ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 ディスカバー21

2013年07月14日 | 書評
民間シンクタンクによる独立検証委員会が見た福島原発事故の真相 第5回

検証結果(1)

第1章 福島第1原発の被災直後からの対応
時系列的に事故対応をまとめた章である。絶対的に客観的な事実の系列は知る由もないので、これは執筆者がどこを強調したいかによって異なってくる。執筆者の論点は①福島第1 原発事故における安全機能の劣化、②マネジメント活動ははたして妥当であったかもしくは有効であったかを検証したいという。事故の直接的な原因は、津波に対する備えが不十分で電源喪失による多数の危機の故障が発生したことに尽きる。中央制御盤の計器も動かず、官邸でかき集めた非常用電源車の連結ができず、たとえ連結できても冷却ポンプは水没して使えない状況で、消防車のポンプをラインに繋いで連続的な淡水注入が出来たのは事故後14時間たって(12日午前5時46分)からであった。結果的には第1号機から第3号機の炉心は多少の時間遅れはあったがメルトダウンに至ったものと推測される。(4号機は停止中だったが使用済み燃料棒プールの破損が問題となる。第5号機と第6号機は少し高台にあったのと非常用デーゼル発電機1台が稼働できたので冷却機能は回復した) 事故の進行の時系列事象は一切省略するが、第2の論点については津波に他する事前の対策が不十分であったこととシビアアクシデントに対する事前の対策マニュアルが存在していなかったこと、東電ー福島に連絡経路の一部に混乱が見られたことである。複合災害の影響で,通信や輸送の手段が限られ,大幅な遅滞が見られたこと、連鎖する原発炉の事故が発生し暗闇の中で作業は困難を極めたこと、オンサイト原発関係者全員に安全に関する考え方が不十分であったなどがあげられる。

第2章 環境中に放出された放射性物質の影響とその対応
 福島第1原発事故によって環境中へ放出された放射性物質は非常に大量であり、旧ソ連のチェルノブイリ事故の1/10に相当すると推定される。地表面の汚染はモニタリングにより測定でき、居住空間として適不適が判定され、国が約束した汚染土壌の除去にかかる費用は国家財政の非常に大きな負担となっている。また除去された土壌の保管場所や一般廃棄物の焼却埋め立て処理は付近住民の理解が得られないと難しい。放射線の汚染は飲食物摂取量の制限と出荷制限となり、食品衛生上の暫定基準がない状況で多くの混乱と風評被害をもたらし、被災地の産業復興にも暗い影を投げかけている。文部科学省原子力災害支援本部はセシウム、プルトニウム、ストロンチウムの土壌モニタリングを3月15日より行なって「放射線量等分布マップ」の作成した。3月23日より海洋のモニタリングも行った。航空機モニタリングは3月25日から行なった。厚生労働省は3月17日に「飲食物摂取制限に関する指標」を暫定基準値として用いることとし、3月21日より地域によっては農産物の集荷制限がなされたが、政府は4月4日に出荷制限とその解除に関する原則を示した。この間のギャップにより一部のスーパーでは農産物の販売が行なわれるなどの混乱があった。さらに低線量被曝(100ミリシーベルト以下)が人体に与える影響については学説がまちまちであるが、国際放射線防護学会ICRPは「閾値なし」のLNTモデルをとる。どのような低被爆量でも生涯積算量がガン発症確率に影響するという立場で極力被曝を避ける必要があるという。子どもの被曝基準として学校での被曝量を20ミリシーベルト以下にするという4月の文部省の指針は7月に見直され、1ミリシーベルト以下を目指すという表現に改められた。低線量被曝限界は確たる証拠があって議論する内容ではなく、政策としてきめる暫定基準である。

(つづく)

文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年07月14日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第64回

141) 彗星
すい星を見た少年は60年後にまた同じ彗星を見ることができました。当時すい星を見ると男この子は間もなく死ぬという迷信を母親は信じていました。その少年は60年後お年寄りの校長先生になっていました。先生の信条は「すべては繰り返す」ということでした。彗星も60年という周期で見えるだけのことです。その周期がその人の豊かな人生に重なっていました。彗星が流れた夜、校長先生は魂を召されました。

142) 週の日
閏年〈4年に1回、2月29日が出現し、通年より1日多い年)の2月29日、謝肉祭を祝うパーティが開かれました。週の各曜日は仮装をして食卓で気楽な演説をぶちました。まず日曜日は聖職者になって、赤いカーネーションをボタンに付けました。月曜日は遊び好きの青年になり、週の変わり目の音楽会に出かけました。火曜日は仕事に就く日です。勤勉な警官の服装を着ていました。水曜日は週の中日です。儀仗兵の仮装をしました。週が一列の並ぶと水曜日は真ん中に来るからです。木曜日は銅細工師の身なりをし、聖なる名前を冠せられた日で血統の高さを誇りました。金曜日は若い娘のなりをして、女神ウエーヌスの言いかえです。土曜日は女中かしらのなりをして箒と掃除道具を持ってきました。ビール入りのスープを食べました。

143) 日の光の物語
風と雨と日の光がお話をしました。日の光は人に幸せを持たらす白鳥の話をしました。白鳥が大海原を飛んでいるとき一枚の羽根が落ちて船の若い監督の髪の毛に落ちました。白鳥の羽根をペンにした男は間もなく商売に成功し金持ちになりました。白鳥が緑の平原を飛んでいいるとき、一枚の羽根が7歳くらいの坊やの手の中に落ちました。羽は1冊の本となり坊やは知識をえてえらい学者の仲間入りをしました。貧しい女の人がイグサの岸で白鳥の飛び去ったあとに金の卵を発見しました。卵が割れて4羽のひなが生まれ、その首には金の輪がはまっていました。女には4人の男の子がいましたので、4人の子供の指に金の輪をはめてやりました。4人の男の子は彫刻家、画家、音楽家、詩人となって大成しました。

(つづく)