できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

私らも変わらなければ・・・・。

2008-08-11 17:53:48 | ニュース

この前読んだ雑誌『論座』の2008年9月号に、石田英敬「〈笑う〉タレント知事とポピュリズム」という論文が掲載されていた。

詳しいことはこの論文を直接読む(=つまり、『論座』を買うか、図書館かどこかで見る、ということ)ことをお勧めしたいのだが、メディア論の研究者が橋下府知事就任以来の大阪府下の政治情勢を、「〈笑い〉によるむき出しの『象徴暴力』の支配、『笑いのファシズム』状態である」(p.62)とか、「福祉国家の解体期において、社会コストの削減を推進するためのスペクタクル政治の活用法がそこには見えている」(p.63)と批判する点には、私も「なるほど」と思ってしまった。

特に、この論文の次の部分については、「この間の大阪府下の政治情勢を、うまく整理してまとめているなぁ」と思う。

○以下、青字部分は、同論文のp.62~63からの引用(原文のまま)

 朝礼で、橋下に抗議の声をあげた女性職員は、すぐにメディアポピュリズムの餌食になり、ネットでは実名や映像が公開されて、集団的〈笑い〉の血祭りに上げられる。疑問をいだく議員や職員には「抵抗勢力」のレッテルが張られ、メディアによるバッシングの対象となる。

 そのようにして、経済不況にあえぐ人びとの不満は、公務員や官僚バッシングへとリサイクルされ、公的な事業の見直しは詳しい内容を伝えられることなく、有無を言わさず削減が決定され、結果として、最も恵まれない人口層が、自分たち自身への公共サービス削減に喝采を送るという構図が生まれることになる。ポピュリズムの政治とはいつもそのようなものだ。

 それだけではない。橋下知事の軌道修正を見ていると、財政再建のシナリオとアクションが、府議会与党、府幹部によって、次第に巧妙に誘導コントロールされてきている様子が顕著なのだ。喝采する大衆の思いとは別に、政界や財界が、この際、この「人気」を活用して、福祉政策の解体と事業の合理化を一挙に進めようと考えるとしても、不思議はない。

ただ、これを読んで、二点、思ったことがある。

まず1点目。そもそも、この論文では橋下行革のあり方への批判が述べられているのだが、この論文が載っている雑誌『論座』を、それこそ多くの人は買ったことも、読んだこともない。

そもそも、この雑誌の存在自体、どのくらい知られているのだろうか? もしも買った人、読んだ人がたくさんいるのなら、あるいは、その存在自体が広く知られているなら、この雑誌、近々「休刊(といいつつ、いつ復刊するかわからないから、事実上の廃刊かと思うのだが)」など迎えることはないはずだ。

それを思うと、いつの頃から、私らはテレビによくでてきて、「○○対●●」みたいな「わかりやすい、おもしろい、たのしい」図式でものを言う人たちの話ばかりを心地よく見聞きする一方で、この論文が載っているようなしんどい雑誌・本を読んだり、あるいは、小難しい話をする講演や研修などを避けたりするようになったのだろうか?

ここからやや発想は飛躍するのかもしれないが、私たちはこの何年かの間に、何か目先の「わかりやすさ、おもしろさ、たのしさ」を追求するあまりに、その裏側にある「やばさ、こわさ、いかがわしさ」を見抜く、そういう批判的な意識そのものも枯渇させてしまった。そういう部分はないのだろうか?

あるいは、私らはこの間、知らず知らずのうちに、「わかりやすさ、おもしろさ、たのしさ」を無自覚的に「よきもの」にして、「むずかしいけど、大事なこと、必要なこと」を「うっとおしいもの、小うるさいもの」にして、後回しにしたり、排除したりしてきてはいなかったのだろうか?

そう考えると、一方的に橋下府知事の側ばかりを責めていられない。やはり、彼やその側近たち、さらには彼の人気にうまく便乗して何かやろうとした人たちの思惑に、簡単に乗ってしまった側にも、いろんな問題があるということになる、と思う。

「わかりやすさ、おもしろさ、たのしさ」は一方で大事にすべき価値だと思うのだが、やっぱり、「むずかしくても、大事なこと、必要なこと」は、ちゃんと勉強して、きちんと批判的に意見を言えるようになる必要があるだろう。それが特に社会や文化、政治や経済の大事な問題であればあるほど、きちんと勉強して、ものを考える時間や空間、仲間が必要なのではないだろうか。

