昨夜無事、家族旅行からもどってきましたが、さすがに秋田県の山奥と関西圏だと気温差がおおきいので、風邪を引いてしまいました。その分、ちょっと休みながらこのブログの更新作業などを行っていきますので、更新が途切れることがあるかもしれません。その点、どうかご理解ください。
さて、我が家に戻ってきて、昨日の朝日新聞夕刊を見てびっくり。大阪市教委の「人権教育企画室」がこの春からなくなってしまうとか。一連の「施策見直し」の文脈で、今まで青少年会館条例の「廃止」や大阪市の青少年施策のあり方について、このブログで私は論じてきましたが、それはどちらかというと、いわゆる「社会教育・生涯学習」の領域でのこと。この「人権教育企画室」をなくすということは、いよいよ「施策見直し」の流れが「社会教育・生涯学習」の領域にとどまらず、「学校教育」の分野まで押し寄せてきた、ということのようにも読み取れます。
さて、私はあくまでも自分の立場からですが、この間の大阪市の「施策の見直し」と、これに対する「反対」や「異議」の声をあげる動きの両方を見てきました。そこでずっと思ってきたのは、今現在、例えば青少年会館や人権文化センター、高齢者施設などを利用している人々、地元住民、そしてNPO関係者、各施設の職員や地元の解放運動関係者などが声を挙げているわりには、今まで大阪市の人権施策などにかかわってきた研究者サイドからの声の挙げ方があまり目立たない、ということ。
実は正直にいうと、大阪市の「施策見直し」のあり方についても、このブログ上で私なりの意見をあれこれ述べてきましたが、同時に、今まで施策を含めた人権施策づくりに携わってきた研究者に対しても、「これで本当にいいのか?」と私は思っています。
なぜなら、自分が何か信念をもって施策づくりにかかわってきたのであれば、今回の大阪市の出している方針に「納得がいかない」とか、「おかしい」とか、いろいろ言いたいことって出てくると思うんですよね。
私がこの間、いろんなことを言ってきたのは、ある意味で自分が大阪市の青少年会館での「ほっとスペース事業」に、現場職員や市教委職員、NPOのみなさんなどと一生懸命かかわってきて、ここまでいっしょに創り上げてきたのを、今の施策のような流れでぐちゃぐちゃにされたくない、という思いが出発点にありました。と同時に、「子どもや保護者、地元住民にとって、こんなぐちゃぐちゃな施策の流れをつくるきっかけを生んだ、不祥事の張本人たちも、私はきっちりと責任をとってもらいたい」とも思ってますが。
余談が過ぎたのでもとにかえりますが、こういう自分の立場からすると、大阪市の施策づくりや人権教育の実践等にかかわってきた研究者の立場であれば、きっと、文句のひとつやふたつ、言いたいこともあるのではないか、と思ったりもするわけです。
もちろん、一生懸命ものを言ったとしても、結果的にはこちらの言い分が通らない事態もありえます。しかし、本当に現場で活動している職員やNPO、地元住民の人、施策づくりで関わった担当の市職員の人、そして、今までの施策で支えられてきた子どもたちのことなどを考えれば、いろんな思いがおのずから出てしまうのではないでしょうか。少なくとも、私はそうでした。
今までは青少年会館条例の「廃止」や青少年施策の見直しということで、大阪市の取組みがすすんできました。これは「社会教育・生涯学習の領域でのこと」と、学校での人権教育にかかわってきた人々は、今までだったら避けてとおることもできたかもしれません。しかし、昨日の新聞報道のように、大阪市教委が人権教育企画室をなくす方向にまで一歩踏み出してきたとなると、今後は学校での人権教育だって、どうなっていくのかわかりません。
そうなったときに、今まで大阪市の学校での人権教育にかかわってきた研究者は、どう動くつもりなのでしょうか? 私はあえて今のうちから、「本当にこのままでいいのか?」と、関係者、特に研究者たちに、このブログを通じて発信しておきたいと思います。