トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

PKKが南東部マルディンのAKP支部を攻撃。政治家3人負傷

2016年10月31日 | 国内
11月1日 南東部マルディン県クズルテペ地区で、非合法組織クルド労働者党(PKK)の戦闘員が、現政権・公正発展党(AKP)の支部を爆弾とライフルで攻撃し、政治家3人を負傷させました。事件は10月30日午後9時50分に起こりました。

 Hurriyet

支部の前で警備していた警官たちが応戦、発砲し、戦闘中、政治家3人が負傷したと、daily HUrriyet がウエブサイトで報じました。


イスタンブルの金角湾上の地下鉄駅で初の結婚式

10月30日、トルコ初の地下鉄駅結婚式が行われたと、アナドル通信が報じました。アルペル・オダバシュさんとイエシム・デミライさんはイスタンブル市の許可を得て、金角湾上の地下鉄ハリーチ駅の展望テラスで、結婚式を挙げました。

 Hurriyet

式に招かれたゲストたちはハジオスマンオール駅から電車に乗って、午前11時25分、ハリーチ駅に到着しました。その後すぐ、カップルが布で飾られた電車で駅に着きました。キャーウトハネのファズル・クルチ区長が結婚式の司会をし、イスタンブル地下鉄のカスム・ムトゥル総マネジャーや、公正発展党サルイエル支部のサリフ・バイラクタル支部長も、式に出席しました。

5年間、イスタンブル地下鉄の運転手を務めてきた花婿のオダバシュさんは、結婚式で、初の地下鉄駅結婚式ができて、とても幸せと言いました。「マネジャーと結婚式について話しているとき、このアイディアが浮かんだのです。私はヒトと違うことをするのが好き、サプライズが好きなんです。マネジャーはこのアイディアを支持してくれました。私たちはいま、とても幸せ、興奮しています」

イスタンブル市は、希望があれば、イスタンブルの地下鉄駅での結婚式OKと言っています。


裁判所がディヤルバクルの共同市長を逮捕

ディヤルバクル裁判所は、10月30日、南東部ディヤルバクルの共同市長、ギュルタン・クシャナク氏とフラト・アンル氏を逮捕しました。クシャナク氏とアンル氏は、25日、テロ容疑で拘束されていました。

 Hurriyet

左からアンル氏、アタ氏、クシャナク氏


クシャナク氏はディヤルバクル市長に選ばれるまえは、親クルド政党・人民民主党(HDP)の国会議員でした。2人は、非合法組織クルド労働者党(PKK)関連の調査の一環として拘留されたと、ディヤルバクルの検察は声明文で発表しました。

2人はPKKを支持するスピーチを行い、PKK戦闘員に市の財源を使わせ、激しい抵抗活動を扇動し、非合法の会合やデモに出席したとして告発されたと、検察は言っています。HDPの姉妹組織と言われる平和民主党(BDP)の元議員アイラ・アカト・アタ氏も逮捕されました。

最大野党・共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール党首は、10月27日、市長らの拘束を批判し、クシャナク氏とアンル氏がテロを支持していたのなら、なぜもっとまえに拘束されなかったのかと言っています。「もし彼らがテロを支援していたなら、なぜもっとまえに必要な手が打たれなかったのか」


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「CHP副議長への攻撃は計画されていた」クルチュダルオール議長

2016年10月31日 | 国内
10月31日 「共和人民党(CHP)のビュレント・テズジャン副議長を負傷させたテロ攻撃は、計画された行動だ。CHPは挑発に降伏しない決意だ」と、同党のケマル・クルチュダルオール議長が言いました。

 Hurriyet

テズジャン副議長を見舞うクルチュダルオール議長(中央の黒っぽいスーツ)


負傷したテズジャン副議長を見舞うため、西部アイドゥン県を訪れたクルチュダルオール議長は、「今回の攻撃は計画されたものだ。攻撃犯はテズジャンが来ることを知って、その夜、あのレストランを予約していた」と言いました。

テズジャン副議長は、10月29日、共和国記念日に、アイドゥンの同党オフィスのあるビル内のレストランで足を撃たれました。警察は防犯カメラの映像から実行犯を認定し、アイドゥン県クシャダス地区で、攻撃犯アルパルスラン・サルグンを捕らえました。

「この挑発行為を行った連中ができるだけ早く起訴されることを望む。攻撃後、攻撃者たちはすぐに捕らえられ拘束された。アイドゥンの治安当局と警官たちに感謝したい」と、クルチュダルオール議長は言いました。「われわれは、この攻撃は事前に計画されていたと確信している。彼らは事前にレストランを予約し、テズジャンのすぐ後ろのテーブルを希望した。われわれはこの攻撃の背後の力と意志を明らかにしなければならない」

