tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

昨日の続きから、山本玄峰老大師を

2011-08-16 18:33:56 | 徒然日記
昨日に続いて山本玄峰老大師のお話を書いて見ます。
眼病を患い失明寸前の老師は、行き倒れとなった雪蹊寺の山本太玄和尚に「私でもお坊さんになれるでしょうか」と問うと、「お前はそうなる人間だろう」と答えられ、そのまま仏門に入って行きました。

戦中戦後の混乱の中、無住となった寺々の再建に力を入れ、行く先々の寺を再建したそうです。そして、選ばれて妙心寺派管長に就任され、晩年は、自坊の三島竜沢寺で多くの雲水を育てあげたそうです。


「談玄夜月明」玄峰老大師の行書の軸は珍しいとか

私が山本玄峰老大師の墨蹟を始めて拝見しましたのは、デパートの「現代高僧墨蹟展」の会場でした。入り口から順に拝見して行くと、ある墨蹟の前で動けなくなってしまい、じっと拝見していると販売の方が、「山本玄峰老師です。中々出ませんので・・」と教えてくれました。それまで全く知りませんでしたから、そのショックは大きかったといえます。それまで、茶掛といえば「大徳寺」でしたからなおさらです。

直ぐに知り合いの軸の専門店に山本玄峰老大師の墨蹟を依頼いたしましたが中々見つかりませんでした。
それから数ヶ月後、何の目的もなく何とはなしに導かれるように、伊勢神宮から熊野大社を巡り、湯の峰温泉に泊まる旅に出かけたのです。そして、湯の峰温泉の旅館に電話が入り、玄峰老大師の軸が見つかったという連絡があったのです。翌朝ウキウキとした気分でタクシーを待っている間に、旅館前の石塔の前で写真を撮り旅は終りました。

出来上がった写真を見てビックリでした。その石塔は玄峰老大師の自筆を刻んだ「玄峰塔」だったのです。そして、宿泊した旅館は、玄峰老大師の常宿だったのです。これには驚きました。驚くより、もの凄い因縁を感じずにはおられませんでした。

更に、この湯の峰温泉は、玄峰老大師の生誕の地だったのですから・・・。

コメント
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