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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

市長、もう動かないでいただきたい。

2013-01-20 21:03:19 | ニュース
これは先ほど、フェイスブックとツイッター、両方に書き込んだこと。
例の大阪市立の桜宮高校で起きた子どもの自殺に関して、彼が体育系の2コースの入試停止について要望していることに関して、です。

<以下、両方に書き込んだこと>
そもそも教委で方針を明日決めるというその裏で、先にこんな形で市長が学校に出向いて説明するというのは「越権行為」も甚だしいのでは?
また、入試中止でさまざまな迷惑を被るのは、中3生。市内各校の中3生とその保護者、そして市内の各中学校にも説明が必要なのでは?
ええ加減、余計なことをするのはやめてほしいですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130120-00000038-mai-soci

<以上、おわり>

私はとてもではないですが、こういう市長の動き方は、その方針以前のところで容認できませんね。

この数日、彼が入試停止方針を打ち出したことについて、マスコミも批判的な論調ですし、ネット上の議論でも批判的な意見がたくさんでています。
そういうことに対する「あせり」が彼のなかにあって、「なんとしてでも、自分の思う方向に結論を導きたい」と思って、市教委の会議で方針が出る前に学校に乗り込んで・・・ということなのでしょう。

しかし、たとえ市長としてこの方針を説明することを一定「是」とするとしても、「なぜ、当該高校の現役生や教職員のみに説明するのか?」「これから当該高校の受験を考えている中3生やその保護者、市内の中学校には説明しないのか?」とか、「なぜ市教委の会議の前に先に乗り込むのか?」「その説明の場で学校側や子どもたちから異論や反論が出た場合、市長は自らの方針を撤回する余地があるのか?」等、手続き的にはいろいろと問題があるかと思います。
そこから見ても、このような市長の動き方は、「余計なことするな!」というしかありませんね。

そして、他のことでもそうですが、もう、この桜宮高校の件では、橋下市長、じたばたせずに、動かないでいただきたい。
「あなたが動けば動くほど、かえって事態が混乱して、余計な方向に話がそれる。ややこしくてしょうがない。」
私としては、そう言いたくなりますね。



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先ほどツイッターでつぶやいたこと。

2013-01-19 10:32:20 | ニュース
さっき、ツイッターでいくつかのつぶやきに分割して書いたこと。こちらでまとめて書いておきます。

よく航空機事故のたとえで今回の橋下市長の桜宮高校での入試停止要求を容認する方いるんですが(それはいわゆるマスコミにでてくる「識者」もそう)、事故の起きた機体と同機種全機の運用を停止しても、減便するとか別の機種をやりくりして航空各社は事故後運行してますよね。少なくともそこには「ある機種の運用停止で、利用客にはできるだけ迷惑かけない」という各社の姿勢が出ているのではないかと。
また、航空各社が事故後ある機種全機の運用を停止するのは、まずはどこにトラブルがあるのかを総点検して、必要な補修などをするためですよね。
少なくとも航空機事故の場合、その事故のあった機体と同機種全機の運用停止・総点検と補修は行っても、別機種をやりくりしたり減便したりして、その路線の運行全体を停止するとか、その路線にお客を乗せないとか、そういう話には、たとえ重大事故があってもならないかと思うのですが。
こういう風に見ていくと、航空機事故のあとの対応をたとえにして、橋下市長の桜宮高校での入試停止要求を容認するようなコメントっていうのは、ちょっと話が飛躍しているようにも思えます。そして、そういうコメントをマスコミでする識者たちには、私は「大丈夫ですか??」と言いたくなります。
もしも航空機事故のたとえで説明するのなら、重大事故後の航空会社によるある機種の運用停止と全機の総点検・補修は、桜宮高校の入試停止ではなくて、今の桜宮高校での授業停止と子どもの自殺の背景にあることの徹底した調査、周囲の子どもへのケアということになるのではないかと。
当該のクラブの子どもや同学年の子どもなどからていねいに事情を聴き、そこで何があったかを調べること。また、当該顧問や同僚教職員から徹底した事情聴取を行うこと。そういうことのために一時的に授業を休むことが、航空機事故後のある機種の運用停止に近いのではないか。

事柄の本質を見据えず、その場の感情や、自分の学校や教育行政への不満、不信感など、勢いにまかせてコメントすることは、私もマスコミにコメントを求められる立場であるので、おおいに慎みたいです。



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「体罰」が背景にあると言われる大阪市立のある高校での子どもの「自殺」に関して

2013-01-08 23:16:55 | ニュース
http://digital.asahi.com/articles/OSK201301080022.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_OSK201301080022
(朝日新聞デジタル2013年1月8日配信:市立高校の生徒自殺、背景に体罰か。大阪市教委調査へ)

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000199281.html
(大阪市教委報道発表資料:2013(平成25)年1月8日)

また悲しい事件が起きてしまいました。しかも、いま、なにかと話題の大阪市において、です。
亡くなった子どものご冥福をお祈りします。
また、ご遺族の心中、さぞかしおつらいことかと思います。お悔やみ申し上げます

さて、この件に関して、まずはいくつか、言っておきたいことがあります。
それは、次のような橋下市長(知事時代を含む)ご本人の「体罰」容認発言を含め、「この際、徹底的に、大阪市の教育界に根強く残る「体罰」肯定的な教育観に対して、きちんとモノ申す」ような、そのような強力な調査実施の体制をとっていただきたい、ということ。
また、そのためには、この当該高校で起きた子どもの自殺や、その背景にあったと考えられている「体罰」の調査に対しては、市長及び市教委からできるだけ独立し、公平・中立的な第三者委員会を立ち上げる必要があること。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-03/2012100304_01_1.html
(しんぶん赤旗2012年10月3日付け:橋下氏、体罰あおる。「大阪市独自の指針必要」)
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201202060045.html
(朝日新聞デジタル2012年2月6日付け:「体罰」場合によればOK? 橋下氏ら問題提起)
http://www.asahi.com/special/08002/OSK200810260045.html
(朝日新聞2008年10月26日付け:橋下知事「手を出さないとしょうがない」体罰容認発言)

少なくとも、上記のような意識の持ち主である橋下市長の強い意向を受けて組織された調査チームには、亡くなった子どもに起きた「体罰」の深刻さを小さく見積もったり、あるいは、「体罰」と「自殺」との間に「因果関係なし」などという結論を導き出そうとするバイアスがかかりかねない危険性があります。そして、今回の子どもの自殺のような深刻な場合は問題だが、「体罰」も「ちょっとくらいならいいだろう」というような、そういう結論を出すような調査チームでは、かえって事態をこじれさせてしまう危険性もあります。
以上のようなことから、この子どもの自殺については、「徹底的に亡くなった子どもの側にたった事実経過の解明作業を行い、そこから必要な再発防止策の確立に向けて、学校や教育行政、さらには市長に対してきっちりと、厳しいことを言う」という立場に立つ調査チームを作っていただきたい。
そのためには、橋下市長に対してはっきりとものを言うことのできるような人たちで調査チームの人選を行うことを、私としては強く希望します。

なお、あわせて、2012年7月16日付けのこのブログの記事も、ここに掲載しておきます。
ほんとうに残念なことであり、悲しいことですが、大阪市内では去年7月にも2人、子どもの自殺が起きています。
それ以降の約半年間、大阪市として、市教委として、子どもの自殺防止についてどんな取り組みをしてきたのかが問われています。そのこともぜひ、橋下市長には重く受け止めていただきたいところです。
http://blog.goo.ne.jp/seisyounenkaikan/d/20120716

