トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

自爆死したIS戦闘員はテロ攻撃目標のメモを残していた

2016年10月21日 | 国内
10月21日 16日、警察の手入れを受けて自爆したイスラム国(IS)戦闘員のアパートで、偵察メモが発見され、彼らグループがトルコ社会の多岐にわたる部分を標的にしようとしていたことがわかりました。

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警察の手入れを受けて自爆したIS戦闘員のアパート内部


アパートの捜索で見つかった偵察メモには、ISが今後、テロ攻撃を行う計画の場所が記されていました。テロの目標の中には、ガジアンテプのアレヴィ文化協会、親クルドの人民民主党(HDP)の催事、超国家主義政党の建物、スタジアム、モスクなどが入っています。この発見によって、ISが、トルコ社会内に軋轢を起こさせ、国内紛争の機運を高めようとしていた疑いが濃厚になりました。

10月16日、内務省が出した声明によると、死んだ自爆者メフメト・カディル・ジェバエルは、同じ日に、べつの手入れで自爆したもう1人の戦闘員とともに、同時自爆テロを企て、とくにアレヴィとHDPの催事を標的にしていたようです。声明はまた、ISのガジアンテプ県のリーダーだったと思われるジェバエルは、内務省の“お尋ね者テロリスト”のリストに入っていたと言っています。

ジェバエルは、2015年10月10日、102人の命を奪ったアンカラの自爆テロに関して告訴された容疑者たちの中に入っていたと、ドーアンニュースは言っています。


障害のある難民の子供が、シリアの家族に送金するため廃紙回収

 障害のある13歳のシリアの少年が、戦乱のシリアに暮らす家族に送金するために、トルコ南部のアンタリヤの街路で、兄とともに廃紙回収に励んでいます。

 Hurriyet

ドーアンニュースによれば、アリ・イスドファレク君は、シリアのデイル・エズゾルの通りで遊んでいるとき、飛行機から投下された爆弾で片脚を失ったそうです。イスドファレク君の両親は、彼と、17歳の兄を安全のためにトルコに行かせたのです。2人の兄弟は南部ハタイ県のジルヴェギョジュ国境ゲートからトルコに入国しました。

その後、兄弟は親戚のいるアンタリヤに移住し、15人のシリア難民とともに、イエシルデレ地区の掘っ立て小屋に住み始めました。いま、2人の兄弟は、廃紙を売って得たわずかの金をシリアの家族に送るために、毎日、朝から大きな車を引いて、廃紙回収に励んでいます。


高級店でパンツを試着しようとしたら、パンツの中にコウモリがいた

イスタンブルの高級ショッピングモールで、1匹のコウモリが女性用パンツの中に潜んでいたため、それを試着しようとした女性が店を告訴しました。

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小売店はショッピングモールの責任を追及する構えです。「当店は商品も店舗も、世界の支店と同じ基準で営業しています。事件が起こった店は、屋外のショッピングモールにあります。事件は異常だし、当店にとって尋常なことではありません。私たちは賃借人ですから、モールが決める対策に従うだけです」と、同社はこの事件に関して、声明文を出しました。

コウモリ事件の被害者は、ふだんはフランスに住んでいるエミネ・ジェリネ・コットン教授です。彼女は夫とともに、イスタンブル・レヴェントにある屋外ショッピングモールに買物に行き、世界的ブランドの高級店で、パンツを試着しようとしたとき、パンツの中に隠れていた1匹のコウモリに触れて、びっくり仰天しました。

コットン教授は販売員を呼び、医学的検査をするために、コウモリを鳥篭に入れるよう要請しました。ビルの管理者たちはコウモリを、ビルの装飾用の花の中に置いたため、コウモリは飛んで行ってしまいました。コットンさんは事件後、狂犬病の注射をしなければならなかったと言い、店を告訴しました。

問題のブランド店は世界に44の支店を持ち、トルコで21年間営業している有名店です。

・・・どうして婦人用パンツの中にコウモリが入っていたのでしょうか? もしかして、リッチな人々に対する、だれかの嫌がらせ?


