トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

「トルコはヨーロッパ一の農業生産国をめざす」エルドアン大統領

2015年04月30日 | 国内
5月1日 トルコは2023年までに農業収入を倍以上にしたいと、エルドアン大統領は言い、わが国はヨーロッパでトップの農業生産国だと主張しました。

 Hurriyet

「トルコはいま、フランスやイタリアやスペインを抑えて、ヨーロッパ最大の農業国です」とエルドアン大統領は、29日、アンカラの集会でスピーチしました。

「わが国の農業収入は2014年、610億ドルに達しました。政府は2023年までに、1500億ドルに増やすことをめざしています」と大統領は言いました。「2023年までに農業輸出を400億ドルにしたい」

トルコ統計局によると、2014年、トルコは農産物の輸出で187億ドルを稼ぎました。メフディ・エケル農相によると、トルコは現在、農産物、食物、家畜の輸出で、ヨーロッパで7位にランクされるということです。4月27日、中央銀行は、最近のインフレによる食物の価格高騰を非難し、食物供給を改善するために、さらなる対策が必要だと警告しました。

しかし、エケル農相はこの問題を無視し、野菜とフルーツの価格の高騰は“選挙投機”と関連していると言っています。


14歳以下の子供の労働条件に関する新法導入

 14歳以下の子供は、アート、文化、テレビ、広告の分野でのみ、1日最大5時間働くことが許可されるという新法が、最近、通過しました。4月23日から有効になった、新しい「職業上の健康と安全法」は、14歳以下の子供の労働条件を規定しています。

 Hurriyet

幼い子供が働くことは前から禁じられていましたから、従って、子供の労働条件に関する規制はありませんでした。ラジオ・テレビ最高委員会のダヴト・オルスン会長は、今度の新しい規制は、とくにテレビ・ドラマに出演する子供たちを支援することを目的としていると言っています。

「14歳以下の子供が働くことは、法的に許されていませんが、今度、アート、文化、テレビ、広告の分野で働く子供は、1日5時間まで働くことを許可されました」とドゥルスン会長は言いました。

国際的には18歳以下を子供と見なすということで合意されています。ドゥルスン会長は、子供を働かせてはならないというのが一般的ルールだが、今度の「職業法」は“特殊な状況”をカバーするものだと説明しました。

「14歳以下の子供を雇うことは絶対に禁じられていますが、テレビ・ドラマや広告では、14歳以下の多くの子供たちが規制の対象にならずに働いていることは周知の事実です。新法は特殊な状況にある子供たちを例外として認め、これらの子供たちの労働条件のための道を開いたのです」

おむつの広告に子供が出たと文句を言う人はいないと、ドゥルスン会長は言いました。しかし、テレビ・ドラマではしばしば限界を超えることがあり、そのため、多くの子役が学校に行けないことも起こります。「この新法によって、子供たちは制限内で働くことができるようになります」とドゥルスン氏は言い、新法は子役を学校に行かせるためのものだと力説しました。


トルコの3大学が“ベスト・ヤング大学”のリストに入った

コチ、サバンジュ、ビルケントの3大学が、創立50周年以内の世界のベスト100大学にランクされました。

 Hurriyet
サバンジュ大学のキャンパス、いい感じですね。


「タイムズ高等教育」誌が、2015年4月30日、創立50年以内の若い大学の中から、ベスト100大学をランクづけしました。初めてトップになったのは、スイスのローザンヌ連邦工科学校。第2位は韓国の科学技術ポハン大学でした。

トルコのサバンジュ大学は13位、ビルケント大学は28位、コチ大学は51位でした。「サバンジュ、ビルケント、コチの3大学は、若いだけでなく、私立大で、自由で柔軟な運営が利点になりました」と同誌は言っています。

ベスト・ヤング100大学のリストに3大学が入ったのは、フィンランド、香港、ポルトガル、韓国、スエーデン、台湾、トルコでした。


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トルコ・キプロスの新大統領がギリシャ・キプロス大統領と会談する

