トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

エディルネのセリミエ・モスクがユネスコの世界遺産に

2011年06月29日 | 文化
6月30日 日本では「平泉の文化遺産」で大喜びですけれど、トルコのエディルネのセリミエ・モスクもユネスコの世界文化遺産に登録されました。
16世紀の偉大な建築家シナンの最高傑作といわれるセリミエ・モスク、ごらんになった方も多いでしょう。

 Hurriyet

シナンは90歳のとき(80歳という説もありますが)、スルタン・セリム2世の要請を受けて、この壮麗なモスクを建てました。
トルコは1982年以来、イスタンブール市、ディヴリーイのウル・モスク、トロイ、サフランボル、パムカレ、カッパドキア、ネムルート山、クサントスーレトゥーン、ハットゥシャシュがユネスコの世界遺産に登録されています。

イスタンブール=エディルネ間はノン・ストップの特急バスも走っていて、日帰りもできます。まだごらんになっていない方は足をのばしてみたら。できれば1泊して、古都の雰囲気も楽しんできてください。


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初国会は開いたけれど、BDP系無所属議員がボイコット

2011年06月29日 | 国内
6月29日 永田町もいまやぐしゃぐしゃですが、トルコ政界も揺れています。
28日、初国会が開催されましたが、クルド系政党BDPの支持で当選した無所属議員たちが、そろって国会をボイコット。まえからボイコットすると言っていましたけどね。

彼らの仲間のハティプ・ディジュレ氏が先日の選挙で当選したのに、高等選挙委員会が当選無効の決議をしたことに対する抗議です。

 Hurriyet

最大野党・共和人民党(CHP)のオクタイ・エクシュ議員が最高齢者として議長を勤めましたが、開会式後、彼は短いスピーチをし、「議員が8人も拘留中で、ボイコット議員も多い国会なんて開闢以来だ。これは、われわれが達成した民主主義の栄光ある議会とはいえない」と語りました。
 トルコは民主主義を維持する唯一のムスリム国なのだから、周囲の国々の範となる義務があると、エクシュ氏。

CHPの議員は議会の宣誓式には出席しましたが、宣誓は拒否しました。これはエルゲネコンがらみでメフメット・ハベラル議員とムスタファ・バルバイ議員が拘留されていることに対する抗議です。

エルドアン首相は来週の信任投票を無事終わらせるために懸命です。第3期エルドアン内閣も滑り出し順調とはいかないようです。


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シリアがトルコ人トラック運転手に嫌がらせをはじめた

2011年06月28日 | 国際
6月28日 シリアからトルコへ逃れてくる難民の数は、ついに1万1458人に達したと、「トルコ総理府緊急自然災害部」が発表しました。
トルコ政府はトルコ国境近くにいるシリア市民にも、6月17日から食料支援をつづけています。

Hurriyet

ところが、トルコのその支援がアダになって、シリア経由で中東に向かうトルコ人トラック運転手たちが、トルコの官民から嫌がらせを受けているのです。
「トルコはなんで裏切り者たちを助けてるんだよ、と言われました」と、シリア経由でイラクに向かうトラック運転手のハサン・チェティンさん。


 Sabah

同じくトラック野郎のメフメト・メルジメキさんは「ガソリンスタンドでガソリンはないと言われた。あるのは、わかってるのに」と言っています。
ニメット・マラムさんも「入国手続きも、トルコ人と見ると、あっち行け、こっち行けと、わざと手間取らせる。1か月前まではトルコ人優先だったんだぜ」と怒っています。

 トルコに逃げ込むシリア難民は、シリア人にとって裏切り者のようです。シリア人を助けて、シリア人に恨まれるなんて!


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創立120年を迎えたイスタンブール考古学博物館

2011年06月28日 | 文化
6月27日 アレクサンドロス大王の石棺で知られるイスタンブールの考古学博物館。皇室博物館としてオープンしたのは19世紀、オスマン時代末期です。

    創立120周年を迎えた博物館ですが、今月、創立以来、最も多い入場者がありました。


Hurriyet

博物館をつくることが決まったのは1869年ですが、省庁の認可や資金不足などで足踏み状態がつづき、考古学者オスマン・ハムディ・ベイの努力でオープンしたのは1891年です。