以前にも、CHPの政治家がねらわれたことがあるが、テズジャンをねらった攻撃は、これまでと“異なる種類”のものだと、クルチュダルオール議長は言いました。「CHPが計画的な攻撃を受けたことを、われわれは悲しんでいる・・・私はCHPの全員に呼びかけたい。“彼らがなにをしようと、われわれはわが道を行く。われわれは決して挑発に負けない”」


欧州評議会が死刑復活に関してトルコに警告

10月30日、欧州評議会が死刑復活に関して、トルコに警告しました。

 Hurriyet

エルドアン大統領が「国会に死刑再導入について検討を求めた」と発言した翌日、トルコを含む47か国の組織「欧州評議会」が、「死刑の執行は欧州評議会の加盟国であることと相容れない」とツイートで言いました(10月30日の頁参照)。

オーストリアのセバスチャン・クルツ外相は、評議会の警告に加えて、“EUへの扉を閉めさせるような動き”に対して、トルコを非難しました。「死刑は残酷で、非人間的な刑罰であり、世界中で廃止されなければならない。死刑はヨーロッパの価値観に明らかに反している」と、クルツ外相は、オーストリアン・プレスに語っています。

欧州評議会のトールビョルン・ヤーグラン事務局長は、8月、トルコ政府に対して死刑について警告しています。トルコが批准している「欧州人権条約」は、はっきりと死刑を排除しています。1983年に調印された欧州人権条約は、戦時、または差し迫った戦いの脅威があるときを除いて、死刑を認めていません。2002年の協定では、戦時の条件は終わりました。


リゼの地方詩人がユネスコの“人間国宝”に

黒海地方のリゼに住む詩人、オスマン・エフェンディオールさんがユネスコの“人間国宝”に選ばれました。

 Hurriyet

80歳のエフェンディオールさんは、リゼに伝わるアトマ・テュルキュ(atma turku 東部黒海地方独特の大衆詩の1種)の90%を知っていて、この詩をすべて集めて本にしようとしています。リゼの文化観光局のイスマイル・ホジャオール局長とエルドアン・ベクタシュ知事を訪れたエフェンディオールさんは、「アトマ・テュルキュとは直喩修辞法のことです。私は多くの大衆詩人のために、この文化を次世代に伝えてきました。この仕事のために、リゼの知事さんたちにもお世話になりました」と話していました。

「エフェンディオールさんは、この文化に関心を持つよう、学生たちを教育しています。彼の仕事はリゼの宣伝にもなっています。本にまとめるのは、私たちの文化のためにとてもよいことです」と、ベクタシュ知事もエフェンディオールさんに感謝しています。

「詩に興味を持ったのは10歳のときですから、私は70年間、詩人だったわけです。アトマ・テュルキュは文化的に大きな価値がありますが、その中心はリゼです。私は約200編の詩をそらんじています。私がつくった詩の数はわかりません」と、彼は言い、ユネスコの“人間国宝”認定は名誉なことと思うとも言いました。


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トルコ最大野党CHPの副議長が撃たれ、負傷

2016年10月30日 | 
10月30日 トルコ最大野党CHPのビュレント・テズジャン副議長が負傷したと、10月29日、daily Hurriyet がウエブサイトで報じました。

 Hurriyet

テズジャン副議長は、エーゲ海地方アイドゥン県のレストランで足を撃たれたということです。副議長は同県のアドゥナン・メンデレス病院に運ばれましたが、容態は生命に関わることはないようです。

CHPの国会議員グループのオズギュル・オゼル議長は「CHPはこの攻撃に責任ある者を、法律の範囲内で捕らえる」と言いました。攻撃犯はスローガンを叫んで、レストランを出て行ったと、CNNトルコが報じました。犯人はすぐに捕らえられ、アブドゥラS.と認定されました。


「国会が承認すれば、死刑は“あり”になる」エルドアン大統領

10月29日、首都アンカラの高速列車駅の開場式で、エルドアン大統領が、「国会が関連事項を承認すれば、私も承認する」と、その決意をくり返し、群衆の歓声に応えました。「われわれは死刑を望む」という群衆の声に応えて、大統領は「まもなくですよ、心配しないで、インシャアラー」と言いました。

Hurriyet

「政府はこの(死刑の)問題を国会に提議しました。私は、国会は承認すると思っています。わが国の主権は国民にあるのですから、問題はありません。主権は西欧諸国が言うことではなく、わが国民の意志にあります」と大統領は言いました。トルコでは、1984年以来、死刑は執行されず、2004年には正式に廃止されています。

アンカラの新しい鉄道駅は、トルコ共和国建国93周年の祝日にオープンしました。式典にはビナリ・ユルドゥルム首相ほか国家要人たちが出席しました。トルコ国鉄(TCDD)によると、新しい駅は、1日、5万人の乗降が可能です。駅施設には、134室のホテルと、レストランやカフェ、娯楽施設、店舗、オフィスなど200件の賃貸エリアがあります。