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イスラム協力機構がギュレン組織をテロ集団と認定

2016年10月20日 | 国際
10月20日 イスラム協力機構(OIC)が、10月19日、アメリカ在住のフェトフラー・ギュレンの運動(FETO)をテロ組織と認定したと、トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相が言いました。FETOはトルコの7月15日のクーデターを主導したと考えられています。

Hurriyet
タシュケントで行われたイスラム協力機構(OIC)の会議


「イスラム協力機構がわが国の事情を理解し、FETOをテロ集団と宣言して、わが国との団結を示してくれたことに感謝している」と、チャヴシュオール外相はツイッターに投稿し、OICの宣言は大きな事件と言えると書いています。

OICは10月18日、ウズベキスタンの首都タシュケントでの会議で、共同宣言を発し、あらゆるテロを非難しました。OICはまた、会議の後、テロとの戦いでトルコとの団結を表明すると宣言しました。先週には、湾岸協力委員会(GCC)の外相たちが、FETOをテロ集団と指定し、FETOに対するトルコ政府の取締りを支持すると主張しました。

1969年に結成されたOICは、現在メンバー57か国、国連に次ぐ世界第2の国際政府組織であり、ムスリム世界の総合的な声と自認しています。トルコは1969年以来、メンバーであり、今年は組織の会長役を務めています。


アンカラでテロ攻撃を計画していたIS戦闘員が手入れ中に死亡

10月19日、トルコ警察はアンカラで自爆テロを計画していたと思われるIS戦闘員を射殺しました。男はアンカラ近郊のエリヤマン地区のアパートの9階で警察の急襲を受け、投降を促されたが、警告を無視して発砲したため、殺害されたと、アンカラのエルジャン・トパジャ知事が言いました。

 Hurriyet

トパジャ知事によると、男はアンカラで自爆テロを計画していたと思われます。警察が現場で、棒状のダイナマイトとアンモニウム硝酸塩など爆発物の材料を発見したと、知事は言っています。「ターゲットはまちがいなく群衆の集まりだ」とトパジャ知事はアナドル通信に語りました。「ターゲットはアタテュルクの霊廟だったかもしれないし、古い国会の建物だったかもしれない。具体的なことはまだ言えない」

容疑者は、10月29日のトルコ共和国建国記念日か、11月10日のムスタファ・ケマル・アタテュルクの命日を記念する式典をねらっていたのかもしれないと、知事はアナドル通信に語りました。ディヤルバクル出身のアフメト・バルク(24)と認定された容疑者は、警察が投降を促すと、発砲してきたそうです。

彼はアタテュルク霊廟周辺で怪しい行動をしていたのを、3回、目撃され、警察に尾行されていました。シュレイマン・ソイル内相は、この男は、式典が行われる予定のアタテュルクの霊廟や国会の建物を偵察していたと、記者団に語りました。IS戦闘員を対象にした手入れは今後もつづくと、知事は言っています。


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「ISの自爆犯たちはアレヴィとHDPを標的にしていた」内相

2016年10月18日 | 国内
10月19日 16日、ガジアンテプ県で、警察の手入れ中に自爆したイスラム国(IS)の容疑者2人は、アレヴィと親クルド政党・HDP(人民民主党)県本部が催すイベントを攻撃しようとしていたと、内相が発表しました(10月17日の頁参照)。

 Hurriyet

自爆で破壊された自爆犯の自宅アパート


「今回の手入れは、16日の午後12時32分頃、シャヒンベイ地区のギュンネイケントのアパートを急襲した。ISのメンバー、ジェバエルが手入れと知って、自宅アパートの入口で自爆したため、特捜警察官3人が殉職し、警察官5人とシリア市民4人が負傷した。テロリスト1人が捕まった」と、内相が声明で発表しました。

自爆したジェバエルはISのガジアンテプのリーダーとして、内務省のテロ・リストに載っていました。「メフメト・カディル・ジェバエルは1986年ガジアンテプの生まれ、自爆テロ関連で手配されていた」と、声明は言っています。内務省によると、この手入れで、2人の子供といっしょに拘束されたジェバエルの妻ファディレ・ジェバエルも、テロ容疑者として手配されていました。ISと関係するもう1人の容疑者も拘束されました。

ドーアンニュースによると、ジェバエルは、4月にエルジャン・チャプクンが逮捕された後、ガジアンテプ県のリーダーに任命されていました。彼はまた、2015年10月10日、102人の命を奪ったアンカラの自爆テロ関連で起訴されている容疑者の1人でもあります。

同ニュースはまた、ジェバエルは、2015年10月30日、ガジアンテプで逮捕されたユスフ・ジェバエルの兄弟だと報じています。自爆したジェバエルは、イスタンブルのHDP県本部と、ジュムフリエット紙のアンカラ支局に爆弾テロを行おうとしていました。内務省はジェバエルに60万リラの懸賞金をかけていました。

