トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

トルコの学生の留学先はアメリカよりヨーロッパが人気になってきた

2024年03月29日 | 文化
3月28日 トルコの学生たちにとって、以前はアメリカ留学が圧倒的に人気でしたが、最近は経費も手ごろなドイツ留学希望者が増えてきています。

 Hurriyet

最近、イスタンブルで、30か国、200の教育施設が参加して、「IEFT国際教育・キャリア・フェア」が開催されました。フェアには15,000人が訪れましたが、学生たちの選択には大きな変化が見られ、ヨーロッパ、とくにドイツが、アメリカより人気になっていました。

IEFTフェアのディレクター、セリメ・トクオールさんは、この傾向を強調して語りました。「英国とアメリカとカナダはつねに希望者がいますが、近年はヨーロッパ諸国が人気になってきました。これはヨーロッパのほうが授業料が手頃で、また、ヨーロッパの大学は世界的にランクが高いためでしょう。とくにドイツは、戦略的な位置と、授業料無料の公立大学があるために、関心が高まっています」

ヨーロッパ諸国留学を希望する学生の希望が多い分野は、工学、ビジネス、コンピュータ科学、医学です。このフェアには、中国、日本、韓国などのアジア諸国からの参加者も見られ、ヨーロッパの上質な教育と奨学金のチャンスに関心が高まっていることがうかがえました。


   カッパドキアで修復が始まった

トルコの代表的な観光地カッパドキアで、自然の不思議をさらに何千年も守っていくために、4つの「妖精の煙突」の修復作業が始まりました。

 Hurriyet

修復と保護活動は、ネヴシェヒル県ユネスコ世界遺産の「カッパドキア地帯局」の管理下で行われています。緊急に保護が必要なものとして、まず最初に、早急な処置が必要と思われる4つの「妖精の煙突」の修復から始まりました。専門家の委員会は、次の段階では、さらに9つの「煙突」の修復を決めています。

「カッパドキア地帯局」のビロル・インジェジキョズ局長は、科学的な方法を使って、これらの地形を安全に守る包括的なプロジェクト計画を語り、このプロジェクトは重要な文化遺産を守るためだけでなく、生命や資産のリスクを守るものでもあると付言しました。

「私たちは、この地域のユニークな資産価値を次なる世代に移譲し、その生命を延長させ、生命と資産の危険を阻止するために、科学的方法によって決められた保護対策を行います」と彼は言いました。

修復過程には、綿密な記録作業や、新しい岩山の認定、煙突内のスペースの分離のような構造上の問題への対処などがあります。インジェジキョズ氏は、「煙突」の寿命を確保するためには、綿密な科学的処置が必要だと強調しました。この作業によって、「妖精の煙突」の寿命は何千年も延びるだろうと、彼は言いました。

修復が完了したら、国内外のツーリストたちは安全な環境で、若返った「煙突」を探検できるだろうと、インジェジキョズ氏は言いました。「カッパドキア地帯局はこの地域の文化・自然遺産を保護し、次の世代へ移譲することを託されています」


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イスタンブルのルメリ・ハンの地下の謎のトンネルが人々を魅了

2024年03月18日 | 文化
3月18日 イスタンブルの中心、イスティクラル通りにある歴史的な建物ルメリ・ハンの修復作業が終わり、人々が謎のトンネルを見ようと集まってきました。トンネルはネオクラシック様式のファサードの下から入れます。

 Hurriyet

ルメリ・ハンの修復を監督したバギ・ジョシュクン氏は、ベイオール地区の活気ある雰囲気にふさわしい文化的芸術的事業に、このトンネルを利用する計画が進行中で、トンネルはさらに魅力あるものになるだろうと語りました。

ルメリ・ハンは1874年に、スルタン・アブドゥルハミド2世の「バシュ・マベインジ」(報道官)だったサルジャザーデ・ラグプ・パシャによって建てられました。

ルメリ・ハンは、「アフリカ・ハン」と「アナドル・ハン」とともに、オスマン帝国が支配した大陸の名を冠した3つの館のひとつです。伝承によると、これらの建物は秘密のトンネルで連結され、身分ある人々は建物間を秘密裏に往来できたそうです。