2015年04月29日 | 国際
4月30日 ギリシャ・キプロスのニコス・アナスタシアデス大統領が、5月2日、停滞している和平トークを前進させるために、新たに選ばれたトルコ・キプロスのムスタファ・アクンジュ大統領と会うだろうと、28日、ギリシャ・キプロス政府のスポークスマン、ニコス・クリストドゥリデス氏が語りました。

 Hurriyet

ギリシャ・キプロスとトルコ・キプロス間の和平トークは、昨10月以来、停止状態ですから、5月2日の会談は、2014年9月以来の両サイドのリーダーの話合いになります。「わが国の大統領はアクンジュ氏と長時間、電話で話合い、2人は5月2日の正午に会談することで合意しました」とクリストドゥリデス氏は言いました。

穏健主義者のアクンジュ氏は、4月26日、トルコ・キプロスの大統領選で勝利し、何十年も島を分断している紛争の解決に新たな刺激を与えることを誓いました。4月30日、彼は北キプロス・トルコ共和国(TRNC)の大統領として宣誓するでしょう。

エルドアン大統領との電話
エルドアン大統領とアクンジュ氏は電話で話合い、両者間の緊張は和らいだということです。「4月27日のエルドアン大統領との電話は、私の大統領選勝利の祝辞でした」と、アクンジュ氏は言ったと、アナドルニュースが報じています。

「私たちは手短に話しました。エルドアン大統領は空港で発つところでしたから。大統領は私に、公式訪問としてトルコに来るかどうか尋ねました。もちろん、行きますと、私は答えました」とアクンジュ氏。「両国の間は、母国と子供の関係でなく、兄弟姉妹の関係であるべきです」


「原発の広告に騙されて出演させられた」と言う俳優

原発のプロモーション・フィルムに騙されて出演させられたと言っている俳優がいます。「私は左派的意見の持ち主です。私は政治劇に出演し、個人的にずっと反体制派で来ました」と俳優アイハン・カナルさんはラディカル紙に語り、“あるエレクトロニクスの会社”の広告だと私に信じ込ませた制作会社を訴えると言っています。

 Hurriyet

2011年、ロシアのロサトム社が、2020年までに、220億ドルの投資で、メルシン県のアククユ近くに原発を建設し操業するということで、トルコのエネルギー省との契約に調印しました。4月14日、原発の水技術の施設の着工式が行われたときには、プロテスターが集まりました。

カナルさんは10日前にテレビを見て、自分が演じたフィルムは原発の広告で、エレクトロニクスの会社の広告ではなかったことに気づいたと言っています。彼は広告でパイロット役を演じています。


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交通事故で救急車を待ってる人が“自撮り”をはじめた

2015年04月29日 | 国内
4月29日 4月28日、アンカラで起こった交通事故で、一命をとりとめた男が、地べたに寝転んだまま、なんと“自撮り”を始めました。自撮りばやりとはいえ、びっくりですね。

 Hurriyet

首都アンカラのヒポドローム通りで、ミニバスがバスに衝突しました。救急車が来るのを待っている間、負傷者が携帯電話を取り出してメッセージを送信し、頸椎カラーをしている自分の姿を自撮りしはじめたので、周囲はびっくり。

・・・ご無事でよかった。写真はよい記念になりますね。


家の中で育った木を愛でる男

黒海岸のトカト県ニクサル地区に住むケマル・カヤさん(54)は、自分の家の中に何十年も生えている木を切ろうとせず、道行く人は家から突き出した木の幹を見て驚いています。テクスタイルの工場で働くカヤさんは、家の中に植えられたこの木を切ることができなかったと言っています。

 Hurriyet

入口の扉のわきのこの部屋は、以前はマキ小屋として使われていました。樹齢40年になるこのクワの木は、部屋の中に根を張り、屋根より高く聳えています。年月をへて、幹は家の外に傾きはじめました。家の中の幹は金属シートが被せてあります。