新駅は市の中心から近く、地下・地上の鉄道からアクセスでき、また、900台収容できる駐車場もあります。2億3500万ドル、2年かけて建設された鉄道駅は、2023年の共和国100周年のために計画された、主要なインフラ・プロジェクトのひとつです。


古代エデッサの床モザイクが出土

 南東部シャンルウルファ県の歴史的な“魚の湖”の周辺の発掘で、首都エデッサ(今日のシャンルウルファ)の名で知られるオスロエネ王国(Osroene)時代の床モザイクが出土しました。

 
Hurriyet

この発掘は4.5ヘクタールのエリアで、6年間つづいてきました。これまでに、ローマ時代の墓60基が修復されましたが、最近、5つの床モザイクが、同じエリアで発見されました。モザイクは修復作業後、博物館に展示されます。この床モザイクはシリアクの碑文と細かい彫刻が特徴的だと、関係者は言っています。

シャンルウルファのニハト・チフトチ市長は、エデッサは文明の黎明の地であり、古代の痕跡が随所に見られると言っています。チフトチ市長は発掘された出土品の重要性について語りました。「発掘されたローマ時代の墓の清掃作業中に、私たちは非常に重要なモザイクを発見しました。オスロエネ時代のこのモザイクは岩窟墓の下にありました。これはシャンルウルファの文明の豊かさを示すものです」

「考古学者たちは慎重に作業を進めています。ここで発見された美術品は、ツーリストも地元民も見られるように、すべて岩窟墓に展示します。私たちはシャンルウルファがすばらしい文化の歴史を持っていることを知っています。その文化の豊かさを示したいと思います。私たちはモザイクが観光に大きく貢献すると考えています。これらを修復し、観光に供したいと思います」

オスロエネ王国
首都エデッサの名で知られるオスロエネ王国は、上部メソポタミアにありました。オスロエネ王国は、セレウコス帝国の崩壊から生まれた、いくつかの王国のひとつです。オスロエネ王国は、いまのシリアとトルコの国境に当たる地域を支配していました。AD244年、ローマ帝国に吸収され、王国の独立は終わりました。

・・・わくわくするような、おもしろいモザイクですね。実物が見た~い。お墓から出てきた肖像画ですから、当然、埋葬された人物でしょうね。これ、多分、夫婦でしょうね。


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157トンのアンモニウム硝酸塩が南東部で押収された

2016年10月29日 | 国内
10月29日 ディヤルバクル県ハズロ地区の2か所のアジトで行われた手入れで、憲兵隊が157トンのアンモニウム硝酸塩を押収したと、トルコ軍が発表しました。

 Hurriyet

軍はまた、10月20日から6日にかけて、南東部ハッカリ、シュルナク、ディヤルバクルと、東部ビンギョル、バトマン、アールで作戦を行い、PKK(非合法組織クルド労働者党)戦闘員105人を殺害しました。

今回の作戦は、PKKが冬の準備に着手するのを阻止するために行われたと、軍は言っています。この作戦で、爆発物、ライフル銃、ロケット発射装置、地雷、アンモニウム硝酸塩、手づくり爆弾の原料などが押収されました。軍はまた、南東部マルディン県サヴル地区と、東部トゥンジェリ県オワジュク地区の手入れで、爆弾を積んだ2台の車両を破壊したと発表しました。PKKが所有するシェルター、倉庫、トンネルも破壊されました。

また、トルコ軍戦闘機が、10月27日午後5時5分から17分の間に、北イラク・ザプ県のPKKの拠点を空爆し、5つの拠点を破壊しました。トルコ軍戦闘機は空爆後、無事、基地に帰りました。


トルコは第93回建国記念日を祝った

10月29日、第93回トルコ共和国建国記念日を祝して、共和国建設者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの霊廟アヌトゥカビルで式典が行われました。

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式典には、エルドアン大統領を初め、イスマイル・カフラマン国会議長、ビナリ・ユルドゥルム首相、最大野党・共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール党首、愛国者運動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首、フルシ・アカル参謀総長ら、多くの政府と軍の要人が出席しました。

エルドアン大統領は、アタテュルクの墓前に、赤と白のカーネーションでつくられた星と新月のリースを手向け、他の出席者とともに1分間の黙祷を捧げました。その後、トルコ国歌が演奏されました。エルドアン大統領は霊廟の記録帳に、7月15日の未遂クーデターに触れて、「7月15日の夜、わが国の独立と民主主義と合法的政府を標的にした内外の集団は、国民の勇気と抵抗によって、ふたたび敗北した」と書きました。

トルコは第93回共和国記念日を“大きな誇りと熱意”をもって祝ったと、大統領は言いました。1923年10月23日、ムスタファ・ケマル・アタテュルクはトルコ共和国設立宣言を行いました。その後、大国民会議で投票が行われ、全員一致で、ムスタファ・ケマルがトルコ共和国の初代大統領に選ばれました。それ以来、トルコは10月29日を「共和国の日」とし、毎年、祝賀式典を行ってきました。