ルメリ・ハンの広範な修復工事は2017年に始まりましたが、工事中、作業員らが、建物の基礎を確認するために掘削したところ、何十年も瓦礫とゴミに埋まっていた通路が見つかりました。

1400平米に及ぶトンネルには、多くの部屋があり、想像力をかきたてられます。ジョシュクンに氏によると、トンネルの起源は謎ですが、ルメリ・ハンが建てられる前は、ここは木材置き場に使われていたのではないかという記録があるそうです。

1990年代以後は、ルメリ・ハンに、劇場やコンサートホール、アーティストの作業場、カフェなどがオープンしました。ハンにはバロック様式とオスマン時代の装飾が施されています。


トルコはチャナッカレの勝利109周年を祝した

トルコは第一次世界大戦中のチャナッカレの勝利109周年を祝し、「チャナッカレの勝利と殉教者の日」を記念して、全国で多くの記念式典やイベントが行われました。

 Hurriyet

文化観光省は、2018年以来の習慣に従って、「栄光、名誉、われらの歴史、われらのチャナッカレ」という記念テーマで式典を行います。

第一次大戦中、オスマン軍は、侵略してきた連合軍からチャナッカレを死守し、大きな損失を出しながら、数か月に及ぶガリポリ作戦で、見事に勝利しました。この作戦は究極的に、オスマン帝国の大勝利として歴史に残り、近代トルコの創設者ムスタファ・ケマル・アタテュルクは、この戦いで初めて歴史に登場しました。

今週の初めから、トルコ全国で多くの人々が記念行進に参加し、戦死者たちに敬意を表明します。ガリポリ半島には、今年も多くの人々が集まりました。歴史的戦場や、戦死者の記念碑、記念館は式典のための準備が整いました。


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ユスフェリ・ダムの水が排出され、中世の城が再び出現した

2024年03月03日 | 文化
3月2日 トルコ最高のダム、アルトヴィン県のユスフェリ・ダムの水を、当局が警戒対策として、一部流出させたため、水没していたテクカレ村と城の残骸が再び姿を表わしました。

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アルトヴィン県のユスフェリ・ダムとチョルフ川上の水力発電所の建設作業は、2013年2月16日に始まり、終了しました。ダムの建設中、ユスフェリの人々は水没する村から、新たに建設された居住地に移住しました。

2022年11月22日、ダムに水が入りはじめ、ユスフェリ地区の中心と、イエニキョイ、テクカレ、ウルマクヤヌ、チェルティクデュジュ、チェヴレリ、イシャン、メシェジクの村々は水没しました。

ユスフェリ・ダムは15億立方メートルの水が貯められ、年間18億8800万キロワットのエネルギーが生産できますが、当局は警戒のため、ダムの水の一部を流出させました。そのため、水位が約30メートル下がり、家屋や学校、テクカレ村の道路や、急な岸壁に建てられたと思われる中世の城が現われました。

昔、住んでいたところを見るために村に帰ってきた人々は、その光景に感動し、昔の想い出に浸っていました。「私はここで生まれ、育ちました。私たちの想い出は沈んでしまいました。ダムの水位が下がって、沈んだ村がまた現われたのです。私たちはここに来て、想い出を新たにしました」と、沈んだ村を訪れたミトハト・デミルクランさんは言いました。

夫といっしょに村に来たナジレ・デミルクランさんは「私はテクカレに嫁いできました。私が来た頃には、ダムができるだろうという噂はありました。私の夫と彼の家族は、ここにたくさんの想い出を持っています。村を去った人々はほんとうにお気の毒です」と語りました。


1月、クルーズ船18隻がトルコの港を訪れた

運輸相のデータによると、1月、約20,000人の乗客を乗せた18隻のクルーズ船がトルコの港を訪れました。これは2011年1月以来、最高のトルコを訪れたクルーズ船乗客数です。