クワの木が植えられたのはカヤさんが14歳のときでした。2階にバルコニーを増築しても、この木を切る気にはなれなかったと、彼は言っています。

「私は電線に触れそうな枝を切っているだけです。この木を切る気はありません。切れるわけないですよ。ここを通る人たちは、クワの実をとって食べ、「ありがとう」と言ってくれます。それで私はじゅうぶんです。私は緑が大好きなんです」

・・・カヤさんて、素敵な方ですね。お訪ねして、クワの実いただきたいです。


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北キプロスの新大統領にアクンジュ氏当選。和平への望み高まる

2015年04月27日 | 
4月28日 分断されたキプロスの平和交渉の推進を約束する穏健左派のムスタファ・アクンジュ氏が、4月26日、大統領選に勝利しました。選挙委員会によると、無所属で立ったアクンジュ氏は60.3%の票を得ました。彼のライバルは、5年前に選ばれた保守派の現職大統領デルヴィシュ・エルオール氏でしたが、彼の得票は39.6%でした。

 Hurriyet
元ニコシア市長でベテラン政治家のムスタファ・アクンジュ氏は、26日、家族とともに投票しました。彼には3人の娘と2人の孫がいます。


第2次選挙に参加した投票者は約17万7000人でした。国家統合党と民主党=愛国隊に支援されたエルオール氏は、第1次選挙で28.15%の票を得ましたが、アクンジュ氏は26.94%でした。共和トルコ党=統合隊候補シベル・シベル氏は22.53%、無所属のクドレト・オゼルサイ氏は21.25%でした。

アクンジュ氏は二分された島都ニコシアの元市長で、ギリシャ・キプロス政府との調停交渉の最も率直な主唱者でした。1974年、強硬路線のギリシャ政府がキプロス島の支配権を握ったクーデター後、トルコ軍がキプロスに介入し、その結果、島は分断され、何十年もほとんど接触のない状態がつづきました。

1947年、島の南部リマソルに生まれたアクンジュ氏は、トルコ軍の介入の1年後の1975年、初めて国会議員に選ばれました。1976年、彼は、ニコシアの北半分の市長になり、1990年まで、その職にありました。その間、彼はギリシャ・キプロスのニコシア市長と数多くの仕事を主導しました。

1993年、北キプロス・トルコ共和国(TRNC)の国会議員にもどったアクンジュ氏は、副首相や観光相などの職を歴任しました。2003年、彼は、「平和民主運動」の設立に助力し、キプロスの再統合を主唱する共同民主党を率いてきました。

トルコと国連は先週、「2015年は、長い分断の時代を経てキプロスが最終的に再統合される年になるかもしれない」という希望的声明を出しました。


イスタンブルのアタテュルク空港が離着陸数記録を破った

4月26日、イスタンブルのアタテュルク空港を離着陸した飛行機が1338機に達し、離着陸数の記録を破りました。

Hurriyet

4月25日、ミラノ行きのトルコ航空機がエンジントラブルで緊急着陸したため、滑走路のひとつが閉鎖されましたが、その後にこの記録が出ました。しかし、乗降した乗客数の記録は破られませんでした。

乗客の最多記録は2014年10月4日の165,071人ですが、4月26日の乗客数は160,565人でした。


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「トルコは原発を所有する“勇気がある”」エネルギー相

2015年04月26日 | 経済
4月27日 「トルコは原発を所有する他の国々より臆病ではない」と、トルコ初の原発の安全性に関して、トルコのエネルギー相は言いました。南部メルシン県で、いま原発が建設中です。

 Hurriyet

「わが国はアメリカやドイツ、日本やフランスより、臆病ではありません。なぜ私たちは脅えなければならないのでしょう」4月23日、原発の安全性について尋ねられたタネル・ユルドゥス・エネルギー相は記者団に答えました。

「世界には442の原発があります・・・フランスはパリから90キロのところに原発をつくっています。スペインはマドリードから70キロに原発がありますが、ツーリストはべつに怖がっていません。わが国を訪れるツーリストがなぜ怖がるのでしょうか」とエネルギー相は言いました。

