桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

傷ついたことば

2014-06-24 15:54:13 | エッセイストsakura

東京都議会の女性蔑視ヤジ問題のニュースでもちきりです。

これを見てて、ふと過去の苦い思い出が甦りました。

私が最初の結婚をしたのは、今から28年前のことです。

結婚して1年経つか経たないかの頃だったでしょうか、私よりも2年ほど早く結婚した同級生の親しい友人には、すでに第一子が生まれていました。

友人とは遠く離れていたので、その当時は手紙のやり取りをしており、友人の赤ちゃん誕生のことを祝う言葉と、私はまだ子どもを持つ気持ちがなく、新しく始めた染織に夢中になっていることなどを書いたように記憶しています。

その返事の中に目を疑うような言葉がありました。

「子どもを産まない女はカタワよ!早く子どもを産みなさいね」

はぁ~? これ、ほんとに彼女が書いたんでしょうか?
才能もあり、大らかな性格の友人がほんとうにそんなことを考えているんでしょうか。

たった28年前のことです。
戦前の話じゃありませんよ。

結婚するもしないも当事者の自由、出産のこともまた然り。
私はとうの昔からそういう考えで生きていたので、びっくりしました。

たったそれだけの文章でしたが、友人との心の距離が一気に遠ざかった瞬間でした。

当時私たちは25歳かそこらの若造です。
経験も足りず、考えも足りず、若気の至りで周りの大人(親以上の世代)から言われたことを鵜呑みにしていただけかもしれません。


男性が女性を蔑視してるという構図が問題になってるかのようですが、実は同性同士の差別が厳然とあるのです。
こっちの方が罪深いかもしれませんよ。

とっても残念な思い出ですが、私はそこで意見なり反論なりをせずに、黙って距離を置いてしまいました。

私は結局、彼女の言う「カタワ」ではありませんでしたが、障がいのある子を授かりました。

私自身はどうであろうと堂々と生きてきましたが、彼女は私に掛ける言葉に苦慮するだろうと思うと、気の毒でそうせざるを得なかったのです。

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深夜の気づき

2013-04-14 01:14:13 | エッセイストsakura

いきなりですが、神様を信じていますか?

神様というか、神的存在、造物主。

いやいや、宗教の勧誘じゃないです。私も特になにかの宗教に帰依してるわけではありません。

私は少なくともトシヤを育てる過程で、信じざるを得ないというか、信じないと今の自分の存在の意味が分からなくなってしまったので、疑うことなくいます。

ただ、信じてますということが、具体的にどういうことを指すのか?と言われたら、ちゃんと答えられませんでした。

ところが最近、ふと、わかったんです。

自分に与えられた容姿、肉体の状態、生まれ育った環境、人間としての本能(欲とかも含む)などは勿論のこと、途中で与えられる試練、逆境なども、すべて神様から貰ったカードであり、その持ち札のみで自分はシアワセになっていける・・・と、信じることが、神様を信じてるということなんじゃないかなと。

自分に配られたカードだけで勝負する、という考えは、かれこれ15年くらい前にエッセイにも書いていますが、その当時の心境は、逆境に何とか抵抗して攻めの姿勢で生きていくぞ!という剛腕系のものでした。

そして10数年経った今、相変わらず逆境モードの続く人生にいる私の心境は、攻めではなく、「よかよか」という受容の思いに変わってきたのです。

このところ相方の仕事が忙しく、トシヤの入浴介助を平日に頼めないので私が主にやっていますが、やっぱり私がやるのを快く思っていないトシヤは、風呂場でよく暴れて私を叩いたり突き飛ばしたりします。

力が強いので、私も怪我をすることが多いし、ほんとにめげてしまいます。

どうして私だけがいつまでもこんな思いをしなくちゃならないんだろうと、正直思います。

そういうことを含めて、「私はトシヤがいるけど自分の道を究めるぞ」と、ずっと思ってやってきたのだけど、
すごく肩に力が入っていたこともあっただろうし、すごく悲壮感が漂う考えだったなと。

それを「私はトシヤがいるから自分の道を究められるんだぞ」=シアワセになれるんだぞ、と考えられたら、次元すら変わるような気がしたのです。

天から与えられたものに要らないものはない。

生きるというのは、手持ちのカードを活かし切る(生かし切る)ことじゃないだろうか。
そしてそれが、神様を信じるということじゃないだろうか。

明日から相方は海外出張となり、私とトシヤのふたりだけの生活になります。

自分に与えられているものを丁寧に探索してみる機会かもと思っています。

 

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今年の漢字から

2011-12-12 23:34:06 | エッセイストsakura

 

今日付けの更新に間に合うか?

