3月1日 テロとスパイ行為容疑で逮捕された2人のジャーナリストの釈放に関して、エルドアン大統領は、今回の憲法裁判所の判決を厳しく批判し、この判決を“容認も尊重もしない”と言い、“従う気はない”と明言しました。

「私はこの判決に同意しない。私はこの判決に、同意も尊重もしないと明言する」と、エルドアン大統領は、2月28日、ジュムフリエット紙のジャン・デュンダル編集長とエルデム・ギュル・アンカラ支局長に対する最高裁判所の判決に関して言いました。
デュンダル編集長とギュル支局長はテロとスパイ行為で告発され、92日間収監されていましたが、2月26日、最高裁が2人の公判前逮捕は彼らの人権を侵害しているという判決を下した何時間か後に釈放されました。
「メディアの自由にも制限がある・・・これらの記事には、わが国の大統領に対するあらゆる攻撃が含まれている」と、エルドアン大統領は、アフリカに発つ前、アタテュルク空港で記者団に語りました。2人のジャーナリストは昨年11月26日に逮捕され、報道関係の組織やNGO、ヨーロッパ諸国の批判を浴びてきました。
エルドアン大統領はまた、3月26日に予定されている2人の裁判は、まだ終わっていないことを強調しました。「これは無罪釈放の判決ではない。単なる釈放命令だ」
デュンダル編集長とギュル支局長はテロとスパイ行為で告発され、92日間収監されていましたが、2月26日、最高裁が2人の公判前逮捕は彼らの人権を侵害しているという判決を下した何時間か後に釈放されました。
「メディアの自由にも制限がある・・・これらの記事には、わが国の大統領に対するあらゆる攻撃が含まれている」と、エルドアン大統領は、アフリカに発つ前、アタテュルク空港で記者団に語りました。2人のジャーナリストは昨年11月26日に逮捕され、報道関係の組織やNGO、ヨーロッパ諸国の批判を浴びてきました。
エルドアン大統領はまた、3月26日に予定されている2人の裁判は、まだ終わっていないことを強調しました。「これは無罪釈放の判決ではない。単なる釈放命令だ」
トルコ・ユダヤ博物館が新装なって再オープン
トルコ・ユダヤ500年記念財団博物館が、イスタンブルのネヴェ・シャロム・シナゴーグに再オープンしました。内容も最新技術を駆使して一新されたそうです。

「博物館では、スペインや北欧からもたらされた私たちの文化の特色を見ることができます。私たちがこの国にとって有用な市民だったことも見せたいと思いました」と、博物館長のモリス・レヴィは、博物館の記者会見で語りました。
「私たちセファルディク・ユダヤ人は礼拝に贅沢な建物は必要としません。小さな質素な場所でじゅうぶんなのです。しかし、トルコのユダヤ人たちは懸命に努力して、30~40年がかりで、イスタンブルのエディルネとネヴェ・シャロムに、2つの大きなシナゴーグを建てました。
なぜ彼らはそうしたのでしょうか? 彼らはこの地に彼らの未来を見ていたのです。私たちの父祖が何世代も語り継いできたように、彼らはこの地を奇跡の国と信じていたのです。彼らは他の土地では幸せになれないと思っていました」とレヴィは言いました。「預言者アブラハムの子孫として、ユダヤ人たちは2300年間、この土地に生きてきたのです」
「500年記念財団は1492年を始まりの年としています。1492年はセファルディク・ユダヤ人がスペインから追放された年です。オスマン帝国のスルタン・ベヤジト2世は船団を送り、私たちの祖先をこの土地に迎え入れ、時代に先駆けて人間の務めを果たしました。それと同時に、スルタンは、ユダヤ人がこの国にとって非常に有用な人材だと考えていました」とレヴィは言いました。
大国は軍隊でつくれますが、国家の維持のためには、アーティスト、職人、知識人、教師、医者のような人材を生み出すことが必要だと、レヴィは言いました。「スルタン・ベヤジト2世がスペイン王について、「あの皇帝も愚か者よな、自分の国を貧しくして、わが国を豊かにするとは」と言ったと伝えられています。
「私たちの祖先は一生懸命働き、自分らが住む國にとって有用な人々になりました」とレヴィは言いました。トルコ・ユダヤ博物館は、最初、2001年に、カラキョイのジファリス・シナゴーグにオープンされました。
「私たちセファルディク・ユダヤ人は礼拝に贅沢な建物は必要としません。小さな質素な場所でじゅうぶんなのです。しかし、トルコのユダヤ人たちは懸命に努力して、30~40年がかりで、イスタンブルのエディルネとネヴェ・シャロムに、2つの大きなシナゴーグを建てました。
なぜ彼らはそうしたのでしょうか? 彼らはこの地に彼らの未来を見ていたのです。私たちの父祖が何世代も語り継いできたように、彼らはこの地を奇跡の国と信じていたのです。彼らは他の土地では幸せになれないと思っていました」とレヴィは言いました。「預言者アブラハムの子孫として、ユダヤ人たちは2300年間、この土地に生きてきたのです」
「500年記念財団は1492年を始まりの年としています。1492年はセファルディク・ユダヤ人がスペインから追放された年です。オスマン帝国のスルタン・ベヤジト2世は船団を送り、私たちの祖先をこの土地に迎え入れ、時代に先駆けて人間の務めを果たしました。それと同時に、スルタンは、ユダヤ人がこの国にとって非常に有用な人材だと考えていました」とレヴィは言いました。
大国は軍隊でつくれますが、国家の維持のためには、アーティスト、職人、知識人、教師、医者のような人材を生み出すことが必要だと、レヴィは言いました。「スルタン・ベヤジト2世がスペイン王について、「あの皇帝も愚か者よな、自分の国を貧しくして、わが国を豊かにするとは」と言ったと伝えられています。
「私たちの祖先は一生懸命働き、自分らが住む國にとって有用な人々になりました」とレヴィは言いました。トルコ・ユダヤ博物館は、最初、2001年に、カラキョイのジファリス・シナゴーグにオープンされました。