4月中旬、トルコはメルシンのアククユ地区で原発の建設を始めました。何十人もの環境プロテスターたちが、現場の鉄扉の前に集まっています。ロシアのロサトム社が原発の建設と操業を任されています。原発の寿命は60年、価格は約220億ドルです。

毎年、50億ドルのエネルギーを輸入しているトルコ政府は、電力発電の少なくとも5%を原子力でまかない、ロシアから大量に買っている天然ガス依存を減少させたいと思っています。


350人の不法移民が南部メルシンの港で捕まった

トルコの沿岸警備隊が、350人の不法移民が乗り込もうとしていた船を地中海上で捕らえました。移民の大部分はシリア国籍者でした。

 Hurriyet

トルコ沿岸警備隊は、南部メルシン県のボズヤズ港で、船上にいた移民75人と、港で乗船を待っていた271人を捕らえました。移民たちは4月25日夜、モンゴル国旗を掲げた船、オレ号に乗り込もうとしていたと、トルコの治安部隊は言っています。4月26日、憲兵隊と沿岸警備隊は共同で、船内と港の捜索を始めました。

船の乗組員10人も逮捕され、移民を船に運んでいたディンギー(小ボート)も押収されました。

・・・350人もの集団が船に乗って、不法に出国できると思ったのでしょうか。トルコの沿岸警備隊をなめてはいけませんね。


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トルコ初のサファリ・パークがガジアンテプにオープン

2015年04月26日 | 観光
4月26日 トルコ初のサファリ・パークが、南東部ガジアンテプ県ガジアンテプ動物園内の15000平米のエリアにオープンしました。

 Hurriyet

開園式で、ガジアンテプ市のファトゥマ・シャヒン市長が、このパークでは25種の動物がともに暮らしていると言いました。「カメレオンも、カモシカも、ワシも、檻なしでいっしょに暮らし、人々にともに平和に生きることを教えてくれます」

ガジアンテプ動物園には7000頭以上の動物がいます。多くの種の動物が放し飼いにされているサファリ・パークは、トルコでは初めて、ヨーロッパでは2つめ、世界では4つめです。

 Hurriyet

ガジアンテプ市の職員ジェラル・オズソレイルさんは、この動物園は100平方キロあり、年間100万人近い人が訪れていると言いました。動物園をより興味深いものにするためのプロジェクトとして生まれたのが、このサファリ・パークということです。

「いま、動物はラクダ、シカ、カンガルー、リャーマ、鳥類などがいます。私たちは、いっしょに住める動物は同じ場所に住まわせるようにしています。来訪者は、とくべつにデザインされた保護車両で、金網なしの自然の環境に暮らしている動物たちを見ることができます」とオズソイレルさん。サファリ・パークは年間100万人の来訪者を期待しています。


国粋主義者集団がアルメニア新聞社の前に黒い花輪を置いた

24日朝、国粋主義者グループが、トルコ語=アルメニア語週刊紙「アゴス」のビルの前に、黒い花輪を置きました。新聞社に対するあからさまな攻撃行動です。この新聞の編集長フラント・ディンク氏は、2007年、国粋主義者に暗殺されました。

 Hurriyet

2人の正体不明の男が、午前7時15分、イスタンブルの中心シシリ地区にある新聞社ビルの前に現れたと、「アゴス」紙はウエブサイトで報じています。新聞社は、国粋主義者グループの名札をつけた黒い花輪の写真も流しています。

一方、2つの国粋主義グループのひとつ「トゥラン・オジャクラル」は、ソシアルメディアにこの事件のビデオをシェアしました。

2007年、国粋主義者オギュン・サマストは、真昼間、人通りの多いイスタンブル・シシリ地区の「アゴス」新聞社の前で、フラント・ディンク氏を暗殺し、22年10か月の禁固刑を受けて、現在、服役中です。


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「トルコは1915年のアルメニア人の苦しみを共有する」エ大統領