アレヴィ文化協会ガジアンテプ支部のユルマズ・デミルデレン支部長は、声明文を出し、治安部隊はISのテロ攻撃の情報を得て、約1か月間、アレヴィの祈りの家“ジェムエヴィ”の近くで警戒にあたっていたと発表しました。治安部隊がジェムエヴィの写真を所持していたIS戦闘員を拘束した1か月後の10月16日、警察はガジアンテプの手入れを行いました。
・・・アレヴィは簡単にいえばイスラムの1宗派ですが、民族的・文化的集団ともいえる1派で、国民の10~20%を占めると言われます。独特の教義・儀式・習慣を持っているため、アレヴィはイスラムではないという人もいます。


デニズリのTV局でライブ放送中、野良猫がスタジオに侵入

10月17日、エーゲ海地方デニズリ県のDRT放送で、ライブ放送中、スタジオに野良猫が侵入しました。

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事件は、クドレト・チェレビオールさん司会の番組「おはよう、デニズリ」放送中に起こりました。スタジオに入った猫はテーブルに飛び乗りました。チェレビオールさんは「びっくりゲストの登場です」と言ってから、番組の予定通り、今日の日刊紙の見出しに話を移しましたが、パソコンの前にすわってから、猫をスタジオから出すために、アシスタントの助けを求めなければなりませんでした。

“ヒュニュス”と名づけられた猫は、局の職員の1人が飼うことにしました。


「アタテュルク文化センターはオペラハウスにする」文化観光相

放置されていたイスタンブル・タクシム広場のアタテュルク文化センター(AKM)をオペラハウスにすると、ナビ・アヴジュ文化観光相が発表しました。

 Hurriyet

「文化センターがショッピングモールになるという噂がありますが、事実ではありません。あの場所には新しくオペラハウスを建てます。プロジェクトの準備は始まっています」と、10月18日、文化観光相は言いました。

「あの建物を放置しておいても、いいことはなにもありません。だれが見ても明らかです。大統領もすでに発表しています。あそこにはイスタンブルにふさわしいオペラハウスがあるべきです。文化観光省は準備を始めています」とアヴジュ文化観光相は言いました。タクシム広場に立つこの建物は8年間使用されていません。

文化センターは共和国時代のトルコの建築を代表する建物のひとつです。政府が取り壊すか、再建するという意向を発表したときは、さまざまな意見が飛び交いました。「建物は非常に危険な状態にある」と観光相は言いました。「この建物は共和国の象徴として認識されるべきです」


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トルコはアレッポーに国際支援団を送ることを提案した

2016年10月17日 | 国際
10月18日 アメリカ、ロシアと、シリアの近隣諸国が出席し、スイスのローザンヌで開かれた緊急会議で、トルコは、包囲がつづいているシリアのアレッポーに、国際支援護送団を送ることを提案しました。アレッポーではいま、30万人の人々が食料や衣料品、生活用品の不足に苦しんでいます。

Hurriyet
シリア危機を討議するローザンヌ会議。左側の列・手前から2人目がロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相、3人目がアメリカのジョン・ケリー国務長官、右側の列・手前から2人目がトルコのチャヴシュオール外相


「わが国はアレッポーへの支援を提案する。各国の国旗を掲げたトレーラーを連ねた国際的な護送団を送り、人道的支援を届けたいと思う。各国の国旗を掲げた護送団なら、攻撃を受ける可能性も減少するだろう」と、トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相は、15日の会議の後の記者会見で言いました。

10月4日、北部アレッポー近くで、国連とシリア・アラブ赤新月社の護送団が攻撃されたことに触れ、チャヴシュオール外相は、「国際的な護送団を結成すれば、攻撃のリスクを減らせるだろう」と提案し、「この人道支援の実現には、少なくとも3日間の停戦の取決めが必要になる」と付言しました。

トルコ外相の提案には、会場の数か国の代表が賛意を表明し、とくに国連のスタッファン・デ・ミストゥラ・シリア特使の支持を得ました。デ・ミストゥラ特使は以前からアレッポーの市民を救えと訴え、アレッポーは全壊の危機に直面ししていると警告しています。彼は、市民が支援を受けられるよう、ジハーディスト集団ジャブハト・ファテフ・アルシャム(以前のアルヌスラ)を、反体制派が支配する地域から撤退させるよう力説しました。

「アルヌスラはアレッポーを去るべきだ」
チャヴシュオール外相も、アルヌスラと結託しているジハーディスト集団をアレッポーから去らせるよう主張し、会議出席者はアルヌスラをこの地方から去らせることを条件に、停戦の可能性を話し合ったと語りました。

「テロリスト、アルヌスラをアレッポーから一掃するべきだ。穏健な反体制派グループを標的にする政府軍の攻撃は、ただちに止めさせなければならない」とチャヴシュオールは言いました。


