ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 ディスカバー21

2013年07月22日 | 書評
民間シンクタンクによる独立検証委員会が見た福島原発事故の真相 第13回 最終回

検証結果(10)


第10章 原子力安全レジームの中の日本

 この章では国際的な原子力安全の規範とくに地震と津波に対する事故対応指針が、1979年のスリーマイルズ島事故、および1986年のチェルノブイリ事故の教訓を経て次第に整備されてきたことをまず振り返り、そして日本の規範を見て行こう。チェルノブイリ原発事故の後、国際原子力機関IAEAでは原子力利用安全基準を実行あるものにするべく専門家による総合評価(ピアレビュー)制度が精緻化した。これは強制力のないソフトアプローチといわれる。この国際レジームを通じ日本はこれまで「警告」を受けていたのも係らず、原子力安全条約CNS、原子力災害時の早期通報条約、国際協力のあり方を規定した援助条約に照らして日本の福島原発事故の国際対応が妥当であったかどうかを検証する。IAEAの「原子炉施設に関する原子力安全基準」NUSS計画は1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて大幅に見直され、1993年「安全原則ー安全要件ー安全指針」の三層構造からなる原子力安全基準が完成した。そして基準文書は1996年に統一された。それらの文書はあくまでレファランス(参照条件)とされた。IAEAは各国の国家主権を尊重し各国が自国の判断として利用可能なピアレビュー制度を整備した。1989年IAEA は国際規制レビューチームIRRTプログラムを開始した。国際原子力安全条約CNSは2005年「総合規制評価サービス」IRRSを開発し各国へのサービスを開始した。一方原子力事業者は1987年「世界原子力発電事業者協会WANO」を結成し、1991年よりピアレビューを開始した。

 このIAEAやWANOによる総合安全評価ピアレビューに日本は必ずしも積極的には向き合ってこなかった。IAEAの安全運転調査団OSARTは1988年に高浜原発、1992年に東電福島第2原発、1995年浜岡原発、2004年には刈羽原発でレビューを実施した。福島第2原発ではOSARTから多くの勧告が出されたが、東電はこれを無視したといわれる。浜岡原発に対する勧告にも中部電力の対処は不十分だったとIAEA関係者は語っている。ピアレビューの検査が日本の事業者の隠蔽体質をかたくなにしたようであった。2007年IRRS実施報告書には保安院と原子力安全委員会に対して改善点が5つ示された。それに対する保安院の2008年プレスリリースは指摘を拒否する内容であった。ところがWANOの利用は2003年より福島第1原発、同第2原発で自主レビューが実施されている。IAEAは2007年の新潟沖地震による刈羽原発事故に危機感を感じ、国際耐震安全センターを設立し新基準DSS422を策定した。こうした新基準の見直し作業「地震確率的安全評価PSA」は、今回の福島第1原発事故防止にはつながらなかった。IAEAの安全基準には「想定起因事象PIA」(1万年に1回以上おきる可能性)を想定しなければならないとされている。2009年IAEAの「立地評価安全ガイド」にも歴史的津波を徹底的に考慮する必要性を求めている。今回の事故を調査するためにIAEAは2011年5月専門家調査団を派遣した。報告書には日本における幾つかのサイトで原子力発電所における津波のリスクが過小評価されていると指摘している。

 日本政府から国際社会への事故に関する情報発信のあり方には一定の評価ができる。IAEAに対する事故報告は5月末までの800件を越した。また外務省によるブリーフ情報発信も評価できる。その内容が外国通信員の求めるものであったかどうか、外務省では科学コミュニケーションが出来るのかという課題を残した。1986年IAEAはチェルノブイリ事故直後に「早期通報条約」を定めた。日本は同条約の締結国であるものの、IAEAの天野事務局長は「3月16日の時点で日本の当局から十分な情報が提供されていない」と述べていた。4月4日、放射性汚染水を通報なしで海洋放出をしたことは重大な問題を孕んでいる。外務省は1996年のロンドン議定書の義務に反するものではなく法的義務はないとしているが、6月には韓国、中国、ロシアに説明を行なった。放射線防護の関する国際レジームはICRPと国連科学委員会UNSCEARによって構成されている。ICRPの1990年勧告は「防護の最適化」原則を定め、被ばく線量限界は社会的経済的要因を考慮し合理的に達成できる限り低くすべきであるとした。日本の原子力安全委員会はICRPの1990年勧告モデルを取り入れている。ところが欧州放射線リスク委員会ECRRはICRPモデルより発ガンリスクを数百倍高く見ている。福島第1原発事故後国際レジームの強化改正作業が進んでいる。2011年4月CNSの再検討会議が行われ、2012年8月に特別会合を行なうとした。2011年5月G8サミットではIAEA 支援を決めた。2011年6月「原子力安全IAEA閣僚会議」では、改正よりは運用強化で対応するとした。2011年9月IAEA理事会は原発安全行動計画を採択した。WANOでは事故後3月30日に「WANOポスト福島委員会」が設置され勧告が出された。2011年11月にウイーンの19カ国IAEA加盟国にWANOを加えた会議が開催され、シビアアクシデントをレビューする事を決めた。

(完)

文芸散歩 谷川徹三編 宮沢賢治童話集 「銀河鉄道の夜」 「風の又三郎」 岩波文庫

2013年07月22日 | 書評
イーハートーヴォの心象スケッチ 宮沢賢治童話傑作集 34話 第3回

宮沢賢治作 「銀河鉄道の夜」 他14篇 (1)
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1) 北守将軍と3人兄弟の医者
 1931年(昭和6年)「児童文学」に初載。賢治童話中数少ない完成作で、文中の歌の部分は韻文形式である。長年辺境の砂漠で10万の兵を率いて闘った北国将軍ソンバーユーが異民族を征服(相手が疫病で滅亡したに過ぎないが)して、30年ぶりに首都ラユーに凱旋した。将軍は一度も馬から降りなかったので、将軍と鞍と馬が一体化していて、将軍は馬から降りることができなかった。ラユーに住む3人の名医に治療して貰う話である。3人の兄弟の医者とは、人の医者であるリンパー先生、獣医であるリンプー先生、植物医であるリンポー先生のことである。この3人の医者にかかることで、北国将軍ソンバーユーの足腰は癒え、馬の足も癒え、将軍の顔も元通りになった。童話に難癖をつけても仕方ないのであるが、この話で植物医の働きが不明であり、人間の医者と獣医以外必要ないのではないかと思う。北将軍は国王に面会し、武将4人と医師3人に論功をお願いし、自分は急に老け込んで故郷に引っ込んだ。そしていつの間にか姿を消した。人々は将軍は仙人になったのだといい、お堂をこしらえた。童話的要素が強いお話です。

2) オッペルと象
 実に強欲な穀物生産者の話で、象をだまして酷使したので、象の仲間から仕返しを受け殺されるという、労働運動や企業社会批判という風刺を含んでいる。たくさんの機械と人を使って生産に励むところまでは普通の企業者なのだが、若い白象という、なんでも興味を持つちょっと頭の働きの弱いものをだまし拘束して働かせるのはいただけない。酷使されて痩せ衰えた白象の死にそうな鳴き声を聞いた仲間の象が救出作戦を展開します。このところは活劇になっています。産業資本主義の悪辣さを批判しているのでしょうか。暗喩のお話です。

(つづく)