ローマ時代の地熱温泉プールが2,3年内に公開される

中央アナトリア・ヨズガト県のサルカヤ地区にあるローマ時代の浴場「バシリカ温泉」が、発掘作業が終る2,3年後に、観光用に公開されます。この温泉プールは、地元では“王様の娘”と呼ばれているそうです。

 Hurriyet

サルカヤのオメル・アチュケル区長は、この浴場はローマ時代の芸術的、歴史的特徴を持っていると言っています。この土地は、ある企業が買収し、発掘作業を始めましたが、地中からローマ時代の円柱の底部や、25メートルプールが出てきました。

「プールの中には、ローマ時代から使われていた洗礼用の石がありました」と、アチュケル区長は言っています。「サルカヤのローマ浴場は、世界に2つしかない地熱温泉のひとつです。ローマ時代に造られた同じような浴場はあちこちにありますが、地熱温泉は2つだけです。このプールの温度は48~49度。現在も温泉が出ている古代浴場のひとつがあるのが、このサルカヤであり、もう一つはイギリスにあります」

2000年昔の癒しの施設
「ローマ人が建てた建物には、みな牡牛の像がありますが、この浴場には、舌を突き出したヘビの像があります。この浴場から、健康と衛生を司る女神の像と、AD140年のローマ皇帝のコイン1枚が発見されました。そのため、私たちは、これは世界最古の温泉治療センターと考えています。もっと古いものもあるかもしれませんが、今まで発見されたものでは、これが最古です」

「私たちは、ここは宗教センターでもあったと考えています。学者たちは、温泉の後ろに,教会の廃墟があったと言っています。十字を記した洗礼用の大きな石が、ここが宗教センターだったことを示しています。25メートルのプールの水は“掘り抜き井戸”から来ています。プールは水路を使わず、自然に満たされています」とアチュケル区長は言いました。

地元行政は、開発局の支援を受け、文化観光省とヨズガト区役所が準備したプロジェクトを促進し、歴史的プールを観光に公開する作業に真剣に取り組んでいます。


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トルコ災害局はイラクのクルド自治政府とともに難民流入対策を討議

2016年10月28日 | 国際
10月28日 トルコはイラクからの難民の大量流入を期待してはいないが、モスルからの難民が北イラクとトルコに流入してくる場合を考慮して、北イラクのクルド自治政府(KRG)とともに必要な準備をしていると、10月27日、ヴェイシ・カイナク副首相が言いました。

 Hurriyet

トルコの災害・緊急管理局(AFAD)の代表団が、先週、アルビルを訪れ、KRGの閣僚と、難民流入が起こった場合の対策を話し合ったと、カイナク副首相がテレビ・インタビューで言いました。副首相はとくに、トルコ国境へ向かってくる難民を収容するために、トルコの「ユーフラテスの盾」作戦が設置した300キロ平方の安全なエリアについて語りました。

“プランA”は住民を彼らの村で保護することだが、難民が出た場合は、トルコ国境とイラクの町テルアファルの間のエリアに難民を収容することを考えていると、カイナク副首相は言いました。トルコは以前、シリア難民を保護するために、この地域に3つのキャンプを用意しましたが、テントや設備はまだ整っていないと、副首相は付言しました。

副首相はまた、2011年、シリア危機が最初に起こったとき、トルコが直面したような大量の難民がモスルから流れてくることは考えていないと強調しました。


トルコは1年中、夏時間で行くことに決めた

ヨーロッパ諸国は10月30日、時計の針を1時間戻しますが、トルコは夏時間のままで行くことになりました。

 Hurriyet

トルコはこれまでは、夏時間の始まりと終わりの日をヨーロッパ諸国に合わせて、10月30日に、時計の針を1時間戻していましたが、先月、政府は、今年の10月末は時計を戻さないことに決めました。

この決定によって、トルコは冬も夏も、グリニッチ標準時(GMT)より3時間早くなり、冬は、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、イタリア、スエーデン、スイス、デンマークのようなヨーロッパ大陸諸国より2時間早くなります。

エネルギー省の通達に応じたこの閣議決定によって、トルコは一年中、デイライト・セーヴィング・タイム(サマータイム)になり、冬時間は実施されなくなります。変更の目的は日照をもっと有効利用することにあります。トルコは今年は、現地時間の3月27日午前3時に夏時間にし、時計を1時間進めました。

2015年は、11月1日に行われた総選挙を混乱させないために、冬時間への変更を1週間遅らせ、11月1日でなく、11月8日に、時計の針を戻しました。


トルコ東部・東南部で、PKKの攻撃で兵士4人死亡

10月27日、南東部ディヤルバクル県で、PKK(非合法組織クルド労働者党)の攻撃で兵士2人が死亡したと、アナドル通信が報じました。

 Hurriyet

ディヤルバクルのハニ地区では、PKK戦闘員による爆発で兵士2人が負傷しました。東部ビンギョル県ギーウ地区では、軍の車両が走行中、PKKの手づくり爆弾によって爆破され、兵士1人が死亡しました。

