ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 町田徹著 「日本郵政ー解き放たれた巨人」 日経新聞社

2013年07月03日 | 書評
私的独占企業体「郵政」を生んだ小泉首相・竹中大臣の功罪 第4回

序(4)
 日本郵政公社
 日本郵政公社は、2003年(平成15年)4月1日から2007年(平成19年)9月30日までの4年半にわたり、日本で郵政三事業(郵便・郵便貯金・簡易保険)を行っていた国営の公共企業体である。公社の役職員は、法律で特に国家公務員の身分が与えられ、役員は国家公務員法にいう特別職国家公務員、職員は一般職国家公務員とされた。 廃止された2007年(平成19年)9月時点において、世界最大の金融機関であった。
総裁 初代:生田正治(2003.4 - 2006.3) 第2代:西川善文(2006.4 - 2007.9)
副総裁: 團宏明  高橋俊裕  高木祥吉(2007.4 - 2007.9)

日本郵政株式会社 
 2007年(平成19年)10月1日に郵政民営化に伴い、郵政三事業を含む全ての業務が日本郵政グループとして日本郵政株式会社及びその下に発足する4つの事業会社(郵便局株式会社、郵便事業株式会社、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険)へ移管・分割され、日本郵政公社は解散された。これにより、内務省以来130年以上にわたり政府によって運営されてきた国営としての郵政事業は幕を閉じた。民営化までの動きは 2005年(平成17年)10月14日 - 郵政民営化関連法可決・成立 。2006年1月23日 - 民営化の企画準備を行う会社として日本郵政株式会社が発足。2007年10月1日 郵政事業の民営化が行われる。
日本郵政株式会社取締役会長:西岡喬(元三菱重工業社長) 社長:齋藤次郎(元大蔵事務次官) 副社長:坂篤郎(元大蔵省主計局次長)、高井俊成(元日本長期信用銀行常務)
郵便事業株式会社 会長: 北村憲雄(イタリアトヨタ会長)  社長:團宏明(日本郵政公社副総裁・郵政事業庁長官)
郵便局株式会社 会長:川茂夫(イトーヨーカ堂執行役員)  社長:寺阪元之(スミセイ損害保険社長)
株式会社ゆうちょ銀行 会長: 古川洽次(三菱商事常任顧問)  社長:高木祥吉(日本郵政公社副総裁・金融庁長官)
株式会社かんぽ生命保険 会長: 進藤丈介(東京海上日動システムズ社長)  社長:山下泉(日本郵政公社理事、元日本銀行金融市場局長)

郵政民営化の見直し
 郵政見直しをかかげた国民新党とは、2005年8月、自民党の綿貫民輔、亀井静香ら「郵政事業懇談会」所属の国会議員が郵政民営化を巡る党内抗争の結果、離党して結成。他に亀井久興、長谷川憲正が参加した。民主党からも田村秀昭が参加した。中村慶一郎が顧問に就任している。2009年9月より、民主党と共に連立政権を組んでいる。結党時は郵政民営化反対を最優先の公約として掲げた。日本郵政グループへ組織が再編された現在も、グループ企業の株式売却凍結と分社化に伴う窓口サービス低下を改善するための組織再編が必要であると強く主張し、連立政権でも郵政改革法案の早期成立を目指している。2009年10月20日 - 鳩山由紀夫内閣、郵政民営化の見直しを閣議決定。西川善文が社長辞任の意向を表明。2012年10月1日 - 「郵便事業株式会社」を「郵便局株式会社」に吸収合併させて、郵便事業会社の営業拠点も全て「郵便局」に統合または改称した。連立政権は郵政民営化の見直しを連立公約に掲げたが、見直しの最終像が見えないし、民主党自体があまり乗気でないことから、つぎの総選挙で腰砕けになりそうである。
(つづく)


文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年07月03日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第54回

111) チョウ
 チョウがお嫁さんを貰おうと、かわいい花を選びに旅に出ました。まず雛菊(フランス語でマルゲリット、占いの花)に申し込みましたが気に食わないと振られました。次にマツユキソウ、クロッカスには目もくれず、アネモネの毒気にやられ、チュリップの派手さに閉口し、水仙はみじめったらしいと敬遠し、ボダイジュの花は小さすぎるので敬遠し、リンゴの花の寿命があまりに短いのでがっかりし、エンドウの花に魅力を感じたのですが年増で萎れているので止めにし、スイカズラの花は顔が長細くてチョウの趣味に合いません、ハッカソウは花こそありませんが全身からいい匂いがするので結婚を申し込みましたが、ハッカソウは年を取っているのでこれを断りました。こうして雨と霧の季節になりチョウは誰とも結婚できませんでした。そして捕えられて今は標本箱の中でピン留めにされています。

112) プシケ
 ラファエロやミケランジェロが活躍していたルネッサンス時代の、イタリアの名もない彫刻家の話です。プシケとはローマのアプレイウスの物語「エロスとプシケ」に出てくる、蝶の羽を持った美しい少女のことで、ギリシャ時代から登場しています。ローマの古い家に世間には知られていない一人の芸術家が住んでいました。才能も腕も確かな芸術家でしたが、作っては壊しして満足する作品は一度も発表していません。仲間の芸術家は彼のことを評して空想家だといい、現実の生活を楽しんでいないから、人生を知らないのだといいました。芸術家の陽気な破天荒な生活を味わったこのない、神聖なものを求めて尊いものを追い求めるタイプの芸術家だったのです。この芸術家が宮殿の庭の前を通りかかた時、ラファエロの描いたプシケの姿のようなお嬢様を見かけました。その姿は若い芸術家の心に火をつけました。さっそく粘土でプシケ像を作りました。友人や仲間内はこれを絶賛し、彼は大理石でそのプシケ像を刻み始めました。ローマの金持ちの殿様(少女の父)がやってきて、プシケ像の予約をしました。出来上がった大理石像の作品を芸術家仲間はギリシャ時代の巨匠に劣らない作品だと評価しました。そして若い芸術家は宮殿に行き作品の完成を告げましたが、その時現れたお嬢様に芸術家は愛を告白しました。びっくりしたお嬢様は「気が違ったのか、出ていけ、さっさと下へ」と叫びました。芸術家の仲間はこの若い芸術家が思いつめて血が頭に上ったと思って、酒を飲んでバカ騒ぎをすれば正気に戻るだろうということで、カンパーニアの娘のいる料理屋に連れてゆき浴びるほど酒を飲ませました。翌朝から熱病のように震えがきて、そのプシケ像の彫刻を井戸に投げ込み土をかけて埋葬しました。そして彼は修道院に入りました。この僧が死んで何百年もたったころ、修道院の跡地に女子修道院が立っていました。そこへ新たな修道女のを埋葬するために穴を掘りますと、大理石に刻まれた美しいプシケ像が発見されました。この世のものはすべて塵になりますが、この世のものならぬ聖なるものは死後の名声の中で輝きます。その名声が忘れられても、プシケ像は生き続けています。美しいものは永遠の生を与えられるのです。
(つづく)