<追記>
下記の毎日新聞の配信記事にあるとおり、「いじめや体罰などの問題が起きた際に、市長が教育委員会に指揮命令を出せるような条例案」をつくりたいなどというのは、まさに「惨事便乗型教育改革」。亡くなった子どもも遺族も、いま、学校に通っている子どもも現場教職員も、そういうことは何も今は望んでいない。まずは、「何があってこの事態に至ったのか?」という、事実関係の解明作業ではないでしょうか。
http://mainichi.jp/select/news/20130109k0000m040060000c.html


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この社説を書いた人と、文科省に伝えたいこと。

2012-12-30 13:29:20 | ニュース

「教育政策:高校無償化の見直しは妥当だ」(読売新聞2012年12月30日付け社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121229-OYT1T00960.htm?from=blist

この社説を書いた人に、次のように伝えたい。
「相手を思いやる気持ちの欠如がいじめを生んでいる」のだと考えるのならば、あなた自身はどうなのでしょうか。
それこそ、今、朝鮮学校に通っている子どもやその保護者、長年、朝鮮学校の存続に向けてさまざまな支援を行ってきた在日の人々、日本人たち。こうした人たちを思いやる気持ちは、この社説を書いた人にありますか?
このたびの新政権の方針を受けて、日本人のなかにも、私を含め、数多くの「この朝鮮学校への対応はひどすぎる」と思う人たちがいることへの思いは、この社説を書いた人にはありますか?
そういう思いがあれば、きっと、このような社説の文章にはならなかったのではないかと。
少なくとも、私はそのように感じました。
とするならば、「相手を思いやる気持ちの欠如がいじめを生んでいる」という言葉は、そっくりそのまま、この社説を書いた方に、「よくご自分の胸に手をあてて、冷静になってください」という言葉を添えて、お返ししておきたいと思います。

それから、文部科学省ですが。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000617

長い名称で、「公立高等学校に係る授業料不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則をの一部を改正する省令案」に関するパブリックコメント募集をいま、文部科学省が行っています。
ですが、上記のサイトから関連するPDFファイルを見ていただければわかるとおり、これは高等学校等就学支援金の支給先を限定するための省令改正案。つまり、朝鮮学校を支給対象から除外することを容認する省令をつくるためのものです。
パブリックコメント募集のタイトルだけを見ていると何をしているのかよくわかりませんが、具体的にPDFファイルを見ていけば、「大使館を通じて」日本の高等学校に相当する課程であることが確認できる民族系の学校と、インターナショナルスクール、この2つに対象を限定することがわかります。つまり、日本に大使館を置いていない=国交成立していない国の民族系の学校は、支給対象から除外されるわけです。
また、「文部科学大臣の定めるところにより」という形で、インターナショナルスクールや「大使館」を通じて高等学校に相当することが確認できる民族系学校「以外」にも、支給を認めることができたわけですが、このたびの省令改正でそれが閉じられます。とすれば、朝鮮学校の他にも上記「以外」の学校があれば、そこへの高等学校等就学支援金の支給が停止されることにもなりかねません。
これって明らかに、日本に暮らすマイノリティ、特に外国にルーツのある子どもたちへの差別的な施策ですよね??
こういう施策とって、外国にルーツのある子どもたちをますます暮らしづらい環境に置いておきながら、一方で先の社説にあるように「いじめ防止法案」ですか。「だったらまずは、外国にルーツのある子どもたちの暮らしやすい環境をつくろうよ」と言いたくなります。
それこそ、先の社説を書いた人のいうように、「相手を思いやる気持ちの欠如がいじめを生んでいる」というのなら、文科省にも「あなたたちの施策でどんどん暮らしづらくなる人たちがいるという、そういう思いやりの欠如」を問いたくなりますね。
そして、本来、新聞などのマスメディアって、こういう文科省の施策に対して、今、私がここで書いているようなことを社説で書いて、クギをさしていくためにあるんじゃないですかね??

<追記>

年末年始で人々の政策への関心が薄い時期をねらって、こういう施策を打ち出す文科省、政権与党ってなんなんですかね?


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選挙の結果がどうであれ、批判し続けるのみ

2012-12-16 19:02:06 | ニュース

今日は12月16日(日)、衆議院選挙の投票日です。
今は夜の7時前、あと1時間ほどで、私の暮らす街の投票時間は終わります。
マスコミの選挙結果予想ではいろいろと言われているわけですが、私はもともと、「どの党が政権をとろうが、子どもの権利保障の観点から見て、おかしいことはおかしいと言い、ダメなものはダメという」というスタンスで来ています。
この半月間ほど、ブログの更新は本業の忙しさもあって控えてきましたが、明日から再び、更新をできるだけ続けていくつもりです。そこでやることは、新しい政権与党になるところの子ども施策や教育政策の批判ですし、政権を取れなかった政党についても同じことです。
ということで、ブログをやめているわけではありませんので、ご安心ください。

「今こそ、子どもの権利保障に関心のある市民が、何か文句を言い続けなければいけない時期はない」

少なくとも、私はそう思っていますので。

 


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「×印」の数で見ていくしかないか。

2012-12-01 23:44:37 | ニュース

先月半ばに衆議院が解散され、総選挙が近いということで、いろんな政党が離合集散して新しい党が出来るとか、「第三極」がどうとか、マスメディアでは連日、政治関連の報道が続いています。総選挙が本格的にスタートするとこういうことも書きづらくなるので、今のうちにあえてはっきりと、自分の総選挙への思いを書いておきます。
正直なところ、私は子ども施策や教育政策に注目して各政党のこの間の主張などをマスメディアを通じて見ているのですが、「ここには票を入れたくない」と思う度合いの強い政党は多々あるものの、積極的に「ここを支持したい」と思う政党は、あまりでてきません。
これに憲法改正や再軍備、労働者の最低賃金見直しといった問題や、原発問題などへの対応、貧困問題への対応などに関する各政党のこの間の主張などへの評価を加えれば、ますます「ここには票を入れたくない」と思う度合いの強い政党がしぼられてきます。ですが逆に、「ここを支持したい」と思うところは、あまりでてきません。
ちなみに、この夏以来のいじめ自殺問題に関連させて教委廃止論をぶち上げているような政党や、あるいは、いじめ問題への対応にひっかけて「心の教育」とか「道徳教育」の充実とかいうような政党も、とても支持できるものではありません。前にも書いた「惨事便乗型教育改革」をやりたがっているような政党には、むしろ「お引き取りいただきたい」というのが率直な思い。
今、必要なのは、子どもたちが学校の内外で落ち着いて暮らせる生活環境をつくること。そのために、保護者や地域住民、学校の教職員や保育士、ソーシャルワーカーやカウンセラー、その他子どもに関わる仕事に従事する人々、そして子ども施策に携わる行政職員などが、落ち着いて過ごせる環境を整えること。そういう環境を整えた結果として、子どもとかかわるおとなたちが落ち着き、子どもとの豊かな応答的かかわりを取り戻すことによって、子どもが心身ともに豊かに育ち、おだやかな人間関係を取り結ぶ。そして、このような人間関係のなかで過ごすことを通じて、誰かをいじめたり、いじめられたりという関係から脱する道を、子どもたち自身がそこから見つけ出していくのではないでしょうか。
だから、子どもと、子どものまわりにいるおとなたち(この夏に見せていただいたドキュメンタリー映画のタイトルに沿って、「隣る人」といってもいいかもしれません)が落ち着いて過ごせる環境づくり、これにつながるような政策を提案している政党以外、私はとても支持する気にはなれません。あとは、それに逆行する政策を提案している政党に、どんどん×印をつけ、投票したくないという思いを増やしていくだけになるでしょう。
そして、たとえ今回の総選挙で投票した政党であっても、その後発足する政権与党になろうがなるまいが、上に書いたような方向性に逆行するようなことをするのであれば、やはり×印をつけていくだけ。ましてや、政権与党になり内閣を構成するようになったところには、その政策の具体的な中身を見て、やっぱり×印をつけていくことになるでしょうね。
以上、総選挙を前にして、今、私が思うことを書き記しておきます。