治安部隊はPKKの戦闘員を捕らえるための作戦を始めています。東部ハッカリ県チュクルジャ地区では、PKKによる迫撃砲弾で、兵士1人が死亡しました。また、チュクルジャで行われた作戦中に、地雷が爆発し、兵士1人が負傷し、病院に運ばれました。

南東部シールト県では、シェルターで歩哨に立っていた兵士1人が落雷で死亡し、1人が負傷しました。


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シリアからのロケット弾が国境のキリス県にヒットした

2016年10月27日 | 国際
10月27日 26日、シリアのイスラム国(IS)が支配している地域から発射されたロケット弾が国境のキリス県にヒットしたと、アナドル通信が報じました。

Hurriyet

エルベイリ地区の畑で働いていた18歳のシリア人女性が軽傷を負い、エルベイリ国立病院に運ばれました。


ギュレン送還交渉のため、法相がアメリカへ発った

ベキル・ボズダー法相は、在米説教師フェトフラー・ギュレンの送還要請交渉のために、10月25日、野党議員らとともに、アメリカへ出発しました。ギュレンは7月15日のクーデターを組織したとして告発されています。

 Hurriyet

「わが国とアメリカの関係を、テロリストごときのために傷つけるべきではない」と、ボズダー法相は、トルコを発つ前に言い、ギュレンの送還のために、新たな証拠をアメリカの法相に提示すると付言しました。「テロリストのために、アメリカとトルコの関係を否定的なものにしたくない・・・トルコにとって、フェトフラー・ギュレンは、アメリカにとってのオスマ・ビン・ラーデンのようなものだ」

「われわれのファイルには、ギュレンの送還にじゅうぶんすぎるほどの証拠がある」と法相は言っています。トルコはこれまでに、アメリカ当局に4部の書類を送り、アメリカ当局によるギュレンの拘束を要請しています。

4日間のアメリカ訪問中、ボズダー法相は、政治・経済・社会研究のための親政府の財団のシンクタンクが主催する、7月15日のクーデターに関するパネル・ディスカッションにも出席します。また、法相はワシントンで、「国民の意志の高まり」に関する国営アナドル通信の写真展を開催します。

「アメリカはギュレンを追い払いたいのだ」チャヴシュオール外相
また、メヴリュト・チャヴシュオール外相は、25日、カナル24局のインタビューで、「アメリカ当局はギュレンを追い払いたいが、トルコに送還はしたくないと思っている」と発言しました。同じインタビューで、外相はまた、「逃亡しているクーデターのリーダー、アディル・オクシュズの居場所は、政府もまだ把握していない。彼には4000万リラの賞金がかかっている」と言いました。


アダナ警察が2人のIS自爆志願者を捕らえた

南部アダナ県の警察が、イスラム国(IS)の戦闘員が住んでいるという内報を得て、イエシルユルト地区のアパートを急襲し、7人を拘束しました。

 Hurriyet

自爆志願者と思われる2人はこのアパートで捕らえられ、他の5人は同じ手入れで、他のアジトで捕まりました。

10月16日、南東部ガジアンテプ・シャヒンベイ地区のISのアジトの手入れでは、手入れ中にIS戦闘員が自爆したため、警官3人が死亡し、8人が負傷しました。ガジアンテプ警察は、市内のアレヴィ文化協会センターを標的にした自爆テロを計画しているという情報を得て、この手入れを行いました。


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本家「スルタナメト・キョフテ店」はこの店と、裁判所が判決

2016年10月25日 | 国内
10月26日 イスタンブル裁判所は4年間の法的調査の末、どの店がほんとうの「スルタナメト・キョフテ(ミートボール)店」(Sultanahmet Koftecisi)か判決を下しました。

Hurriyet
この店が本家スルタナメト・キョフテ屋です。


これによって、食品会社「スルタナメト食品サナイ」は、スルタナメト・キョフテ店のオーナーである食品会社「エリト食品」に賠償金を払わなければならなくなりました。裁判所は、1920年にメフメト・セラジェッティン・テズチャクンの祖父が設立した「エリト食品」の「スルタナメト・キョフテ店」が本家スルタナメト・キョフテ店であると判決しました。

裁判所はまた、看板や宣伝やコマーシャルで、テズチャクン一族が所有する“Sultanahmet Koftecisi”というブランド名を他社が使うことを禁じると規定しました。被告の会社“sultanahmetkofteci.com.tr”のウエブサイトは消されます。また、スルタナメト・キョフテ店の設立者メフメト・セラジェッティン・エフェンディの孫たちには、賠償金62万6993リラが支払われると、裁判所は判決しました。