博物館のディレクター兼コーディネーターのネシャ・イシュマン・アロヴィさんは、展示は3部門からなり、第1部門は歴史だと言いました。「BC4世紀、このアナトリアの土地に、最初のユダヤ人の居住地ができました。その後、アシュケナジ・ユダヤ人とセファルディク・ユダヤ人が移住してきたのです」とアロヴィさんは言いました。
「近くここでさまざまなイベントが行われるようになります。3月9日には、トルコの有名な歴史家イルベル・オルタイルさんが新しい本のプロモーションのために博物館に見えます」博物館にはユダヤ教の祭事に使われるさまざまな品が展示され、木曜にはユダヤ音楽を聴くこともできます。
「近くここでさまざまなイベントが行われるようになります。3月9日には、トルコの有名な歴史家イルベル・オルタイルさんが新しい本のプロモーションのために博物館に見えます」博物館にはユダヤ教の祭事に使われるさまざまな品が展示され、木曜にはユダヤ音楽を聴くこともできます。
「トルコで生まれたシリア人の赤ちゃんは15万人に達した」副首相
シリア危機が始まって以来、15万人以上の赤ちゃんがトルコで生まれている」と、2月29日、リュトフィー・エルヴァン副首相が、トルコ政府がこれまで担ってきた人道的負担の重さを力説しました。

「難民危機はみんなで分担しよう」と、国連で訴えるトルコのエルヴァン副首相
ジュネーヴで行われた国連人権委員会のオープニングで、エルヴァン副首相はスピーチし、トルコは、5年におよぶシリア内戦に起因する緊人道的危機の大きな部分を担ってきたと語りました。
「トルコで生まれたシリア人の赤ちゃんは15万2000人に達した」と副首相は言いました。「トルコは近隣囲諸国より多い、270万人ものシリア難民を受け入れている。シリア人口の半数以上が戦乱で家を追われているが、膨大な数の移民に対して国際社会はじゅうぶんな対応をしていない」
エルヴァン副首相は、世界の国々に、「シリアの人道的危機に対して、負担を分担するという基本的な考えに従って行動して欲しい」と勧告しました。危機的状況のシリアとイラクの間に位置するトルコは、戦乱を逃れてくる難民の中継地になっています。
「トルコで生まれたシリア人の赤ちゃんは15万2000人に達した」と副首相は言いました。「トルコは近隣囲諸国より多い、270万人ものシリア難民を受け入れている。シリア人口の半数以上が戦乱で家を追われているが、膨大な数の移民に対して国際社会はじゅうぶんな対応をしていない」
エルヴァン副首相は、世界の国々に、「シリアの人道的危機に対して、負担を分担するという基本的な考えに従って行動して欲しい」と勧告しました。危機的状況のシリアとイラクの間に位置するトルコは、戦乱を逃れてくる難民の中継地になっています。