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「教委廃止論」に思うこと

2012-11-25 16:54:20 | ニュース

20121117_2
この画像は、先週11月17日(土)の京都新聞朝刊に掲載された記事です。左側のほうが私のインタビュー記事、右側のほうが京都大学の高見茂さんへのインタビュー記事です。一応、テーマは「いじめ問題と教育委員会制度」ということになっています。
ちなみに私のほうは、これまでの学校事故・事件でお子さんを亡くされた遺族のみなさんとのかかわりのなかから、いつも語ってきたように、誠実に学校・教育行政が事実経過の解明作業をやってほしいということと、そのためのシステム(第三者委員会の設置を含む)の構築という話をしました。また、いじめ自殺事件への教育委員会の対応がよくないからといって、教育委員会を廃止して首長直轄の部局に教育行政を位置づけるという話についても、「従来の遺族対応のノウハウが首長に引き継がれる危険性もあるので、それでうまくいくとは限らない」とか、「本質的に筋違いな話」とあえて言っています。
そして、教育行政の改革を含むあらゆる改革は「外科手術」のようなもので、きちんとした診たてにもとづいてやらないと、学校や教育行政のまだ健全な部分をも傷つけてしまう。今、いじめ自殺事件への対応で必要なのは、教育行政の「体質改善」であって、教委廃止のような「外科手術」ではない、という言い方もしました。これはよく学校事故・事件でお子さんを亡くされた遺族から出てくる、学校や教育行政の「隠ぺい体質」という言葉にひっかけてのコメントです。
もちろん、私の考え方がベストだとか、ベターだとかいう気はありません。ですが、このところ何かといじめ自殺問題にひっかけて、次の衆院選に向けて各政党がマニフェストのなかでいろんな提案を出してきています。その提案の中身が、どうも遺族側の思っていることとかなりずれているというのか、見当違いの方向に教育行政や学校を持っていくものになっているように思えてならない・・・・。「教委廃止論」もそのうちのひとつなので、あえて、それにクギを刺すつもりで、インタビューにはこんな答え方をしました。
これから何か、教育行政のあり方を考える際のご参考にしていただければ幸いです。もちろん、衆院選で出してくる各政党のマニフェストを読む際にも、です。

※追記:プロフィール画像、変えてみました。ある学生が描いてくれた私の似顔絵(右)と、そこからその学生が想像した「若かりし頃」の顔(左)だそうです。右側はかなり似てますが、左側はめっちゃ美化しているような印象です。


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2つを読み比べてみてください。

2012-11-19 11:41:22 | ニュース

Img_2506
この写真は、昨日の朝日新聞に出ていた意見広告。「子どもたち一人ひとりに目が行き届く教育環境の実現」をもとめて出されたものです。
その一方で、こちらはNHKのニュース配信記事。自民党の教育改革の提案がまとまったというニュースです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121117/k10013562601000.html
この両方を読み比べてみてください。
どちらのほうが、子どもの人権保障をすすめる教育施策でしょうか?
どちらのほうが、子どもたちの過ごしやすい学校生活を実現する施策でしょうか?
中身を読めば、すぐにお分かりいただけるのではないかな、と思います。
ちなみに、「いじめ防止条例」がはらんでいる問題点については、すでにこのブログで何度か指摘しています。
あと、私がこのブログで「いじめ防止条例」に関して書いたことなどを、次のブログがうまく要点を整理してくださっていますので、こちらも参考にしてください。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1056.html


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「指導死」問題を考える集会に出て思うこと

2012-11-18 10:08:32 | ニュース

http://edugarden.blog50.fc2.com/blog-entry-3337.html
昨日、東京・浜松町で、「指導死」問題を考える遺族のみなさんの集会がありました。
日頃、全国学校事故・事件を語る会や、NPO法人ジェントルハート・プロジェクトの取り組みなどで、学校での教員の「指導」に起因すると思われる子どもの死(特に自死)のケースを見聞きすることがあります。
たとえば子どもを心身ともに追いつめ、逃げ場をなくすような形で指導をするとか、生徒指導や部活動指導中の暴言(パワー・ハラスメントといってもよい)とか、そして「体罰」。こういったケースによる子どもの死を、遺族のみなさんは「指導死」と呼んでいます。
大津市のいじめ自殺問題以外にも、学校で子どもが自死に至るケースとしてはこういう「指導死」というケースがある。このことについても、やはりいじめ自殺と同様に事実経過の検討や原因究明の作業が十分に行われていないなど、遺族の側から伝えたいことが多々ある。ということで、昨日の集会が開かれたのでした。
この集会の概要については、上記のブログが詳しく紹介しておられるので、そちらを見てください。
ちなみに、当初「40人くらいの参加では?」と思われた昨日のこの集会ですが、60人近くの方が来られました。また、テレビ局や新聞社などの取材もかなりありました。私も遅れて参加したのですが、座る場所が見つからないくらいの状況でした。
ただ、私はこの頃思うのです。子どもの学校生活での安全・安心、特に子どもの「いのち」にかかわるような課題というのは、教育学の研究者や学校現場の教職員、教育行政の職員、そしてソーシャルワーカーやカウンセラーなど子どもに関わる専門職の、誰であっても「一番の関心事」でなければいけないのではないか、と。ところが、昨日の集会でも、教育学系では、このような遺族の集まる場でいつも顔合わせるおなじみの教育学研究者、教育評論家の方しか姿がないんですよね。
だから「教育学系の研究者はみんな、いったい、いま、どこへ行っているのか?」ということ。「この問題に、あんまり関心がないのかな??」ということ。そして「関心がないのだとしたら、あなたたち、本気で「子どものいのちを大切にする」とか「子どもの人権が大事」とか言ってるの?」ということ。そんなことを、昨日もあらためて感じましたし、このごろ日々、強く感じるようになりました。
「本当は「指導死」のようなテーマこそ、教育学の研究でも重要課題として取り上げて、もっと議論すべきことではないのか??」「私たちが大学や短大などで養成し、送り出した教職員が、こうした「指導死」などということに関わっているということを、大学の教職課程担当としてどう受け止めるの??」と、言いたくなった次第です。もちろん、このことは、教育学の研究者であり大学の教職課程担当の立場もある私にも、ぐさっと突き刺さることではありますが。


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大津市子どものいじめの防止に関する条例(中間案)に思うこと