長年にわたってコピー店と闘争してきた「エリト食品」は、4年前、知的産業財産裁判所に同社のブランド権侵害を阻止するために告訴しました。告訴によると、同社は1920年に設立され、“Sultanahmet Meshur Halk Koftecisi”と名乗り、その後、“Sultanahmet Koftecisi”に変更しました。テズチャクン一族は2000年に“1920 Sultanahmet Meshur Halk Koftecisi”のブランドの特許を取っています。

2011年、テズチャンク家はブランド権を、ムスタファ・メルト・テズチャンクとイスマイル・ティムル・テズチャンクが所有する「エリト食品」に移行しました。レストランは多くの有名人を惹きつけ、旅行ガイドブックにも掲載されました。

これが本家のキョフテ。この写真は、この夏、私が撮りました。


「スルタナメト食品サナイ」社の弁護士は、2つのブランドは似ていないと言い、このケースを取り下げるよう要請しています。「原告はブランドに関して投資していません。私のクライアントはブランド権に違反していないし、不正な競合もしていない。“スルタナメト・キョフテ”はひろく使われていることばです」と弁護士は言っています。「私のクライアントは自身のブランドを使用し、それに投資してきました。このケースは否認されるべきです」

反対に、「エリト食品」の弁護士は、被告の会社は、原告のブランドの名声を利用していると言っています。「被告は悪意をもってブランド登録をし、原告のブランドの名声を利用してきました。私たちは100年来、原告のものであるブランドが侵害されるのを阻止しようとしているのです。私たちは裁判所に賠償命令を要請しています」

裁判所は「エリト食品」の要請を受け入れ、被告に賠償金を支払うよう命じました。

・・・原告の本家Sultanahmet Koftecisi は私のお気に入りのお店です。イスタンブルの私の定宿と近いこともあって、滞在中は、トルコ人や日本人の友人と、あるいは1人で、2,3回は食べに行きます。もちろん、おいしいからです。お肉がいいのか、スパイスの配合がいいのか、とにかくおいしい。看板にSelim Usta という文字があるのが本家ですから。


トプカプ宮殿の修復が始まった

7月、トプカプ宮殿の宝物室の壁に、深い亀裂が見つかったため、約1000万リラの予算で、トプカプ宮殿の大修復作業が始まりました。

 Hurriyet

裂け目の発見によって、いま、宮殿の一部は非公開になっています。文化観光省は亀裂の原因究明のための調査を行っていますが、この亀裂の原因は、宮殿の隣りのギュルハネ公園の塀の一部が崩壊した事件とも関係があるようです。公園の塀の崩壊では2人がなくなり、5人が負傷しました。

トプカプ宮殿博物館当局はイスタンブルの第4保護委員会に詳細な調査を要請し、委員会は問題が地表にあることを突きとめました。専門家の報告によると、1940~1960年に、宝物室の円屋根と天井の修復のために使われたコンクリートが、建物に過剰な重みをかけているということです。この重圧と、マルマラ海で周期的に起こる地震活動との相乗作用で、建物はまさに崩壊の危機にあるそうです。

「現状では、宝物室はマグニチュード5の地震にも耐えられない。早急な対策が必要」と、専門家は言っています。今回の調査で、宮殿の資料保管所と倉庫も、宝物室と同様な状態にあることがわかり、修復チームは土壌検査を行うために、地面に穴を掘って調査することにしました。地表の崩れが起こった原因を突き止め、地面を強化する方法を決めるそうです。

地面を強化するための土壌の観察・調査・査定には6か月はかかるでしょう。修復のための穴掘り調査は26か所で行われ、地面に振動が起こるでしょう。修復作業は2017年末までに終わる予定です。


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ギュレニスト容疑の外交官ら35人がドイツに亡命を求めている

2016年10月23日 | 国内
10月24日 7月15日の未遂クーデター以来、何十人ものトルコの外交官と軍の将校、その家族たちがドイツに亡命を求めていると、内務省は言っています。

 Hurriyet

トルコの外交官パスポートを持った35人が、亡命を申請していると、内務省が言いました。国会の質問に、当局は、亡命を求めている人々の身元、地位、申請の状況などの詳細は明かしていません。

トルコ政府は、7月15日の未遂クーデター後、多くの外交官や軍職員を、フェトフラー・テロ組織(FETO)との関連容疑で解任しました。FETOはクーデターを組織したと考えられています。ベルリンの駐在武官のアイハン・ダール大佐を初め、多くの容疑者が、ヨーロッパ諸国に亡命を求めています。内務省は、トルコ政府による引渡し要請が、地方裁判所で、ケースバイケースで審議されるだろうと言っています。

300万人のトルコ人コミュニティを持つドイツは、在米の説教師フェトフラー・ギュレンの信奉者たちが、何十校もの私立学校や、ビジネスやメディア組織によって大きなネットワークをつくっている国のひとつです。

