今日は9月29日(金)。あした、あさってあたりを中心に、いまは学校の秋の運動会・体育祭のシーズンですね。ということは、例の組体操(組立体操。以下「組体操」と略)も、各地でいろんなかたちで行われるわけで・・・。
さて、その組体操については、ここ数年、タワーなどの高さを競う技の危険性や、集団で感動や達成感を追求しようという動きなどへの批判が相次いでいました。ネット上でも賛否両論、いろいろあったかと思います。
私はもともと、その昨今の組体操批判に対しては、かなり冷ややかな態度をとってきました。
というのも、自分の娘の通う小学校の組体操の様子を見ていると、①タワーなどの高さを競う危険な技ばかりではなく、横に広がったり寝転んだりするような比較的安全な技もあること、②子どもたちが集団で何かに取り組み達成感を味わうこと自体は、教育活動のあり方として一概に否定はしづらいこと、この2点を感じていたからです。
なので、「よほど危険な技については規制せざるをえないけど、でも、組体操全体を全面否定するかのような議論は、なにかおかしい」と思ってきましたし、そういう空気を煽るような議論のやり方は、根本的になにかまちがっているのではないかとも思っていました。
ましてやこの問題、「教育という病」の問題でもなくて、ただ安全確保面や子どもの心身の成長面への配慮、練習回数や方法などの工夫等々の教育実践面での「準備不足」が背景にあって生じている問題なのではないか、と思ってきました。もちろん、各校できちんと準備ができないのであれば、無理して組体操自体をやる必要はないわけです。ですが、それは「教育」が「病んでいる」とかいうよりも、むしろ「教育」実践としての組体操のあり方についての検討作業や準備が不足して生じているのではないか、と考えるべきでしょう。
そんななかで、あらためて、1年近く前の朝日新聞デジタルの記事になりますが、これを見てください。
「安全で楽しい」組み体操 日体大体操部が披露(朝日新聞デジタル、2016年12月18日記事)
http://digital.asahi.com/articles/ASJDL4PT7JDLUTQP00X.html?ref=amp_login
このように、実際に「安全で楽しく」さらに「見栄えもよく」組体操をすることは、「指導」の方法によっては「ありうる」わけです。もちろん、小中学校で「ほんの1~2週間程度」の練習でできる範囲には限りはあるでしょうけど。でも、「それをやるための準備のあり方や指導方法の問題」を検証することを抜きにして、全面的に組体操自体を否定するのは、やはりまちがった議論のすすめ方ではなかったのでしょうか。
さらに、同じ朝日新聞デジタルの記事には、このようなものもあります。
組み体操、事故多発で様変わり 大技禁止、笑顔でピース(朝日新聞デジタル、2017年8月25日記事)
http://digital.asahi.com/articles/ASK7Q051HK7PUUPI007.html
こちらの記事によりますと、一部自治体では組体操自体を一律禁止したり、危険度の高い技を禁止したりする動きもでているようですが、そこまでしなくとも、学校現場レベルでの創意工夫で、比較的安全度の高い技を中心に組体操を実施するなど、いろんなやり方があるわけです。そして、私は数年前から、組体操の危険性を過度に煽る風潮のなかで、「学校現場でもっと議論をして、どういう形で安全度の高い技を中心に組体操を続けるか、検討していい」と思ってきました(このブログにも、そんな趣旨のことを書いたはずです)。
ですから、結果的に見て、ここ数年の組体操批判の議論は、私の見たところ、当初から私が「こんな感じで落ち着かせるべきでは?」と思ったラインに収束しつつあります。
つまり、過剰に危険性を煽る議論はいったん控えて、まずは冷静に危険度の高い技とそうではない技とを分けて、危険度の高い技を止めるとともに、安全で楽しく、見栄えのいい技を軸に組体操を存続させるのであれば、それはそれでかまわないのではないか、というラインです。
もちろん、これから先も、危険度の高い技に準備不足のまま取り組んで、子どもが組体操で大けがをするような学校が出てくることは、十分、起こり得ます。それはそれとして厳しく対応の問題点を指摘して、是正をさせなければいけません。でも、そのことと、「教育という病」という煽り方をしたり、組体操全体を危険視するかのような議論を展開することは、まったく別の問題です。
とすれば、「あのときの、あの煽り方はいったい、なんだったのか?」と、もうそろそろ、組体操批判をめぐるこの数年の議論は「総括」すべき時期にさしかかったのではないかと思います。
そして、その議論を「総括」するときには、「危険な組体操」というかたちで議論を煽った側の中心人物が、気付いたら下記の写真(『体育科教育』という雑誌の2016年8月号の裏表紙)のように、「安全な組体操」に関する教材の「推薦人」になっているということ。また、その人物が、今は部活動問題や教員の多忙化問題、あるいは「二分の一成人式」問題等々、次々に教育や学校についていろんな問題を指摘し、議論を煽っていること。そして、私たちはなぜ、その手の議論にマスメディアを通じて煽られて、うまくのせられてしまうのか。「劇場型政治」ならぬ「劇場型教育改革談義」あるいは「惨事便乗型教育改革」への批判、あるいは「教育版のポピュリズム」への批判が今日、必要となってきているのではないか、ということ。このことも忘れないようにしていかなければ・・・と思います。
<追記>
それはそうと、文科省や地方教育行政による学校現場への「規制」強化と、それを求める世論をマスメディアを通じて煽ることが、この組体操問題で一連の議論を煽ってきたあの方の中心的な手法です。とすれば、あの方、この1週間のように、政局が混乱しているなかでは、どのようにふるまうのかしら? もし仮に、「子どもを救う」でも「教職員を助ける」でも、口実はなんでもいいんですが、その時々の政権が文科省を使って「強力なリーダーシップ」を発揮して「学校現場に物申す」ことを手放しに「よし」とするのが、その方の政治的なスタンスだとしたら、「それもまた、相当に危ないんじゃないですか?」と言いたくなりますね。学校現場に対する「上から」の管理・統制を「手放し」に喜ぶことの裏返しは、学校現場による柔軟な対応や創意工夫の余地を奪っても気づかないし、それが結果的に学校にファシズムをもたらしても容認できるってことですから。