2012-11-11 10:59:29 | ニュース
先日、ある方から、「大津市子どものいじめの防止に関する条例(中間案)」を見せていただきました。
この条例案を、現在、大津市の第三者委員会が最終報告と提言をまとめる前に、大津市議会では12月議会に提出、可決成立させたいと思っているようです。なおかつ、これに類似の条例を各地で制定しようという動きや、これを国レベルの法律にしよう(たとえば「いじめ対策法」のようなもの)という動きもあるようです。
みなさん、これ読んで、どう思いますか??
自治体が子どもに関する条例をつくることを「いけない」という気はありませんが、私はこの条例案なら、作るのをやめてほしいと思いました。
本当に条例案を作りたいなら、せめて12月をめどに第三者委員会が出してくる最終報告を待ってから動くべきだし、市民、特に大津で暮らす子どもたちの意見を反映させてつくるべきだろう、と思いました。
ある意味、「子どもの権利条例」や「子どもの人権オンブズパーソン条例」を作ることに対する「妨害」のようなものかな、とすら思います。(参考までに、川崎市の子どもの権利条例のHPを書いておきます。どれだけ、川崎市の条例のほうが格調高く、子どもへの信頼・愛情に満ちているかわかります。 http://www.city.kawasaki.jp/shisei/category/60-2-1-1-0-0-0-0-0-0.html
以下、条文の内容を読んで、気づいたことをまとめます。具体的な条文は、下記に書いてあります。
「家庭の責務」や「子どもの役割」などを条例で定めて、今まで以上に当事者である子ども、そして我が子がいじめている・いじめられているかもしれないということで悩んでいる親たちを追いつめて、どうするんだろう、と思います。
特に6条などを見ると、いじめが起きるのは家庭教育の責任、だから、家庭教育の強化ということから「親学」導入を・・・と、「親学」推進派が大喜びするような中身になっていますね。
また7条の「子どもの役割」で、いじめを受けた子どもは「相談するものとする」と。それが簡単にできない状況に追い詰められている、そこをどう考えるのか。一番しんどい状況にある子どもに、「お前らが動かないからダメなんだ」と言っているようにも思えます。
あるいは「学校の責務」を定めているのなら、それを学校が実施できるように徹底したバックアップ体制を市がとるべきだと思うのですが、条例のなかには14条で「適切な財政的措置」という言葉がひとつあるだけですね。
たとえば、もしも学校がこの責務を十分に果たすためには、大量の教員の増員が必要と判断されたときには、大津市は「適切な財政的措置」ということで、市費負担教職員を増やすんですかね?? あるいは滋賀県・県教委や文科省に増員の要求を出すんですかね?? そんなときには、大津市及び大津市議会は、市の財政負担をタテにとって、きっと増員に難色を示すと思います。
さらに、5条や11条との関係を考えると、一応「人権」という言葉をかぶせつつも、実態としてはこれ、「道徳教育強化」条例です。
ほかにも、3条でいう学校に高校と特別支援学校が入りますが、県立・私立・国立の高校、あるいは県立の特別支援学校に、市の条例で5条でいう「責務」を課すことができるのかどうか。もしも今の法解釈上、大津ではこれが「できる」というのであれば、当然、川西市の子どもの人権オンブズパーソンは、川西市内の県立高校でおきたいじめ自殺事案に介入してもいい、ということになるでしょう。
あるいは、18条の「委員会への協力」。一応、この条例では第三者委員会を常設して、その第三者委員会が日常的にいじめなどの相談・調整などに応じるシステムにしていますが、この「協力」義務を負う立場に、「市の機関」って入っていないですよね。条例3条でいう「関係機関等」って、警察署や児童相談所などを想定しているようですし。たぶん3条の「関係機関等」の解釈で、なんとか市教委を入れるのでしょうけど。でもこれ、18条の条文を字面どおり解釈したら、市教委の対応に問題があったとき、市教委はこの「協力」義務、自分らには適用されないとか言い出しかねないですね。
総じて、「子どもが安心して学ぶ環境」を「社会全体でつくる」というタテマエに立ちながら、市は計画つくって、啓発キャンペーンやって、第三者委員会さえ開いていればそれでOK。あとは学校現場にややこしいことを丸投げし、また、いじめの解決は子どもと家庭(保護者)の責任でなんとかしろ、というかのような条例です。
要するに、前文などで掲げているタテマエを、個々の条例が裏切っていく。いちばん困っている子どもや、その子どもの過ごす家庭を支えたり、困難を抱えた子どもたちと真剣に向き合おうとしている学校現場を、大津市及び市教委で全力で支えようとする条例にはなっていない、ということです。

