ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調 報告書」 徳間書店

2013年07月23日 | 書評
憲政史上初めての国会事故調査委員会による東電福島第1原発事故報告書 第1回

序(1)
 日本の民主化は1945年8月米軍の進駐とともに始まった。日本の政府官僚と政治家に任せていたら何百年経ってもできないような、政治社会と文化の革命が不十分ながら行なわれたのである。2011年3月11日東北をおそったM.9の大震災と津波が原発を破壊し、原発を巡る日本の社会と政治の脆弱性と欺瞞を一気に白日の下に曝した。この福島第1原発事故を「第2の敗戦」と呼ぶ人もいる。第1の敗戦によって天皇制軍事支配体制が滅んだように、「第2の敗戦」によって日本の政府官僚と議院制内閣政治家と産業・学界・メデイァの支配構造の欺瞞が崩壊し、脱原発を願う人が多数派となった。民主党内閣は原子力ムラと国民の板挟みとなって、最近はだんだん財界の言い分に傾いている。支配構造(原子力ムラ)は原発再稼働を着々と準備しており、金力とメディアを使って世論を説き伏せようと策動を行なっている。今まさに岐路に立ったリスクに満ちた日本社会の変革が始まろうとしている。この歴史的な書「国会事故調 報告書」を読む我々は不幸なのか幸いなのかを熟慮してみよう。本書は日本で始めての国会による反省の書である。太平洋戦争の反省は支配者側から出されることはなかっただけでなく、「欲しがりません、勝つまでは」が「過ちは繰り返しません」という恐るべき責任転嫁がなされた。過ちを冒したのは支配者であって国民ではない。「この国は反省のない国」といわれるが、反省しないのは支配者であって、国民ではない。おそら支配者(原子力ムラ)はこの書を葬り去ろうとするだろうし、政府官僚はこの書の提言を都合のいいように骨抜きにかかるだろう。脱原発の論点をそらすため、右翼・自民党は尖閣諸島問題をでっち上げ民族主義を煽っている。歴史にタラレバは禁物だが、もし原発事故のときの内閣が自民党であったならば官僚任せの無能をさらけ出し、首都圏は放射能の灰に追われるという最悪のシナリオになっていたに違いない。原発事故後すでに1年半が経過したが、見直されたのは「原子力規制庁」が骨抜きにされた「規制委員会」に過ぎない。この国は滅んでしまった方がいいのか、はたまた再建に価するのだろうか、それはこの書を読んだ我々の働き如何にかかっている。

 本書の概要は、「はじめに」から「調査の概要」、「結論と提言」、「要旨」にいたる45ページを読めば分かる。本文は600ページほどの大部な本であるが、2週間ほどかかって全文を読んだ。2011年10月30日に施行された「東京電力福島電子力発電所事故調査委員会法」に基づき、衆参両議長が任命した10名の委員長と委員が国会の同意を得て発足した。委員会の構成を下に示す。
委員長:黒川 清 (政策研究大学院アカデミックフェロー 元東京大学医学部教授)
委員 :石橋克彦 (神戸大学名誉教授 地震学者) 大島賢三(国際協力機構顧問 元国連大使 外務省出身) 崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官) 桜井正史(弁護士 元名古屋高等検察庁検事長) 田中耕一(島津製作所フェロー 2002年ノーベル化学賞受賞) 田中三彦(科学ジャーナリスト 元バブコック日立原子炉設計技術者) 野村 修(中央大学法科大学院教授 弁護士) 蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会会長) 横山禎徳(社会システムデザイナー 都市計画専攻)

 委員の選考は官僚が一番頭を使うところで、その顔ぶれを見ただけで結論が決まってくる。つまり結論にそって人選をするのである。今回の人選の過程は明らかにされていないが、恐らく民主党官邸が世論におされてOKを出したのであろう。ただノーベル化学賞受賞の田中耕一氏には気の毒なことに専門が違いすぎ、普通こういう人物は大勢には反論しないだろうからお飾りにために使われるのである。むしろ原子核物理学者の方が良かった。専門性からして地震学者がいて原子核物理学者や電気・機械工学者がいないのは頂けない。事故の根本原因が「人災」ということから物理学や工学者は採用しなかったようである。またこれらの委員が本書を企画し執筆したわけではない。議論に参加し内容にコメントはしたであろうが、膨大な仕事をこなしたワーキンググループの構成が本書から見えない。恐らく数十人から百人はいたであろうワーキンググループの人物を明らかにすることが公開の原則から重要である。それは官僚なのか、民間技術者や法学者、大学関係者なのか、すべてのワーキンググループ構成員の名前と調査・執筆分担を知りたいところである。

(つづく)

文芸散歩 谷川徹三編 宮沢賢治童話集 「銀河鉄道の夜」 「風の又三郎」 岩波文庫

2013年07月23日 | 書評
イーハートーヴォの心象スケッチ 宮沢賢治童話傑作集 34話 第4回

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宮沢賢治作 「銀河鉄道の夜」 他14篇 (2)
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3) どんぐりと山猫
どんぐりたちは自分の容姿を自慢して、とがった形が一番、高いのが一番、大きいのが一番、丸いのが一番とか言い争って収拾がつきません。そこで山猫先生が裁判官となって判定をしようとしますが、まずは3日間の調停期間を与えました。それでもらちがあきませんので、山猫先生は「一郎」に特別裁判官をお願いしてきました。一郎は差し向けられた馬車に乗って、出かけてどんぐりの裁判に参加しました。山猫先生に意見を求められると一郎は、「一番バカで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなものが一番えらい」と意見を申し上げると、どんぐりの不平不満は収まりました。「アメニモマケズ カゼニモマケヅ ・・・・ ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」という賢治の詩に理想とされる生き方が述べられていますが、それによって平和な社会ができるという信念に通じるものがあります。人を押しのけて自分だけ偉くなろうとする明治以来の立身出世主義を排し、人のために愚直になって奉仕する人が一番偉いのだという信仰を説きます。暗喩のお話です。

4) 蜘蛛とナメクジと狸
この話も前の話に続きのようですが、解決法を示すのではなく現実の悲惨さをより強調したお話になっています。蜘蛛、ナメクジ、狸といった洞熊学校の優等生の卒業生はそれなりの努力をして他人を食い物にしながら、人生の激烈な生存競争で自分だけは一番になったと思うのもつかの間に、悲惨な惨敗という結果を迎えます。洞熊学校というのは明治以来の立身出世を説く国民学校とみて間違いいありません。お話の筋は荒唐無稽です。蜘蛛は雨で腐敗し、ナメクジは蛙に塩で溶かされて殺され、狸は狼を食べて毒素でやられて爆発するというたぐいの面白さです。

(つづく)