桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

遺してくれたもの

2024-01-25 13:08:00 | 日々のこと
まだ60代で急逝してしまった大切な友の話をしています。

これまでの記事です。



サムネに使った画像は、別々の機会にMさんに撮ってもらったオリジナルPhotoを暈かしてコラージュしています。
もう20年以上前のですから、敢えて顔を晒しました。

当時の育児系雑誌『miki HOUSE 』や『クーヨン』に載せて頂いた時に使用したと思います。

私にネガとプリント写真を渡してくれる際も、自らのイラスト付きのコメントを付箋にそれぞれ書いて貼ったアルバムを作ってくれました。

訃報を聞いた後に、昔の写真やアルバム類を引っ張り出して見つけました。
当時はまだ重い障害のあるトシヤをどう育てていけばよいか、試行錯誤の連続で、文字通り必死でした。
元夫の協力は皆無だったので、周りの心ある友人達が支えでした。
彼女たちのお陰で、私は自己肯定感を保つことが出来て、大袈裟でなく生き延びることが出来たと思います。

今更ながら、ありがとう!

これが形見になるとは。
いや、形見があって良かった。

生きる上で大切なことは何か、改めて考える毎日です。

人生残り少なくなった今、また彼女から物凄いプレゼントを贈られたように感じます。
凄い人だったな。

悲しみを分かち合い

2024-01-24 15:14:00 | 日々のこと
我が名を与えし人  の続きです。
《サムネイル画像は彼女の作品》

実は一昨日、訃報を伝えてくれた友人Hさんに会ってきました。

私からお誘いしました。
コロナ禍以前から、ほぼ人付き合いすら不可能な生活環境だったので、私には奇跡のような行動でした。

悲しみを分かち合いたい。
そんな気持ちがありました。
仕事面で、私より彼女の方が頻繁に連絡は取り合っていたので、詳細を聞きたかった。 

それはそれとして、友人Hさんは出身が熊本というご縁があり、目に見えぬ繋がりを感じます。

(書き忘れていましたが、私とMさんは、これも偶然同じ美大卒です)

それと、私たちは感性が似ていて、好きなアニメや漫画などサブカルの趣味が一緒なので、そういう話で盛り上がって、いつしか悲しみが癒えていました。

とはいえ、Mさんという私や息子の
絶対的味方がいなくなったことは本当に辛い。

夜、布団に入ってから涙する日が続いていましたが、少しだけ楽になりました。

Hさん、予定を合わせてくれてありがとう。



我が名を与えし人

2024-01-22 20:28:00 | 日々のこと
大事な人が逝ってしまったの続きです。

Mさんと私は、元々小学校のママ友として出会いました。

息子のトシヤの幼い頃、縁あってシュタイナー教育に基づいた幼児教育のグループの中で育て、幼稚園を経て考えた末に、1年遅らせて小学校に就学させました。
地元の公立学校の特殊学級(今の特別支援級)です。

当時はごく一部の授業や給食のときだけ、同学年の普通級に通級することになっていました。
なので、特に保護者同士で顔見知りになるなんてことはありませんでした。
でも、地域の子供会で同じ時期に役員をやったことで彼女とメールをくれた友の二人と出会います。子ども達が同学年(実際は一歳違い)だったのは偶然です。

私たち3人は急速に親しくなり、私は文章書き、彼女たちはイラストレーターとして活動していく中で、
とても充実した時間を過ごしました。
Mさんはことの外、私が頑張っていることを褒めてくれ、私が初めての本を出版した時には、私をプロデュースするために様々な提案をしてくれました。
雑誌に記事が載ることになると、進んで私のプロフィール写真を撮影してくれたり、匿名でエッセイ執筆時のペンネームを与えてくれました。

桜子がその名です。

「与えてくれた」とは、私と電話で話していた時に彼女の脳裏に桜吹雪の画が見えたから『桜子』にしようよ!という経緯があったからです。

ママ友だったことなど忘れてしまうほど、人生で大事な出会いのトップ3に入る関係です。

続きます。

大事な人が逝ってしまった

2024-01-22 11:32:00 | 日々のこと
私の人生でかなりの重要度の関わりがあった大切な友達が逝きました。
正解に言うと、亡くなっていたこと
を今知らされました

20日の朝、共通の友人からメール。

親しい間柄ながら、滅多にメールは交わさない仲なのに。
嫌な予感がしました。

「Mさんが去年の11月に亡くなっていたの知ってましたか?」

いや、知らない知らない!
でも、心の奥底でもしや?と思っていたけど確かめるのが怖くてそのままにしていたの。

毎年お互いの誕生日と新年には必ずメッセージの交換をしていたのにそれが無かった。

Mさんは5年前に15年在住していたパリでガンに罹患し、そのまま帰国後に手術、その後寛解した時点で私たち友人に公表し、とにかくびっくり狼狽えたという経緯がありました。
コロナ禍もあり、しばらくはパリには帰らないという話だったので、いつかは会えると思っていました。
ただ癌サバイバーの彼女にコロナ感染は御法度なので、会うのを先延ばしにしていたのです。

