できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

仕事がひと段落したら、やってみたいと思っていること

2013-06-29 10:55:16 | ニュース
今月はじめの全国学校事故・事件を語る会で話したことのメモを、こちらのブログに掲載して以来、ほぼ1か月弱近く更新が途切れてしまいました。ほんとうに申し訳ないです。
この間、国会での「いじめ防止対策推進法案」審議のこととか、いろいろと言いたいこと、書いておきたいことは山ほどあったのですが、残念ながら本業の大学での仕事などに追われて、まとまった時間をとってブログを書く時間が取れませんでした。
今後も夏休みに入るまでどれだけ時間が取れるかわからないのですが、ひとまず、仕事がひと段落ついたら、やってみたいと思っていることをいくつか、ここで書いておきます。

(1)「いじめ防止対策推進法」の中身について、私なりにコメントをすること。
(2)この約30年近くの日本の「いじめ防止策」や「子どもの自殺防止」の取り組みをふりかえること。
 まず「いじめ防止対策推進法」って、どうもこの間の遺族の声だとか、社会的に「いじめ対策をなんとかしてほしい」と願う人たちの声が、「逆手」にとられた感じがするんですよね。遺族などの声の高まりに対して、「ほら、政権与党として、我々も精力的にいじめ防止に取り組んでますよ」とアピールして、参院選に向かう。そのために「とにかく、現状維持+政権与党に都合のいい形で法律をつくった」という感が強いんです。それは中身を読めば読むほど、そういう印象が濃くなる。「これって、隠蔽にかわる新手の事態の沈静化策だなあ」と思った次第です。
 ただ、この約30年間、「いじめ防止」や「子どもの自殺防止」について、日本政府(特に文科省)がどんなことに取り組んで、何を実現し、何ができていないか・・・ということ。あるいは、遺族の側を含めて、「いじめ防止」や「子どもの自殺防止」に関する取り組みを強く求めてきた側が、何を政府に要求し、どんなことを実現させてきたのか・・・ということ。この2つのことを理解できていないと、たぶん、気づかないだろうなあって。

(3)「第三者調査委員会のあり方」についてのコメントを出すこと
 これも先日、公教育計画学会の自由研究発表で少し取り組んだのですが、2011年6月の文科省通知を受けて、子どもの自殺(疑いを含む)事案が生じたときに、各地で第三者調査委員会が立ち上がるようになりました。ですが、今月初めの全国学校事故・事件を語る会でも指摘されたように、必ずしも立ち上がった第三者調査委員会が、遺族側から見て適切な形で機能しているかというと、そうとはいえないケースも起きています。また、いじめによる子どもの自殺事案だけでなく、事故死や指導死(体罰を苦にしてのものも含む)の事案についても、適切な検証作業が行われてしかるべきです。こうしたことについて、ここでまた、何らかのコメントを発する必要があるかな・・・・って思っています。

(4)「火消し」の立場から「見物人」の議論の中身を問いなおすこと
 これはこのところ、いろんな大学での授業などで話をすることですが、ちょうど学校や教育行政の外から「これはおかしい」等々の指摘をして、その改善を求める立場というのは、火事が起こったときの見物人の立場に近いのではないかと。
 つまり、自分が直接火を消すのではないけど、燃えている建物や消防士たちの動きを見て、ああでもない、こうでもないと論評しているわけですよね。もちろん、その見物人たちの議論のなかには的確な指摘もあって、今後の火災予防や発生時の対応に必要な指摘も多々含まれているかと思うのですが。
 でも、肝心の火消し、消防士は、その見物人たちの議論をどう見ているのでしょうか? 
 つまり、学校や教育行政の内から、その外側から言われるような指摘、提案について、どのように見えているのかということ。
 ここのところの検討作業って、意外と重視されていないな・・・という印象を受けるんですよね。
 今回の「いじめ防止対策推進法」をめぐる議論でも、学校現場や地方教育行政の関係者、保護者たち、さらには子どもたち自身の意見はきちんと聴取されたのかどうか・・・。
 そういうことで、今後「火消し」の立場から「見物人」の議論の中身を問いなおす必要があるのではないか、と感じました。
 これは気長にやっていくしかない作業だとは思うのですけどね。

ということで、ひとまず、思いつくままに、今後やってみたいことを書いておきました。




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