2015年04月25日 | 国内
4月25日 オスマン・アルメニア人の集団追放100周年に、トルコはアルメニア人の苦しみを共有すると、エルドアン大統領は言いました。彼はこの事件を“悲しいできごと”と表現しました。

 Hurriyet
 
1916年以来初めて行われた“1915年の事件”を記念するアルメニア人の宗教儀式に、トルコのボズクルEU相(左端)がトルコ政府を代表して出席しました。


4月24日、アラム・アテシアン総主教に送られたエルドアン大統領のメッセージは、イスタンブルの聖母マリア教会のアルメニア総主教座が催した宗教儀式で、トルコ語、アルメニア語、英語で読まれ、第1次世界大戦中に殺されたオスマン・アルメニア人たちを記念する祈りが捧げられました。

「私たちは皆さんが過去に経験した苦しみを知っていること、また、私が皆さんの苦しみを誠意をもって共有していることを、くり返し申し上げます。私たちの心は、世界中のオスマン・アルメニア人のお孫さんたちに開いていることを知ってください」と、大統領はメッセージで言いました。

エルドアン大統領は、24日がトルコのアルメニア市民にとって“特別に重要な日”であることは認識していると言いました。「第1次世界大戦の混乱の中で命を落としたオスマン・アルメニア人の方々のご冥福を敬意をこめて祈念し、そのお子さん、お孫さんたちに弔意を贈ります」

Hurriyet

エルドアン大統領はその日、1915年のガリポリの戦いを紀念するイベントに出席するためチャナッカレにいたので、アルメニア人の儀式には、ヴォルカン・ボズクルEU相がトルコ政府を代表して出席しました。

「1915年だけでなく、1870年から1920年までの半世紀に焦点を絞って調査したいと思います。そうすれば、私たちは共通の歴史を知り、共通の記憶を明らかにすることができるでしょう」とボズクルEU相は言いました。

Hurriyet

トルコ軍がロシア軍とアナトリアで戦闘中に、多くのオスマン・アルメニア人が殺害されたことを、集団虐殺(ジェノサイド)と認めることを、トルコは拒否してきました。アルメニア人を一掃するためのキャンペーンはなかったし、また、オスマン政府がそのような命令を下した証拠もないと、トルコは言っています。


「曙の式典」に集まった人々がガリポリ戦100周年を記念した

オーストラリア、ニュージーランド、トルコの首脳や高官たちが、4月25日、トルコのガリポリ半島で行われた「曙の式典」に、何千人もの人々とともに出席し、第1次世界大戦中のガリポリの戦い100周年を記念しました。

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ガリポリ半島アンザック湾で行われた「曙の式典」に出席した人々


ガリポリの戦いは子から孫へと受け継がれ、紀念されてきました。アンザック(ANZAC=Australia NewZealand Army Corpes)の多くの兵士たちが、 狭い海岸でマシンガンや大砲に倒れました。戦闘は13万人以上の兵士の命を奪いました。その中の8万7000人が、第1次大戦でドイツ側についたオスマン帝国軍の兵士でした。

オーストラリアのトニー・アボット首相、ニュージーランドのジョン・キイ首相、イギリスのチャールス王子らが、アンザック湾で、バグパイプが奏でられる中、花輪を献じました。この湾のすぐ北から、連合軍は半島に上陸してきたのです。

「父や祖父たちと同様に、私たちもガリポリに来ました。私たちは、アンザックの兵士たちはベストを尽くして逝ったと信じるからです」とアボット首相は言いました。ガリポリはオーストラリアとニュージーランドの人々にとって、巡礼地になっています。彼らは毎年、アンザック・デーに、地球を半まわりして戦没者の慰霊に訪れています。チャールス王子も感動的な式典で、英雄的な兵士たちを讃えました。