■(資料)「大津市子どものいじめの防止に関する条例」(中間案)全文(2012.09.14)
全ての子どもは、かけがえのない存在であり、一人一人の心と体は大切にされなければなりません。子どもの心と体に深刻な被害をもたらすいじめは、子どもの尊厳を脅かし、基本的人権を侵害するものです。このようないじめを防止し、次代を担う子どもが健やかに成長し、安心して学ぶことができる環境を整えることは、全ての市民の役目であり責務です。いじめを許さない文化と風土を社会全体で創り、いじめの根絶に取り組まなければなりません。ここに、いじめの防止についての基本埋念を明らかにして、いじめの防止のための施策を推進し、その対策を具現化するためにこの条例を制定します。
(目的)
第1条 この条例は、子どもに対するいじめの防止に係る基本理念並びに責務及び役割を明らかにするとともに、いじめの防止及び対策並びにいじめの解決を図るための基本となる事項を定めることにより、子どもが安心して生活し、学ぶことができる環境をつくることを目的とする。
(基本理念)
第2条 子どもが安心して生活し、学ぶことができる環境を実現するため、市、学校、保護者、市民、事業者及び関係機関等は、それぞれの責務及び役割を自覚し、主体的かつ積極的に相互に連携して、いじめの防止に取り組むものとする。
(用語の定義)
第3条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
(1) いじめ 子どもが一定の人間関係のある者から、心理的又は物理的な攻撃を受けることにより、精神的又は肉体的な苦痛を感じるものをいう。
(2) 子ども 小学生、中学生及び高校生をいう。
(3) 学校 本市の区域内にある小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校をいう。
(4) 保護者 親権を有する者、未成年後見人その他の子どもを現に監護する者をいう。
(5) 市民 本市の区域内に居住し、通勤し、又は通学する者をいう。
(6) 事業者 本市の区域内で営利を目的とする事業を行う個人又は法人並びにスポーツ少年団、ボランティア団体その他の各種の事業活動を行う個人又は団体をいう。
(7) 関係機関等 子ども家庭相談センター、警察署その他子どものいじめの問題に関係する機関及び団体をいう。
(市の責務)
第4条 市は、子どもをいじめから守るため、必要な施策を総合的に講じ、必要な体制を整備しなければならない。
2 市は、だれもがいじめを許さない社会の実現に向けて、いじめに関する必要な啓発を行わなければならない。
(学校の責務)
第5条 学校は、教育活勤を通して、子どもの自他の生命を大切にする心、公共心及び道徳的実践力を育成しなければならない。
2 学校は、いじめを予防し、又は早期にいじめを発見するための体制を整えなければならない。
3 学校は、いじめの防止に取り組むとともに、いじめを把握した場合には、その解決に向け速やかに、組織対応を講じなければならない。
4 学校は、子ども自身がいじめについて主体的に考え行動できるよう、それぞれの学年に応じた学級の環境づくりに努めなければならない。
5 学校は、子どもがより良い人問環境を構築できるよう必要な取組を行わなければならない。
(保護者の責務)
第6条 保護者は、子どもの心情の理解に努め、子どもが心身ともに安心し、安定して過ごせるよう愛情をもって育まなければならない。
2 保護者は、いじめが許されない行為であることを子どもに十分理解させるよう、家庭教育を行わなければならない。
3 保護者は、いじめを発見し、又はいじめのおそれがあると思われるときは、速やかに市、学校又は関係機関等に相談又は通報をしなければならない。
(子どもの役割)
第7条 子どもは、互いに思いやり共に支え合い、いじめのない明るい学校生活に努めるものとする。
2 子どもは、いじめを受けた場合には、一人で悩まず必ず家族、学校、友達、関係機関等に相談するものとする。
3 子どもは、いじめを発見した場合(いじめの疑いを含む。)及び友達からいじめの相談を受けた場合には、家族、学校、関係機関等に相談するものとする。
(市民及び事業者の役割)
第8条 市民及び事業者は、それぞれの地域において子どもに対する見守り、声かけ等を行い、子どもが安心して過ごすことができる環境づくりに努めるものとする。
2 市民及び事業者は、いじめを発見し、又はいじめのおそれがあると思われるときは、速やかに市、学校又は関係機関等に情報を提供するものとする。
(関係機関等の役割)
第9条 関係機関等は、いじめの防止に関する啓発活動等を積極的に実施するとともに、市との連携及び協力に努めるものとする。
2 関係機関等は、いじめに関する情報を入手したときは、速やかに市に報告するものとする。
(行動計画の策定)
第10条 市は、基本理念にのっとり、いじめのない子どもが安心して生活し、学ぶことができる社会の構築を総合的かつ計画的に推進するため、いじめの防止に関する行動計画(以下「行動計画」という。)を策定するものとする。
2 前項に規定する行動計画は、次に掲げる事項について定めるものとする。
(1) いじめに関する市、学校、保護者、市民、子ども、事業者及び関係機関等のそれぞれの役割等に関すること。
(2) いじめのない学校づくりに向けた子どもの主体的な参画に関すること。
(3) いじめの防止に向けた教育及び人づくりに関すること。
(4) いじめの防止に向けた普及啓発活動に関すること。
(5) 次条に規定するいじめ防止啓発月間に関すること。
(6) いじめを早期に発見するための施策に関すること。
(7) いじめを防止し、及び解決するための施策に関すること。
(8) いじめに関する相談体制等に関すること。
(9) いじめを受けた子ども及びいじめを行った子ども並びにその家庭に対する支援に関すること。
(10) 前各号に掲げるもののほか、いじめのない社会を実現するために必要なこと。
3 市は、第1項の規定により行動計画を策定したときは、これを公表するものとする。
(いじめ防止啓発月間)
第11条 子どもをいじめから守り、社会全体でいじめの防止への取組を堆進するために、毎年6月をいじめ防止啓発月間(以下「啓発月間」という。)とする。
2 市は、啓発月間において、その趣旨にふさわしい広報啓発活動を実施するものとする。
3 学校は、啓発月間において、人権及び道徳に係る教育を実施するとともに、子どもが主体的にいじめの防止に向けた活動を展開できるよう支援及び指導を行うものとする。
(相談又は通報)
第12条 何人も、いじめを発見し、又はいじめのおそれがあると思われるときは、市に相談又は通報をすることができる。
(相談体制等)
第13条 市は、いじめに関する相談、通報等に速やかに対応するとともに、全ての子どもが安心して相談できるよういじめに関する相談体制を整備するものとする。
2 市は、いじめを未然に防止し、いじめから子どもを守るため、いじめに係る情報の一元化を図り、関係機関等との相互の連携及び迅速かつ適切な対応ができるよう組織体制を強化するものとする。
3 学校は、学校におけるいじめに係る相談体制の充実のため、スクールソーシャルワーカー、スクールカウンセラー等の配置に努めるものとする。(財政的措置等)
第14条 市は、この条例の目的を達成するため、適切な財政的措置を講ずるものとする。
2 市長は、前条第3項に規定する相談体制の充実のため、国及び滋賀県に対して適切な措置を講ずるよう要請するものとする。
(大津の子どもをいじめから守る委員会)
第15条 相談、通報、報告又は情報の提供(以下「相談等」という。)を受けたいじめ(いじめのおそれがあるとして相談等をされたものを含む。以下この条において同じ。)について、必要な調査、調整等を行うため、市長の附属機関として、大津の子どもをいじめから守る委員会(以下「委員会」という。)を置く。
2 委員会は、市長の諮問に応じるほか、相談等のあったいじめについて、その事実確認及び解決を図るために必要な調査、審査又は関係者との調整(以下「調査等」という。)を行うものとする。
3 委員会は、特に必要があると認めるときは、関係者に対して資料の提出、説明その他必要な協力を求めることができる。
(委員会の組織等)
第16条 委員会は、委員5人以内をもって組織する。
2 委員会の委員は、次に掲げる者のうちから市長が委嘱し、又は任命する。
(1)臨床心理士等子どもの発達及び心理等についての専門的知識を有する者
(2)学識経験を有する者
(3)弁護士
(4)前各号に掲げるもののほか、市長が適当と認める者
3 委員の任期は、2年とする。ただし、委員が欠けた場合における補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
4 委員は、再任されることができる。
5 前各項に定めるほか、委員会の組織等に関して必要な事項は、規則で定める。
(是正指導)
第17条 市長は、委員会の調査等の結果を受け、必要があると認めるときは関係者に対して是正指導を行うことができる。
2 市長は、是正指導をしたときは、その後の経過の確認を行い、その結果を委員会に報告するものとする。
3 是正指導を受けた者は、これを尊重し、必要な措置をとらなければならない。
4 是正指導を受けた者は、当該是正指導に係る対応状況を市長に報告するものとする。
(委員会への協力)
第18条 学校、保護者、市民、子ども、事業者及び関係機関等は委員会の調査等に協力するものとする。
(活動状況等の報告及び公表)
第19条 委員会は、毎年の活動状況等を市長に報告するものとする。
2 市長は、前項の規定による報告の内容を、市議会及び市民に公表しなければならない。
3 市長は、必要と認めるときは、是正指導及びその対応状況の内容を公表することができる。
(個人情報に対する取扱い)
第20条 市は、この条例の施行に当たって知り得た個人情報の保護及び取扱いに万全を期するものとし、当該個人情報を業務の遂行以外に用いてはならない。
2 委員会の委員は、正当な理由なく、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も同様とする。
3 いじめに関する相談、通報等に関係した者は、正当な理由なく、その際に知り得た個人情報を他人に漏らしてはならない。
(委任)第21条 この条例の施行について必要な事項は、市長が定める。
附則この条例は、平成25年4月1日から施行する。


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岐阜県可児市の「子どものいじめ防止条例」をめぐって

2012-11-05 08:57:52 | ニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121030/k10013128251000.html
(「いじめ自殺“学校は保護者と情報共有を” NHKニュース2012年10月30日)
このNHKのニュースを見れば、学校でのいじめ自殺などで我が子を亡くした保護者たちが、まずは学校や教育行政が迅速な調査を行って報告をすること、再発防止策を確立するためのシステムをつくること、そして、調査や再発防止策づくりにあたって遺族との対話、情報共有をすすめていくこと、この3つのことを求めていることがわかります。
そのことを前提にして、次のブログの記事を読んでください。

http://blogos.com/article/49341/?axis=g:1
(片山さつき:大津いじめ自殺事件遺族記者会見、自民党いじめ問題対策分科会は答えを出します!文科省が初めて出してきた「いじめの定義と態様別分類」とは?:ブロゴス、2012年10月30日)
これを読めばわかりますが、上記のNHKニュースで遺族の側が求めていることと、まったく見当ちがいのことをやろうとしていることがわかりますね。
たとえば、このブロゴスの記事には、片山さんたち自民党の政治家が、岐阜県可児市のいじめ防止条例の内容にふれつつ、高橋史朗氏らのコメントなども参照しながら、「家庭教育支援法、条例、いじめ防止法、条例」のセットをつくろうとしていること。あるいは、「親学」をこのいじめ防止にひっかけてやろうとしていること。そのことがうかがえますよね。そこには、こうしたいじめ防止条例にある「保護者の責務」を強調しようという、そういう意図がうかがえます。
しかし、そんなことは、上記のNHKニュースの中身を見ればわかりますが、遺族の側は何も求めていません。むしろ、学校や教育行政の責務として、再発防止策の確立やそれに向けての調査の実施、遺族への説明の実施等が確実に行われるような、そんなシステムをもとめているわけですよね。
とすれば、いろいろ熱心に動いているように見えますが、この自民党の政治家のような発想にもとづいて条例をつくったり、新たな施策を展開すると、さらなる「隠蔽」へとつながるのではないか。あるいは、今後いじめ自殺が起きたときに、その責任を保護者や子どもの側に押し付けていくことにつながるのではないか。そういう危惧を私は覚えます。