毎年この時期になるとその1年を漢字一文字で表すというのが定着してますね。

いつも、なるほどなあ~と思う漢字で感心していたのだけど、今年は「絆」だそうで。

やっぱりね。といったところですか。

ところで、これはあくまでも私の個人的な受け取り方なのでご容赦願いたいんですが、

この「絆」という言葉、私はなかなか素直に受け入れられない。

今年の未曽有の震災の後に、誰からともなく出てきた言葉であること自体に異論はないのだけれど。

なんていうんだろ、後付で「こういうのが絆だよね」みたいなお手軽な言葉じゃないっていう思いがあって、私にはモヤモヤする感覚があるのかもしれません。

目に見えないものだけに、表立ってほしくない言葉だと解釈してるっていうか。

私たちは、人それぞれに深くて長い物語を背負って生きてるわけで、その中で人や動物、土地など様々なものとの結びつきの中から、黒曜石のように深い地層の中で結晶化して深い輝きを内蔵しているような、そんなものだと感じていたのです。

絆って作るものじゃなくて、自ずと生まれてくるものと思ってる。

だから、イベントなどのテーマをってしたりというのがどうも・・・。

へそ曲がりな私の感覚なので、あくまでも。

私も自分自身の今年の漢字って何だろうと毎年考えるんですけど、この3年くらいは同じです。

ズバリ「辛」。

からいじゃなくて、つらいの方。

ネガティブですか?

綺麗ごと言っても仕方ないですもの。

つらいけれど希望は持ってますよ、いつも。

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なつかしのエッセイ・私はエッセイストでもあるのよ(笑)

2011-06-27 18:15:19 | エッセイストsakura

昨日の記事にも書きましたが、後見的支援制度を受けるにあたり、今後息子の幼いころからの話を人様にする機会が増えるんだなーということに気づきました。

とりあえず、家に置いてあった私の著書をマネージャーさんにお貸ししましたが、そこに書いてあるのは生まれてから小学校を卒業するまでの話。

その後のエピソードもてんこ盛りにあるわけで、実はその辺りの方が重要だったりもして、今までweb上に書かせてもらったエッセイを久しぶりに読み返してみました。

ここに来て下さる方も旧知の方もいらっしゃれば、最近お知り合いになった方もおられるでしょうが、おそらくこのエッセイは読まれたことがないんじゃないかなー?と思って(2003年執筆)、あらためてご紹介します。

医学系ポータルサイト「Dr赤ひげ.COM:子どもの健康」に自閉症の子どものことを書いて欲しいということで書いた連載です。

桜子流「自閉症の子のいる暮らし」(全5回)

文中、トッシーという呼び名は私の親友イラストレーターmeikoさんが息子をこう呼んでいたので使いました(懐かしい

8年前の話ですが、その頃はまだ若くて元気だったんだな~と今の衰えを痛感します。トホホ・・(;´д`)ノ

 

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現代日本語書き言葉のデータベースへ採録

2009-12-11 17:25:26 | エッセイストsakura
寒いですね~~ブルブル ((;゜ェ゜;))
寒い上に天気が悪いので、トシヤの表情も暗く機嫌もよくないです。
またチラホラ自傷をしてる模様。
ほんとに私まで落ちます。


さて今日は堅い話になりますが、つい最近巡り巡って私のところへ国立国語研究所という機関からメールが転送されてきたのです。

なんでも日本語の科学的研究の基礎資料とするために大規模なデータベースを構築しているそうで(『現代日本語書き言葉均衡コーパス』)、そのデータベースに採録サンプルとして私の著書を利用したいので許諾書に回答をしてほしいという内容でした。

