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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「人権教育」が今、向き合わなければいけないこと(1)

2010-08-18 07:58:04 | いま・むかし

8月15日の「敗戦の日」(これを「終戦記念日」と呼ぶ人もいたり・・・・、いろいろあるようですが)を期に、このところ、日本の近現代史や歴史認識に関するいろんな本を読むようにしています。

これを機会に読んだ本のなかに、上野英信『天皇陛下萬歳 爆弾三勇士序説』(洋泉社MC新書、2007年)という本があります。この本、もともとは1971年に刊行されたものを、あらためて新書シリーズに入れたものなのですが。

この本は、1932年の上海事変において中国軍の拠点に突撃路をひらくため、火薬を詰め込んだ「破壊筒」を抱えて飛び込み、戦死した3人の兵士のことを扱ったもの。特に、この3人の兵士の育った家庭環境や、戦死後の「軍国美談」の形成プロセス、そこに隠蔽された差別や貧困の問題などを掘り下げて検討しようと試みています。

ちなみに、この本、3人の兵士のことを追う部分だけでなく、事変当時の上海の様子や日中両国の当時の状況を書いた部分が長々と間にはさまるので(もちろん、それ自体は、当時の日本政府や軍部のあり方などを批判的に見ていく上で、必要な記述なのだろうと思いますが)、「もう少し内容を整理して、構成しなおすとよかったのかも?」と思うところがあります。

ただ、冒頭から出てくるのですが、この本には、1932年・上海での戦闘において、最前線で戦って戦死した兵士たちのなかに、貧しさゆえに当時の義務教育を満足に受ける機会が得られなかった青年や、ひとり親家庭に育った青年が数多く含まれていたという、当時のデータが紹介されています。

また、この「三勇士」のなかのひとりは、貧しい炭鉱労働者の子どもとして、仕事を求めて、一家をあげて、当時の筑豊の炭鉱地帯を転々としながら暮らしていたことや、その兄弟のなかには、貧しさゆえに不就学状態を余儀なくされた人もいたこと。こういったことも、本のなかで紹介されています。

そして、戦死後「美談」として「三勇士」が取り上げられ、後に国定教科書の教材にまでこの話が持ち上げられ、遺族に対して見舞金などが送られたりもしたこと。その一方で、「三勇士」のなかに被差別出身者がいるといううわさが流され、表向きの「美談」の裏で彼らをさげずみ、中傷する声があったこと。こういうことも、この本のなかで紹介されています。また、当時の軍隊内での差別の問題や、これに対する全国などの動きについても、この本の終わりのほうで触れられています。

で、あえて今回、このブログで上野英信のこの本を取り上げたのは、<今の「人権教育」の関係者で、どのくらい、この本のことを知っている人がいるのだろう?>と思ったこと。

戦争と差別・貧困の問題および平和と人権の問題。これを、自分たちの身近にいる誰かの問題として考えるということ。・・・・それは敗戦後日本のある時期まで、解放運動を含むさまざま社会運動の関係者にとって、とても切実な課題であったはずです。それは、上野英信が書いた「三勇士」の話から考えても、よくわかるように思うのです。

「戦争が再び起こるような国になったら、真っ先に戦地に送り込まれてひどいめにあうのは、自分や自分の家族・仲間、特に貧しい生活を余儀なくされている人たちだ」という意識。それが、敗戦後日本のさまざまな社会運動の関係者の意識の底のほうにあったのではないか・・・・という気が、少なくとも私にはするのです。と同時に、私としては、この意識が底のほうに共通して流れているからこそ、いろんな現実的な諸課題に取り組みながらも、さまざまな社会運動が「ヨコ」のつながりを持つこともできたのではないかとも思うのです。

そして私としては、この底のほうにあった意識をはずしてしまうと、何か大事なことを忘れたまま、たとえば人権や平和などの学習だとか、これに関する社会運動も流されてしまうのではないかと。つまり、さまざまな社会運動に関わる一人一人の人が、「これって、おかしいだろう?」という怒りや嘆き、問いかけなどを、その時々の社会や文化のありように向けて腹の底から発することをしないまま、ただ「人権(平和)って大事ですね」という、ありきたりの言葉を確認しあって、なんとなく「わかりあえた気になる」。そんな方向に流れていくような気がするんですよね。こんな状態だと、運動関係者から発する言葉には、何の力も出てこないでしょう。

たとえば今、日本社会においても、「子ども・若者の貧困」が大きな問題として浮上しつつありますし、「人権教育」の課題としてもこれが取り上げられるようになってきました。ですが、かつて上野英信がこの本で描いたような過去を知っているのかどうかで、「子ども・若者の貧困」の問題に関する私たちの理解も変わってくるのではないでしょうか。

すなわち、教育や福祉といった子ども・若者の生活に関する諸権利の保障は、ただ単にその子ども・若者の職業選択の自由などの保障にとどまらず、精神的な諸自由の保障にもつながってくるということ。別の言い方をすると、貧しい生活のなかで、人には多様な生き方・暮らし方があることも知らされず、ただ目の前の暮らしをなんとかしのいでいくことで精一杯の状況に子どもや若者を追い込んでしまう。一度、その状況に追い込まれてしまえば、子どもや若者のなかから、自らの命を危険にさらすような場に直面したときに、命を守ることよりも別の価値観を選んでしまう人が出てくるかもしれない。そういう危機感を持ちながら、「子ども・若者の貧困」の問題に取り組めるのかどうか。そこが、子ども・若者の「人権教育」の今の課題なのではないか・・・・と、私などは思うわけです。

少なくとも、上野英信が「三勇士」の話を通じて描き出したのは、当時の炭鉱労働者の子どもなどが直面した貧困・差別や不就学の問題が、めぐりめぐって、戦争の最前線で最も命の危険にされされるような任務を引き受ける兵士をつくりだしている、という姿です。また、堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書、2008年)でも、経済的に苦しくて進学すべきかどうか迷う子ども・若者をターゲットに、アメリカ軍が兵士のリクルートをかけている話が出てきます。そんなことから、今「人権教育」に関わる人たちが、あらためて「子ども・若者の貧困」の問題に関心を寄せるのであれば、アメリカ社会の貧困の問題と同時に、かつて日本社会にもあった貧困の問題にも目を向けていくのでなければ、「いつか来た道」と同じことをくり返すことにつながるのではないかと思うわけです。

そういうわけで、私としては今の日本の「人権教育」が本当にこの社会・文化の流れに一定の影響力を発揮するためには、「もう一度、敗戦後日本のさまざまな社会運動の流れの底に、どんな意識が根付いていたのか?」ということのふりかえり、つかみなおし、そこからはじめなければいけないのではないか・・・・という気がしています。そんなことを、上野英信の本を読む中で、あらためて感じました。

ちなみに、戦前の軍隊内差別の話は、福地幸造『解放教育の思想(解放教育選書4)』(明治図書、1970年)にも出てきます。また、その福地幸造が別のところで書いた文章を、先に紹介した上野英信の本では引用・参照しています。そのこともあわせて、書き添えておきます。

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