ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 町田徹著 「日本郵政ー解き放たれた巨人」 日経新聞社

2013年07月01日 | 書評
私的独占企業体「郵政」を生んだ小泉首相・竹中大臣の功罪 第2回

序(2)
 本書は実質的には2005年8月の郵政関連4法案の成立までの経過を描いている。郵政民営化の歴史は実は小泉氏に始まったものではなく「大蔵省・郵政省100年戦争」の言葉のように、銀行と郵便局の権益争いであった。手紙を配る郵便配達がいつもは攻防の楯に使われるが、大蔵省・銀行のねらいは金利や貯金規模への干渉であり、あわよくば郵便貯金や簡易保険を郵政省より取り外して大蔵省に移管させることにあった。これほど巨大な貯金残高・保険契約高(あわせて約300兆円)になるとは、大蔵省・銀行も予測できなかった。市場状況を左右する巨大コングロマリットが政府系組織として市場のアクターとなると、市場に不公平感と軋みが発生する。それもこれも根は明治時代の戦費調達に個人資金を狙ったことにある。戦費調達に貢献した郵政省の功績であり、市中銀行が個人資金を軽視したつけを妬むというのも大人気ないという論がある。戦後は郵便貯金・簡易保険は厚生省の年金や健康保険と同じように、法律によって財政投融資にだけ回され、道路や鉄道やインフラ整備に貢献し歳費(特別会計)の膨大化をもたらした。政府系銀行、道路・住宅公団などの財政投融資を改革するには金の出口改革だけでなく、金の入り口の改革が必要だと、富田俊基著「財投改革の虚と実」(東洋経済新報社 2008年1月)は述べている。「財投(財政投融資)とは、国の信用力を背景に融資などの金融的手法を用いる財政政策であり、政治と市場による規律が求められる。安易な市場原理主義に任せることは危険である」と財務省の意見が述べられている。したがって郵貯や簡保が民営化によって民間市場に運用されること(今は法律で国債以外の運用は禁止)は歓迎していない。郵政民営化で公団側が郵便配達サービスの「ユニバーサルサービス(全国一律のサービス体制)」を人質にして、組織の分割を阻止する論を展開するが、実はこれは目潰しに過ぎず、守るべき天守閣は郵貯や簡保の金であり、最終的には民営化によって運用権を自由にしたいことである。そういう意味では「郵政官僚や公団側は民営化に反対」と捉えるのは的を得ていない。彼らは最終的には郵便事業は手ばなしてこれは別の運営(アメリカの基金運営法)でもいいと考えており、結局譲れないことは郵貯や簡保の拡大自主経営権や自主資金運用権である。
(つづく)

文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年07月01日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第52回

107) 雪だるま
子供らが雪だるまを作りました。子供らは万歳を叫びました。夜になって満月が青く美しく東の空から上ってきました。雪だるまは歩きたいと思ったのですが、歩き方を知りません。番犬がワンワンと吠えて翌日お日様が当たると滑り込む方法が分かるといいます。要するに溶けて滑りやすくなるということです。番犬は地下室の管理人の部屋に住んでいましたが、暖かいストーブの話をしますと、雪だるまはすっかりストーブに恋をしました。一日中ストーブを見続けていましたので、炎の光で温められた雪だるまはすっかり溶けて亡くなりました。番犬は雪ダルマの体の芯にストーブの火掻き棒が入っていたことに気が付きました。それが体の中で動いたに違いないと思った。

108) アヒルの庭で
ポルトガル種の雌のアヒルが1羽、普通のアヒルや鶏と一緒に庭で飼われておりました。ポルトガル夫人と言っておきましょうか。ポルトガル夫人は鶏の甲高い鳴き声に閉口していました。そこへ猫に襲われた小鳥が屋根から庭に落ちてきました。ポルトガル夫人は羽を折った小鳥の世話をして、水療法として水をかけてやりましたが、小鳥は水鳥ではありませんので余計なお世話を受けて羽を乾かさなければなりませんでした。ここへ中国夫人の2羽のめんどりがやってきておしゃべりをして時、庭に餌が投げ込まれました。庭の鳥たちは慌てて起き上がって餌を食べ始めます。食べ終わってポルトガル夫人が横になっていると、小鳥はかわいがられようとしてピーと歌い出しました。食休み中のポルトガル夫人は驚いて、しつけのためといって小鳥の頭を突っつきましたら小鳥は死んでしまいました。アヒルというものは皆激しい情熱をもっていっます。同情が行き過ぎて小鳥を殺しました。

109) 新しい世紀のミューズ
この話は恐ろしく観念的で未来の詩の形を論じようとしたものですが、果たして童話としてはいかがなものでしょうか。詩とは感情と思想が鳴り響く音だといいます。産業革命後の機械文明の中で、新しい世紀のミューズが生まれようとしています。どんな時代にもそれに適した詩が生まれるという期待感を表現しています。
(つづく)