近代化、西洋化をめざしていた時代に建てられた建物は、当時、流行だったネオ・クラシック様式の影響を受けています。外観も内部もヨーロッパの小宮殿のようですね。
建物の設計者は、あのペラパレス・ホテルを設計したアレクサンダー・ヴァローリー。

いま、「イスタンブールの皇帝たち:ヒッタイトからオスマンまで」という展示をやっているそうです。おもしろそうですね。年末までやっているそうなので、ぜひ見てきます。

8月はマルマラ海底トンネルの工事中に出てきた出土品に関する大規模な写真展示もあります。なにしろ、あのトンネル工事では、ビザンティン時代の船だけでも30隻も出てきたのです。

この都市の歴史は考えられていたより古く、8500年の歴史があることがわかりました。どこを掘っても出てくる遺物。イスタンブールの考古学博物館はいくら増築しても追いつきません。
 


   
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“隠れアルメニア人”がルーツを公表しはじめた

2011年06月26日 | 国内
6月26日 トルコにはオスマン時代からアルメニア人が多く、いまもトルコ国民の中にアルメニア系の人が大勢いることはご存知ですよね。
アルメニア系の人々はキリスト教徒と一般には思われていますが、実はイスラムを信奉するアルメニア人も大勢いるのです。

共和国誕生以来90年、彼らはアルメニア系であることを隠し、スンニー派ムスリムあるいはクルド系アルヴィー教徒として暮らしてきました。
ところが、近頃、「私はムスリムですが、アルメニア人です」と公言する人が増えてきたというのです。トルコの民主化が進んで、隠す必要がなくなったためと彼らは言っています。

 Hurriyet

自分はスンニー派ムスリムだというガフル・テュルカイさん(写真)は、ディヤルバクルに住むアルメニア人。
「民族と宗教は別個のものです。私はムスリムとして育ち、いまもムスリムです。宗教は大切なものです。でも、私は私の言語であるアルメニア語を学びたいと思っています」と言っています。

テュルカイさんが自分の本当の名はオハンヤンだと教えられたのは15歳のときだそうです。そのとき、自分がアルメニア系であると知ったわけですね。
「宗教は自分で選べますが、民族は選べません」

「トルコ歴史協会」(TKK)の前会長ユスフ・ハラチュオールさんは「隠れアルメニア人はトルコ全国にいます。いま、そのアイデンティティを公表する人が増えてきているのです」と言っています。

オスマン帝国崩壊、トルコ共和国誕生の歴史の中で、なりゆきで、あるいは保身のためにムスリムになったアルメニア人も多いでしょう。そして、2代、3代と世代が移れば、イスラム文化が自らの文化になってしまった人も多いはずです。
それでも人は自分のルーツ、民族にこだわろうとする。民族とはなんだろうと改めて考えさせられますね。 

◆多民族国家トルコに興味のある方は、拙著をどうぞ。
だからイスタンブールはおもしろいー 多民族都市の実感的考察』(藤原書店刊)

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アンカラの刑務所が博物館になって、トルコの暗い過去を公開

2011年06月24日 | 文化
6月25日 アンカラのウルジャンラル刑務所の一部が博物館になって一般公開されます。
この博物館は1980年以前の、トルコの混沌の時代に焦点をあて、刑務所に残された受刑者たちの姿を見せるというもの。

混沌の時代、反体制のジャーナリストや、作家、政治家、知識人たちがこの刑務所に服役しました。22体の受刑者の蝋人形が雑居房や独房に配置されているそうです。

 Hurriyet

81年前にできたこの刑務所の暗い過去を人々の記憶に残しておきたいという地元の人々の要望から博物館は生まれました。

この博物館は人々にトルコの過去を垣間見てもらい、“悲劇をくり返してはならない”と訴えるものだと、ヴェイセル・テルヤキ市長は言っています。

「博物館をつくるのは市の仕事ではないかもしれませんが、われわれは若い人にトルコの現代史をこの博物館によって知ってもらいたいのです」と市長。

リアルな蝋人形や、拷問の犠牲者の叫び声など、ちょっとコワイかもしれませんが、1970年代後期と1980年9月12日のクーデター後の、死刑と拷問の時代について知っておくことも必要でしょう。

見学はAM9:00~PM5:00。10人ずつグループになって入場し、1時間で見学します。


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ギュル大統領、「トルコ語オリンピック」参加の学生たちと会見

