できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

記憶と記録に残すということ

2008-08-13 18:03:26 | 学問

2007年3月に大阪市の青少年会館(青館)条例が廃止され、事業がばらばらに「解体」されて、早いもので、もう1年4ヶ月が過ぎた。2006年8月末、あの「飛鳥会事件」を受けて、大阪市側が青館の廃止等の方針を打ち出してからということであれば、もう2年近くになる。

この2年近くの間、友人の教育史研究者や、大阪府下・大阪市内の古手の元青館職員などとともに「やりたいな~」といいつつ、まだ十分にできていない課題のなかに、「青館事業・実践の歴史をふりかえる」という作業がある。(なお、府下の自治体では、大阪市内のように「青館」という名称ではなく、例えば児童館や青少年センターなど、他の名称で事業が営まれているケースもある。ただ、ここでは「青館」で統一しておく。)

今のところ、青館を使って、子ども会や中学生の学習会、識字教室その他、何かとにかく「やってみよう」と思う人たちへのサポートだとか、例えば人権文化センターを含む地区内拠点施設の統廃合問題など、青館の「今後」のことをどう考えるかということに追われていて、なかなかできないのだが。

さて、1970年代に大阪市内12ヶ所に設置れた青館と、その青館事業が大阪府下のほかの自治体にも広がっていく経過だとか、青館事業の「前史」ともいうべき解放子ども会のあゆみについては、私自身、まだまだ知らないことがたくさんある。

でも、今、条例廃止・事業「解体」後の大阪市内の青館で、各地区の保護者や住民たちが取り組んでいる子どもたちの諸活動は、その「前史」的な解放子ども会の頃の取り組みとよく似ている。だとしたら、解放子ども会活動のような昔の取り組みをきちんと掘り起こして、地元住民や保護者の努力で「ここまでいける」という線を一度、はっきりと示しておくのも、実際に今、活動中の人たちにとって役に立つ活動のように思うのである。

また、今がちょうど、いわゆる「団塊の世代」の引退期にさしかかっていて、大阪府下や大阪市内で青館職員として長年勤務されてきた方々も、そろそろ定年を迎える時期でもある。その人たちの経験されてきたことをあらためて聴き取り、その取り組みのなかの何が成果で、何が課題かをきちんと明らかにしておくことは、今後、大阪府下や大阪市内の子ども施策(青少年施策)を考える上で、とても有意義な作業だと思うのである。

特に、生活苦や教育に対する家庭の無理解、両親の不和、学業への不適応、非行など、生活面でのさまざまな課題を抱えた子どもに対して、青館を拠点に学校と家庭・地域社会、行政の取り組みを連携させて対応するような営みを、これら古手の職員が経験してきたのであれば、それらを「教育分野でのソーシャルワーク」という観点から位置付けなおし、きちんと評価することは、これから先のことを考えると重要なのではないだろうか。

なにしろ、学校に今、ソーシャルワーク的な取り組みのできる人材を配置しようということで、国の教育行政が試験的な事業を始めるような時期にさしかかっているのだから。また、教育と福祉の連携という視点や自治体の子ども施策の総合化という視点から、教育委員会管轄の相談機関と児童福祉管轄のそれとを統合しようという動きもあるし・・・・。

そして、なによりも、私たちの記憶のなかに、「かつて、大阪市内の青館では、このような事業に積極的に取り組んできた」ということを残すためにも、過去の青館事業・実践に関する記録類をきちんと収集・分類・整理し、「青館事業・実践の通史」と「各館別の事業・実践史」を編集・執筆していく必要があるのではないかと思う。

たぶん、こうした作業を今から準備して、意図的にしておかなければ、人びとの記憶からどんどん、「あそこに青館があった・・・・」ということは薄れていくだろうし、そのうちに誰も青館事業があったことなど知らないという情勢を背景に、事業そのものが「なかったこと」にされかねない。ということは、1970年代から考えても約三十数年ある青館の営みや、そこでの職員の仕事、地元の人びとと青館との結びつきなども、気づけば「え? なんの話?」という話になるくらい、「なかったこと」のように社会的に位置づいてしまいかねない。

もっとも、青館そのものを「なかったこと」にしたいというのが、この間、青館条例の廃止や事業「解体」を推進した勢力の思惑かもしれないのだが、だとしたらなおさら、そういう諸勢力に対する抗議の意思表示は、「引き続き青館が使える限り、その場所を何らかの形で活用し続けて、『ここを必要とする人がいる』という事実を示す」ということと、「青館が取り組んできたことを、きちんと私たちの記憶と記録に残して、なかったことにしない」ということ。この2点に取り組むことが、抗議の意思表示として、きわめて重要になると思うのである。

もちろん、三十数年にわたる青館の取組みが何から何まで「よかった」と書くことはできないし、するべきではない。今の時点でふりかえってみれば反省すべきこと、「あの時点で軌道修正しておく、あるいは、やめておくべきこと」も次々に出てくると思う。

でも、そうした誤りや失敗も含めて書き記すことを前提に、全部ひっくるめて、青館がそこで営まれてきたことを「なかったことにはしない」ということ。このことが、何かと青館を「なかったこと」にしたい諸勢力に対する抗議の意思表示でもあるとともに、今後、各地区で子どもに関する活動やおとなの学習・文化活動を続けたりする上でも、新たな子ども施策の枠組みをつくる上でも、今後、何かと役に立つことだと思う。

そして、解放子ども会を含む子どもの地域活動の歴史を丹念にふりかえることは、敗戦後日本の教育学における「良質の遺産」を継承し、それを現代的諸課題に活かすことにもつながるのではないかと思う。そういう意味からも、青館が取り組んできたことを「記憶と記録に残す」という観点から、きちんと歴史的な検証作業に取り組むことは、今、とても重要な作業なのではないか、と思うのである。

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