 Hurriyet

2011年1月には、20,712人がクルーズ船でトルコを訪れています。今年はさらに200万のクルーズ船乗客を迎えたいと、当局は考えています。

昨年は、1,192隻という記録的な数のクルーズ船と乗客がトルコの港に入りました。最も多かったのは10月でした。クルーズ船乗客数は2022年に比して50%増加し、150万人になりました。

先月、クルーズ船が最も多く入ったのは、イスタンブルと北部のサムスンでした。イスタンブルは4隻のクルーズ船と4,900人の乗客を迎え、黒海岸のサムスンは4隻のクルーズ船と3,900人の乗客を迎えました。

黒海岸のアマスラ港とトラブゾン港には、3隻のクルーズ船が入りました。3000人以上のクルーズ船乗客がアマスラを訪れ、2957人の乗客がトラブゾンを訪れました。人気の観光地クシャダスは、先月、1800人を乗せたクルーズ船2隻が訪れています。

昨年トルコを訪れた外国人ツーリストは、2022年から10.4%増え、4,920万人になりました。2024年、トルコは6000万人のツーリストと600億ドルの観光収入を目標にしています。


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古代の外科手術用具がゼルゼヴァンで見つかった

2023年12月22日 | 文化
12月22日 南東部ディヤルバクル県チナル地区にある3000年昔のゼルゼヴァン城とその周辺で行われている考古学発掘で、外科手術用具が出土しました。

 Hurriyet

城とその周辺は東ローマ帝国の最後の要塞であり、ユネスコの世界文化遺産の暫定リストに入っています。戦争や軍事訓練で負傷した戦士たちの治療に使われたと思われる外科手術用具は1800年昔のものです。

ディジュレ大学考古学部の講師で、発掘隊長のアイタチ・ジョシュクン准教授は、何千年も昔の遺物が出土していると語り、このエリアには広い手術室があったろうと言っています。

「今年、発掘中に重要な品々が出土しましたが、その中で最も重要な遺物は、新たに発見された外科用具です。ここはローマ時代の要塞でした。約1200人の兵士が常駐していました。兵士とともに行動していた医者がいたこともわかりました。多くの外科手術がここで行われました。戦時にも、訓練中にも負傷者は出たでしょう。広い手術室があったことはまちがいありません。出土したのは12センチの小さな刃物です」

刃物は両刃だと、ジョシュクン準教授は言いました。「刃物は両サイドが使え、片側は突き刺すのに使われ、片側は皮膚を切ったり、はがしたりするヘラとして使われました。刃物はブロンズ製で、両刃とも極めて鋭く、重傷に使われたと思われます。私たちの作業はまだつづきます。私たちの目標は、これら医療器具が使われていた病院を掘り出すことにあります。今後の発掘で、もっと多くの医療器具が見つかるでしょう」


   野生動物密売業者がイスタンブルで拘束された

トルコの「対密売・組織犯罪部」が、イスタンブルのキュチュクチェクメジェ地区で、野生動物の不法密売をみごとに摘発しました。

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当局は、「絶滅危惧種取引に関する国際協定」に違反して、絶滅危惧種動物の骨や牙の売買を行っていたと思われる容疑者の住居の手入れを行いました。当局は捜索中、400万リラ(137,371ドル)と推定される禁制の野生動物の製品を押収しました。押収された物件は、野生のヤギの角3対、カモシカの角3点、アカシカの角の破片1点、象牙23点、マンモスの牙と象牙の破片16.5キロ、クジラの牙650グラム、バッファローの角14点と破片、クジラの歯7点などでした。

拘束された人物は、骨や牙を市場で売る前に、自分の作業場で加工していました。不法野生動物の密売は世界的に増加していて、パリのシャルル・ド・ゴール空港は、7か月間に、保護されている霊長類の頭蓋392点を含む718点の動物の頭蓋を押収しました。

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サライブルヌの古代遺跡が一般公開される

2023年10月27日 | 文化
10月28日 2009~2011年、海底鉄道「マルマライ」のシルケジ駅建設のための掘削作業中に、初期ビザンティン時代と後期ローマ時代の街路や家の遺構が出土しました。その遺跡が、イスタンブル市によって、「歴史的半島のモデル展示場」のサライブルヌ公園として一般公開されることになりました。

