ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 ディスカバー21

2013年07月13日 | 書評
民間シンクタンクによる独立検証委員会が見た福島原発事故の真相 第4回

総 括(2)

4) 絶対安全神話の罠:
 原発事故に対する備えそのものが住民の不安を引き起こすという恐れを、原発推進利害者「原子力ムラ」が抱いて原発災害をタブー視する心理を作り出したものと考えられる。原発災害への心配は本当は皆無では無いのだが、原子力ムラも原発立地自治体もリ「想定外」という言葉でシビアアクシデントには眼をつぶったというより、むしろ積極的に「安心」という信仰に走った。想定外を口にすることはリスクマネージメントを放棄することにほかならない。世界の原発安全性への科学的知見や最新の技術成果を既存の原発システムに取り込む「バックフィット対応」を怠り、日本の安全技術は世界最高と無理に自負することで、世界の安全思想から取り残されてしまった。耐震性の機器設計だけは分厚く発展したが、確率的リスク対応は低いといういわゆる「ガラパゴス的進化」をとげてしまった。

5) 安全規制ガバナンスの欠如:
 日本の原子力安全規制体制は、文部科学省と通産省の二元体制で構成されてきた。2001年の科学技術庁改革によって現在の経産省傘下に原子力安全保安院、内閣府に原子力安全委員会のダブルチェック制度は、実は実施部隊を持たない原子力安全委員会が経産省の政策を追認するだけの無力な存在に成り下がった。2007年IAEAは「総合規制制度サービス(IRRS)」によって日本政府への報告書をまとめ、「規制機関である原子力安全・保安院の役割と原子力安全委員会の役割、とくに安全審査指針策定における役割を明確にすべき」と勧告した。誰が見ても日本の安全審査体制は不明瞭であった。国際原子力機関の勧告にも従わない「安全規制のガラパゴス化」が進んでいたのだ。原子力安全・保安院は原発推進機関である経産省資源エネルギー庁にくらべて、圧倒的な人材や資源量の差が目立ち、規制官庁としての理念も能力も人材にも乏しかった。原子力安全・保安院も原子力安全委員会も「東電を規制しているようで、実は御用聞きに過ぎなく、東電の追認道具にされていた」という見解は的を得ている。サプライヤー重視の経産省の組織では原子力安全・保安院といった規制官庁は小泉改革以来力を失っていた。こうして事故は起こるべくして起きたのである。

6) 国策民営のあいまいさ:
 東京電力の危機管理能力と意思決定、そしてガバナンス(統括能力)の弱さは、このような東電に原発を行なう資格があるのかと疑わせる。そもそも日本の原子力発電は「国策民営」というもとで、政府の掲げる原発推進国策を、民間企業が民営で行なう体制で進められてきた。これは古くは文部科学省が原発の国産技術開発を行なう方針であったが、増殖炉「文殊」、核燃料リサイクル工場の失敗、使用済み核燃料処理技術開発の遅延などで国産原発技術開発は遅遅として進まなかった。(その結果科学技術庁は実質上解体された) 一方商業炉として通産省は「沸騰水型・加圧水型軽水炉」の「フルターン方式」で安易な完成品技術購入に走った。外国メーカーから原発の失敗の恐ろしさを伝授されることなく、地震のないアメリカや欧州ではない、世界一の地震国日本の海岸線に55基の原発を設置してしまった。そもそも論からいえば、地震国の海岸の居住接近地に原発を設置すること自体が暴挙であるといえる。設置基準の問題と安全性規制の無能力が原発事故の伏線であった。原発事故損害賠償問題も東電には当事者として解決に当たる意思は認められない。国の支援と方針・枠組みを待つだけの無責任な態度が日本の原発体制であった。儲けは享受して賠償は回避するご都合主義の東電を国有化してはならない。損害賠償を全部国民の金で始末するだけである。賠償にかかる数十兆円の費用、汚染除去にかかる数百兆円に費用も経営リスクと見るのが資本主義企業の鉄則であるなら、原発を運用する企業はあるのだろうか。民間企業はそろばんに合わないと見れば撤退する。企業責任を完遂すること、それが脱原発の最善策である。うまい話は国民の税金・資産を食い物にできる国策民営である。

