ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 ディスカバー21

2013年07月16日 | 書評
民間シンクタンクによる独立検証委員会が見た福島原発事故の真相 第7回

検証結果(3)
第5章 現地における原子力災害への対応
第5章では、①現地対策本部となる「オフサイトセンター」が機能しなかった理由、②自衛隊・警察・消防の災害対応、③緊急時迅速放射能予測ネットワークシステムSPEEDIが役に立てなかった理由、④避難指示は適切であったどうか、⑤地方自治体の原子力災害対応はどうだったのかの5つの問題を検証する。

①現地対策本部となる「オフサイトセンター」が機能しなかった理由: 1999年茨城県JOCウラン加工工場における臨界事故を受けて、原子力災害特別措置法によって、国、都道府県、市町村などの関係者が一堂に会して情報を共有しながら緊急災害対応を行なう「オフサイトセンター」の設置が決まった。施設要件は施行規則に定められるが、福島県オフサイトセンターは大熊町(第1原発より5Km,第2原発より12Km)に2002年に設置された。原子力防災専門官の事務所を設け、2008年10月に福島第1原発3号機の事故を想定した訓練が実施された。あくまで事業所内で収束する事故として、シビアアクシデントによる住民避難情報や誘導の訓練は行われていない。事故前の小規模の訓練が役に立ったためしはないが、今回の原発事故でこうも簡単にシステムが放棄された事実は検証しなければならない。第1に地震によって通信網と交通が途絶えたこと、基礎自治体が壊滅したこと、そして5Kmの位置では12日午前5時に避難区域に指定されたことによって、14日22時にオフサイトセンターは福島県庁に移された。しかしオフサイトセンターの体制は結局再構築されずに放棄された。オフサイトセンターが被災地とならないほど遠くに設置すると機敏に機能しないことは自明である。このような大地震と大規模原発事故では、原発事業所近隣のオフサイトセンターの設置は再検討されるべきである。

②自衛隊・警察・消防の災害対応: 対象として福島第1原発3号炉への3月11日から21日の放水活動をケースとし、オンサイトへの関与のあり方を検証する。原子力防災計画に定められる警察の実施項目は、屋内退避・避難誘導・犯罪の予防、緊急輸送のための交通の確保、住民への情報伝達活動である。自衛隊は被害状況の把握、部隊派遣、輸送支援、応急医療支援、除染などである。消防は消防法防災業務計画に基づく活動を行なうが、消防隊員の被曝防止のために放射線被曝の危険性が高いところへの侵入は禁止されている。自衛隊・警察・消防の情報共有や連絡がスムーズであったとはいいがたい面がある。政府は自衛隊を主とし警察・消防を従とする体制をとったが、はたして自衛隊によるヘリコプターの放水活動が有効であったと思えない。むしろ消防隊のセメントポンプ(キリン)による放水活動が第4号炉の使用済み核燃料冷却プールへの放水は効果があったとされる。原子炉の冷却は消防車ポンプによる海水・淡水の注入が功を奏して、炉心の全面崩壊をきわどいところで防いだ。警察・消防の活動は最大限の力を発揮したが、今回のような原発大規模災害には自衛隊・警察・消防の緊密な連携・連絡体制について検討課題が残った。

③緊急時迅速放射能予測ネットワークシステムSPEEDI: 今回の原発事故での謎の一つがSPEEDIの無能であった。問題の本質は解析ソフトではなく、それを評価し避難に生かさなかった体制の問題であった。SPEEDI開発の契機は1979年のスリーマイルズ島原発事故であった。1980年日本原子力研究開発機構が設計を開始し、84年には基本システムが完成し、運用は1986年より開始された。その後改良が加えられ2005年には高度なSPEEDIが完成した。 開発運用にかかった費用は2010年度までに120億円である。結果的にSPEEDIの予測データは官邸トップにはなかなか上がらず、避難指示の意思決定には生かされなかった。原子力安全・保安院の緊急時対応センターERCは「プラント事故挙動データーシステムPBS」のなかから事故の状況に近いデータを用いて、1号機については保安院は12日6時にSPEEDIでのデータ解析を行なった。この結果を官邸危機管理センターのオペレーションルームに送ったとされるが、保安院が「信頼するにあたらない」とコメントしたため、緊急管理センターではトップには上げなかったようだ。はじめてSPEEDIデーターが公表されたのは3月25日のことである。5月3日にはすべてのデーター(5000件)が公表された。今回の事故で3月16日までに出された同心円状の避難指示は予防的措置として適切であったと考えられる。緊急時の意思決定において、根拠となる科学的裏づけの正確性をどこまで求めるかによって、不確実性が有ると見られるときには予測データーを判断材料に用いることは現実的には難しい。SPEEDI予測データーは所管の文部省、評価する原子力安全委員会、運用する保安院という3つの組織が関与することで、データ-が人の手に隠れてしまったようだ。また公表することによる避難パニックを起こす場合は非公開という「政府事故調中間報告」では述べられている。