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イスタンブル市はサライブルヌ公園を整備し、考古学者たちが2000年昔の世界を展示するために、このエリアのレンガや舗石を整理しています。サライブルヌのすぐ隣になるこのエリアでは、街路、外壁と内壁、円柱、水流、舗石、井戸、装飾されたプールなどが出土しています。

「サライブルヌはイスタンブルの最古の公園であり、1928年にアタテュルクの銅像が最初に建てられた場所でもあります。公園は2部分に分かれ、もうひとつの部分では考古学上の調査がつづいています。私たちはこの部分を考古学公園として公開します」と、「IBBグリーン・エリア・施設建設」のオカン・ユルドゥス副マネジャーは言いました。

「1部分は4~5世紀の初期ビザンティン時代の遺跡であり、もうひとつの部分は2~3世紀の後期ローマ時代の遺跡です。作業が終れば、皆さんもこの遺跡を訪れ、見学できます」とユルドゥス氏は付言しました。


女性たちが輸出用のクリスマス・リースをつくりはじめた

新年が近づいてきて、南部アンタリヤの女性たちは、森林伐採地で集めた松の小枝や、松かさ、ビャクシンの実などで、クリスマス・リースつくりに精出し始めました。リースは20か国に輸出されます。

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キリスト教の伝統では、クリスマスや新年の祝いに、、ドアや食卓の装飾としてクリスマス・リースがよく使われ、宗教的な行事や墓参りにもリースは人気があります。昨年、トルコはリースの輸出で、900万ドルの収益を上げました。

リースをつくる女性と、森から材料を集める人とで100人を雇っている会社は、毎日、何百ものリースをつくっています。女性たちの手づくりのリースは海外に輸出され、1ユーロから3ユーロの値で売られています。

この会社のオーナー、シェリフェ・アルトゥンダルさんは、毎年、10月末から12月の第1週まで、仕事に精出していると話しました。「私がこの商売を始めたのは23年前です。最初は女性たちも20人くらいでしたが、今では100人もの女性がリース生産に関わっています。私たちは毎年、200,000個のリースを生産しています。私たちは松かさや、木の枝や、その他、森で採れるものでつくった製品を輸出し始めました」とアルトゥンダルさんは言いました。

アルトゥンダルさんはまた、今年の輸出は、1000万ドルを超えると期待していると語りました。


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バトマンで3000年昔の共同墓地が見つかった

2023年10月17日 | 文化
10月17日 バトマン県ゲルジュシ地区バギョジュ村のジェヘンネム川で行われた発掘中に、3000年昔の共同墓地が出土しました。

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ハサンケイフ博物館の職員たちは、いくつかの洞窟を記録しておくためにこの地域を訪れ、偶然、この共同墓地を発見しました。共同墓地はチグリス川を望む急な断崖上にありました。博物館のチームは警備員を伴って、ほぼ5キロを歩いて、ここにたどりつきました。

最初の段階として、考古学者たちは堀を掘って、約100平米の共同墓地を発見しました。墓地には約150基の、火葬の墓と、岩の墓と、土の墓がありました。墓地は紀元前1000年までさかのぼる鉄器時代のアッシリア文明のものと判定されました。

死者のものと思われる槍や、矢じり、短剣、ナイフ、剣など、さまざまな武器が、火葬の墓から出土しました。墓には火葬された死者の骨も埋まっていました。

ハサンケイフ博物館館長で、発掘隊長のシェフムス・ゲンチさんは、発掘中に出土したアッシリアの「円筒印章」は、この地域の歴史に光を当てるだろうと語りました。この地方にアッシリア人が住んでいたか否かについては、歴史的情報がなかったと、ゲンチさんは言いました。