トルコが訓練したイラク軍3000人がモスル作戦に参加している

「北イラクのバシカ・キャンプでトルコ軍に訓練を受けたイラク軍3000人が、イスラム国(IS)からモスルを奪還するための、アメリカ主導の作戦の一翼を担っています」と、10月17日、ヌマン・クルトゥルムシュ副首相が言いました。

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「モスルの知事の要請で、トルコはバシカにキャンプを建設しました。モスルの約4000人の中の多くが、このキャンプで訓練を受けました。彼らはニノヴァ・ムジャヒッディーンと呼ばれています。現在、トルコによって訓練された3000人が、対ISの戦いに加わっています」とクルトゥルムシュ副首相は、閣僚会議後の記者会見で言いました。


古代都市ピシディアで、破壊された教会がようやく出土

南部ウスパルタ県ヤルヴァチ地区にある古代都市ピシディアで、3年間の発掘作業の末、ようやく大きな教会が出土しました。教会は6世紀に建てられましたが、11世紀か12世紀の大火で破壊されました。

 Hurriyet

ピシディア遺跡発掘隊長で、シュレイマン・デミレル大学考古学部の研究者メフメト・オズハンル教授は、教会の残骸がこの地域の歴史をさらに明らかにするだろうと希望を語りました。「私たちは教会を破壊したのは大火だったと考えます」と教授は言いました。「残っている教会の壁の保存作業はまだつづいています」出土した教会は、この古代都市に4つある教会の中で3番目に大きいそうです。

大 火
「教会内部の石が破裂していることから、大火事が長時間つづいたと考えられます」とオズハンル教授は言いました。教会の北の部分の、火事の層でセルチュク時代のコインが発見され、この教会が11世紀か12世紀に建てられたと推定されました。

教会はローマのアントニウス(BC83~30)の時代に建てられた社の上に、建てられていました。ピシディアで見つかった4つの教会は、ここを宗教的な都市にする試みがあったことを示しています。都市は居住区と4つの教会に分かれていますが、その両方に300人が住めたと思われます。2013年に見つかった第4の教会は、最近の発掘作業で完全に掘り出されたと、教授は言いました。

ピシディアには旧石器時代から人が住んでいたと思われます。AD11世紀、ピシディアはセルチュク・トルコに占領されました。その後、ビザンティン帝国とトルコ人はこの都市の奪い合いをつづけましたが、1176年、トルコ人が最終的にピシディアを支配しました。


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東南部ガジアンテプでISのアジト手入れ中、自爆。警官3人死亡

2016年10月16日 | 国内
10月17日 南東部ガジアンテプ県で、警察がイスラム国(IS)のアジトを手入れ中、爆発が起こり、警官3人が死亡しました。

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CNNトルコによると、16日、ガジアンテプ・ベシュユズエヴレル地区で、警察の手入れ中、爆発が起こりました。「警官3人が死亡し、8人の人が負傷した。負傷者の中の4人はシリア出身だった」と、ガジアンテプのアリ・イエルリカヤ知事が発表しました。

また、同県のブラク地区でも、アジトの手入れ中に自爆犯が自爆しました。自爆したのはメフメト・カディル・ジャベルで、彼はガジアンテプでISとして活動し、組織に兵站支援をしていました。アジトにいた彼の妻と子供2人が拘留されたと、アナドル通信は報じています。


フランスでPKKの資金調達をしていた容疑者が拘束された

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10月15日、フランス北西部レンヌで、非合法組織クルド労働者党(PKK)の資金調達をしていたとして告発された容疑者1名が拘束されました。

対テロ警察は30歳の容疑者を拘束し、パリに連行しました。容疑者はマルセイユからブルターニュに入り、新聞を発行して、PKKに金を送っていました。容疑者の取り調べはパリで行われています。


ギュレン関連で拘束された後、釈放されたパイロット9人が軍に復帰

クーデター後、ギュレン関連で拘束され、その後、釈放されたトルコ空軍ジェット・パイロット9人が、任務に復帰し、空軍作戦に参加しています。大量解雇が行われたため、軍は要員不足に陥っていました。

 Hurriyet

トルコ空軍と防衛相は、9月初旬、ギュレン調査で拘束された後、釈放された9人を再雇用できないか、検察庁に要請しました。ギュレン組織は7月15日のクーデターを主導したとして告発されています。

検察の承認を得たトルコ空軍は、パイロットたちを、国内および北イラクとシリアの空軍作戦に任命しました。復帰したパイロットたちの多くは、ディヤルバクル第8ジェット基地司令部に駐屯しています。ギュレン組織調査の一環として、264人のパイロットが空軍から解雇されました。


