私的独占企業体「郵政」を生んだ小泉首相・竹中大臣の功罪 第10回 最終回
4) 小泉首相の郵政改革(2)
2004年7月の参議院選挙で小泉政権は民主党に敗北した。竹中平蔵の比例代表での大勝ちだけが小泉首相の「郵政民営化」に活路を見出したようだ。論議は「民営化懇談会」から2003年10月より「経済財政諮問会議」に移った。小泉首相が議長で竹中以下閣僚の4名と民間識者の4名が参加した。竹中大臣は「民営化5原則」を提示した。議事は小泉首相の独断場で進んだという。信書便法がヤマトの不参入を招いたとも言えず、信書便法の見直しは不問にされた。このような内容の本質的な齟齬は小泉改革の杜撰さを示すものである。本人は少しも意に介しないことが改革の致命傷となる。「経済財政諮問会議」は閉ざされたままの信書事業への民間参入への努力を欠いたまま、民営化後の郵政公社が「私的独占体」となる事を容認した。小泉首相の最低限の要求は「公務員の身分を剥奪する」事にあったようで、「地域分割」や「持ち株会社の設置禁止」ということは脇に追いやられ忘れさられてしまった。2003年4月に日本郵政公社が発足すると、郵政官僚は概ね3つに分断された。①日本郵政へ移管されたグループ(ドンは団宏明氏)、②総務省の郵政行政局という管理組織へ移管されたグループ(ドンは松井浩氏)、③通信放送グループ(ドンは有富寛一郎氏) 小泉首相から抵抗勢力の作戦本部といわれたのは第2グループである。松井浩氏は2005年に職務を外され退官した。公社副総裁となった団氏が「民営化を前提にした特権の温存」策の象徴とし機能するのである。次々と条件を出して、功を焦る小泉首相や竹中大臣からアメを要求し獲得していった。「経済財政諮問会議」は最初から「地域分割」を諦めていたようだ。それは「M&Aによる企業買収から日本を代表する郵政を守るには強い規模と体力が必要だ」という論理で最初から超独占企業が思考されていた。さらに郵便貯金銀行と簡易保険会社の株をいずれすべて売却する場合、リスク遮断をする必要がある。したがって持株会社の1/3を国が保有する必要があると云う理由で持株会社を親会社のように位置づけている。郵便事業は100%子会社としてぶら下がる方式などが容認されていった。こうして2004年8月2日経済財政諮問会議は結論を急いで「民営化の基本方針骨子」を取りまとめた。
竹中大臣による「民営化の基本方針骨子」とは以下である。
① 経営の自由化、民間との公平、事業間リスク遮断
② 2007年に日本郵政公社を民営化する。
③ 民営化と同時に職員は公務員の身分を離れる。
④ 移行期間の当初から納税など民間企業と同様の義務を負う。
⑤ 2017年まで持株会社を設置し、4事業会社をぶら下げる。
⑥ 窓口ネットワーク会社は小売、サービスなど地域密着の幅広い事業への進出を可能とする。
⑦ 郵便会社はユニバーサルサービス義務を課し、必要なら優遇措置を講じる。
⑧ 郵貯、簡保会社は民間と同様の法的枠組みには入り、政府保証は廃する。金融市場の動きを見て実質的な民有民営を目指す。
⑨ 民有化前の郵貯・簡保にはなんらかの公的な保有形態を考える。
⑩ 分割については新経営陣の判断に任せる。
2005年4月27日「郵政民営化関連6法案」が閣議決定され、衆議院は辛うじて通過したが、参議院で否決され小泉首相は「衆議院の郵政解散」を行なった。大勝した小泉首相は再度法案を衆議院を通過させた。こうして前代未聞の独占企業コングロマリットが誕生した。企業のフィリーハンドの自由を有し、数々の法律で独占を享受し、130年間に築いた巨大なインフラを分割することなく維持した超優良会社を民間の誰が追い詰めるだろうか。