1976年から2005年に刊行された刊行物から抽出されたらしいのですが、私としてはとてもラッキーだと思っています。

このことで久しぶりに出版社の担当者とも連絡することにもなりとっても懐かしかったですし、実は私が作品を委託しているSaturdayさんと担当者が知り合いだったという事実も判明し、とても不思議な縁を感じています。



Saturdayさんでまた私のページが更新されています

智天使工房セラピーアクセサリー

ついでに私の著書も久々に紹介しておきます。ヨロスク!(*`◇´*)ゞ

わたしは息子から、世界を学んだ―「普通の人」の生き方をゆさぶる、自閉症のピュアで豊かな内面世界
桐生 由美子
ヴォイス

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わたしのアン

2008-06-06 18:12:18 | エッセイストsakura

小さい頃から本が好きでした。

特に小学校高学年から思春期にかけて読んだ本は、いまだに忘れられないものが多く、その中でも繰り返し繰り返し読んだのが、L・モンゴメリーの「赤毛のアン」シリーズでした。

その「赤毛のアン」が出版されて今年で100周年なのだそうで、各地で記念イベントが行われているんだそうです。

赤毛のアン出版100周年記念イベント

きっとこの本を愛読していた元少女はたくさんいらっしゃるでしょう。

小学5年生くらいの頃、東京に住む伯父からのプレゼントとして手に取ったのがこの本との最初の出会いだったのですが、アンの虜になった私は、その後の10冊のシリーズをお小遣いで1冊ずつ買い揃えたように記憶しています。

カナダの美しい島で、孤児だったアンがマシュウとマリラ兄妹に引き取られて、その人間的魅力で少女から大人の女性・母親に成長して行くという一代記を貪るように読みました。

きっとそれは、物語の面白さと同じほど、村岡花子さんの翻訳の魅力も大きかったのではと思うのです。

「腹心の友」、ダイアナの「ばら色の頬」、「崇拝者」、「分別」、アンの本で初めて知った言葉もよーく覚えています。

30年以上も昔のことです、今のように情報が溢れているわけでもなく、カナダの美しい島の風景やアンの生活を彩る様々なものは想像するしかなかったのだけど、それがまたこの上ない楽しみだった幸せな時代だった。

きっと今も実家の私の部屋には、日に焼けたアンの本が並んでいるはずです。

大人になった目線でもう一度読み直してみたら、どんな発見があるのでしょう?

現在、新潮社から文庫本として10冊が刊行されているし、今度は大人買いでもしてみようかと思っています。

 

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道しるべ

2008-03-20 21:45:04 | エッセイストsakura
やらねばならないことは山積ながら、そんな時ほど道草してしまいたくなる癖は昔から変わらない。

学生時代、試験前になると急に本が読みたくなったりとかね。

桜がもうすぐ開花する頃になると思い出すのが、重要無形文化財保持者(人間国宝)志村ふくみさんの「一色一生」という本。

この本を手にしたのは、私がかつて染織を学んでいたのもあるけど、志村ふくみさんという染色家がシュタイナーに造詣が深いと知ったから。
(初版が昭和57年、平成元年に第23刷が出ているのできっとその頃)

ふくみさん、いえ、ふくみ先生の桜から糸を染めるくだりを書いた箇所には感動した。

桜色を染めるのに、花びらから染めるんだろう?と素人は思ってしまうが、実は花が咲く寸前の樹皮でしか薄桃色は抽出出来ないというのだ。

ふくみ先生は、桜(の精霊)が全身の力(生命力)を振り絞ってあの艶やかな桜の花を開かせようとするのだということ、桜に限らず自然の植物から命をいただいて糸を染めるのだということに気づかれる。


さて、その頃はあくまでも神秘学や人智学に興味がシフトしていたし、自分も染織の真似事をしていたので、そういう角度からしか当然読んでいなかったわけだし、私もまだまだ母親として人間としてひよっ子の時分だし、今読み返すとかなり違う恩恵がある。

夕べ遅くまでざっと目を通していたのだけれど、織物工芸を生業として生きていく決心をされた経緯やいろんな先人の言葉を受け取って書いておられる文章に、ほんとに引き込まれてしまった。