7) 危機管理とリーダーシップ:
 菅首相をトップとする官邸は事故における東電の対応に不信の念を募らせ、15日政府が東電本社に乗り込んで「総合対策本部」を創った。これは菅首相の大英断と評価できる。これ以降政府の事故対応は機動に乗ったとされる。東電本社と福島第1原発現場の関係、政府と東電本社の関係、規制官庁と推進官庁・原子力ムラの関係など二重・三重の「信頼の連鎖崩壊」が起きていた。東電では現場の独走(吉田所長)という問題が指摘されるが、営業と企画畑の東電本社と技術畑の原発現場の意思疎通は明らかで、東電本社の意思決定はただ迷走するだけであった。官邸の意思決定のうち、11日夜から避難区域を逐次3km,10km,20kmと拡大していったのは予防的観点からは評価できるが、3月25日の「自主避難」指示は住民に混乱を招いた。原発事故の最大の危機は11日から15日にあったといわれる。清水東電社長が深夜官邸の三人に「撤退」をしたいという電話をかけた事件はいまなお真否は闇の中にある。官邸はこれを「全面撤退」と理解し、菅首相が問う東電に乗り込んで、檄を飛ばした。あとで清水社長は官僚らしく撤退ではなく「退避」だという。東電は今回の民間事故調のインタビューを拒否した。政治指導者に対する科学技術者の助言機能は非常に弱かったようだ。原災本部事務局も機能しなかったようだ。そもそも原子力安全・保安院は危機対応の備えがなかった。政治家の質問にも的確に答えることが出来なかった。官邸地下にある危機管理センターや危機管理監も十分に機能したとは言えない。危機管理センターから情報が上がってこなかった。つまり官僚機構は危機対応が出来なかったということである。もちろんシビアアクシデントを想定外とした「原子力災害マニュアル」も何の役にも立たなかった。事故対応時に官邸から見えた風景(官邸の情報も限られていたので限定された風景である)は福山哲郎著 「原発危機ー官邸からの証言」 (ちくま新書 2012年8月)に書かれている。

8) 復元力に期待する:
 東京電力の事故シュミレーション解析(2011年11月発表)によると、高温で溶解した核燃料の大半は炉心容器を突き抜けて、外側で炉心を包む格納容器の底部のコンクリート床にスラグとなっていると推定されている。際どいところで最悪のシナリオは回避できた。運が良かったといっては、危機管理は成り立たない。危機管理は事故の全貌を各方面の専門家達が明らかにしたならば、それを教訓として国民的合意(法)として落とし込まなければならない。そして国と組織と人々の復元力(再生の知恵)を高めるために生かさなければならない。3月11日を「原発防災の日」とする事を提案するとして本書は終っている。

(つづく)

文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年07月13日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第63回

138) アザミの経験
お金持ちのお屋敷の庭にはたくさんの美しい花が咲いています。お屋敷の柵の外の野道にアザミの花が茂っていましたが、誰も目に留めず、ロバが食べたがっていましたがとげが痛くて食べられません。お屋敷の庭で若い人のパーティが行われました。貴族やお金持ちの令状や若者が集まり、それぞれのカップルは花を摘んで男の人のボタンの穴に差してやりました。スコットランドから来た令嬢は柵の外にあるアザミの花をこの屋敷の息子さんにさし上げました。アザミはスコットランドの国花だったのです。こうして二人は結婚しました。

139) うまい思いつき
詩人志向の青年がいました。現代では詩の題材が歌われ尽したので、何を歌ったらいいのかわからないとこぼしています。そこで木戸番の占いばあさんに伺いをたてました。青年はばあさんからメガネと耳ラッパを貸してもらうと、たちまち10章からなる詩が出来上がりました。「見る目と聞く耳」を持てば、詩はひらめき(うまい思い付き)から生まれるということです。

140) 運は一本の針のなかにも
赤ちゃんが生まれるとき、神様は運をプレゼントします。しかもその運というものは思いもよらぬところで見つかるものです。運がないと不平不満を言ってはいけません。見つけられないだけで、とんでもないところから見つかるものです、。そのことを説明するため、ある木の轆轤師(旋盤で型をけずるひと)の例を取り上げます。轆轤師は蝙蝠傘の柄と輪を轆轤で作るのが仕事の職人でした。なしの実が不作の時、木の枝から子供たちになしの実のおもちゃを作ってやりました。あるとき、傘をまとめるボタンが飛んで、周りにはめる輪がバラバラになりました。ちょうどなしの実のおもちゃが見つかって代用に使いますと、とても具合がよく傘がバラバラになる故障は起こらなくなり、これを首都で売り出すと大ヒットしました。大量の注文がきて、大きな工場を建てました。

(つづく)