ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調 報告書」 徳間書店

2013年07月27日 | 書評
憲政史上初めての国会事故調査委員会による東電福島第1原発事故報告書 第5回

要旨から (1)
 本書「国会事故調」の本文は5部構成で約500頁からなる大部な報告書である。全文を読んで新聞で見るだけでは分からなかった新事実があった。「真実は細部に宿る」という言葉があるが、数分の時間の差で原因と結果が逆転するのである。図や表で整理して詳細を追うと見えてくる事実がある。まさに犯人を追い詰める論理ゲームが展開されるが、この読書ノートでは膨大になって態をなさない。そこで要旨だけを紹介する。本文は本書を買って1-2週間じっくり読み込んでほしい。そうすればこれほど知的興奮を覚える書は無いと断言できる。

1) 事故の概要
 2011年3月11日に発生した地震と津波を端緒として東電福島第原発は、国際原子力事象評価尺度INESで「レベル7」という極めて深刻な事故を引き起こした。14時46分の地震発生時、1号機ー3号機は運転中で、第4号機-第6号機は定期検査中(運転停止中)であった。運転中の第1号機-3号機は地震発生後に自動停止(スクラム)した。この地震で東電福島変電所から福島第1原発への送配電設備がすべて損傷し送電は停止した。東北電力からの送電線は1号機配電盤のケーブル不具合が発生し、福島第1原発は外部電源をすべて失った。そして15時37分頃津波が第1発電所を襲った。非常用ディーゼル発電機(D/G)や冷却用海水ポンプ、配電系統設備、1号機・2号機・4号機の直流電源などが水没して機能不全となり、6号機の空冷式非常用ディーゼル発電機1台を除いてすべての電力供給設備が失われた。こうして1号機・2号機・4号機の全電源喪失、3号機・5号機の全交流電源喪失(SBO)がおきた。3号機の直流電源(バッテリー)のみは残ったものの、3月13日未明には放電しつくして全電源喪失となった。津波は全エリアに海水を流し込み、電源だけでなく建屋や機器・設備、道路を破壊した。電源喪失によって、中央制御湿での計装や監視パラメータ、制御、照明、通信手段を一挙に失った。こうして現場運転員は有効なツールや手順書もなく、暗闇のなか手探りで事故対応にあたった。電源がないと通常の高圧注水、原子炉減圧、低圧注水、格納容器冷却と減圧、最終ヒートシンクへの崩壊熱除去といった事故回避へのステップができない。各機の事故進展の様子を記す。
1号機については11日18時より炉心が露出し、18時50分には炉心損傷が始まったと見られる。3月12日朝5時46分1号機に海水が注入が開始され、14時30分ベントが行なわれたが、15時36分1号機建屋が水素爆発をした。
2号機だけは非常用冷却装置RCICが働いたが、3月14日13時25分RCICが停止し、17時から炉心露出が始まり19時20分ごろ炉心損傷が始まった。2号機への海水注水は19時54分から開始された。3月15日朝6時に原子炉底が破損し(?)大量の放射性物質が放出された。
3号機は3月12日11時にはRCICが停止し、HPICが働いたが翌13日2時42分にはそのHPICも停止した。9時10分には炉心が露出し10時42分には炉心損傷が始まった。3号機への海水注入は13時12分に開始された。14日11時に3号機建屋が水素爆発をした。
4号機は運転中止していたが建屋内の使用済み燃料プールへの注水が出来ず水位が低下し続けた。3月15日朝6時ごろ4号機建屋が水素爆発した。水素爆発をしなかった原子炉建屋は、1号機の爆発で建屋の壁が壊されたため爆発限界に達しなかった2号機と、非常用ディーゼル発電機が動いて冷温停止に成功した5号機と6号機であった。

(つづく)