先月、トルコはドイツ当局に正式に、2人の検事ゼケリヤ・オズとジェラル・カラを見つけ出し、逮捕し、引き渡すよう要請しました。2人は、2013年の、政府上層部を標的にした汚職調査じけnで、重要な役割を演じました。ドイツはギュレニストを疑惑をもって見ていますが、彼らはドイツ国内では非合法なことはしていません。ドイツ当局は、このような場合、犯罪の具体的な証拠がなければならないと主張しています。


「トルコ砲兵隊がバシカでISを砲撃している」ユルドゥルム首相

10月23日、アメリカのアシュトン・カーター国防長官が、イラクのモスル近くのバシカを訪れた数時間後、ユルドゥルム首相が、トルコ砲兵隊がバシカでISを砲撃していると言いました。

 Hurriyet

エーゲ海岸のアフィヨンカラヒサル県にいたユルドゥルム首相は、記者団に「イスラム国(IS)に対するトルコの砲撃はペシュメルガの要請で始まったと語りました。連合軍がイラクのISの最後の砦バシカに攻撃をかけ、ペシュメルガの戦闘員たちがISからバシカを奪ったと、首相は言いました。

イラクのクルド自治政府のバルザニ大統領は、アメリカのカーター国防長官に、クルド人はバシカをISから解放することに成功したと語りました。記者たちは、モスルの北東12キロのこの町に入ることは許されていません。

トルコとイラクは、バシカ近くのトルコの訓練キャンプに関してもめて、イラク当局はトルコ軍にキャンプを去るよう要求していましたが、トルコ軍はペシュメルガの要請でバシカを砲撃し、バシカは解放されました。

・・・「ペシュメルガ」とは、イラク領クルド自治政府が保有する軍事組織です。


ギレスンで囚人たちがスタジアムでサッカー試合を観戦

黒海地方ギレスン県の地方検事が、囚人たちに、地元のギレスンスポルとボルスポルのサッカー試合の観戦を許可し、囚人たちは、10月22日、試合を楽しみました。

 Hurriyet

囚人たちは「ギレスン刑務所はギレスンスポルの勝利を祈る」と書いた横断幕を張りました。ギレスンスポルの選手たちも、それを見て囚人たちに拍手を送りました。60人の囚人たちは、オザン・カヤ主任検事の許可を得た後、看守とともに、ゴールの後ろで試合を観戦しました。

カヤ検事は、囚人たちを社会になじませ、また彼らの心の健康を改善するチャンスを与えるために、この決断をしたと言いました。「私は、以前、勤務していたチョルムや、チャンクルや、シノップでも、同様なイベントをしてきましたよ」

試合は残念ながら、ボルスポルが2-1で勝利しました。


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政府は南東部のために新たに治安警備員5000人を募集する

2016年10月22日 | 国内
10月23日 政府は東部・南東部アナトリアのPKK(クルド労働者党)との戦いのために、5000人の“村の警備員”の追加募集を決めました。

 Hurriyet

10月20日、首都アンカラの大統領宮殿での会議で、シュレイマン・ソイル内相は、エルドアン大統領からNGO代表49人や南東部のオピニオン・リーダーたちまでの出席者たちに、警備員の新たな募集を報告しました。この計画では、新たに募集される職員たちは、従来の“村の警備員”という呼称から“治安警備員”という名に変えられます。

これまで、村の警備員は5年に1度、4000リラの武器使用料を国家に支払っていましたが、政府はこれを取らないことにしました。警備員の収入と社会的権利も改善され、退職年齢も現在の55歳から、40歳~45歳に引き下げられます。新しい制度では、退職した警備員の親族も保障されます。

エルドアン大統領は会議でのスピーチで、最近のイラクのモスルの状況と、シリアの「ユーフラテスの盾」作戦について話しました。大統領はトルコの“越えてはならない一線”について語り、イラクとシリアの戦闘による、さらなる移民の可能性も警告しました。

憲兵隊の総司令官は、軍の権限で、9月4日、35歳以下の臨時の“村の警備員”1000名を、特務軍曹として募集することを決めていました。この決定によれば、東部・南東部のPKKに対する作戦を行う特別チームは、“村の警備員”で結成されることになるでしょう。


「アメリカはトルコの強力な同盟国でありつづける」米国防長官

アメリカのアシュトン・カーター国防長官は、10月21日、トルコ国会を訪れ、7月15日のクーデターでダメージを受けた部分を見て、「アメリカはトルコの民主主義を支持しつづける」と言いました。

 Hurriyet

「私は弔意を表したい。トルコ国民は民主主義と自由のために戦いました。アメリカも、全世界も、その映像を見ました。全世界が恐ろしい事件のヒーローたちを見ました」と、アンカラを訪れたカーター長官は記者団に語りました。「わが国はトルコの強力な同盟国でありつづけます。わが国はトルコの民主主義を支持します」