「ここで私たちは、火葬の墓や、石棺の墓、土葬の墓など、多くの墓を発見しました。墓から出てきた死者からの贈物は、私たちを興奮させました。見つかったアッシリア人の円筒印章は、アッシリア人のひろがりを判定する上で重要です。これら贈物の中には槍や矢じり、短剣、ナイフ、剣など多くの武器がありました」と彼は語りました。


「世界の飢餓危機を救うために重要な穀物協定が妨害された」エ大統領

エルドアン大統領は、最近のトルコ周辺の戦争や紛争のために悪化する食糧危機を強調し、国際的協力の重要性を力説しました。

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10月16日、国連の食糧・農業機構(FAO)との協力で催されたイベントで、エルドアン大統領はビデオ・メッセージで、「わが国は国連とともに始めた黒海食糧協定によって、3300万トンの穀物を世界市場に送って、世界的飢餓の危機を阻止してきた」と語りました。

2022年7月に、ウクライナが穀物その他の食糧を黒海の3つの港から輸出することを認める協定が結ばれました。しかし、ロシアは、今年7月、協定を破棄し、輸出・金融・保険の制限を設け、また、ウクライナの港のインフラへの攻撃を強化しました。

それに応じて、ウクライナは黒海に「人道回廊」を設け、ロシアの封鎖を避けて、20隻の船を出航させました。エルドアン大統領は飢餓の危機にある地域、とくにアフリカを支援するトルコの現行の活動を強調しました。

エルドアン大統領はまた、9月初旬のソチ訪問中、ロシアの小麦100万トンを無料で提供してアフリカ諸国を助ける、ロシアとカタールの共同計画について話し合いました。「トルコは食糧と水の危機を解決するための責任を果たすことに躊躇しない」とエルドアン大統領は言いました。


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20年前に盗まれた136枚のタイルが見つかった

2023年09月18日 | 文化
9月19日 20年前、トルコ南東部のモスクから盗まれた136枚のタイルが、イスタンブルで見つかったと、文化観光省が発表しました。

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「136枚のタイルが、イスタンブルのサリエル地区で押収されました。1534~1537年、ディヤルバクルの長官だったアリ・パシャがミマル・シナンに建てさせたアリ・パシャ・モスクも、2月6日の地震でダメージを受けました」と文化観光省が声明で言いました。

見つかったタイルは、アリ・パシャ・モスクの修復にあたって,もとの位置に設置されるでしょう。文化観光省の密輸対策部は、国内で盗まれ、海外に密輸された文化遺産の発見と返却に努め,成果を上げています。2002年以来、21点の文化遺産を含む131点の物品が返却されました。

「密輸対策部は2002年に設立され、活動を始めました。それ以来、盗難事件は大きく減少し、盗まれた美術品を取り戻すための活動も綿密に行われてきました」と声明は言っています。

最近もローマ皇帝マルクス・アウレリウスの彫像と思われるブロンズ像が、ニューヨーク当局によって、クリーブランド美術館から撤去されました。2000万ドルの価値があるこの彫像は、1960年代に、トルコ南部ブルドゥル県のブボン遺跡から、密輸業者によって盗まれたと、トルコ当局は言っています。


記録的な数の海外在住者がトラキアの国境ゲートを通った

ヨーロッパ諸国に暮らすトルコ人が、トルコでの夏の休暇を終えて帰国するため、記録的な数の人々が北西部の国境ゲートを通過しました。

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トラキアの税関と貿易省のデータによると、6月22日から9月10日の間に、260万余の人々を乗せた646,896台の車が、ヨーロッパと接するトルコ国境を越えてトルコに入国し、また、250万人を乗せた619,499台の車がトルコから出国しました。

6月、学校が夏休みに入り、休暇を取った海外在住のトルコ人たちは、エディルネとクルクラーレリの国境検問所からトルコに入国しましたが、とくにブルガリアと接するカプクレの国境ゲートを選ぶ人が多かったようです。

「私と家族は2週間の旅行を終えて、帰国するところです。来週から仕事ですから。航空券が高いので、今年は陸路を使う人が多いですね。私も、旅行が好きなこともあって、自分の車で来ました」と、ドイツへ帰るためにカプクレ国境ゲートに来たガジ・サルさんは言いました。