(完)
4) 小泉首相の郵政改革(2)
2004年7月の参議院選挙で小泉政権は民主党に敗北した。竹中平蔵の比例代表での大勝ちだけが小泉首相の「郵政民営化」に活路を見出したようだ。論議は「民営化懇談会」から2003年10月より「経済財政諮問会議」に移った。小泉首相が議長で竹中以下閣僚の4名と民間識者の4名が参加した。竹中大臣は「民営化5原則」を提示した。議事は小泉首相の独断場で進んだという。信書便法がヤマトの不参入を招いたとも言えず、信書便法の見直しは不問にされた。このような内容の本質的な齟齬は小泉改革の杜撰さを示すものである。本人は少しも意に介しないことが改革の致命傷となる。「経済財政諮問会議」は閉ざされたままの信書事業への民間参入への努力を欠いたまま、民営化後の郵政公社が「私的独占体」となる事を容認した。小泉首相の最低限の要求は「公務員の身分を剥奪する」事にあったようで、「地域分割」や「持ち株会社の設置禁止」ということは脇に追いやられ忘れさられてしまった。2003年4月に日本郵政公社が発足すると、郵政官僚は概ね3つに分断された。①日本郵政へ移管されたグループ(ドンは団宏明氏)、②総務省の郵政行政局という管理組織へ移管されたグループ(ドンは松井浩氏)、③通信放送グループ(ドンは有富寛一郎氏) 小泉首相から抵抗勢力の作戦本部といわれたのは第2グループである。松井浩氏は2005年に職務を外され退官した。公社副総裁となった団氏が「民営化を前提にした特権の温存」策の象徴とし機能するのである。次々と条件を出して、功を焦る小泉首相や竹中大臣からアメを要求し獲得していった。「経済財政諮問会議」は最初から「地域分割」を諦めていたようだ。それは「M&Aによる企業買収から日本を代表する郵政を守るには強い規模と体力が必要だ」という論理で最初から超独占企業が思考されていた。さらに郵便貯金銀行と簡易保険会社の株をいずれすべて売却する場合、リスク遮断をする必要がある。したがって持株会社の1/3を国が保有する必要があると云う理由で持株会社を親会社のように位置づけている。郵便事業は100%子会社としてぶら下がる方式などが容認されていった。こうして2004年8月2日経済財政諮問会議は結論を急いで「民営化の基本方針骨子」を取りまとめた。
竹中大臣による「民営化の基本方針骨子」とは以下である。
① 経営の自由化、民間との公平、事業間リスク遮断
② 2007年に日本郵政公社を民営化する。
③ 民営化と同時に職員は公務員の身分を離れる。
④ 移行期間の当初から納税など民間企業と同様の義務を負う。
⑤ 2017年まで持株会社を設置し、4事業会社をぶら下げる。
⑥ 窓口ネットワーク会社は小売、サービスなど地域密着の幅広い事業への進出を可能とする。
⑦ 郵便会社はユニバーサルサービス義務を課し、必要なら優遇措置を講じる。
⑧ 郵貯、簡保会社は民間と同様の法的枠組みには入り、政府保証は廃する。金融市場の動きを見て実質的な民有民営を目指す。
⑨ 民有化前の郵貯・簡保にはなんらかの公的な保有形態を考える。
⑩ 分割については新経営陣の判断に任せる。
2005年4月27日「郵政民営化関連6法案」が閣議決定され、衆議院は辛うじて通過したが、参議院で否決され小泉首相は「衆議院の郵政解散」を行なった。大勝した小泉首相は再度法案を衆議院を通過させた。こうして前代未聞の独占企業コングロマリットが誕生した。企業のフィリーハンドの自由を有し、数々の法律で独占を享受し、130年間に築いた巨大なインフラを分割することなく維持した超優良会社を民間の誰が追い詰めるだろうか。
(完)