文芸散歩 谷川徹三編 宮沢賢治童話集 「銀河鉄道の夜」 「風の又三郎」 岩波文庫

2013年07月27日 | 書評
イーハートーヴォの心象スケッチ 宮沢賢治童話傑作集 34話 第8回

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宮沢賢治作 「銀河鉄道の夜」 他14篇 (6)
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14) ビジテリアン大祭り
 ビジテリアン(ベジテリアン 菜食主義者)論争のお話で、菜食主義者を論難する論者が次々登場し、またそれに菜食主義者が反論するという論争形式を取ります。今日では論争自体はあまり興味深いものではありません。しかし宮沢賢治は菜食主義者として有名です。法華経信仰に入った後、1918年(大正7年)友人に宛てた手紙で「私は春から生物のからだを食うのをやめました」と書き、その考え方は童話「ビジテリアン大祭」に垣間見ができる。菜食主義として伝わる。以後5年間続けたと記されている。ただ賢治が飲酒や喫煙をしていたこともあり、「賢治の名高い菜食主義が生涯を通じてのものではなく、時には平気で肉食をしたことや、すすめられれば盃も手にした」が実情ではなかろうか。

15) 銀河鉄道の夜
 宮沢賢治の傑作童話「銀河鉄道」は銀河を旅する夢のお話です。昔テレビアニメに「銀河鉄道999」という番組があった。そこには一人の少年と顔のない乗務員と、美人の千年女王が登場し、星から星を巡る旅を展開した。また「ガンダーラ」で有名なゴダイゴというグループが「銀河鉄道スリーナイン」という歌を歌った。このテレビアニメは宮沢賢治の「銀河鉄道」を脚本化したものではないにしろ、下敷きにしたことは明白である。宮沢賢治の銀河鉄道には千年女王は登場しない。賢治はこの銀河鉄道で言いたかったことは、人になじめない少年ジョバンニと、人のために尽くす少年カンパネルラの二人の人生という旅のことであろう。少年ジョバンニは孤立していていわばいじめにあっている少年で、唯一の友人というか理解してくれる人が少年カンパネルラです。ジョバンニは、海外に出稼ぎに出ているお父さんに代って病気の母親の面倒を見て、午前は学校へゆき午後は印刷所で細かい活字拾いという仕事をしています。仕事がつらいので学校でも活発ではありません。今日は学校で銀河(天の川)の祭り(ケンタウルス祭)のことを教わりました。お祭りを見に行こうとして、学校の友人かからかわれ「僕はどこにも遊びに行くとこがない」と嘆いて、岡の草原に転がって空を見ていました。そうですこの話はここから夢の中の話です。すると「銀河ステーション」という声がして、ジョバンニは鉄道に乗っていました。もう1人カンパネルラ少年が乗っていました。二人で銀河鉄道の旅に出ました。白鳥の停車場から天の野原を出て、北十字星を見て、南へ鉄道は進みます。途中から、学者先生や、鳥を取る狩人の話が挿入され、次に青年と二人の兄妹が乗ってきました。早く母親を亡くし地上には父と姉を残して、船旅で難破したため神に召された青年と二人の兄妹の神の国へ向かう旅です。ジョバンニはこのかおるという女の子と仲良くなりましたが、南十字星の駅で天国へ向かう3人とも別れました。大半の乗客は降りて、にわかに汽車の中はガランとしました。このさみしさにジョバンニは「僕は本当にみんなの幸せのためなら僕の体なんか、百ぺん焼いてもかまわない」という気になりました。すると隣にいたカンパネルラの姿が見えなくなりました。そこに学者の博士が座っていて、「あらゆるひとの一番の幸福を探して、みんなと一緒に行くがいい」といい、ジョバンニに1冊の本を渡し、人生を生きてゆくうえで必要な知識や学問を授けました。ふとジョバンニが目を開くと、岡の草の上に寝ていたことがわかりました。そしてひと騒ぎがしました。川に落ちた友人を助けてカンパネルラが行方不明なっているそうです。そうカンパネルラは自分の命と引き換えに友人を助けたのです。

(つづく)