「航空券が少し上がりました。車で来る人が増えたのは、そのためですね」と、もうひとりの海外在住者ジェマル・チュハダルさんも言いました。


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ヴァン湖の底で不思議な廃墟が発見された

2023年08月15日 | 文化
8月16日 ダイバーのグループが、ヴァン湖の底に、共同墓地と村の痕跡をとどめた廃墟を発見しました。ヴァン湖はトルコ最大の塩水湖で、面積は3,712平方キロメートルあります。

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ビトリス県とヴァン県のダイバー協会のメンバーたちが潜水を行い、ヴァン湖の底で、沈んだ廃墟を発見しました。廃墟は歴史的都市の一部と判定されました。

「東部海洋協会」のジュマリ・ビロル会長は、「水位が下がったため、タトヴァン地方とアフラト地方の間の水中に、墓石と廃墟が見つかったので、関連機関に報告したと言いました。

「私たちダイバーは、村のような建造物を見つけました。街路や、十字やカユ族のマークのある墓もありました。私たちは発見した物を専門家の渡して、この地域の歴史に光を当てようと努めています。私たちはアフラトとタトヴァンの間に、非常に広いエリアを発見しました。水底に墓があり、墓には十字の印もあります」

ビロル会長は、ヴァン湖はダイバーたちにとって不思議な場所だと強調し、近年、水深が3メートルになったので、多くの廃墟に光が当たり、湖底の到るところに古代文明の痕跡が見られるようになったと語りました。

「私たちは協会が主催した研究会に、イギリスの地質学者を招きました。そして、ノアの洪水はヴァン湖で起こったことを証明しました。私たちが水深23メートルの箇所で発見した,これら新たない遺物は、この主張を裏づけるものです」と、ビロル会長は付言しました。


チェコはアタテュルク像に関するトルコ大使館の要請を拒否

近代トルコの創設者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの3メートルの銅像を、チェコの首都プラハに建てたいというトルコ大使館の要請は、地方行政によって拒否されたと、BBCが報じました。

 Hurriyet

トルコ共和国100年を記念するこの要請は、プラハ第6区の区議会で慎重に検討されたが、提案は拒否されたと、第6区の報道官が声明でチェコのメディアに語りました。

アタテュルクの像の設置を予定されていた場所は、トルコ大使館の建物の正面に位置するアンカルスカ(アンカラ)通りの小さな公園でした。6区の文化担当の副区長ジャン・ラシーナ氏は、拒否の理由はいくつかの重要な要因に基づいていると主張しました。

ラシーナ氏はニュース社の質問に対し、銅像の芸術的メリットと、通りの歴史的背景との合致は非常に重要な事項として考慮したが、論議の重要なポイントは1915年の事件にあったと説明しました。

「私たちはアタテュルクに対し、近代トルコのリーダーとして深い敬意を持っていますが、プラハの第6区に銅像を建てることには反対すると決めました」とラシーナ氏は言いました。

エゲメン・バーウシ駐プラハ・トルコ大使は、トルコのミリエット紙に、この話はまだ決着していないかもしれないと言い、「この一件は地区の議会内の小さな政党のひとつによって決まったのだから」と主張しました。「私はもう一度、区長に会います。われわれの意向は、わが国の創設者アタテュルクを記念することにあります」


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「宝探し屋」たちが150年昔の教会を荒らした

2023年08月11日 | 文化
8月11日 東部カルス県で、「宝探し屋」たちのグループが、150年昔の教会を荒らし、略奪しました。住民たちは歴史的教会の保護を要請しています。

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各地にある歴史的建造物が、しばしば「宝探し屋」によって荒らされています。最近、カルスで起こった事件では、カルス城近くにあるジョージアの教会が「宝探し屋」たちによって広範に荒らされ、城壁の石まで除去されました。