2点目。「では、なぜテレビ的なわかりやすさ、おもしろさ、たのしさを、知らず知らずの間に私たちが受け入れてしまったのか?」と問い返したときに、やはり社会や文化、政治の動きなどについて、たとえば各学問分野の研究者など、「批判的にものを考え、意見をいう」ことを仕事としてきた人びとの「語り方」にも、問題が多々あったのではないのか、と感じてしまう。

これは自戒もこめていうのだが、例えば、何かものを語るときに、私ら研究者は、一般の人びとが聴いたことのないような横文字や専門用語、難解な術語を連発したり、一般の人びとが読んだこともないような学者の説をふりまわしたりして、今の社会や政治の動きなどに対する自らの批判的な意見を語ってきたりしてこなかったのだろうか。

そういう横文字や専門用語、難解な術語、自分らの専門領域では高名でも一般には知られていない学者の説・・・・、こういったものを用いながら、得意げに社会や文化、政治の動向などを私らが批判的に読み解いているときに、もしかしたら、それを見ている一般の人びとは、「なにやらむずかしげで、わけわからないことをしている・・・・」「いや、ちょっとあんな話にはついていけないな・・・・」という思いで見ていたのではないだろうか。

もちろん、そういう難解な術語などを使ってでしか解き明かせない社会・文化現象や、政治・経済の動向があることも、私としては重々、承知している。でも、その難解な学問的研究の成果を、せめてその内容に関心のある一般の人びとに伝えようとする工夫くらいは、もう少し、やっておくべきではなかったのか。あるいは、「どうしてそういう難解な世界に首を突っ込もうと思ったのか?」「その難解な世界をくぐりぬけて、出口をどこに見出そうとしているのか?」という、自らの取り組みの背景や課題意識、目的や成果の見通しくらいは、きちんと他の人たちにもわかるように伝えておくべきではなかったのだろうか。

そんな風に考えると、「やはり、自分たちの足元を見よう」「まずは、私らが各専門分野で研究活動を続ける中で、今の情勢に対して『おかしい』と感じていることを、きちんと、専門分野外の人たちにも伝わる言葉で発していこう」と思ってしまう。そして、「今の社会や文化、政治や経済の情勢について、批判的にものを考えてみようと思う人を、地道にこつこつ、ひとりひとり増やしていくこと」を大事に考え、「そのための学習の機会を、いろんな方法を駆使して、作っていこう」と思うのである。

本当に今の大阪府下の政治情勢や、今の行財政改革の動向に対して批判的にものを見ていくとなると、私らの側もいっぱい「変わらなければ」という部分があることを実感する。そして、その私らが「変わらなければ」という課題意識を引き受け、ナントカその課題を克服しようという動きをつくらなければ・・・・ということを、このところ、私は痛感している。これこそ、今の(特に大阪府下・大阪市内での)人権教育の課題だと思うのだが、みんな、どう考えているのだろうか?

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できることを、できる人が、できるかたちで(その2)

2008-08-11 16:29:22 | 学問

ちょうど子どもたちの夏休みも、折り返し点というべきお盆休みの時期を迎えました。大阪市内の旧青少年会館(青館)を活用した子どもや若者たちの活動も、お盆休みを迎えて「ちょっといっぷく」というところがでてきたかもしれません。

それでもたぶん、この土日あたりに、たとえばある青館を使った子ども会は、大阪府下の野外活動センターに観光バスを借りて、親子キャンプのようなことをするために出かけています。みんなでカレーライスをつくったり、キャンプファイアーをしたりと、その楽しそうな様子がブログで報告されています。また、この子ども会では、たとえば大阪市の子どもの体験活動デリバリー事業をとりいれて、手作りおもちゃづくりにも取り組んでいます。このように、保護者たちがまずは呼びかけて、夏休み中に何日か子どもが集まる日を設定し、そこに市の事業を組み入れたり、あるいは、ボランティアの協力を得て、楽しい活動づくりを行っている旧青館の子ども会があります。

また、たしか今日あたりから、別の青館を使った子ども会は、福井県のほうにある宿泊施設に二泊三日のキャンプに出かけているはず。パソコンを使って、イラスト入りの本格的なキャンプのしおりをつくっていたので、先日それを見せてもらったのですが、今年は「自分たちのことは、自分たちで責任をもってやろう!!」というテーマのもと、たとえば夏休み中の海水浴場で思いっきりあそんだり、夜は花火を楽しむ予定になっています。また、去年は、高校生たちがボランティアで参加し、夜、なかなか寝ない小学生たちの面倒を見ていたとか。このように、こちらの子ども会では、高校生だけでなく、地元の青年やおじさん・おばさん世代まで、年齢のちがいをふまえた「タテ」の人間関係が、夏休み中の活動を通じてできつつあります。