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アンタリヤ爆発テロ容疑者25人を警察が拘束した

2016年10月15日 | 国内
10月16日 14日、アンタリヤで起こった爆発テロの容疑者25人を警察が拘束したと、アナドル通信が報じました(10月14日の頁参照)。警察はアンカラとイスタンブルを含めた全国同時作戦を行い、容疑者を拘束しました。

 Hurriyet

非合法組織クルド労働者党(PKK)のメンバーと思われる25人の容疑者は、組織の軍事活動を行っていたとして拘束されました。容疑者らはアンタリヤ対テロ警察で取り調べを受けた後、裁判所に送られます。知事オフィスによると、アンタリヤのコンヤアルト地区の漁港の爆発では死傷者は出ませんでした。


黒海で4.8マグニチュードの地震。イスタンブルでも体感された

10月15日、黒海でマグニチュード4.8の地震が起こり、イスタンブルでも体感されました。

 Hurriyet

死傷者や物的被害は報告されていません。午前11時18分に起こった地震の震源は、イスタンブルの北西192キロ、地下11.4キロの地点だそうです。

北西部コジャエリ県カンドゥラ地区では、住民がパニックを起こし、家から飛び出しました。

・・・コジャエリの人たちは1999年の地震の記憶があ利ますからね。


トルコに支援されたシリア反体制派軍がIS支配の村ダビクを攻撃

トルコに支援されたシリア自由軍(FSA)が、15日、シリア北西部のイスラム国(IS)が支配するダビク村の攻撃を始めたと、シリア人権監視団が言いました。

 Hurriyet

トルコ軍情報源は、ダビクを奪う作戦は今月初めに始まり、この村を目標に砲撃と空爆を行ってきたが、15日、現在、新しい展開はないと言っています。ダビクは黙示録のイスラムの預言の地であるため、ジハーディストにとっては象徴的に重要な場所であり、ISは1200人の戦闘員を駐在させていると、イギリス・ベースの人権監視団は言っています。

8月に始まった、トルコとシリア反体制派による作戦「ユーフラテスの盾」は、両国間の国境沿いの地域からISを一掃するのを目標にしています。ダビクと、もうひとつの村ソランの周囲は、ほとんどシリア反体制派軍に占領され、ISは袋のネズミになっています。

「ユーフラテスの盾」作戦の反体制派の司令官は、ダビクの攻撃は10月15日の朝から始めたと言っています。監視団は、トルコの戦車と戦闘機に支援された反体制派軍が、村の周囲を攻撃しはじめたと報告しています。

「ダビクへの作戦は10日前に始まった。われわれは南から村を占領しようとしている。トルコのジェット戦闘機と大砲がISの拠点を砲撃している」と、トルコ軍情報源は言っています。


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PKKの爆弾製造者に終身刑プラス472年の禁固刑求刑

2016年10月15日 | 国内
10月15日 ディヤルバクル県検察がPKK(非合法組織クルド労働者党)の戦闘員に終身刑プラス472年の禁固刑を求刑しました。彼はテロ攻撃を行うために、ディヤルバクルからイスタンブルにバスで到着した5月4日に捕まりました。

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容疑者ヤクプ・アッカンに対する2通の起訴状は、4件のテロ関連容疑で求刑しています。アッカンはディヤル・ドーアンという偽身分証明書を所持して捕まりましたが、その後、彼はPKKの最も重要な爆弾製造人の1人であり、シルヴァンのテロなど、2015年の治安部隊を標的にした多くのテロ攻撃でディヤルバクルのグループが使った爆弾の製造者であることが判明しました。

ディヤルバクル=シルヴァンの道路を走行中の装甲車が標的にされたテロ攻撃では、アフメト・カブクチュ警察署長、特別警察隊のムスタファ・ノフト警官、ヌリ・ヤザネル警官の3人が死亡し、2人の警官が負傷しました。2015年11月10日のテロに使われた爆発物には、11件のテロ容疑で指名手配されていた
アッカンの指紋が発見されました。この攻撃では、治安要員21人が乗った軍用車が標的にされました。アッカンは審問で、この攻撃に使われた爆弾を製造したことを告白しました。

第2の起訴状には、アッカンが2015年11月から12月の40日間、ディヤルバクルのリジェ地区で爆弾をつくっていたことを告白したと記述されています。

アッカンはまた、PKKとKCK(クルド・コミュニティ連合)のメンバーであり、グループの階級組織内の高位にいたことでも告発されています。起訴状は、近い将来始まると思われる裁判によって、ディヤルバクル重罪裁判所に受諾されるでしょう。