この教会はしばらく家畜小屋として使われ、放置されていましたが、教会が破壊されたときは、住民たちもショックを受け、当局に歴史的建造物の保護を要請しました。

「カルスには多くの歴史的な建物がありますが、不明者によって破壊されています。これら建造物を守るために、当局は恒久的な対策をとる必要があります」とある住民は言いました。「内部も周辺も穴だらけのこの教会は崩壊寸前です。できるだけ早く保護しなければ、教会は倒れ、消え失せてしまいます」


ボランティアたちが山火事で焼けた都市を再緑化

2年前、アンタリヤ県とムーラ県で起こった大規模な山火事後、結成された「マルマリス自然ボランティア」は、焼けた土地に、いままでに20,600本の苗木を植え、40,000個以上の種をまき、また、その周辺で、定期的にゴミ収集イベントを行ってきました。

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2021年の大災害では、両県は6万ヘクタールの緑地を失いましたが、環境を意識する人々のグループが「マルマリス自然ボランティア」という名のグループを結成しました。マルマリスの2人の商店主シナン・シェンギュルさんとオスマン・ギョクさんのリーダーシップで発足したグループは、現在、200人のボランティアが苗木を植え、種をまき、ゴミ収集活動をつづけています。

2つの県と森林総局はボランティア・グループを支援し、グループはいままでに、マルマリスの海岸と森林から100トン以上のゴミを収集したと、グループは地元メディアに語りました。

グループのリーダーの1人、シェンギュルさんは、グループは植樹やゴミ拾いイベントでは、学校と協力していると強調しました「これらの活動に子供が参加することは、とても重要です。幼い子供に環境意識を与えることが必要です」


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1500年昔の 地下通路がイスタンブルで見つかった

2023年04月11日 | 文化
4月12日 イスタンブル・サラチハネの聖ポュクトゥス教会跡の発掘作業中に、1500年昔の地下通路が見つかりました。教会はラテン帝国のによる奪の際、破壊されたと思われます。

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昨年6月18日、イスタンブル市文化遺産部の主導で、教会があった場所の発掘作業が始まりました。発掘チームは、作業中、1500年昔の地下通路を発見しました。通路は大理石で造られ、レリーフで飾られていました。

昔からイスタンブルには何度も地震があったが、地下通路はそれに耐える強固な構造であることがわかったと、文化遺産部のマヒル・ポラト副部長は語りました。「1500年の間には、イスタンブルには何十回もの地震がありましたが、この通路はすべての地震に耐えて残っていたのです。われわれはその秘密を知り、学ぶべきでしょう」

地震を専門とする土木技師や科学コンサルタントも、この発掘作業に助力していて、過去の地震の記録も調べているそうです。524年に建てられた教会の跡地は、都市考古学の研究に重要な役割を持っています。イスタンブルの未知の歴史に光が当たるかもしれないと、ポラット氏は言っています。

発掘チームは最近、この場所で、1900年昔のものと思われる彫像を発見しました。彫像のほか、681点のブロンズの貨幣、刻印のあるレンガ、大理石の破片、陶器、オイルランプ、ガラスや金属製品なども見つかっています。


地震被災大学で教授たちが講義を行う

新学期が始まる前に、地震被災地の教育を正常化するために、有名大学の研究者たちが被災地で講義を行うことにすると、トルコの「高等教育委員会(YOK)」のオメル・アチュクギョズ教授が発表しました。

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アチュクギョズ教授は国会の「地震調査委員会」で、被災地の大学の教育に貢献するために、YOKは「移動教師」プロジェクトを用意していると語り、イスタンブル工科大学や、ボアジチ大学、中東工科大学のような定評ある大学の教授に、被災地周辺の大学で講義させることができると説明しました。これら教授たちには特別手当が提供されます。

アチュクギョズ教授は、2月6日の地震で、1605人の学生と、1148人の大学職員が命を落としたと、改めて話しました。

教授はまた、遠距離教育が行われるのは2県のみだと強調し、4月3日現在、2県の学生は対面教育も受けられるが、出席は強制ではないと言いました。

被災大学では修復工事が始まっています。目標はカフラマンマラシュ県、ハタイ県、アドゥヤマン県で完全な対面授業が行われるようになることです。


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