ほんとにほんとにおこがましいけれど、自分と重ね合わせて読んでいる。


今の私は、手仕事を一生やっていこうという立場でこの本はバイブルだと思う。


「物を作る人間は、その物にすべてを注ぎ込んで、多くを語るものではない」とあとがきに書いてある。

ほんとにほんとに生意気だけど、これ判ります。


私は自然の石でアクセサリーを作り始めて3年が過ぎたけど、最初はセラピーの補助としてアクセサリーを作っていたのだけど、次第にそれが逆転していくのがわかった。

それが完全に逆転した時、仕事でも転換期を迎えた。

私が気を込めて作ったものがすべて。
私が手にした地球の欠片を、なんとか美しく愛されるものとして活かしたい。

そういう思いを以前から持っていた。

私がもってる本は求龍堂の版で文字が小さいのだけど、文庫にもなっているのでまた買い直して常に傍らに置いておけるようにしたい。


とにかく、志村ふくみさんの作品は画像でみるだけでも涙が出てくるほど心揺さぶられる美しさがある。





一色一生
志村 ふくみ
求龍堂

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時間のマネージメント力

2008-01-09 23:52:50 | エッセイストsakura

私のお気に入りのシリーズの途中ですが、たまに中断して別記事も書きますのであしからず。

今日のタイトルにもありますけど、ブログの更新をしなくちゃーと思いつつもう日付が変わるような時間になってしまうのも、私の「時間のマネージメント力」がなかなか身につかないせいなのですけどね。

私はフリーで、しかも自宅で仕事をやることがほとんどという環境から、どうしてもプライベートの時間と仕事の時間がないまぜになってしまう。

しかも、物作りというのは時間があるからよい発想が生まれるっていう単純なもんでもなく、気持ちや手がノッてくると寝ないでも続けてしまう(集中力が途切れるのがイヤなの)ので、超不規則な生活に突入するのは常なのです。

とはいえ健康にも心を配らないと、なんせ何の保障もないフリーの身ですしね、食事作りとか、ウォーキングの時間も確保したいわけで、ますます時間の使い方に頭を悩ますわたくし。

とりあえず、急ぎの仕事が最優先であることは間違いないので、優先順位の高い順番に仕事の内容をメモっています。

あと、プライベートで処理する事案も同じようにやるべきことを箇条書きでメモしていきます。やるべきことばっかりじゃなくて、やりたいことも書きますよ

で、仕事ややることを終えたらチェック。

これからは大体、デイリーな内容ですが、週単位とか月単位でやっておくこととかは、小さな付箋に書き込んで手帳に貼り付けて、処理したらはがすようにしています。

年のせいか忘れっぽくなっている今日この頃ですので、普通にメモっただけじゃ忘れちゃうかもしれないのですよ(ヲイ)。

いろいろ工夫はしてみてるのだけど、息子が帰宅してたりするとやり残してしまうことも多く、思うようには出来ません。

特に、忙しい時は新聞をじっくり読む時間がなくって、5日分の朝夕刊をまとめ読みすることなんてざらです

実は、ついさっきまでそれをやってました・・・。

でも、メンドクサクっても読んどくもんですね。

ちょっとした記事から思わぬ情報をもらったり、読みたい新刊を見つけたり、今も切抜きが2~3枚手元に残りました。

それに、ある広告記事で以前買ったままで積読になってたある本の存在を思い出し、また読むことにしました(たぶん2年くらい前に買ったのでは?

ちなみにその本とは「一流の顔」岡野宏 著(幻冬舎)です。

 

あーまだやることいっぱい残ってるんです。

やっぱり私の今年の目標の筆頭は「時間のマネージメント力をつける!」ってことになるんでしょうね。

 

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残り一日の自由

2007-12-19 18:51:22 | エッセイストsakura
※注:思いっきり愚痴ですww

年末のなんとなくの慌しさにすっかり失念しておりました・・・。

あさってにはもうトシヤが冬休みで帰って来るんだった
てか、あさっては私も寮の大掃除であちらへ行かねばならぬのだ

ということは、
完全なるフリーな時間は今日と明日の夜まで。

制作の仕事はまだ終わってないし、ぼちぼちと注文も入ってきているので大部分は仕事で費やされるのだけど、トシヤが帰ってきたら出来なくなってしまうこともやっとかなきゃ!と急に焦りまくるアタシ。