 Hurriyet
イギリスのチャールス王子とともにガリポリを訪れたハリー王子


トルコにとっては、この戦いは、まさに国民的な試金石となりました。この戦いは、当時、防衛軍を指揮した若い将校だったムスタファ・ケマル・アタテュルクのその後の活躍を予告するものでもありました。彼はやがて、オスマン帝国の廃墟に、世俗的共和国である近代トルコを築きました。


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トルコと世界のリ-ダーたちがガリポリ戦100周年を紀念した

2015年04月24日 | 国際
4月24日 24日、世界のリーダーたちが第1次世界大戦中のガリポリ戦100周年を記念するために、トルコを訪れました。第1次大戦中、オスマン帝国を倒し、コンスタンティノープルを奪おうと侵攻してきたオーストラリア、イギリス、ニュージーランドの連合軍が、ドイツに支援されたオスマン軍と戦い、両軍の何万人もの兵士が命を落としました。

 Hurriyet

現在、オスマン軍と連合軍の戦死者は、トルコの西端ガリポリ半島の共同墓地にともに眠り、かつての敵同士の和解の力強いシンボルとなっています。トルコのエルドアン首相は、かつての敵国オーストラリアのトニー・アボット首相、ニュージーランドのジョン・キイ首相、イギリスのチャールス皇太子と令息のハリー王子ら、21人の各国首脳を紀念式典に招待しました。

エルドアン首相は午前11時10分、チャナッカレ到着、公式式典は午後2時半から始まります。


ガリポリ沖のギリシャの島でオスマン軍の墓地発見

ガリポリ戦の100周年の数日前、トルコ政府はギリシャ領のレムノス島で、オスマン軍の兵士たちが埋葬された墓地を発見しました。

 Hurriyet

1915年、オスマン帝国領のガリポリ半島を侵略しようと攻め寄せた連合軍のリーダー、イギリス軍はこのレムノス島を戦略基地としました。連合軍によるガリポリ侵略を計画したウインストン・チャーチルは、島のポルティアヌー村に軍本部を置き、自らも2か月滞在しました。

トルコの勝利でガリポリの戦闘が終わって100年後、トルコのケリム・ウラス駐ギリシャ大使が、最近、この島を訪れて、オスマン軍の戦死者の墓地が島にあることを知りました。島にはガリポリ戦の戦死者の墓地が3つあります。第1は連合軍兵士352人の墓地、第2はニュージーランド兵士76人の墓地ですが、トルコ政府は最近まで、第3の墓地の存在を知りませんでした。この島で、連合軍と、第1次大戦で敗北したオスマン帝国は休戦の調印を行いました。

 Hurriyet

オスマン帝国の海軍大臣ラウフ・ベイは、1918年、この島で休戦の調印を行いました。ウラス大使は、97年ぶりに島を訪れたトルコ外交官になりました。ウラス大使は島を訪れているとき、地元当局から、島にムスリムの墓地があることを教えられました。

戦争墓地委員会によって建てられた花崗岩の記念碑は、ムスリムの埋葬地を示すものでした。記念碑には、170人のエジプト兵と56人のトルコ兵がここに埋葬されたと、英語で書かれています。兵士たちの名はわかりませんが、レムノス島で捕虜になった兵士たちで、1917~19年に死んだ715人のオスマン人の一部でしょう。

トルコ軍参謀本部は、この発見後、古い資料を調べはじめました。トルコ政府はギリシャ当局に、墓地を修復し、“戦死者のための記念碑”に変え、戦没兵士の身元調査に協力するよう要請しました。


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トルコ航空とトルコ国鉄が協力

2015年04月22日 | 国内
4月23日 トルコ航空とトルコ国鉄が、4月21日、協力協定に調印し、合同の運輸業務とスタッフの共同訓練のために協力することになりました。

 Hurriyet

協定はトルコ航空の本社で、トルコ航空のCEOテメル・コティル氏とトルコ国鉄のオメル・ユルドゥス社長によって調印されました。この協定によって、トルコ航空客室乗務員訓練部の指導で、国鉄の客室スタッフの訓練が始まるでしょう。