悔やまれて泣きました。

私より4つ年上でしたが、まだまだ若いしパワフルな人でした。
土曜日以来、心の中はMさんとの思い出でいっぱいで涙が止まりません。

画像はイラストレーターだった彼女が2021年元日に送ってくれたイラストです。

彼女に受けた影響、愛をしばらくここで書き綴りたいと思います。


ウクライナの歌姫

2024-01-19 20:27:00 | 日々のこと

ウクライナ民謡『川岸でしずかに』
Katerina Gudzii

息子が通っている活動ホームのある『生活創造空間にし』にて、ウクライナ出身のバンドゥーラ奏者カテリーナさんによる演奏会に家族3人で行ってきました。
『生活創造空間にし』では何度となくランチタイムコンサートをして下さっていたカテリーナさんですが、戦争が始まってからは(コロナ禍も重なり)そのお名前を見かけることがなくなりました。

時々メディアで拝見してはいましたが、私は生で演奏を聴くのは初めて。
募集が50名と小さな演奏会だったので、すぐ近くで聴けました。
最初のウクライナの曲(幸せの鳥)で、もう心を鷲掴み❤️
ライブはやはり違います。

流暢な日本語、美しい歌唱、カテリーナさんの祖国に対する、世界平和に対する思いが波のように伝わってきます。
トシヤは元々音楽大好きですので、ちゃんと拍手もして楽しそうでした。
全国を演奏会で駆け回るカテリーナさんを応援しています。
ありがとうございました。

私は見てしまった!

2024-01-16 20:21:00 | 自閉症のtoshiya
キチンとさんその2です。

息子はこの1年くらいガイドヘルパーに支援して頂けない状況なので、タクシーを利用して帰宅することが多いです。
自宅前に到着するとバタバタと玄関を上がって来るので、すかさず私が支払いをしに外に出ます。
で、家に戻ると、トシヤが玄関に脱いだ靴を並べているところでした。

え〜びっくり‼️ 
しかも、私が脱いだ靴まで並べてくれていました。
2度びっくり‼️

そう言えば先週も支払いを終えて戻ったら、トシヤの靴がキチンと並んでいて、とても不思議に感じたことがありました。
いつ覚えたのか?

特にうちで教えたことはなく(コラ👊)
もちろん、速攻で褒めました。

最近は何だか斜め上方向から驚くことが多いのです。


いよいよダメになったか⁉️

2024-01-11 12:34:00 | 日々のこと
昨日は息子のお薬を処方してもらうために病院へ。
帰りに新しくオープンした本屋さんへ行ってみたのですが…

なんか周りがぼんやり霞んで見えにくい😥
探したいものを探せない。
本当に2m先も見えない。
マズイ💦
廃業しないとダメなのか?

私は数年前からマルチフォーカルのコンタクトレンズを使用しています。
いわゆる遠近両用ってやつです。
使い捨てのワンデーです。

元々眼はそんなに悪くはないんですが、細かい作業を20年もやっているうちに視力が坂を転げるように悪くなりました。
近視用、老眼用、ハズキルーペと何本も眼鏡を持ち歩くのが苦痛になり、コンタクトにしたのです。
しかしながら、遠近両用は結局どっちつかずというか、どちらかに寄せて処方してもらうしかないので、今は手元がよく見える度数にしています。
これで日常生活はまあまあ成り立っていたのですが。

こんなに急速に視力が落ちるのか?
と焦りまくる私。
でも何となく左眼に違和感があったので、帰宅後にコンタクトを外して拡大鏡で見てみたら、
なんと、レンズの表裏を確認する文字が二重になっておる⁉️
つまり、2枚重ねのレンズを装着していたのでした。
時々あるエラーらしいですが、極薄いレンズなので着ける際には分かりにくいのです。

原因が分かってひと安心。
メーカーさんへは報告するとして、今の視力を出来るだけ保てるように気をつけようと強く思いました。

『眼と歯は財産ばい』

亡き母の言葉です。


キチンとさん^_^

2024-01-05 11:14:00 | 自閉症のtoshiya
新年2日目の作業所通い。

今朝も歩いて息子を送って行きました。
今日はたまたま所長さんが出迎えられて、帰ろうとする私を呼び止められました。 

トシヤさん、夏に比べて寒くなるに従って落ち着いてきましたね。
やはり去年の猛暑はキツかったのかもしれませんね。
最近は組み立てたボールペンをペン皿にキチンと並べる作業をしていますが、向きも正確に揃えて凄く集中しています。

と、お褒めの言葉をいただきました。
最近は作業所から帰ると、すぐに寝てしまうことも多かったので、すごく頑張っているんだなと思っていました。

人には向き不向きは必ずあります。
息子の特性を活かして、やり甲斐という喜びを得られるのは嬉しいことです。

工夫とかオリジナリティは発揮できないかもしれないけど、キチンとさんの能力はあります。

息子は最重度の障害者だと認定されていますが、それはある一面を切り取った見方でしかありません。

障害を作ってしまうのは、一見健常な社会の方かもしれませんね。

今日もいい気分で始まりました。

感謝の事始め

2024-01-04 15:05:00 | 日々のこと
2024 明けました。
今年もぼちぼち続けますので、どうぞよろしくお願いします。

元旦はお天気にも恵まれ、私の住むところからも富士山が綺麗に見えました。
トシヤも年末年始はお休みでしたが、毎日夫が昼ごはんを食べるついでに散歩に連れ出してくれたりと、ほぼ機嫌良く過ごしておりました。

今朝、やっと仕事始めで作業所に出勤。
また日常が戻って来ました。

その日常すら儘ならない、震災に遭われた方々を思うと胸が痛みます。

なんでもない日常がどんなにか貴重で有難いことか。
そういうことを噛み締める年明けになりました。

これからまた、いつものお迎えに行ってまいります。

皆さま、この1年も元気で過ごしましょう。