あ~あそこにもここにも行っておかなきゃ、銀行もまわらなきゃ

実際のところ、相当長時間でなければ買い物だって歯医者だってトシヤが家にいても留守番させといて出来るのだけど、要は気持ちの問題。
買い物の途中にカフェでちょっと休憩とか、子どもを留守番させてるときにはやろうって気にならない(てんかんの発作だっていつ出るかわからないし)。


とはいえ、この寒さにガンガン動きまわれもせず、やっぱりいつもどおりに地味にヤットコをにぎるだけ

物事には両面があって、子どもがいることで時間的に拘束されて仕事もままならない代わりに、ひとり暮らしのプチ不摂生な生活が健全な生活に一転するのも事実。

上手に時間をやり繰りしてストレスを最小限にするのが年末年始の目標です・・・せめて行事を楽しめるようになるのはいつのことやら






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執着の落とし穴

2007-12-18 22:51:19 | エッセイストsakura

今朝、私のもとに届いたメールに載せられていた一編の詩を紹介します。

作者は不明だそうですが、アメリカのある病院の壁にひとりのベトナム帰還兵が書き付けたものと言われているようです。

*************************************************

『グリフィンの祈り』

 大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、

謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

より良きことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、

あらゆることを喜べるようにと、命を授かった

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにも関わらず、

心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

***********************************************

私にも夢があって、それを実現するために日々を生きてるわけですが、つまり常に「求めている」状態なわけです。

2500年前に釈迦は、この「求める」ことを「執着」という言葉で表現しました。

こうありたい自分を目指して突き進むことが、いつしか「執着」と呼ばれるものにすりかわってしまうと、叶うものも叶わなくなるんじゃないか・・・。

そう思うようになりました。

今までも思い当たる出来事がいくつかあります。

執着すればするほど、手に入らなくなってしまうばかりか、足を引っ張るような現象が起こってしまう。

こうなったらシアワセだな、楽しいだろうな、でなく「ねばならない」と歯を食いしばってしまうと・・・おじゃんになってしまうような。

夢を描くのはもちろん素敵なこと。

でも、そうじゃなきゃダメだ!とか悲壮な顔をするんじゃなくって、目の前にあることに黙々と取り組んで、自分の大好きなことをやってシアワセを味わうのが大事と思うのです。私はね。

そして、願ったことと反対のことが起こったとしても、必ずそれには意味があり、そこからまた新たな展開が開かれていると信じています。



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いらつく電話

2007-11-06 20:38:40 | エッセイストsakura

前にも書いたと思うんですが、

トシヤがハタチになったあたりから、3日を置かずに夜になると掛かってくる電話があるんです。

以下再現

大抵が、若い女の子の声なんだよね。

「もしもし、ヒロセといいますけどトシヤさんいますか?」 (相手が名乗る名前はまちまち)

キタ━(゜∀゜)━!   どう料理しちゃろか( ̄ー ̄)ニヤリ

「いいえ、いませんが」

「何時ごろ帰られますか?」

「家には帰りませんよ」

普通、この時点で「あ、じゃいいです」って諦める娘が多いんだが・・・

今日の娘は食い下がる。

「え、帰らないんですか?」

「どちらのヒロセさんです?」

「ヨコハマのです」

てか、テリトリー同じだし。意味ないじゃん。

「そういうお知り合いはないと思いますけどー(切れ気味)」

「なんでわかるんですか?そんなこと」

「そんなことお宅にいう必要はないと思うけど(切れる)」

と、ブチっと切る。

てな感じで、毎回忙しいのにこんな電話を受けてるわけですよ。

うちはナンバーディスプレイじゃないもんで

今時、若いもんが知り合いなら個人の携帯にかけてくんのが常識じゃ?

