11月29日 「10月1日の2人のサウジ人の電話での会話は、ジャマル・カショギ氏の遺体の処理に関する話だった。1人は先月、イスタンブルのサウジ領事館内でカショギ氏を殺害したサウジの暗殺団のメンバーである」と、イスタンブルの検察が、11月26日、発表しました。(昨日の頁参照)

警察が捜索したヴィラの入口に、サウジのサルマン国王と息子の皇太子モハムメドの肖像画が。
「15人の暗殺チームの1人、マンスール・オスマン・M.アッバフッサインが、トルコ北西部ヤロヴァに住むサウジ人モハムメド・アフマド・A.アルファオザンと電話で話した」と、イスタンブル主任検察官オフィスが声明で言いました。
2人が電話で話したのは、カショギ氏が殺害された1日前の11月1日でした。アルファオザンはヤロヴァのサマンル村に住んでいました。トルコ警察は、カショギ氏殺害関連の調査として、11月26日、2つのヴィラのひとつを捜索しました。
2人が電話で話したのは、カショギ氏が殺害された1日前の11月1日でした。アルファオザンはヤロヴァのサマンル村に住んでいました。トルコ警察は、カショギ氏殺害関連の調査として、11月26日、2つのヴィラのひとつを捜索しました。
アンタキアでローマ時代の墓19基が出土した
トルコ南部ハタイ県アルトゥンオズジュ地区で、ローマ時代の共同墓地が出土し、何千年もの昔の歴史がかいまみえました。

これまでに19基の岩窟墓が清掃され、調査されました。ハタイ県には、古代都市アンティオキアの廃墟があります。いくつかの墓には、「恥ずべきことなく生き死んだ」「魂を守れ」「安らかに眠れ」という碑文が見られます。
作業員と考古学者の30人のチームが、ハタイ考古学博物館の管理の下に働いています。ムスタファ・ケマル大学のハティジェ・パミル考古学部長は、このエリアの調査は2007年から行われてきたと言いました。「墓に書かれた碑文によって、ここに埋葬された人々と、その文化に関する情報が得られました」と、彼女は言いました。「この共同墓地は当時の文化や伝統に関する重要な資料を秘めています」
古代都市アンティオキアは、BC4世紀、アレクサンドロス大王の将軍の1人、セレウカス1世ニカトールによって建設されました。アンティオキアはイエスの信奉者たちが最初にキリスト教に帰依した場所です。
作業員と考古学者の30人のチームが、ハタイ考古学博物館の管理の下に働いています。ムスタファ・ケマル大学のハティジェ・パミル考古学部長は、このエリアの調査は2007年から行われてきたと言いました。「墓に書かれた碑文によって、ここに埋葬された人々と、その文化に関する情報が得られました」と、彼女は言いました。「この共同墓地は当時の文化や伝統に関する重要な資料を秘めています」
古代都市アンティオキアは、BC4世紀、アレクサンドロス大王の将軍の1人、セレウカス1世ニカトールによって建設されました。アンティオキアはイエスの信奉者たちが最初にキリスト教に帰依した場所です。
リゼの村人たちが伝統のスノウボードを復活させた
かつてペトラン村と呼ばれた、黒海岸のメシェキョイ村の人々が、今年、木板でつくる原始的なスノーボードを復活させました。

リゼ県メシェキョイの村人たちは、200年昔からスノーボードを使ってきましたが、私たちが知っているスノーボードとはちょっと違う代物です。“ペトランボーディング”は18世紀、この小さな村の文化的現象として誕生しました。村人たちが使ってきたスノーボードは木板を接ぎ合わせ、蒸気を当てて先端を曲げてつくります。

「ペトランボードは私たちが200年前から使ってきた交通手段です。私たちにとっては、とても重要なものです」と、アフメト・トゥージュ村長がデミルオレン・ニュースに語りました。「私たちは大雪が降ったとき、町へ行くのに、このボードを使っていましたが、いま、ボーディングは私たちの楽しみになっています。2年前、プロのスケーターがこの村へ来ましたよ」と、トゥージュ村長は言いました。
2016年、2人のプロのスノーボーダー、アレクス・ヨーダーさんとニック・ラッセルさんが、スノーボードのルーツを求めてこの村を訪れ、15分のドキュメンタリーを撮ったそうです。
2016年、2人のプロのスノーボーダー、アレクス・ヨーダーさんとニック・ラッセルさんが、スノーボードのルーツを求めてこの村を訪れ、15分のドキュメンタリーを撮ったそうです。

「ペトランボードは未経験者なら時速30キロ、経験者なら時速100キロで滑ることができる」と地元のムハメト・カンさんは言いました。「私たちはペトランボードのフェスティバルをやって、このボードをもっと有名にしようと思っています。ケーブルカーがあったら、もっと大勢の人がこのボードを体験してくれるでしょうね」と、もうひとりの村人ハサン・クルトさんは言いました。