このほか、先週土曜日は、青館の子ども会活動ではなくのですが、ある青館所在の地区で開催された「まつり」を見てきました。手作りジュースなどを売る模擬店を出している人、和太鼓サークルや踊りのサークルの方、高齢者の方、障がい者施設に集まっている方たちなども含めて、地元のさまざまな人たちが「まつり」に参加していました。この「まつり」もまた、「できることを、できる人が、できるかたちで」やっているという雰囲気でしたね。

前にもこの「できることを、できる人が、できるかたちで」やっていくという話を、私はこのブログで書きました。前者の野外活動センターに行ったほうの子ども会で活動されているある方は、私のブログで書いていたこのことをヒントにして、日々の活動を考えておられるとか。

私の書いたことを参考にしていただいて、ほんとうにうれしく思うとともに、「今後、青館所在の各地区での子ども・若者の活動というのは、『できることを、できる人が、できるかたちで』はじめていくのが基本だ」ということを、あらためてこの夏休み、各地区で活動中のみなさんの様子によって、裏付けていただいたように思います。ですから、各地区で活動中のみなさんには、ほんとうに頭の下がる思いでいっぱいです。

と同時に、一定、何らかの活動がはじまり、それが定着しはじめたところでは、今度は「つないで、ひろげて、ふかめて」ということが求められると思います。

たとえば、今まで参加してくれた人が継続して活動に参加してくれるように「つなぐ」。あるいは、今まで参加してくれなかった人たちも参加できるように「ひろげる」。ただ単に集まりを持っていればいい段階から、たとえば「今月は~にチャレンジしよう」というふうに、目的意識や方向性を持った活動に「ふかめる」。こういったことが、活動が長続きしていくためには必要になってくれるでしょう。

あるいは、小学生の子どもたち対象の活動を、中学生や高校生、20~30代の若者、高齢者などの活動へと「つなぐ」とか。また、ある青館でやっていた取り組みと、別の青館でやっている取り組みとを「つなぐ」とか。他にも、保護者どおしのつながりを「ふかめる」ために、保護者だけの交流会や合宿の機会をもつとか。日々の活動をより面白くするためにも、活動の担い手になっているボランティアさんたちのレパートリーを「ひろげる」とか。活動状況をひろく、さまざまな人たちに知ってもらって、あらたなつながりを創りだすためにも、たとえば広報チラシや「おたより」的なもののつくり方を学ぶとか、ブログづくりにチャレンジするとか・・・・。

このように、「できることを、できる人が、できるかたちで」何かはじめたら、次の段階として、「つないで、ひろげて、ふかめて」という時期がやってきます。そのあたりでも、また何か、アイデアやヒントが必要なときは、遠慮なくおっしゃってください。

と同時に、今、青館を使って、子ども会など、さまざまな自主サークル活動が展開されつつあるんですが、「これをどうやって活性化するのか? その活性化のために、例えば場所の提供や活動運営のノウハウを得る機会を整備するとか、助成金を得るための情報提供を行うとか、そういった側面支援の仕事が、市民活動支援に向けての自治体行政の仕事として、引き続き、青館所在の各地区での取り組みとしてあるのでは?」という思いがあります。それこそ、社会教育・生涯学習の領域からの市民活動支援とか、あるいは、「人権のまちづくり」に向けての市民活動支援とか、いろんな切り口で、自治体行政として、こうした自主サークル活動への支援を行う方法があると思います。(それこそ、利用率低迷で悩んでいる大阪市の郊外野外活動施設とか、あるいは市内の青少年活動施設などを、こうした自主サークルがいろんな形で利用できれば・・・・、という考えもあります)。

その各地区で芽生えはじめた自主的な活動支援の部分について、大阪市としては今後、どういうことを考えているのか? 私のところへ入ってくる情報では、どうも今年度中に、大阪市では青館と人権文化センターの両方の扱いを含めて、地区内拠点施設の再編について検討をしている様子です。この動向も、たとえば「一区一館」の話とか、どういう方向になっていくのか、注意深く見守っていく必要があると思いますし、場合によれば「なんでこんな統廃合方針になるのか?」と、批判的な声をあげていかなければいけないこともあると思います。

ですが、各拠点施設がどういう形で残るかどうかは別として、青館条例廃止後もそこにひきつづき住民がいて、子どもがいて、保護者や若者、高齢者がいて、いまや、動ける人たちから始める形で、すでに青少年育成に関して何らかの活動がはじまっている地区があります。大阪市としては、こうした地区内で活動中の人々の実情をきちんとふまえて、その人たちの活動の芽をさらに伸ばすような形で、具体的な施策を検討し、実施していただきたいと思います。

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