ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 町田徹著 「日本郵政ー解き放たれた巨人」 日経新聞社

2013年07月05日 | 書評
私的独占企業体「郵政」を生んだ小泉首相・竹中大臣の功罪 第6回

1)郵政公社を巡る攻防 (2)
 郵政公社は総務省の管轄とし、料金改定は総務大臣の認可を必要としたが、民営化後は「届け出」で済むことになり、2012年東電でさえ「値上げは東電の自由だ」と叫ばなければならなかったが、郵政株式会社は「値上げの自由」を手にした。郵政公社はこれまでヤマト運輸が請け負っていた東武百貨店の配送業務委託を受け、日立物流との連携、全日空との連携に乗り出した。こうして日本郵政の物流市場支配への助走が始まった。そして国鉄やNTT民営化の際にフ不可欠とされた「地域分割」が抜け落ち、全国一社の超独占郵便会社の誕生である。竹中平蔵の「私的独占」を許すという形だけの民営化であった。すると小泉首相の郵政民営化という手法は、中味はそのままにして、田中首相から橋本首相に繋がる郵政族の一掃(橋本首相の1億円献金問題で、青木・野中の政治生命は絶たれた。これも国策捜査であろうか)と、自民党の集票マシーンといわれた明治以来の「全特(全国特定郵便局長会)」の無力化(そのために自民党の55体制は崩壊し、民主党へ政権が移った)という政治目的があったようだ。しかし小泉首相は自民党政権を潰すことが本望であったのだろうか。自民党の郵政事業懇話会の歴代会長は、金丸信、小渕恵三、野中広務、綿貫民輔らのかっての田中派に連なる政治家であった。こうして自民党は公明党の集票力にたよる腐敗した政治集団に化し政権から滑り落ちた。2005年6月日本郵政公社は新しい金融商品である投資信託を扱うため、投信の「窓口販売システムの開発と保守契約」を野村證券が出来レースのように格安の落札でかっさらった。郵政官僚のドンといわれた五十嵐三津雄を顧問に迎えた野村證券がほぼ無競争で受注したのだ。郵貯は大和証券とシティバンクの2社とATMのオンライン提供を結び、全銀協加盟の金融機関の切り崩しを図った。各銀行だけのATMに比べると郵政公社は全国2万4000局はATM で結ばれている。(郵便通帳やカードで全国どこの郵便局でも入出金ができるが、銀行や信金は狭い範囲でしかできない。)このネットワークこそが個人資産全体(1360兆円)の約1/4を囲い込むことができたのである。2005年8月日本郵政公社は3本の投資信託を開始した。野村の「グローバルライフスタイルファンド」と、大和証券の「日経225インデックスファンド」、ゴールドマンサックスの「TOPIXインデックス+αファンド」である。もちろん本命は野村のライフスタイル型であった。郵貯の残金は2005年末で208兆円と6年前に比べると44兆円も引き出されている。資金の流出を食止めための新戦力が投資信託」であった。

 郵政公社の投資信託への検討は1990年代半ばに遡る。しかし財務省・銀行・生保業界の「民業圧迫論」が強く、元金割れの可能性がある商品に郵貯が手を出すのは反対論が強かった。公社の生田会長は「民営化する以上は業務拡大を」という要求が入れられ、2004年「日本郵政公社投信窓販法」が成立し開始の道が開けた。投信販売計画は極くつつましく過少計画で刺戟しないよう配慮されているが、誰も信用しない。民営化後も第3種郵便制度を引き継ぐことから、巨大な広告物の割引配達サービスができる。民営化によって郵便、郵貯、簡保の3業種に限定されていた業務は広範な「経営の自由化」を得る。先ず考えられるのは大都市郵便局の一等地利用による不動産賃貸業への進出が検討されているようだ。パワー乱用に対する歯止めは小泉郵政民営菅は何ら考慮していなかった。公社は日本有数の土地持ちになった。そこで問題は上に書いた日本郵政株式会社の役員名簿(トップだけをみても)に見るように、民間企業からの入閣が非常に多いことである。これを「天上がり人事」という。彼らは当然出身会社の意向を考慮するので、郵政一家(政治家と官僚)が食い物にしてきた利権を今度は民間会社が食い荒らす可能性が高い。天下りと同様天上がりの弊害も大きいことは肝に銘じておかなければならない。日本郵政公社に役職を送り込んでいる企業とは、商船三井、東京海上火災、三井物産、損保ジャパン、三井住友火災保険、三菱地所、三井不動産、三井物産、住友信託、三井信託、野村総研などである。日本郵政は民営化後飛躍的に業務をひろげてゆくだろう。国際物流、証券仲介業、ローン業界、クレジットカード、医療・がん保険、不動産業、郵便局のコンビニ化などなどが準備されているのだろう。当然のようにして信書便の独占、値上げの自由が与えられ、2万4000局という全国一律のインフラと営業網ががそのまま分割もされずに無傷で継承できたことは、小泉改革がいかに内容の考察を欠いた、志のないお芝居であったかということである。
(つづく)


文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年07月05日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第56回

116) 銀貨
貨幣は交換可能という信用で成り立っているという、貨幣価値論を展開するつもりはないでしょうが、子供に貨幣のことを教えるために書かれた話でしょう。昔はある国の貨幣は鋳造しあっての金属価値の高いものであっても、ほかの国では流通しなかったので、今のような「為替」という信用交換システムがありませんでした。だからぴかぴかの銀貨でも。他の国では無価値の偽物として扱われた。その銀貨が外国で哀れな旅をして最後に自国へ戻って安住の気持ちになるという話です。こういう貨幣論という抽象的な話を子供に分からせるのは難しいかな。大人でも貨幣論がよくわからない人は、岩井克人著「貨幣論」(ちくま学芸文庫 1998年)を一度読むといいですよ。

117) ベアグルムの僧正とその一族
デンマークのユラン半島の北に砂丘が広がっています。砂丘の丘にベアグルム僧院という古い館がありました。北海の怒涛で難破した船の積み荷は砂丘の浜辺に流れ着きますが、これらはベアグルムの僧正オルフ・グローブのものになりました。僧正は強欲な世俗権威者で、僧正の親戚が死んだ時も、未亡人の土地・館を取り上げるため僧正は裁判に訴え、それがうまくゆかないとローマ法王に手紙を書いて自分に都合のよいお裁きを得て、未亡人を教区から追放しました。未亡人には一人の息子イエンスが外国にいたのですが、このイエンスは騎士となって12人の部下を連れて帰国の途にありました。未亡人の母親のため、イエンスが僧正一味を惨殺しました。昔の俗世と悪の思い出は闇に葬られました。このように僧職者が物欲の権化となって悪の快楽を尽くすことは、今では昔話になりましたということです。

118) 子供部屋で
お父さんとお母さんが芝居を見に出かけました。小さなアンナとなずけ親のおじさんがお留守番です。二人でお芝居をしてお遊ぶお話です。本で机の上に劇場をつくり、パイプの頭と古いチョッキと破れた手袋と長靴の形をした胡桃割りの4人が俳優です。家庭劇の題名は「パイプの頭とよい頭」で役割は、父親がパイプの頭、その娘に敗れた手袋、恋人にチョッキが、恋の邪魔をする求婚者に長靴のクルミ割りという塩梅です。
(つづく)