④避難指示は適切であったどうか: 避難指示は大きくは三段階におよぶ。事故直後からの小刻みの避難指示(3月11日:3km圏内避難、3-10km圏内屋内退避、3月12日:10km圏内避難、福島第2原発10km圏内避難、第2原発20km圏内避難)、3月中旬の避難指示及び自主避難要請(3月15日:20-30km圏内の屋内避難、3月25日:20-30km圏内自主避難要請)、4月下旬の避難指示見直し(4月21日:20km圏内警戒区域、4月22日:計画的避難区域の設定、緊急時避難準備区域の設定)の妥当性を検証する。 事故直後の東電第15条通報(冷却機能喪失事故)より避難指示までに2時間以上を要しているのは問題が多い。「現時点では放射能が出ていない」という説明はうなずけない。放射能が出て(被曝の可能性が現実的になって)から避難という矛盾が起る。ベント時には3km圏内避難という指示は斑目電子力安全委員会委員長の了解に基づくので妥当であるという評価である。3月12日の10km圏内避難指示は水素爆発のリスクを考慮して判断されたもので予防措置として妥当であるという評価である。3月12日の20km圏内避難は1号機の水素爆発を受けて出された指示で、IAEAでも基本的には同心円状の避難指示を想定しており、全方向へのリスクを考えた避難指示は何ら問題は無い。3月15日の20-30km圏内の屋内避難指示は、斑目原子力安全委員長らの「20km以上の避難は必要ない」という助言に基づいた指示である。一番の問題は3月25日の20-30km圏内自主避難要請である。自主避難とは法的意味も不明であり、かえって住民に不安と混乱をもたらす原因となった。4月21日、22日の計画的避難区域、緊急時避難準備区域の設定はSPEEDIの予測およびモニタリングに基づいて行なわれた。飯館村のように30km圏外でも高濃度汚染地域が発生した。

⑤地方自治体の原子力災害対応はどうだったのか: 原子力災害対策特別措置法では事業者からの緊急事態発生の報を受けて、主務大臣が都道府県、市町村に対して、地域住民への情報伝達、避難誘導を指示するという筋書きになっていたが、今回の震災・津波・原発事故では情報通信が被害を受け、計画に定められた連絡機能が麻痺した。国・県の指示は基礎自治体には届かなかった。交通の遮断などによりオフサイトセンターに駆けつけた関係者は一つの町に過ぎなかった。福島県、大熊町、浪江町、楢葉町、富岡町を調査したところ、基礎自治体では地震・津波への対応に忙殺され、原発の状況把握まで行なえるところはなかった。東電は3月11日15時42分第1号機ー第5号機の第10条事項(全交流電源喪失)、同日16時45分第15条事項(非常用炉心冷却装置注入不能)を各関係部署に報告したが、一部の自治体はファックスを受信したが、他の自治体は連絡はなかった。また一連の避難指示の連絡を受けた市町村はなく大体テレビを見て知ったという。各市町村の避難は12日に第1次避難が始まり、15日以降第2次避難となった。原発事故による大規模住民避難は想定されておらず訓練もなかった。事故直後は市町村は避難先の確保で忙殺されていた。そのなかで「双葉病院」の患者移送を巡る誤報も発生した。

(つづく)

文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年07月16日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第66回

147) 家じゅうの人の言ったこと
マリーちゃんの誕生日に家の中の人はなんと言いましたか。マリーちゃんは「毎日が楽しみよ」といいました。マリーの兄弟の7つと9つの男の子も「人生こそ冒険だ」といいました。この家の2階に住む一家の分家の、17歳と19歳の兄弟も「前進だ、人生は楽しい冒険だ」と言いました。この家の屋根親部屋に住むなずけ親のおじいさんは聖書こそすべての源泉であると思っていました。こうして家じゅうの人は「人生こそ最も楽しい冒険だ」と思いました。

148) おどれ、おどれ、お人形さん
3歳のアマーリエはお人形と遊んだり踊ったりしました。アマーリエは学生さんから教わった「おどれ、おどれ、お人形さん」の歌をお人形さんに聞かせました。年取ったおばさんには分からない世界です。

149) アマール女に聞くがよい
アマールとはコペンハーゲン近くの大きな島のことです。アマール女とはその島で取れる野菜の行商女のことです。年取ったこぶだらけのニンジンのおじいさんが若くてきれいなニンジンの娘に求婚しました。ご婚礼となって、野菜がいっぱい集まって舞踏会を開きました。調子に乗ったニンジンのおじいさんは転んで死にました。ニンジン娘は笑いました。おしまい。嘘だと思うなら、アマール女に聞くがよい。

(つづく)