いったい、何の目的なのかいっぺん騙された振りして聞き出したいものだけどねー。

デート商法とか?そういうたぐいなんでしょうかね。

 

でもさ、ホンマにトシヤが電話口に出たらどうなるんだー(´▽`*)アハハ

 

年頃のお子さんがいる方、お気をつけあそばせ

 

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せくすぃー画像公開

2007-10-29 20:40:14 | エッセイストsakura

XJAPAN復活のニュース以来、BGMはずっとXの私です。

今日は『ART OF LIFE』をヘビロテですww

 

さて

諸々の事情で滅多に里帰りなど出来ない私ですが、何年か前に帰ったときに、家にあるアルバムから赤ん坊のころからの写真を何枚か持って帰ったことがありました。

すっかり忘れてたんですが、今日キャビネットをガサゴソしてたら出てきましてね。

アタシにもこういう屈託のない時分があったんだなーぉぃ、ってブログのネタにも困ってたことだし、公開しちゃいます

はい、どーん40数年前のアタシだよ

たぶん、2歳ぐらいでしょーか。

それに、これは自宅ではなく、ご近所さんのお家だと思います。
というのも、私は異常に小さい頃の記憶が残ってて、1歳ぐらいからのことを断片的にですが覚えてるのです。

母からも聞いてたんですが、この頃、ご近所のまだお子さんのいない若夫婦が、夕方になると「ちょっと桜子ちゃん貸して!」といって、私をご自宅へ連れていき私がレコードの曲に合わせて歌ったり踊ったりするのを面白がっていたというのです

母も夕飯のしたくなどで忙しいときに助かるものだから、喜んで貸し出してたそうで・・・

長いこと封印されてたけど、意外とエンターテナーの素質ありですか?(爆)

写真が出てきたから言うわけじゃないんですが、ふと仕事や人生に行き詰まりを感じたとき、いつも思うんです。

私は小さい頃、どんな大人になりたいと思ってたかな?

どういう仕事に憧れてたんだろう?

諦めたとしたら、何が邪魔をさせたんだろう?と。

もしかすると、今からでも間に合うかも、近づけるかも。

諦めずにやってみようかな。

イヤイヤ、今からせくすぃーダンスは踊りませんって

 

 

 

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ひとりで生きていく

2007-10-25 23:45:58 | エッセイストsakura

もう明日は金曜だから、トシヤが帰ってきて週末を過ごします。

そしてまた日曜には群馬へ送っていく。

そういう生活になってもう4年。
平日一人暮らしというのが、すっかり当たり前のことになって、気楽で快適な暮らしを満喫中の私です。

これが私のスタンダードなので何の疑問も感じないけど、どうも私は一般の人に比べるとかなり孤独に強い、っていうか孤独を愛する性質の持ち主のようです。

血縁のある家族はもちろんいますけど、別に顔を合わさなくても、話をしなくても、寂しいと思うことはありません。

私の母方の祖母が生きてたとき(私は学生のときからずっと一人暮らしでした)、よく「ひとりで寂しかろう?」と真剣に心配してくれましたが、「ひとりだから寂しい」という繋がりがよく理解出来ず「うんね(いいえ)、全然」と苦笑いしてばかりでした。

息子が今の学校に入学するときもそうでした。

同じ中学のお母さんたちが「寮に入るなんて、寂しくてたまらないでしょ?よく決心したね」と言ってましたけど、逆に「何で?」と思うくらいわからない感覚でしたっけ。

別に、家に自分以外の誰かがいたとして、それはそれなりに生活していけるんだと思うのですが、それでもその誰かに対して常に常に気を使っているので(無意識に)疲れてしまうんじゃないかと自己分析してます。

単にワガママなのか、ゼイタクな言い分なのか、自分にもよくわからないのですが、今までの経験から、私はひとりでないと力を発揮できないタイプのような気がします(そういうタイプが他にいるのかどうかもわからんが)。

これは偶然なのか、トシヤは普通の人のように会話する必要のない相手なので、私にとってはそういう意味で気を使うことがない稀有な存在なんですね。

この話はまだ続きます・・・。

 

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X JAPANと私のこと

2007-10-23 19:13:58 | エッセイストsakura

X JAPANが10年ぶり再結成!新曲PV撮影にファン1万人(サンケイスポーツ) - goo ニュース

かねてから噂には聞いていましたが、ほんとに再結成するんですね。

ていうか、昨日がPVの撮影だったということは、はるか以前より準備が着々と行われていたということだし、なんか不思議な気がする。

私にとってXJAPAN(厳密に言うとTOSHIさん)は、私がエッセイを本格的に書き始めようと思ったことに深く関わっている、自分の人生で切っても切り離せない思い出のあるバンド(人)なのです。

今から11年前の1996年、私のエッセイが初めて大きな賞をいただいたとき、その表彰式を含めたパーティーで、ソロで歌うTOSHIさんに出会ったのでした。

そのときはまだ小学生だったトシヤもいっしょにいて、彼のすばらしい歌を聴いてました。

日本を代表するバンドのヴォーカルですから当たり前かもしれないけど、生で聴くとど迫力の歌声!