ちなみに、あらためて、岐阜県可児市のいじめ防止条例(これは略称ですね)を見ました。
http://www.city.kani.lg.jp/view.rbz?nd=1112&ik=3&pnp=154&pnp=168&pnp=1112&cd=4022
可児市のいじめ防止条例の中身については、上記のサイトで見ることができます。
これを読めばわかりますが、この条例は「子どもの権利侵害」(前文)としていじめをとらえ、このいじめを社会全体で防止していくために何をするか、どんな施策を実施していくのか、について定めたものです。また、第1条にも、子どものいじめ防止に関する基本理念・責務や、子どもが安心して生活し、学ぶ環境づくりを目的としていることがわかります。
この基本理念や目的に対応するかのように、市や学校の責務、市民や事業者の責務についての規定があります。また、市と学校がいじめ防止に関する教育・啓発に積極的に取り組むこと(8条)、市が子ども、保護者、学校などのいじめ防止に関する取り組みを積極的に支援すること(9条)、市や学校がいじめの被害を受けた子どもの通報・相談などの体制を整えること(10条)などの規定が設けられています。そして、第11条以降に「いじめ防止専門委員会」の設置やその職務、相談や調査などの方法、是正要請の手続きなど、具体的に被害を受けた子どもの救済に関する規定が設けられています。
いわば、いじめ防止というテーマに限定しながらも、子どもの人権相談・救済に関する自治体としての責務、対応すべき事項を具体的に規定しているのが、この可児市の条例。もちろん、教育委員会の独立性を尊重するというタテマエから、「是正要請」という形をとってはいるものの、しかし、条例上その是正要請を受けた場合はこれを尊重し、対応しなければいけない(第14条)わけですから、実質的にはさまざまな是正措置が行われるはずです。
そして、以上のような可児市の条例の規定は、兵庫県川西市の子どもの人権オンブズパーソン条例の趣旨と、かなり近いような印象があります。だから、私などは「片山さんはこの条例をどういう風に理解したのだろう??」と思ってしまいました。また、下記のような課題がいろいろと残るものの、こうした条例を作ろうとがんばってきた可児市の取り組みには、やはり、見るべきものがあると私は思っています。

ただ、片山さんが「保護者の責務」にこだわって何か「親学的なもの」を盛り込めそうだと思った理由は、この条例の第6条にあります。この条例の第6条は、保護者がいじめを正しく認識すること、子どもに対していじめが許されない行為であること等を説明、理解させるようにすることなどを定めています。しかし、この程度のことは、多くの保護者は「言われなくても、やっている」というのではないでしょうか。また、ここから「親学的なもの」をやろうとするのには、かなり解釈上の無理があるのではないでしょうか。どこにも「いじめ防止に向けての親の学習」を「実施しなければならない」とは書いていませんから。
また、この条例の第3条に「子どもは、人との豊かな人間関係を築き、互いに相手を尊重しなければなりません」と規定していますが、これもわざわざ書くべきことなのかどうか。むしろこの条例の基本理念・目的からすれば、子どもたちが互いを尊重し、人との豊かな関係を築けるように、行政は何をするのか、学校は何をするのかを規定する必要があったのではないかと思います。それこそ、ひとつまちがうと、いじめをした子ども・いじめられた子どもの双方に、この条例は「相手を尊重する努力をしたのか?」と、責任を問うものになりかねません。
そして、先ほど述べた学校や行政の責務、あるいは市や学校の啓発・教育や支援、通報・相談などの取り組みに関する規定ですが、これには「この条例にもとづいて、市がどのような施策を実施したか、学校がどんな取り組みをしたかを検証するシステム」のことが書かれていません。第16条の「報告」は、あくまでもいじめ防止専門委員会の活動状況の報告ですので。
あと、可児市の小中学校や幼稚園・保育所などはこの条例の適用範囲ですが、可児市内の高校や私立学校に通う子どもはどうなるのか・・・・という、「市の条例」特有の問題があります。
私としては、こうした可児市の条例についての諸課題を指摘して、片山さんたちがそれを国の施策としてどう是正するのかを提案するのならわかります。でも、先ほどのブロゴスの記述は、そんな内容になってはいなかったですよね。

以上のことから、どうも片山さんたち「見当違いの方向」で、いじめ防止策について考えているのではないか・・・・と思えてなりません。むしろ、いじめ自殺などが起きたときの学校・教育行政の対応の不手際を強調し、それに対する人々の怒りや批判・非難をてこにしながら、いじめで亡くなった子どもの遺族たちの求めることとはまったく別の施策を、「解決策だ」といって持ち込もうとしているようにも思えてなりません。これでは、「惨事便乗型」の教育改革をやろうとしているのではないか、という疑いすら抱くものです。

<追記>
このブログの内容はもともと、フェイスブックに先週、書きこんでいたものです。実は10月30日(火)の午後、長野県への出張の帰り道に、ある新聞社の方から可児市の条例のことでインタビューを受けたのです。そのときに条例を実際に見て思ったことをまとめようと思ったら、お子さんを自殺で亡くしたご遺族の方が片山さんの文章を読んで、「これは何がいいたいのかよくわからない」ということを、フェイスブックに書きこんでおられました。そのご遺族の文章も読んだうえで、だいたい、上記のようなことをすでに、フェイスブックに書きこんでいたのです。そして、それを読んだ方から、「いつか、どこかでこのことを書いてほしい」というお話があったので、ブログにあらためて書きこんでおきました。
いじめや子どもの自殺という悲しい出来事に「便乗」するかのように、たとえば教育委員会廃止や「親学」などを持ち込んでくる政治家の動きがこのところ、生じています。でも、実際の遺族の方が求めているのは、そんなことではないのです。そのことをわかっていただければ、と私は思います。



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今こそマスメディア関係者の「できることを、できる人が、できるかたちで」を

2012-10-21 12:18:56 | ニュース

ここ数日、マスメディアやインターネット、ツイッターなどで話題になっているのが、『週刊朝日』掲載の佐野真一氏らの連載のこと。この連載の1回目の中身をめぐって、橋下市長が抗議し、「朝日新聞の取材を受けない」等々の話が出て、『週刊朝日』側が謝罪・連載を中止するということが起きています。
また、橋下市長がツイッターで引き続き、『週刊朝日』や朝日新聞等々に対して攻撃を加えたり、あるいは、自分のとった対応に批判的な意見の持ち主に罵倒するかのような行為が続いているとも聞きます。
この件について、私なりに脇で見ていて、また、ちらっとではありますが、実際の『週刊朝日』の連載1回目の文章も読んでみて、思ったことを書いておきます。なお、いま、ツイッターやインターネット空間上での議論から距離をおき、「事態をなるべく時系列的に、俯瞰的に」見る努力をしてみようという意図で、連載1回目の文章の中身にはほとんど触れずに文章を書いてみました。こんな形のコメントでいいのかどうか、という思いはあります。ただ、事態を時系列的に、俯瞰的に見て行くと、この件を大きく取り上げ、「朝日」を罵倒することで、彼が何を意図しているのかもよく見えるように思えてきました。

(1)まず、時の政治家の人物像を生い立ちから描くことや、その人物につながる人脈などを書くこと。こうしたことは「時と場合」において必要であることは、私も認めます。また、それがたとえ被差別出身の政治家であっても、です。でなければ、たとえば、解放運動の指導者でもあり、参院議員でもあった松本治一郎のことを、きちんと論評することもできませんから。また、何か書く場合には、その人物のいい面ばかりではなくて、負の側面も書くことは当然出てくるとは思います。そして、書かれたものの中身については賛否両論、いろんなコメントを書き手が、あるいは出版した会社がうけることになるでしょう。また、差別的意図が記述にあたってあったかどうかも、そこで問われることもでてくると思います。

