そして接合が行われる。
さらに驚くべきは高等生物における自己防御機構として最も重要な獲得免疫においては有限な遺伝子情報しか持たない生物が、ほぼ無限といっていい多くの抗原を認識して記憶することである。抗体の抗原認識部位のたんぱく質構造の解明が進んだ。この謎は1977年レーダーと利根川進によって解明された。抗体はリンパ球(BとT細胞)で生産される。下の図に多様な抗体が作られる遺伝子の仕組みについてまとめた。
抗体を構成するH鎖とL鎖では、3種類と2種類の断片を組み合わせて10億という膨大な情報が得られる。ヒトの全身に存在する100億個のリンパ球がそれぞれ異なる抗原受容体を発現することができる。その遺伝の中には発現しないもの、自己抗原と反応するものもあるため、脾臓で選択的に殺処分を受ける。抗体のH鎖とL鎖4本は可変抗原認識V領域と不変C領域に分かれ、認識V領域はL鎖ではV,D,Jの遺伝子断片から構成される。V,D,Jには多くの遺伝子断片がプールされており、その中から1個を選んでV遺伝子エキソンに再構成される。L鎖には65個のV遺伝子断片、27個のD遺伝子断片、6個のJ遺伝子断片がプールされている。VDJの組み合わせの数は10530(65×27×6)通り、さらにL鎖遺伝子にはκ鎖(40V,5J)とλ鎖(30V,4J)の2種類があり320 (40×5+30×4)通り、さらに各連結部位で20通りの挿入削除が起きるので合計2.7×10^10(10530×320×20×20×20)通りの変異が可能である。
一つの遺伝子を構成する情報を「原始情報単位」エキソンと呼び、エキソンとエキソンの間はイントロンと呼ばれ遺伝子情報日は直接関係ない配列が存在する。例えば抗体のH鎖の遺伝子は、可変部のVが2個、定常部Cが4個のエキソンに分かれている。エキソンは最小の蛋白質機能を単位の構造を決め、これがさまざまな組み合わせで多様な遺伝子を生み出す仕組みだという説がある。RNA転写してエキソンをつなぎイントロンを切り出すスプライシングという過程が必要になる。RNAの段階で情報の編集が行われる。抗体が細胞膜に埋め込まれるためのエキソンが共働して、抗体分子はB細胞の表面に発現され、抗体がB細胞受容体になる。刺激を受けたB細胞(プラズマ細胞)では抗原認識は不要となるため、この膜埋め込みエキソンは不要となり抗体分子は細胞外に分泌され、抗原を捕獲するいわゆる抗体としての機能を発揮する。さらにRNA編集段階で塩基の交換をして全く機能の違うたんぱく質を作る「RNA編集」という機構がある。例えばApoB100というmRNAは肝臓で翻訳されLDLコレステロールの輸送蛋白となる。このmRNAに働いて停止コドン(CAA→UAA)とする編集酵素APOBEC1の働きによってApoB100はApoB48mRNAとなる。これにより小さいたんぱく質が生まれ脂肪酸運搬体になる。エキソンから遺伝子そのものが生まれる仕組みは流動的であり、その集積結果ゲノム情報が増えたのである。有限な遺伝子情報を、無限に近く活用することができるのである。

④ 有限のゲノムの壁を越える仕組みⅡ-時空間の階層性
この節は生物の発生及び分化を扱う。生物の多様性は一定の法則を見出しがたい。例えば目の構造であるが、レンズの形が生物種に固有である。凹面鏡、複眼という小さなレンズが千個以上集まった広角な眼には驚かされる。眼が自然淘汰で作られたと考えることが不合理に見えるとダーウインが言っている。これらの多様な眼の発生には、共通の遺伝子(Pαx2,Pαx6)の制御を受けている。決定遺伝子が多様な進化を遂げた後も原型を保っている。多細胞生物レベルの遺伝子の数は2-3万程度でさほど変わらないが、複雑な形を生み出すことができるのは情報の階層的集積にある。生物の形を作りあげるプログラムは発生学と呼ぶ。受精からの時間的経過の中で、何時、胚の中のどこでいかなる遺伝子が発現するかは発生・分化のプログラムにかかっている。ヒトの遺伝子の転写因子(発現制御に係わる)は少なくとも1850個はある。一つの遺伝子には4,5個の転写遺伝子が関わっている。時間軸を作る主要な因子には、転写因子自身の発現制御因子が別の転写因子によって制御されているという「カスケード的階層制御」が働いているはずである。形を作るうえで最も重要な点は空間軸の形成である。細胞は自分の位置を、近隣の細胞との接着あるいは情報伝達因子の状態への結合によって知る。受精卵―杯―内胚葉―中肺葉―外胚葉へという運命づけには、オルガナイザーと呼ばれる胚の一の場所からに局在する細胞群から分泌されるTGFファミリー分子(アクチビンなど)の濃度勾配によって決められる。空間軸をしっかり決めないと臓器を作ることはできない。細胞の接着因子には、細胞膜に似た分子同士が凝集する場合と、異なった分子が鍵と鍵穴の形で結合する場合がある。驚くべき規則性と階層性が必要である。細胞が外界から刺激を受けて反応することは自己複製の基本メカニズムである。細胞の刺激応答は3段階でよって進行する。①外界刺激物質がまず細胞表面の受容体に結合する、②受容体に構造変化が起きリン酸化酵素を活性化しシグナルの増殖が起こる。リン酸化の修飾を受けてたんぱく質の高次構造変化など機能制御が行われる、③シグナルが核に伝えられると転写因子の活性化が起きたんぱく質が合成される。山中らは4つの遺伝子を発現させることで体細胞から万能性幹細胞(iPS)を作った。このiPS細胞から分化細胞への分化誘導研究が進展している。

(つづく)