アメリカの国防長官は、イスラム国(IS)との戦いでトルコとイラク間の緊張が高まっていることについて、トルコ当局と会談するため、10月21日、アンカラに到着しました。長官はエルドアン大統領、ユルドゥルム首相、フィクリ・ウシュク防衛相と会談しました。

カーター長官は、トルコ訪問後、アラブ首長国連邦のリーダーたちと会談するため、同国へ向かう予定です。


9月、トルコでは3700社が設立された

10月21日、トルコ・チェムバー&商品取引所連合(TOBB)が発表したレポートによると、9月、3700社以上の新会社が設立されたそうです。しかし、2015年9月以来、会社設立数は29.03%減少し、昨年9月に設立された会社は5219社でしたが、今年9月は3704社に落ちたと、TOBBは言っています。

 Hurriyet

9月、832社が廃業していますが、これは2015年9月に比して21.99%の増加です。レポートによると、2016年1月~9月に新たに設立された会社の数は、昨年同期に比して3.89%減少し、48,051社になりました。

レポートによると、9月、外国と共同経営の会社が259社設立されましたが、その中の119社は、シリア人が直接設立したか、シリア人との共同経営です。


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450人の孫がいるおばあちゃんは130歳だって??

2016年10月22日 | 国内
10月22日 南東部ディヤルバクル県に住む97歳の女性は、自分は3回結婚し、450人の孫がいると言っています。また、彼女の親族たちによると、おばあちゃんは130歳だそうです。

 Hurriyet

ディヤルバクルのスル地区に住むシャヒ・タユラクさんは、3年前の計算で、孫が450人いるということです。もし彼女がほんとうに130才だったら、世界一の最高齢者ということになってしまいます。

タユラクさんの娘のテルリエ・タユラクさんは、「母の身分証明書の年齢は1919年生まれですが、まちがいかもしれません。だって、私の生年が1926年なんですから」と言っています。「家族は、母は130歳だろうと推定しています」と、90歳になるテルリエさんは言いました。

「母とおしゃべりして、昔話を聞くと、驚かされます。母は、人々が貧しくて、衣服も靴も買えなかった頃のことを話します。母の孫の総数を数えるためには、私のきょうだい、従兄弟、甥、姪、孫たちに電話してリストをつくらなければなりません」と、テルリエ・タユラクさんは言いました。

いま、息子の1人といっしょに、スル地区に住んでいるシャヒ・タユラクさんの親族たちは、彼女がこれまでに病気したのは、1度、胆嚢から石を取る手術をしただけだと言いました。彼女は15年前、骨のスキャンを受け、骨年齢は97歳と言われたそうです。彼女の子供たちは、シャヒおばあちゃんのほんとうの年齢を知るために、もう1度、骨の検査を受けさせたいと言っています。


南東部の作戦でPKK戦闘員33人が殺害された

PKKの戦闘員33人が、南東部ハッカリ県の作戦で殺害されたと、10月21日、トルコ軍が発表しました。

 Hurriyet

「10月21日朝のドローン攻撃で、ユクセコヴァのディレクリ・ニザル山にいたPKK戦闘員6人が死亡した。また、10月20日、イラク国境の山岳部チュンクルジャの作戦中、26人のPKK戦闘員が殺害された」と、トルコ参謀総長が言いました。ディヤルバクル県リジェ地区でも、10月20日、治安部隊との戦闘で、PKK戦闘員1人が死亡しました。

治安部隊はまた、10月20日、南東部マルディン県のサヴル地区で、3トンの爆発物を積んだ車両1台を破壊しました。


「トルコのモスル作戦への介入をトルコとイラクが合意した」米国防長官

「トルコとイラクが、イスラム国(IS)からモスルを奪還するための軍事作戦に、トルコが介入することを原則的に合意した」と、10月21日、アメリカのアシュトン・カーター国防長官が言ったと、CNNトルコが報じました。

 Hurriyet

「作戦でのトルコの役割の詳細はまだ具体化していないが、イラク政府からの確認を待っている」と、カーター長官は言いました。ロイターによると、「トルコの介入には、イラク政府の合意が必要であり、私は原則的な合意はあると考えている」とカーター長官は記者団に言ったそうです。「われわれはその実現のために、するべきことをしている」

イラク北部の都市モスルをISから解放するための作戦に、トルコは10月17日から参加していますが、それがトルコ政府とイラク政府の間の論争の種になりました。イラクはバシカのキャンプにいるトルコ軍を不法だと宣言し、トルコ軍に撤退を求めました。一方、トルコはその主張を否定し、トルコ軍は招かれてイラクにいると主張しました。

「トルコの戦闘機がモスル奪還のための作戦に参加することで、トルコとアメリカは合意に達した」と、10月18日、トルコのビナリ・ユルドゥルム首相は言い、「必要とあらば、トルコのF16戦闘機が、クエートを基地とする司令センターの要請に応じて出動する」と付言しました。


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