8月1日 先月30日、南東部シャンルウルファ県シヴェレクで、「イスラムに偶像崇拝はない」と言って、地元の男がアタテュルク像を攻撃したと、ドーアンニュースが報じました。
Hurriyet
そんなことしちゃダメでしょう、おじさん
メフメト・マルボラというこの男は、30日の午後、シヴェレクの共和国広場に立つアタテュルク像の台座に上り、木製のカマで銅像を傷つけはじめました。「イスラムに偶像崇拝はない。偶像崇拝を守る連中は預言者(ムハムマド)の子孫か?」と、男は叫んでいたそうです。
周辺の目撃者が事件を警察に通報し、近くの憲兵隊がマルボラを止めました。ターバンのようなものを被っていた男は銅像を離れ、警察がその場で彼を拘束し、審問のために警察署に連行しました。
・・・シャンルウルファ、暑いから、頭おかしい人も出てきますね。
周辺の目撃者が事件を警察に通報し、近くの憲兵隊がマルボラを止めました。ターバンのようなものを被っていた男は銅像を離れ、警察がその場で彼を拘束し、審問のために警察署に連行しました。
・・・シャンルウルファ、暑いから、頭おかしい人も出てきますね。
リゾート地のビーチ・クラブでヘンな男が発砲、1人死亡4人負傷
7月30日早朝、南のリゾート地ボドゥルムの、2つのビーチ・クラブの間で、1人の襲撃者が発砲し、1人が死亡、4人が負傷しました。
Hurriyet
ダブルガンを持った襲撃者は、最初、午前3時頃、ギョルテュルクビュキュの「チェリキ・ビーチ・クラブ」に現れ、「セズ・ビーチ・クラブ」はどこかと尋ねたそうです。彼は「チェリキ・ビーチ・クラブ」の隣りの「セス・ビーチ・クラブ」に向かい、2つのクラブの間で、ダブルガンで、やみくもに発砲しました。そのとき、クラブには400人ほどの人々がいました。
アルカン・サイさん、ネシビ・ギュネチさん、ヤシン・カヤさんの3人のスタッフ・メンバーと2人の客が負傷しました。クラブでベルボーイとして働いていたサイさんが病院で亡くなりました。襲撃者は車で現場から逃げました。「チェリキ・ビーチ・クラブ」の会計係ギョクハン・バルジュさんは、「襲撃者の動機は、私たちにはわからない」と言いました。
「私たちのクラブに入ってきた人が、セス・ビーチ・クラブについて尋ねて、出て行って、その後、めちゃくちゃに発砲しはじめました。悪夢のようでした。私たちは襲撃者を知らないし、なんのためにこんなことをしたのかもわかりません」とバルジュさん。2つのビーチ・クラブのスタッフの間で、もめごとがあったという話も、彼は否定しました。
憲兵隊が襲撃の解明のための調査を始めました。
・・・組織的テロリストではなさそう。せっかくリゾート地に活気がもどりかけているのにね。
アルカン・サイさん、ネシビ・ギュネチさん、ヤシン・カヤさんの3人のスタッフ・メンバーと2人の客が負傷しました。クラブでベルボーイとして働いていたサイさんが病院で亡くなりました。襲撃者は車で現場から逃げました。「チェリキ・ビーチ・クラブ」の会計係ギョクハン・バルジュさんは、「襲撃者の動機は、私たちにはわからない」と言いました。
「私たちのクラブに入ってきた人が、セス・ビーチ・クラブについて尋ねて、出て行って、その後、めちゃくちゃに発砲しはじめました。悪夢のようでした。私たちは襲撃者を知らないし、なんのためにこんなことをしたのかもわかりません」とバルジュさん。2つのビーチ・クラブのスタッフの間で、もめごとがあったという話も、彼は否定しました。
憲兵隊が襲撃の解明のための調査を始めました。
・・・組織的テロリストではなさそう。せっかくリゾート地に活気がもどりかけているのにね。
野党HDPのベシメ・コンジャ議員が、釈放されて出所した
親クルド政党・人民民主党(HDP)のベシメ・コンジャ議員が、7月29日、釈放され、出所しました。彼女はテロの宣伝をしたとして禁固2年半の判決を受けましたが、控訴が認められました。
Hurriyet
南東部バトマン県の第2高等犯罪裁判所は、コンジャ議員の釈放を命じました。彼女は2009年にも、テロ容疑で収監され、2014年、釈放されました。5月29日、コンジャ議員は、テロ組織のメンバーであり、テロを支援したとして、バトマン裁判所から2年半の判決を受け、ふたたび収監されました。彼女の弁護士たちが刑期について控訴し、7月13日、ガジアンテプの裁判所によって、判決は覆されました。
同党の党首フィゲン・ユクセクダー氏とセラハッティン・デミルタシュ氏を含む数人のHDP議員が、11月、逮捕されました。議員らは2016年3月、国会議員の特典を取り上げられ、対テロ法令の下で、検察と向き合いはじめました。
同党の党首フィゲン・ユクセクダー氏とセラハッティン・デミルタシュ氏を含む数人のHDP議員が、11月、逮捕されました。議員らは2016年3月、国会議員の特典を取り上げられ、対テロ法令の下で、検察と向き合いはじめました。
「ときどきダイアリー」ヘ