イスタンブルの考古学博物館が125周年を迎える

さまざまな時代の美術品を展示しているイスタンブルの考古学博物館が、開館125周年を迎えました。1891年6月13に博物館をオープンしたオスマン・ハムディ・ベイは、大宰相イブラヒム・エテム・パシャの息子であり、美術の専門家・画家でもありました。

 Hurriyet
古代の彫像が並ぶ1Fの展示場


博物館の展示品の中には、「アレクサンドロスの石棺」や「カデシュ条約文」(エジプトとヒッタイトの平和条約文)など、世界的に知られる美術品もあります。博物館には、考古学博物館、古代オリエント博物館、陶磁器博物館の3つのセクションがあり、トルコの歴史的美術品の3分の2が収納されています。

考古学博物館のゼイネプ・クズルタン館長は、「この博物館にはオスマン帝国の領土だった全地域の美術品が収められています。ひとつの博物館に、それをいっしょに展示することによって、見る人は文化のプロセスをたどることができます」と言いました。「この博物館はオスマン最初の博物館ですが、近年出土したビザンティン時代やオスマン時代の美術品も次々に収納しています」

Wikipedia
みごとなレリーフに飾られた“アレクサンドロスの石棺”


3つの博物館に100万点の美術品
1891年の開館以来、この博物館は急速にコレクションを増やしました。現在、1階の右側には、アルカイック時代からローマ時代までの彫像が並び、左側には有名な、あるいはユニークな美術品が展示されています。2階には宝物類、イスラムと非イスラムのコイン類、図書館があります。

125年たった博物館の展示エリアは老朽してきたため、2011年から地震に備えて修復作業が始まっているそうです。「博物館の3分の2は修復が終わりました。修復が終了したら、新しい展覧会プロジェクトを始めるつもりです」とクズルタン館長は言っています。


ブルガリアから密輸された10匹の子猫がエディルネで競売に

ブルガリアから不法に輸入された10匹の子猫が、国境の町エディルネで、10月20日、オークションにかけられることになったと、ドーアンニュースが報じました。

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エディルネの対密輸部隊は、ハムザベイリ国境ゲートからトルコに入国した、ブルガリア・ナンバーをつけた怪しい車のトランクを開けさせ、2つのバッグに入った、10匹のペルシャとイギリスのショートヘア種の子猫を押収しました。子猫たちは不法にトルコに輸入され、ペットショップに売られる予定でした。

エディルネ動物処分部は、10月20日、子猫たちを7080リラでオークションにかけると、ドーアンニュースは報じています。


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トルコはシリア危機会議で3つの提案をする

2016年10月14日 | 国際
10月14日 「15日、ローザンヌで開催される重要な国際会議では、世界列強が新たな停戦交渉を準備しているが、トルコはアレッポーへの人道支援を提案するだろう」と、大統領府のイブラヒム・カルン報道官が語りました。

 Hurriyet

10月13日、カルン報道官は、アンカラの記者会見で、トルコはシリア危機に関して3つの議題を提案すると言いました。「第1はアレッポーの早急の停戦と人道支援。第2は、国連の枠内での政治的交渉の再開。第3はシリアでのイスラム国(IS)との戦いの問題がある」

10月13日、ロシアは「わが国は、戦場では空爆をつづけているが、反体制派がアレッポーを安全に放棄する道を確保している」と言いました。「われわれは反体制派軍が安全に撤退できる道と、市民が東部アレッポーへスムースに往来できる道、および人道支援を用意している」と、ロシアのセルゲイ・ルドスコイ中将がテレビ記者会見で言いました。

シリア人権監視団によると、荒れ果てたアレッポーでは、早朝空爆がつづき、少なくとも7人の市民が死んでいるということです。アレッポーの北東郊外では、反体制派が支配するエリアを見下ろす丘陵地帯を、体制派軍が占領しています。


南東部で爆弾を積んだPKKの車をトルコ軍ヘリが破壊

 南東部ディヤルバクル県リジェ地区で、11日、12日、爆弾を積んだPKKの車3台を、トルコ軍ヘリが攻撃破壊しました。

 Hurriyet

ディヤルバクル知事オフィスの声明によると、非合法組織クルド労働者党(PKK)が、攻撃に使うために爆弾を車に積み込んだという情報を得たトルコ軍が、ヘリから発砲しました。「10月11日、12日、ディヤルバクル・リジェ地区のベーエンディク村でトルコ軍ヘリが発砲し、3台の車が破壊された。この作戦は、車に積まれた爆弾の情報を得た治安部隊によって行われた」と声明は言っています。