トルコ航空とトルコ国鉄は共同のチケット・プロモーションを行い、また、トルコ航空のマイルズを持っている顧客は、そのポイントを鉄道旅行にも使えるようになるでしょう。新しい協定はまた、鉄道と空路を組み合わせた新しいルート、とくにトルコ航空が飛んでいないところへのルートの設立を構想しています。

両者のチケット・サービスとオンライン・サービスも統合されます。トルコ国鉄は10,991キロの鉄道を運営し、高速列車を持つ世界8位の鉄道会社です。また、世界中に260路線をを持ち、昨年は5470万人の乗客を運んだトルコ航空は、ヨーロッパ第4位の航空会社です。


ディヤルバクルのアルメニア教会がEU文化遺産賞受賞

トルコ南東部ディヤルバクル県の聖ギラゴス・アルメニア教会が、EUの文化遺産賞を受賞することになりました。

 Hurriyet

「この教会は世界中に知られることになるでしょう」と、22日、聖ギラゴス教会財団のエルギュン・アユク会長が言いました。教会は1376年に建てられ、2011年に修復されました。

アユク氏は教会がこれまで崩壊することなく存続したことを喜び、6年前、修復が行われたことは意外に知られていないと言いました。EU文化遺産賞の授賞式は、6月11日、オスローで行われます。


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裁判所が韓国大使館に従業員の保険金不払いに対して罰金判決

2015年04月21日 | 国際
4月22日 裁判所がアンカラの韓国大使館に、元従業員への保険金不払いに対して100万リラの罰金と割増金を支払うよう命じました。

 Hurriyet

1999年から2010年までアンカラの韓国大使館で働いていたレマン・フィゲン・ベクマンさんは、彼女の最初の3年間の保険金を受け取っていないことに気づきました。ベクマンさんは韓国大使館とトルコ社会保障協会(SGK)に対して訴訟を起こしました。

アンカラの裁判所は、ベクマンさんの保険金を支払わなかった韓国大使館に100万リラの罰金を課しました。韓国大使館はベクマンさんの最初の3年間の保険金を支払わず、また、その後も、最低賃金に対する保険金しか支払っていませんでした。彼女の給料は最低賃金より多額です。韓国大使館はその総額を支払うことになるでしょう。

裁判所はまた、退職後、彼女が受け取っている年金の差額プラス利子を支払うよう韓国大使館に命じました。トルコ外務省は国内の全大使館に外交ノートを配布し、トルコ市民または永住権を持った非トルコ市民を雇用した場合、トルコの労働法に従うよう通達しています。

ベクマンさんの弁護士オメル・バラン・エルミシュ氏は、「これは法の勝利です。彼女のような多くの被害者がいます。大使館は外交特権を盾にとって、従業員を犠牲にしているのです」と言っています。


4人の子を連れた英国籍夫婦がISILに参加しようとして逮捕された

4人の子供を連れた夫婦がISIL(イスラム国)に参加するためシリアに入ろうとしたとしてアンカラで逮捕されたと、警察当局が国営アナドルニュースに語りました。4月16日、ギリシャ経由でトルコに入国したこの家族は、4月20日、アンカラの工業地帯オスティムのホテルで逮捕されました。

 Hurriyet

4月19日、英国当局が、アシフ・マリク(33)と妻サラ・マリク(29)と、1歳から7歳までの4人の子供が、トルコに入国し、シリアに向かうだろうと、トルコに通告してきました。トルコ警察はまもなく彼らを追放すると言っています。

バークシャーのスラウに住んでいた家族は、4月7日以来、行方不明になっていたと英国警察は言っています。この家族の親戚は、彼らについて“非常に心配していた”と言い、彼らはハンガリー経由でトルコに行ったのだろうと推測しています。

世界中の何千人もの外国人戦闘員が、シリアとイラクのISILなどのグループに参加していると思われます。シリアと800キロもの国境を共有しているトルコは、ISILに参加するためシリアに入ろうとする何百人もの外国人を捕らえ追放しています。


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