2011年06月24日 | 文化
6月24日 アブデュル・ギュル大統領は火曜、チャンカヤの大統領官邸で、「第9回トルコ語オリンピック」に参加した学生たちと会見しました。

 Cumhuriyet

「私にとっては皆さんひとりひとりが、皆さんのお国の親善大使です。トルコ語はトルコだけで話されているのではありません。世界で30億の人々がトルコ語を話しています」とギュル大統領。

トルコ語オリンピックは「国際トルコ語教育協会」(TURKCEDER)の主催で、6月15日から30日まで行なわれています。
競技はトルコの24県で行なわれ、授賞式は25日、アンカラで行なわれます。

今年は130か国から来た約1000人の学生がトルコ語の力量を競いました。


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クルドの都市ディヤルバクル市長、クルド問題を語る

2011年06月22日 | 国内
6月23日 6月12日の総選挙で、クルド系政党・平和民主党(BDP)は大躍進し、36人の候補者を国会に送ることができました。

BDP党員でもあるディヤルバクルのバイデミル市長は「交渉と対話がクルド問題解決のカギ」とし、「選挙の成功で、BDPは対話のための新たなチャンスを得た」と語りました。
バイデミル市長は生まれも育ちも東部の都市ディヤルバクル、自身もクルド系です。


 Hurriyet


トルコはいま、アルメニア問題、キプロス問題、クルド問題という3つの難題を抱えていますが、いちばんの難問はクルド問題です。
あのオジャランの不法テロ集団PKKとリンクしていると言われるBDPの躍進は、現政権にとって、正直、嬉しいことではありません。

選挙運動中、クルド系の人々がイスタンブールでハデな暴力デモを行ないましたが、これについてバイデミル市長は、「エルドアン首相を初め他党リーダーたちはBDPに対して非常に厳しい言辞を弄した。それがあの事件を引き起こした。
だが、選挙は平穏に終り、わが党は躍進したことを私は喜んでいる」と語りました。

トルコ政府が近年、クルド系国民に対する態度を改めてきたことを認めたうえで、バイデミル市長は、クルド弾圧の歴史をみながもっと知って欲しいと言っています。

バイデミル市長はまた、ディヤルバクルに国際空港を建設する計画を発表。ディヤルバクルはこの空港によって中東のセンターになるかも。

「われわれが求めているのは抑圧されない自由と思想です。私は困難はあっても、生まれ育ったディヤルバクルに住みつづける決心をしました。私がわが国を、そしてわが都市を去ることはありません」と、最後にバイデミル市長は言いました。


  
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イブラヒム・タトゥルセスが元気な姿をカメラに

2011年06月21日 | 
6月22日 超有名な民謡歌手で俳優のイブラヒム・タトゥルセスが、日曜、ドイツから帰国後初めて、カメラの前に姿を現しました。
入院中の病院のテラスに現れたタトゥルセスは立ち上がり、ファンに手を振りました。

 ファンに手を振るイボ Hurriyet

タトゥルセスは去る3月、テレビ・ショウ出演の後、局を出たところを銃撃され、頭部に負傷。ドイツで治療を受けていましたが、今月帰国し、イスタンブールの病院でリハビリ中です。


「イボ」という愛称を持つタトゥルセス、ヤクザ世界とのつながりも噂されますが、その人気は北島サブちゃんの比ではありません。

クルド+アラブ系のタトゥルセスはシャンルウルファの生まれ。病院から手を振る写真を見ると、頭にはまだ白い包帯が見え、腕も細く、痛々しく見えますが、奇跡的な回復です。復帰を待つファンは多いのですから、早い回復を!
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トルコ人に人気高まるボスニア観光

2011年06月20日 | 観光
6月21日 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ観光旅行がトルコ人の間で人気のようです。

ボスニアはバルカン半島北西部に位置する小さな国ですが、美しい自然と豊かな歴史に根ざした文化遺産が諸外国からのツーリストを惹きつけてきました。

Zaman

ボスニアは15世紀後半から19世紀後半までオスマン帝国の支配下にあり、とくにイスラム化、トルコ化が進んだ地域でもありました。

写真の橋はスタリ・モストと呼ばれる、16世紀建造の橋で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの代表的なオスマン建築のひとつ。ボスニア紛争で破壊されましたが、その後、復元され、ユネスコの世界遺産に登録されています。

ボスニア観光はトルコ人にとって特別の思いいれがあるのかもしれません。 


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