10月13日には、南東部シュルナク県ベイテュッシェパプの田園地帯で、治安部隊とPKK戦闘員の戦闘中、PKKが爆発物を爆発させ、トルコ兵士1人が死亡、兵士4人と村の警備員1人が負傷し、シュルナク国立病院に運ばれたと、ドーアンニュースが報じました。

また、トゥンジェリ県ではPKKが奪ったコンクリート・ミキサー7台が発見されました。10月9日、PKK戦闘員は道路をふさいでコンクリート・ミキサーを奪いました。

トルコ軍はイラク北部ザップ地方でも、10月12日午後2時30分~2時50分、空爆を行い、発砲装置を破壊し、PKK戦闘員2人を殺害しました。


アンタリヤの山岳部からロケット弾が発射された。死傷者なし

14日、不明グループの戦闘員が、アンタリヤ=ケメル道路にロケット弾を発射しました。弾丸は漁師の小屋に当たり、死傷者はありませんでした。

 Hurriyet

アンタリヤの山岳部からアンタリヤ=ケメル道路に2発のロケット弾が発射され、1発は漁師小屋に、もう1発は空き地に当たりました。

また、爆発物が走行中のガス・トラックに投げられましたが、車に命中しませんでした。爆発後、警察チームが現場に配備され、当局は犯人を捕らえるため、空からの支援とともに作戦を開始しました。


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クーデター後、ギリシャに逃げた他の4人の軍人も亡命拒否された

2016年10月12日 | 国際
10月13日 ギリシャの政治亡命委員会は、9月下旬に、3人の軍人の亡命申請を拒否しましたが、10月11日、さらに他の4人の亡命申請も拒否し、残った1人が再審待ちと言うことになりました。

 Hurriyet

クーデターの翌日、少佐2人、大尉4人、下士官2人の8人が、軍のヘリでギリシャのアレクサンドロポリスに逃げ込みました。8人はギリシャへの亡命を申請し、トルコ政府は、クーデタに関与した容疑で8人の送還を求めています。7月下旬、ギリシャの地方裁判所は、8人に不法入国容疑で2か月の禁固判決を下しました。

彼らは警備上の理由から、フェレス刑務所からカヴァラに移送され、その後、アテネ近くのキャンプに移されました。8人の軍人の亡命申請の最初の審問は8月19日に始まりました。最初に亡命拒否された3人は、インタビューで、トルコ送還から逃れるために、フランスか、スペインか、ベルギーへの亡命を求めていると語りました。


「トルコにはユルドゥルムとアルバイラクの2人の首相がいる」最大野党

「トルコには公式の首相と影の首相がいる。前者はビナリ・ユルドゥルム氏だが、後者はエネルギー相であり、エルドアン大統領の義理の息子ベラト・アルバイラク氏だ」と、最大野党党首が言いました。

 Hurriyet
このヒトがエネルギー相で、エルドアン大統領の婿です


「どちらがわが国の首相ですか?」と、共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール党首が、10月11日、同党の国会議員にスピーチし、「私は善意をもってビナリ・ユルドゥルム氏に要請したい。“自分の立場を明確にし、あなたの権威を他人に分け与えないで欲しい”」と言いました。

「エルドアン大統領がモスル問題について語り合うなら、相手は外相か首相でしょう。なぜ、他の人がこういう問題に介入するのか?エネルギー会議には首相は出ないでしょう」


現政権AKPの地方政治家の殺害を親クルドHDPが非難

親クルド政党HDP(人民民主党)の共同党首が、南東部アナトリアでつづくAKP(公正発展党)の地方政治家の殺害を非難しました。

 Hurriyet
親クルド政党HDPの2人の共同党首デミルタシュ氏(左)とユクセクダー氏


HDPの2人の指導者セラハッティン・デミルタシュ氏とフィゲン・ユクセクダー氏は、この暗殺には“正当な理由がない”と言いました。

「われわれは政治的暗殺を激しく非難する。AKPの政治家を標的にした政治的殺人犯の行動には正当な理由はない」と、10月11日、デミルタシュとユクセクダーの2人の共同党首は声明を発表しました。「政党の政治家であるからと、テロの標的にされる理由はない」とデミルタシュ共同党首は言っています。

南東部では、すでに3人のAKPの政治家がPKKによって殺害されています。10月10日には、ディヤルバクル県ディジュレで、AKPの支部長デルヤン・アクテルト氏が仕事場で射殺されました。10月9日には、東部ヴァン県のオザルプで、AKPの副支部長アイドゥン・ムシュトゥ氏が殺害されています。ムシュトゥ氏は、自宅の前で、乗っていたミニバスを襲われ、抵抗した後、射殺されました。