(2)ただ、今回の橋下市長の話でいうと、たとえば去年の大阪市長・府知事ダブル選挙の頃に、すでにいくつかの月刊誌(例えば『新潮45』2011年11月号)などで、橋下市長の生い立ちや人脈などについて触れる記事が出ています。また、その後も私の知る限り、雑誌など(例えば『G2』という雑誌の連載「と橋下徹」など)でもこうした記事があったかと思います。さらに、彼をめぐる人脈にさまざまな「利権」が絡んでいるのではないか、ということについても、すでにいろんな本で指摘されていることでもあります(たとえば一ノ宮美成、グループK21『橋下徹のカネと黒い人脈』宝島社、2012年)。そこにあえて、『週刊朝日』があらためて橋下市長の生い立ちや人脈などについて連載で切り込む、というわけですから、私などは従来とは異なる切り口がほしいな、というところでしょうか。でなければ、「もうそんなの、読んで知ってるよ。それがどうしたの?」という話になるでしょう。

(3)一方、雑誌が橋下市長の生い立ちや人脈に差別の問題を織り交ぜて書くことで、政治家としての彼への批判を強めようとする、いわゆるネガティブ・キャンペーンンの問題性については、すでに解放運動の関係者からも批判されています(たとえば赤井隆史「大阪W選挙と週刊誌ジャーナリズム―橋下氏勝利の立役者は「週刊新潮」「週刊文春」ではなかったのか」『ヒューマンライツ』2012年1月号)。また、こうした雑誌のキャンペーンが橋下市長の政治的な勢いを削ぐものにはあまりつながらなかったことも、すでに去年のダブル選挙の結果でも明らかなとおりです。

(4)さらに、先月はかつて従軍慰安婦だった韓国人女性に橋下市長が面会しなかったことについて、ツイッター上で強く抗議をした朝日新聞の阿久沢悦子記者に、橋下市長が罵倒を繰り返した上、「朝日の取材は受けない」といった出来事もありました。結局、阿久沢記者が謝罪をし、しばらくツイッターでの発言を控えることで一応、この件は終了したのですが。でも、ここからもわかるとおり、橋下市長が今、一番「朝日」と名のつく活字メディア(新聞・雑誌)に過敏になっていることがわかります。ちなみに、その後も橋下市長は、朝日新聞が取材したニュージーランドの学校評議会の記事に対して、何かツイッターなどでかみついたと聞いています。また、橋下市長が大阪府知事だった頃にも、なにかにつけて朝日新聞の記事にはかみついてきたのではなかったのでしょうか。それこそ、見様によっては彼の「朝日」嫌悪が、今回の『週刊朝日』への対応でも立ち現れたのだ、といってもいいのではないでしょうか。

(5)そして、この間、私の見る限りではありますが、新聞・雑誌などの活字メディア(それも一部でしょうけど)と、毎日放送のVOICEや関西テレビのニュースアンカーなど、ほんの一握りの志あるテレビ番組を除き、マスメディアの大勢は、橋下市長の流す情報をそのまま流しているのか、もしくは「劇場型」政治の「お先棒」をかつぐかのように、橋下市長の動きを面白おかしく伝えるような動きをしてきたかと思います。つまり、マスメディアの大勢が橋下市長の動きをただ追いかけるだけになるなかで、こうした一部の活字メディアと、ほんの一握りのテレビ番組だけが、「それはおかしいのではないか?」と彼に異論を唱え、突出するかっこうになっていたわけです。彼の側には、そういう突出したメディア関係者を、「いつか、口実を見つけて、たたいてやろう」という思いがあったのではないか。そんな推測すらできるくらいです。逆に言うと、「他のメディア関係者が、すでに彼の術中にはまって、身動きとれないでいる」がゆえに、一握りの突出したメディアに対する彼の攻撃という手法が成功しているのかもしれません。

(6)こうしたこの間のいきさつ、状況から見て、私は<『週刊朝日』の編集部や佐野氏が、この間の大阪のマスメディアと橋下市長の関係をめぐる状況について、あるいは、差別をめぐる状況について、十分な理解ができてなかったのでは?>という思いを抱きます。もしもそこがよく理解できていたのであれば、たとえば橋下市長が推進しようとしている施策が抱えている矛盾、赤字財政の再建など過去の実績と呼ばれるものが実はそうでもなかったことなど、政治家としての彼の手腕や発想などの問題点を先に連載で取り上げる、ということもできたのではないかと思います。あるいは、彼と彼の周辺に居る人に何がしかの「利権」をめぐる疑惑があったのなら、そこを先に、重点的に取り上げて書くという方法もあったのではないでしょうか。その意味では『週刊朝日』の連載について、個別の記事の中身以上に、私は橋下市長に関する連載の組み方、テーマの取り上げ方の面で、そもそも問題があったのではないか、とも思います。

(7)その一方で、「何か口実を見つけては、活字メディアもテレビも徹底的にぶったたいて、自分の言うことをきかせよう」という方向で橋下市長が動いているのであれば、これはこれで、やはり徹底的にその動きを批判しておかなければなりません。また、そのことで活字メディアやテレビが沈黙し、橋下市長の動きに対して追従する報道しかしないのであれば、これはこれで、大問題です。これまでもこのブログで書いてきたとおり、今、橋下市長が推進しようとしている諸施策は、子どもたちを中心に、大阪市内に暮らすさまざまな人々にマイナスの影響を及ぼす結果が予想されるものがたくさん含まれています。こうした施策の問題点をきっちりしてきて、「そこはどうするのだ?」「このようなマイナス面の大きい施策はいっそ止めた方がいいのではないか?」と追及していく営みが、今こそ求められているときはありません。その意味で、今、沈黙している「朝日」だけでなく、それ以外のメディアについても「いったい、これから橋下市長の動きに対して、どう対峙していきたいのか?」が問われているのではないでしょうか。

(8)もしかしたら今の彼には、今後の国政進出に際して、「大阪の改革の実績」を「ウリ」にしたいのかもしれません。だとしたら・・・・。今の彼にとっては、その「大阪の改革」なるものの内実が、実はこんなにも住民生活にマイナスの影響しか与えないものであったり、あるいは、地域コミュニティを破壊するものであったりする。そのことがオモテ沙汰になって、「大阪の改革の実績」なる看板に泥を塗られてしまうことこそ、彼は一番、恐れているのではないでしょうか。しかも、その「大阪の改革の実績」なるものの中身が実は住民生活にとってマイナスの影響しか与えないものだったことが、あれも、これも、こっちも、あっちもと言う具合に次々に表面化することこそ、彼にとっては困ることなのではないでしょうか。だからこそ、そういうことをぶつけてきそうなマスメディア関係者には、何か口実をみつけて、徹底的に彼は攻撃するのかもしれません。

(9)私が思うに、新聞・雑誌・テレビといったマスメディアが、それぞれにそれぞれの切り口、テーマ、方法でもって、今、彼が大阪で推進しようとしている施策の問題点を取り上げ、一斉に批判的な報道をはじめたら、彼は立ち往生すると思います。個別というか、ある突出したメディアだけを徹底的にたたくことでまわりを黙らせるという手法が、かなり通じなくなるからです。少なくとも、同時に2つ、3つの課題を突き付けられるだけでも、彼の突出したメディアをたたくという方法は、かなり有効性を失います。そして、そのときにおそらく彼がとる次の手は「ほとぼりが冷めるまで黙る」「自分が有利に反撃できる場所まで逃げる」「追っ手の来ないところで吠える」「自分より力のありそうな勢力の庇護の下に行く」といったこではなはいかな、と思います。

(10)ということで、ここらがマスメディア関係者の正念場です。今こそ、マスメディア関係者の「できることを、できる人が、できるかたちで」を発揮してください。私も応援しています。


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そもそも、この提案をした人たち自身の他者への想像力が問題

