ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 ディスカバー21

2013年07月17日 | 書評
民間シンクタンクによる独立検証委員会が見た福島原発事故の真相 第8回

検証結果(5)


第6章 原子力安全のための技術的思想
 なぜ原子力災害に対する備えが十分でなかったのかを、社会・政治制度と風土のより深いレベル(遠因)で検証しよう。その主因は「安全神話」で自分を騙し続けてきたことである。そして原発推進体が強固なスクラムを組んできたためである。経産省・文部科学省、設置自治体、電力会社と政治家・学者らで構成される「原子力ムラ」が原発推進母胎となった。国が原子力政策を推進し電力会社が原発を運転する「国策民営」体制(これを中国では「開発独裁」体制という)であったため、安全性向上に対する責任があいまいになり、民間企業では補償し得ない膨大な事故賠償金の問題を棚上げ(電力会社は国が負担すべきと考えているようだ)して、リスクには目をつぶって馬車馬のように突っ走ってきた。そうしたことが一方では膨大な原発のハード面での安全点検規制がつくられ、安全性は確保されているとしたために、シビアアクシデント対策の未整備に繋がった。本来原発は「深層防護」の安全技術的思想で安全対策が実施されているはずである。定期的な安全評価、対策が行なわれながらなお今回の事故は防げなかった。「千年来の想定外的災害」といって済まされない、技術的思想からの逸脱があったのではないだろうか。IAEAが定める基本安全原則Ⅰには「安全のための一義的な責任は許可取得者つまり電力事業者にある」と述べている。一方基本安全原則Ⅱは、政府の役割を独立した安全規制機関を含む効果的な枠組みを定め、それらが守られている事を監督することであるとされる。したがって電力事業者と規制機関の関係は車の両輪のようであるが、国によってどちらのイニシャティブが強いかどうかの違いはある。米国では電力事業者が弱体で、フランスでは電力事業者と規制機関が1対1で対し、日本では規制機関が弱体である。IAEAの基本安全原則は規制機関が技術的に独立した存在でなければならない。原子炉の安全性とはIAEAの「深層防護」の手順によると、「逸脱防止」、「止める」、「冷却する」、「封じ込める」にある。非常時には制御棒を全面挿入して熱中性子を吸収して核反応を止め、核崩壊熱を冷却し続けることで低温停止することが安全対策上の重要な関心事である。

 安全性評価手法には、設計想定事象DBEの決定論的安全評価とシビアアクシデント確率論的安全評価の二つがある。1960年以降DBEを基にした安全対策が強化され、二重の安全設備、信頼性の高い設備、材料設計の改良などが行われてきた。これに関しては日本は高いレベルにあった。しかし1970年ごろからシビアアクシデントのリスクは設計の範囲を超える事象によって発生する確率論的対策がWASH-1400報告によって主張された。米国ではスリーマイルズ島事故以来、シビアアクシデントの研究が盛んとなった。日本では確率論的安全評価の規制要件化が実施されなかったことから、安全性評価の効果は限定的であったといえる。今回の福島第1原発事故では原子炉を「止める」ことは出来たが、「冷却する」(→メルトダウン)、「封じ込める」(→ベント開)ことには失敗した。設計・建設の問題は、津波高さ想定の甘さ、非常用ディーゼル発電機および配電盤を地下に設置したことである(第5号機、第6号機は建屋においたので冠水をまぬがれ事故にならなかった)。福島第1原発は米国GE社のBWR型原子炉の輸入で設計から工事まで「フルターンキー方式」(すべてお任せ)であったため、わが国特有のリスクである地震と津波への配慮を欠いたことが今回の事故につながったといえる。原子炉は運転期間中の検査として、年4回の保安検査、原子炉を止め手行なう1-2年に1回の定期検査、10年に1回の定期安全レビュー、30年以降に実施する高経年化技術評価がある。原子炉全体の安全性を考える指標として、計画外停止頻度と確率論的安全評価PSAがあり、日本の原発の操業率の高さ(計画外停止頻度の低さ)はフランスより10倍高いといわれる。そこに安全神話がうまれ、PSAの必要性を軽んじたのではないだろうか。東北の太平洋側にある15のプラントのうち、福島第1原発第1,2,3号機だけが炉心損傷に至ったのは、構造物・原子炉・機器SSCの経年劣化と無関係とはいえない。日本の原発のアクシデントマネジメントAMの方向性が、設計想定事象DBEに終始して、事故発生時の対応が取れるような準備と対策が不足していた。例えば、ベントには放射性物質除去の巨大なフィルターが付いていないので、ベント開放で放射能が環境中へ撒かれる。炉心異常圧力開放のためのベント末端にラプチャーディスク(薄板安全弁がない)。水素爆発は炉心に窒素を充填しているので大丈夫と関係者は信じおり、炉心破損による水素漏れで建屋が爆発することを考慮していなかった。消防車による炉心注水という操作が福島原発の手順書に書いてなかったため、第1号機への給水の遅れとなったなどが挙げられる。

(つづく)

文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年07月17日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第67回

150) 大きなウミヘビ
イギリスと欧州を結ぶ海底電信ケーブルが設置される時代となりました。海にすむ魚や鯨、アザラシたちは大騒ぎです。ケーブル線に押しつぶされて死ぬ魚もいました。そして寄ってたかって、これは何者だと詮議が始まりました。大きなウミヘビだといったりしていましたが、深い海の底を、この大蛇は祝福をもたらして伸びてゆきました。アンデルセンの近代文明歓迎のお話です。

151) 庭師と主人
金持ちの貴族一家は腕のいい庭師を抱えていました。この庭師はラーセンといいました。このお屋敷にはカラスが巣をつくっており、庭師は大きな木を切らして頂きたいと願い出ましたが、屋敷の伝統的な木の伐採を主人は許しません。庭師は庭園に果樹園や野菜畑や花壇や温室を作っていました。庭師の腕がいいので、近所の家や主人の友人から、果樹や野菜の評判がすこぶるいいのです。リンゴ、ナシ、メロンなどがおいしくので、近所から接ぎ木や種を求められ、方々に広く送くられました。スイレンや朝鮮アザミの花もあまりに美しく咲かせたので、王女様に贈られて王女様は外国の花かと間違うばかりでした。ある夜、嵐が吹いて例のカラスの巣となっている大木がなぎ倒され、庭師はそこに森林園を作って、ネズの木、柊、フランスの梨の木が植えられ、デンマーク国旗が翻っていました。ラーセンさんもすっかり年をとりましたが、ご主人は首にはしないで、ラーセンさんを誇りに思っていました。

152) ノミと教授
荒唐無稽の興行師のお話です。昔気球乗りの助手がいました。気球が爆発事故を起こした時は親方は死にましたが、助手は無事でした。飯を食うために腹話術師になろうとしましたが、品のいい態度と手先の器用さで自ら教授と名乗って奇術師となり興行で身を立てていました。奥さんはいましたが生活に嫌気がさしたのか、女房には逃げられ、1匹のノミを相棒に各地で興行をしていました。あるとき食人種の野蛮人の国にゆき小さな王女様にノミの芸を見せると、王女様はすっかり気に入りました。しかし教授はこの国から逃れたくてもっと面白い見世物をするといって、王女様から資材を集めて気球を作りうまく脱出しました。

(つづく)