12月4日 日本のクラウン・プリンス秋篠宮文仁親王紀子妃殿下ご夫妻が、12月4日、トルコ共和国の建設者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの霊廟アヌトゥカビルを訪れました。
Hurriyet
トルコ初訪問の秋篠宮ご夫妻は、霊廟に花輪を捧げ、黙祷をし、その後アンカラ大学を訪れました。ご夫妻はエルドアン大統領の招待を受けて、5日には,文仁親王がスピーチを行う予定です。
ご夫妻はまた、トルコと日本の考古学者が共同研究しているクルシェヒルのカマン地区の発掘現場を訪れえます。ご夫妻は文化イベントや外交行事に出席され、8日に帰国される予定です。
日本とトルコの友好関係は明治時代(1868~1912)から続いています。1890年には、小松宮彰仁親王ご夫妻がオスマン帝国を訪れ、その返礼として、オスマンのフリゲート艦エルトゥールル号が日本を訪れました。
しかし、エウトゥールル号は、帰途、台風に会い、和歌山県沖で沈没し、乗組員500人が死亡しました。生存者は日本でケアされ帰国しました。犠牲者たちのために、いまも両国で記念式典が行われています、
第2次世界大戦中は、両国の交流は中断されましたが、その後、日本の皇族三笠宮の訪土が両国の結束を強化しました。今年はトルコ日本外交関係100周年になります。
1999年のトルコの地震後には日本が支援を送り、2011年の日本の津波のときにはトルコが支援するなど、両国は互いに助け合ってきました。
9月には、イスタンブルの「マルマライ」鉄道の駅で、100年を記念する式典が行われました。ボスフォラス海峡の海底を走ってヨーロッパとアジアを結んでいるマルマライ鉄道は、日本とトルコの協力によって完成しました。
ご夫妻はまた、トルコと日本の考古学者が共同研究しているクルシェヒルのカマン地区の発掘現場を訪れえます。ご夫妻は文化イベントや外交行事に出席され、8日に帰国される予定です。
日本とトルコの友好関係は明治時代(1868~1912)から続いています。1890年には、小松宮彰仁親王ご夫妻がオスマン帝国を訪れ、その返礼として、オスマンのフリゲート艦エルトゥールル号が日本を訪れました。
しかし、エウトゥールル号は、帰途、台風に会い、和歌山県沖で沈没し、乗組員500人が死亡しました。生存者は日本でケアされ帰国しました。犠牲者たちのために、いまも両国で記念式典が行われています、
第2次世界大戦中は、両国の交流は中断されましたが、その後、日本の皇族三笠宮の訪土が両国の結束を強化しました。今年はトルコ日本外交関係100周年になります。
1999年のトルコの地震後には日本が支援を送り、2011年の日本の津波のときにはトルコが支援するなど、両国は互いに助け合ってきました。
9月には、イスタンブルの「マルマライ」鉄道の駅で、100年を記念する式典が行われました。ボスフォラス海峡の海底を走ってヨーロッパとアジアを結んでいるマルマライ鉄道は、日本とトルコの協力によって完成しました。
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