それ以降、私はすっかりXのファンになってファンクラブにも入会。

(ちゃんと会員証のドッグタグも持ってるしー)

11年前の私もオマケにつけましょう(え、いらない?)

たぶんね、今より老けてる・・・(子育て疲れでorz)

 

その後TOSHIさんとは直接お目に掛かるチャンスはなかったけど、私の書いたエッセイを読んでいただいたり、ドームでのライブに招待していただいたりと、そういう繋がりを喜んでいました。

 

ご存知のように、それから間もなくTOSHIの脱退、Xの解散、hideちゃんの逝去と、ファンには辛いことが続きました。

私は、ソロ活動をするTOSHIさんのコンサートには頻繁に足を運び、ときにはトシヤも連れていくこともありました。

そのときのエピソードは、私の著書にも書いてあります。

 

ともあれ、私が本気でエッセイを書いていこうという出来事に深く関わったバンドですから、いまだに曲を聴くときはフラッシュバック的な不思議な感動を覚えてしまう。

あれから10年も経っているのに、トシヤはXの曲やTOSHIの曲を聴かせて「これ、誰が歌ってるの?」と訊くと、

「えっくつじゃぱん!!」

「としたん!」

と、真剣な顔をして答えてくれます(笑)。

ちゃんとわかってるんですね。

 

別に教え込んだわけでもないのですけどね・・・。

 

図らずも、息子が二十歳になったあたりから、それまでを振り返らせてくれるようなニュースや出来事が立て続けです。

 

これはいったい・・・

 

初心に帰れ。

自分の本分を思い出せ。

そういうメッセージが託されているのだろうか?と思う毎日です。

 

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お役所というところ

2007-10-20 05:20:41 | エッセイストsakura

なんかね、連日納得行かないことばかっかりなの、最近(*`д´)ノ。

これ、木曜の話なんですけどね。

 

福祉事務所に特別障害者手当ての申請に行ったのですが、月曜に他の用事でたまたま出向いたときに、初めてこういう援助があるということを知らされたのでした。

「聞いてないよ~( ̄▽ ̄:) 」とビックリしたという経緯がある、ということを踏まえて読んでくださいまし。

「手帳と印鑑を持ってくれば申請手続きできますから、近いうちに窓口に来てください」と、言われたので、出直して行ったつもりでした(今日で手続きを完了出来ると思ったんだわ)。


そしたらね、
窓口で対応した人が、5~6分ガサゴソ席を外したと思ったら、何か紙を持って帰ってきたの。

診断書?

「えっと、主治医にこの診断書を書いてもらってきてください」
「手続きはそれからです」


はぁ?( ̄ロ ̄)

えっとー、月曜にはそのことはひと言もおっしゃってませんでしたが。
しかも、診断書って簡単には書いていただけるものでもありません。

また病院に予約を取って子どもを休ませて? ですね?

そりゃね、ちゃんと手続きしますけどさ、月曜にこのことを教えて診断書の用紙を渡してくれれば三度手間にならずに済んだのではありませんこと?


って、喉まで出掛ったけど、この前の人じゃなかったんでグッとガマン。

うちの場合、子どもが寮にいるからだいじょぶだけど、ふつう障害児がいるとただでさえ外出が難しいのに、お役所(福祉事務所)がこういうことをさせちゃうって・・・どうなんでしょうか? 

やっぱり福祉って施しなんでしょうか?

 
実は他にも、あぁもぉ~(*`д´)ノと思うことあるの。


なんか重なるのかな~~~こゆーこと(_ _;)

 

カラダにごちそうボディエッセンス

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