2012-10-03 05:31:17 | ニュース

http://mainichi.jp/select/news/20121003k0000m040120000c.html
(大阪市教委:独自の独自の「いじめ対策」、教育振興計画素案:毎日新聞2012年10月2日付けネット配信記事)
そもそも、彼らは去年秋段階の「教育基本条例案」では反対が多くて盛り込めなかったことを、こうして教育振興基本計画の議論のプロセスで盛り込み、やろうとしている点で、「おかしいやないか!」と言わなければいけない。そこで1点目。
次、彼らは体罰を加えなければ痛みがわからないというが、逆に、「なんでも身を以て痛さを知らなければ何も理解できないような、子どもってそんなに鈍感な存在なの?」という、そもそもの子ども理解の前提の部分で「あんたら、大丈夫?」と言わねばならないこと。そもそも、子どもという存在への想像力や理解力を欠いている、と思う事。そこで2点目。
3点目。暴力をふるったり荒れたりしている子どものなかに、かつて誰かにそういうしうちにあってきて、今、そうせざるをえない状況にある子どももいるかもしれない。そういうことへの想像力、理解力を彼らが欠いているということ。
4点目。自分にとっては「あそび」や「ふざけ」のつもりでも、その行為が相手やそれを見ている周囲の人にとっては苦痛極まりない。そういう他者への理解や想像の力こそ、本来はさまざまな経験を通して子どもたちに育む必要があると思うのだが、これだと彼ら自身が、日常の学校生活のなかで、「自分が気に入らないと思ったら、相手がどう思おうと、少々乱暴に殴ってでもなにしてでもかまわない」という行動のモデルを提示してしまうことになる。そのことへの想像力や理解力を、彼ら自身が欠いている、ということ。
そして、こういう子どもへの理解力や想像力を欠いたところから発想される諸提案は、それが学校で実現されたときには、自分らのストレス発散にはなるかもしれないが、結果的には子どもを追いつめ、教職員をしばり、学校をより息苦しいものにするだけ、ということ。これで5点目。
ついでにいうと、「そうですか。人は殴らないと痛みを理解できないということですね。じゃあ、あんたらが私らに理不尽なことしたら、私らあんたらを殴りますけど、いいですね?」といいたくなるけど、彼らは自分らにはがっちりSPつけて我が身を守り、法令でなおかつ自己弁護をする技には長けている。そういうことへの理解や想像がまるでできていないということ。これで6点目。

※フェイスブックに書きこんだことを、こちらにも転載しました。


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亡くなった子どものご冥福をお祈りします。と同時に、まず今、できることをしてほしい。

2012-09-16 07:05:45 | ニュース

起きてほしくはないことだが、あとに紹介する記事のとおり、子どもの人権オンブズパーソン制度のある兵庫県川西市で、「いじめ」と「自殺」が関連すると疑われる高校生のケースが起きてしまった。
亡くなった子どものご冥福をお祈りします。その上で、以下のことを述べておきます。

まず、本当はこういうケースに対して「なにがあったのか?」を調査し、「今後どうしていくのか?」を検討していくために、子どもの人権オンブズパーソン制度があります。
だが、亡くなった子どもは川西市の子どもで、川西市の条例の対象者なのですが、亡くなった子どもの通っている学校は県立高校。市の条例が県の機関たる県立高校に適用できるのかどうか?? ここでひとつ、制度上の壁がでてきます。
ただそれでも、これは私の願いでしかないのだけど、制度上の壁をなかなか突破することはむずかしいかもしれないけど、川西市の子どもに起きた悲しい出来事ということをふまえて、とにかく、まずはオンブズパーソンとして動けることを見つけてほしい、と思っています。
少なくとも、亡くなった子どもの遺族からの相談に応じながら、遺族がこの県立高校とどうわたりあっていけばいいか。このあたりで、いろんな支援をすることは可能かと。遺族とうまくつながれるといいと思っています。
あとは、川西市の市立学校に対して、もう一度、オンブズパーソンとして、子どもたちへの対応を見直すように働きかけをすることがあるかと思います。「いじめ」防止及び「自殺」防止に対して、川西市教委と市立学校においていま、どんな取り組みをしているのか。何が足りないのか。条件整備はどうなのか、等々。条例の趣旨から見ても、オンブズパーソンとして具体的にチェックすることは可能ではないかと思います。
なにしろ、この亡くなった子も、いじめていた高校生も、もとをただせば市内の学校に通っていたはずだから(高校から市内に転入ってこともあるだろうけど)。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120915-00000555-yom-soci


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大阪府の学校教育審議会はこの何年か開催されていない??

2012-09-12 22:06:07 | ニュース

以下の文章は、新居晴幸さん(大阪府教育文化総合研究所)が今日、フェイスブックに書いておられたものです。新居さんに直接お願いして、転載を認めていただきました。

<以下、新居さんの文章の転載>
橋下が条例に基づかない審議会を休止する。法違反であるとして。<wbr></wbr>しかし、条例に基づいて設置された審議会でも2008年以降、一<wbr></wbr>切開催されていない審議会がある。つまり、橋下が知事になった年<wbr></wbr>だ。それは何か?それは国で言えば「中央教育審議会」いわゆる「<wbr></wbr>中教審」にあたる「大阪府学校教育審議会(学教審)」だ。この学<wbr></wbr>校教育審議会は大阪府の中長期的な教育政策について教育委員会が<wbr></wbr>諮問し、経済界、労働、学識、マスコミ、保護者など各界が推薦し<wbr></wbr>た委員で構成する。私も過去3度ほど審議委員や専門委員となった<wbr></wbr>。しかし、2008年の開催以降、7月に新たに私も含めた審議委<wbr></wbr>員が委嘱されたが一切、審議会は開かれていない。教育は100年<wbr></wbr>の計と言われるようにその施策の変更は慎重に時間をかけなければ<wbr></wbr>ならない。そのために、学校教育審議会は、各界各層の意見を聞き<wbr></wbr>ながら論議し、答申する。それらの経過等を経て教育委員会事務局<wbr></wbr>が具体に政策案化し、知事が予算をつけ府議会で最終審議する。例えば、全国から高い評価を得ている「知的障がい生徒」の府立高校での受け入れ制度も、学校教育審議会で4年間の審議と研究校での先行実施研究を経て今日の制度化に至っている。過去、入試選抜制度にあっても、また、学校選択制についても慎重審議し、各答申を行ってきた。しかし、橋下が登場して以降は、「迅速性」や「効率化」の名の下に全てが短兵急に決められている。「学区制の撤廃」や「入試選抜制度の改変・絶対評価の導入」がそれだ。本来、学校教育審議会に諮問し、丁寧な調査、論議、時間をかけての課題である。橋下市長、松井知事は、条例中心主義を言うならば学校教育審議会を開催すべきなんだ。とにかく、その委員としての私の任期は切れているが、任期中、委嘱だけされて、一切審議会が開かれなかったなんて前代未聞だ。記者諸君、こういうことを突っ込むべし !
<転載は以上でおわり>

いかがですか??
この何年かの大阪府の教育改革、それは従来の審議会等での議論の手続きをすっ飛ばして行われてきたわけですね。ということは当然、審議会などで十分に議論・検討されることのないまま、この数年間、府知事や府教委の上層部の判断だけで重要な大阪府の教育施策が実施され、その失敗や矛盾のしわよせをすべて、現場教職員や子ども、保護者、住民がかぶっている、ということになります。
こういう教育施策の運営、確かに意思決定のスピードはあがるかもしれませんが、むちゃくちゃな改革もその分スピードを上げて実施されるわけです。
これでほんとうにいいんでしょうか??
大阪府の次は大阪市が、そして、大阪府・市の改革の手法が全国的に展開するということは、こういう教育施策の運営方法、意思決定のあり方が全国展開する、ということです。
これでも、「日本維新の会」なるものに期待を寄せますか??



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