できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

できることを、できる人が、できるかたちで(その3)

2008-08-23 21:47:09 | 学問

今日もまた、大阪市内の旧青少年会館(青館)で活動中の子どもやおとなの様子を見ようと思って、午前と午後で1ヶ所ずつ、計2ヶ所まわってきました。

午前中にまわったところでは、地元の小学生たちを集めて、青館で何人かのおとなが「夏休みの宿題の面倒をみる」という取り組みをしていました。なかなか面白い取り組みだなぁと思って見にいったのですが、家を出るのが遅れてしまって、実際に行ってみると「早く済んだ子は帰ったよ」とのこと。それでも、小学校2年生の子が算数のプリントをしていて、「ここ、わからない」というので教えてみたり、あるいは、早く課題が済んだのでおとなと将棋をしている4年生の子の様子を脇から見たりしていました。

この会のお世話をしているおとなの話によると、宿題の量の加減か本人のまじめさかわからないのだけど、「早い子は、7月中に宿題を終わらせている」とのこと。だから「この時期にこういう会をすると、宿題ができたかどうか点検する会になるなぁ」と、笑いながら言っていました。ただそれでも、まだ宿題ができていない子もいるのと、「宿題、どうなった?」という相談会をきっかけにして、地元の子どもたちがあつまり、地域のおとなたちと交流を持つというのは、とてもいいことだなぁと思いました。

たぶん、7月中に何度か「宿題をいっしょにする会」を持ち、夏休みの最後の週あたりにも何度かこういう会を持つと、地元の子どもたちが学校を離れて交流を持ち、しかも、地元のおとなたちとも接点ができてくるのではないでしょうか。そういう方向で発展するといいですね。

そのあと、午後からは、夏休み中毎日、保護者や大学生ボランティアなどが中心になって、青館を使って子ども会活動をやってみようというところに行きました(前に行ったところとは、別のところです)。ここでは今日、大阪市の体験活動デリバリー事業を活用してものづくりを午前中とりくみ、午後からは手話サークルの方たちと交流するということに取り組んでいました。

私が行ったときはちょうど手話の方との交流の時間帯で、いつもいる部屋にはいなかったので、しばらく待っていました。そうしたら戻ってきたので、子どもや学生ボランティア、保護者の方などと話す時間が持てました。

この会のお世話をしている保護者の方の話では、「今日からは夏休み後半の活動開始だったのだけど、朝から雨が降ってたし、集まりがいまいち」とのこと。ただ、それでも、何人かの子どもが学生ボランティアや、交代でやってくる保護者とこの夏休み、前半は約3週間、後半は10日間ほど活動を続けられたら、それだけでも立派なものだなぁ~と思います。また、前半の活動が終わった日に、集まってる子どもたちが「次はいつから?」と言ったこと、これも大事ですね。前半の活動が楽しくて、「もっと続けたい」ということだったのでしょうから。

ちなみに、この会は夏休み、大阪府下の公的な野外活動施設で、子どもや保護者、学生ボランティアなどを中心にキャンプもしています。また、今は別の職場に移った元青館職員も、都合がつけば、子どもの様子を見に来ているとか。この調子でいくと、学期中の平日や土曜日も、誰かがうまく都合をつけておとなが顔を出し、子どもたちの集まる場をつくっていくことができるのではないか・・・・と思いました。ぜひ、そうなることを願っています。

ちなみに、今日まわった2ヶ所でどちらも「いいなぁ」と思ったのは、「ほっとスペース事業」で青館に出入りしている10代の若者たちと、他の活動で集まってきた小学生たちとが、何らかの形で接点を持っているということ。例えば午後にまわった青館では、敷地内の広場で小学生子どもたちが野球をしているときに、10代の若者たちもさりげなくキャッチボールをはじめて、その様子を見た子どもらが「あのお兄ちゃん、球、速いねん」という会話をしていたとか。あるいは、午前中にまわった青館でも、小学生の子どもたちが宿題をしたり、将棋をしたりする場に、10代の若者たちもいっしょに入って、おとなたちの手伝いをしているとか。

こういう形で、条例廃止後も残った市の事業なのか、自主的な地域の人びとの活動なのかというちがいはありますが、青館に集まる10代の若者たちと小学生たちとが、なんらかの形で交流できるといいですね。それはどっちにとっても、プラスになるような気がしています。

そして、この夏休みに青館をまわってみてつくづく思うのですが、「この施設、このまま眠らせるのはもったいない」ということ。特に今日見てきた2つの青館のように、まずは地元の子どもや若者、地域で何か学びたいおとなが集い、その子どもや若者、何かを学びたいおとなをサポートする人びとが地元やそれ以外のところから集ってくる。たとえ人数はそう多くなくても、こうして人びとが出入りして、何か活動を続けることで、その施設のいろんな部分が「いきいき」としてきます。また、たとえ少人数でも、ささやかな活動であっても、誰かが何かをはじめ、何らかの形で人の集まってくる雰囲気ができると、そこにまた人を求めて、活動を求めて、いろんな人たちが集まってくるのではないでしょうか。

逆にいうと、青館のなかで、今もなおメンテナンスさえすれば使える施設にカギをかけ、地元の人たちが使いたがっている調理室やプールなどに誰も触れさせようとしないというのは、はっきりいって「もったいない」。また、このような措置は、「あそこの部屋を長期間貸してくれたら、この地区で毎日、子ども会ができるのに・・・・」とか、「今、カギかけているあの調理室さえ使えれば、地元のお年寄りと子どもらで料理教室とか、いろんなことできるのに・・・・」と思っているような人の意欲だとか、活動の機会拡大を、かえってブレーキかけているのではないか、という気すらしています。そう考えたら、青館のなかでもまだ使える施設にカギをかけ、触れさせないというのは、ただ単に「もったいない」というだけでなく、「かえって、地元の人びとのなかで積極的に動こうとする人を育てていない」という風にも思えてきました。このあたりをぜひ、今後、各地区の運動体関係者や、大阪市の行政当局の方には考えてほしいなぁ、と思います。

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