9月14日には、南東部ハッカリ県シェムディンリ地区でも、AKPの政治家が殺害されています。2015年11月1日の選挙では、AKPのハッカリの候補者だったアフメト・ブタク氏が殺されています。彼は犠牲祭の休暇に息子を訪ねて帰宅し、家の前で殺されました。


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ロシアとトルコがガス・パイプライン協定に調印した

2016年10月11日 | 経済
10月12日 10日、トルコとロシアが、黒海の海底を通ってロシアの天然ガスをトルコとヨーロッパに運ぶパイプライン「トルコ・ストリーム」協定に調印しました。

 Hurriyet

ロシアのプーチン大統領との調印式で、トルコのエルドアン大統領は、「今後は閣僚と専門家たちが相互の話合いをつづけるだろう。経済、政治、防衛、観光、文化についても話し合われるだろう」と言いました。エルドアン大統領は、両大統領はアククユ原発のプロセス促進についても、合意に達したと語りました。

プーチン大統領は、両国は天然ガスのディスカウントについても合意に達したと付言しました。また、ロシア政府は柑橘類の輸出規制も廃止すると言いました。

両大統領は、シリアと「ユーフラテスの盾」作戦と戦略について詳細に話し合い、また、アレッポーへの人道支援についても討議したと、エルドアン大統領は言いました。プーチン大統領によると、両国政府は軍事的連絡を密にすることでも合意しました。
ロシアの「ガスプロム」(半国営の天然ガス生産・供給企業)とトルコの「ボタシュ」(国営ガス企業)は2014年、「トルコ・ストリーム」ガスパイプラインの建設合意の覚書に調印しています。「トルコ・ストリーム」は1年間に630億立方メートルのガスを、黒海を通ってロシアからトルコへ送ることができるパイプラインです。ロシア機撃墜事件で、パイプランの交渉は中断されていましたが、関係修復でプロセスは大きく進展しました。


2500万相当のドラグがイスタンブルで押収された

10月7日、警察はイスタンブルの手入れで、2500万リラ相当のドラグを押収しました。ドラグは化学的に調整された大麻をベースにした“スカンク”と呼ばれるものでした(10月11日の頁参照)。

 Hurriyet

警察によると、イスタンブル・バイラムパシャ地区のある建物の地下を手入れして、かつてない大量のスカンクを没収したそうです。警察は、ドラグを売る計画だった2人の容疑者、A.M.とI.C.を拘束しました。A.M.はコソヴォから来た男で、I.C.はイスタンブル市民でした。


南西部ムーラ県で、手つかずの古代の墓室発見

2400年昔の墓室が、南西部ムーラ県ミラス地区の建築現場から出土しました。ミラス考古学博物館当局は、何千年間、手つかずだった墓室から103点の遺物が発見されたと言っています。

 Hurriyet

ミラス博物館のギュルハズ・サヴラン館長によると、墓室は、古代カリア地方の首都だったミラサ市とラブラウンダ宗教センターの間の聖なる道路近くで発見されたそうです。現場には2600年昔から居住地が存在し、ミラスはこの古代都市の上に形成されたと、サヴラン館長は言っています。古代都市には重要な建造物が数多くあったそうです。

「最近、建築現場で大理石の墓が発見されたと聞いて、行ってみると、墓は動かされ、壊されている部分もありました。私たちは、このエリアの発掘を始め、この墓室を見つけました。墓室がいままで開けられず、荒らされていなかったことが、私たちを喜ばせました」墓室にはたくさんの埋蔵品がありました。

「墓室はいままで荒らされなかったので、これだけの遺物が今日まで残っていたのです。緻密な職人技や遺構、出土品から、この墓室は、ヘカトムヌス時代に生きていた、身分のある家族のものであり、何百年間も同じ家族が使ってきたことがわかります」とサヴラン館長は言いました。ヘカトムヌス(Hecatomnus)はBC4世紀初めのカリアの支配者です。

保護状態のよい2400年昔の美術品が出土
発掘チームは朝から晩まで墓室で働き、2400年昔の非常に重要な遺物に到達することができたそうです。「私たちは4体の骸骨を見つけました。6人の人々が火葬され、容器に収められて、埋葬されていました。墓室内には子供の墓もありました。骨でつくられたネックレスなど重要な美術品が、子供の墓で見つかったことも注目すべきです」と、サヴラン発掘隊長は言いました。「おそらく死者の家族が副葬品として、この墓室に埋葬したのでしょう」


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