トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

2016年、トルコで最も人気があった女子名は“ゼイネップ”

2017年02月28日 | 国内
2月28日 トルコ統計局と人口局の情報によると、2016年、トルコで女の赤ちゃんにつけられた最も多い名はゼイネップ(Zeynep)だったそうです。

 Sabah

ゼイネップという名は、2000年以来、2006年を除いて、毎年トップの座にありました。2006年は“エリフ”が1位になりましたが、翌年はまたゼイネップが1位の座を取り戻しました。

ゼイネップは預言者ムハムマドの長女の名で、アラビア語で“父親のジュエリー”すなわち“貴重な宝石”という意味です。2016年の2番人気はエリフで、次はヒラヌル、デフネ、ミライ、アズラ、ゼフラの順です。

2016年生まれの男の赤ちゃんの一番人気はユスフ(Yusuf)で、次はエイメン、オメル、ムスタファ、ミラチ、ベラト、アフメト、ハムザ、メフメト。ユスフはコーランからの名で、預言者の1人です。ユスフはヘブライ語名のヨッセフ、英語名のジョセフと同源のアラビア語名です。

・・・友人の娘さんのゼイネップちゃんは、愛称ゼイノです。


ギュレンはアメリカからカナダに逃げようとしているかも

トルコはアメリカの要請に従って、在米説教師フェトフラー・ギュレンのカナダの所有地に関する情報を送ったと、2月27日、イエニ・シャファク紙が報じました。

 Sabah

アメリカに送られた情報には、所有地の住所、いつ売られたか、だれが売ったかなどの情報も含まれています。ベキル・ボズダー法相は、最近、ギュレンはカナダに土地を買って、アメリカからカナダに移住することを考えているかもしれないと言いました。

ギュレン送還に関する交渉は、トランプ大統領になってからスピードが増しています。イエニ・シェファク紙によると、アメリカの新政権は、オバマ政権のときより、ギュレンの送還に傾いているため、フェトフラー・ギュレン組織(FETO)のメンバーは、ギュレンのためにカナダに土地を買ったということです。

トルコとカナダの間には犯罪者送還に関する協定がなく、もしギュレンがペンシルヴァニアからカナダに移れば、彼の送還はよりむずかしくなります。トルコの法務省は、2月24日、ギュレンがカナダに逃げる可能性について、アメリカに通告しました。

土地を買ったのはトルコ市民ということですが、身元はわかっていません。ギュレンの送還はトルコ=アメリカ間の長びいた問題になっていますが、ボズダー法相は、先週、「問題の長期化はトルコとアメリカの関係にひびを入れるだろう」と言いました。

「FETOが他の国、とくにカナダに土地を買うという確かな情報があります。トランプ大統領になってから、この動きが加速しているという情報を得ています」と、ボズダー法相は、2月23日、CNNトルコのテレビ・インタビューで語りました。「われわれはこの情報をアメリカ司法省に送りました」


雇用されている女性の数が昨年に比して4万人減少

トルコ経済政策研究財団(TEPAV)の報告によれば、トルコの雇用されている女性の数が、2016年1月、前年同月に比して4万人減少しました。

 Hurriyet

雇用されている女性の4万人減少は、1%の減少になります。社会保障協会のデータを使った報告では、雇用されている女性の数は、24分野の中の13分野で減少しているが、他の11分野では増加しているそうです。

給料労働者全体でみると、2016年11月、前年同月に比して14万人減少しています。急激な減少は中小企業に見られ、これら企業の就労者数は、前年に比して15万6000人減少しました。中小企業の労働者が最も減ったのはイスタンブルで、6万6000人の減少。つづいて、アンタリヤでは2万8000人の減少。首都アンカラで1万8000人、ゾングルダクで6000人、ガジアンテプで5000人減少しています。

トルコ81県の中の53県で、給料生活者の減少が見られます。2016年11月、雇用されている労働者数は270万7000人でした。労働力参加率は52.1%。


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子犬を救った高校のロボット・チームがスタンフォード大の招待を受けた

2017年02月27日 | 国際
2月27日 イスタンブルのベイコズ地区で、深い井戸に落ちた子犬を、レスキュー隊が救った話を、この頁でご紹介しましたが、ご記憶でしょうか。イスタンブルの高校生のロボット・チームがつくったロボット・アームが、子犬救出に役立ちました。

 Hurriyet

ロボット・アームを開発した高校生グループがスタンフォード大学から招待され、北カリフォルニアの名門大学のロボット研究所を見学することになりました。子犬を救うためにロボット・アームを開発したのは、バフチェシェヒル科学技術高校のロボット・チームのメンバーたちです。クユと名づけられた子犬のストーリーがネットでひろがり、子犬を救った装置を開発した高校生たちの働きがソシアルメディアで話題になりました。

Hurriyet

高校生たちの働きに感動したスタンフォード大学コンピュータ科学部のロボット研究所のキャティブ所長が、高校生チームに手紙を送り、同大学内の研究所に高校生たちを招待したのです。高校生たちはツイッターの頁に、「私たちは招待を受けて、スタンフォード大学に行きます。とても、とてもハッピーです」と書きました。

チーム・リーダーのアヌル・ジジ君はHurriyet紙に、彼らは4月にスタンフォード大の研究所を訪ねる予定だと語りました。「私たちはクユのために開発した装置のほかに、10個の装置をつくり、レスキュー隊に提供します。私たちは、若者も必要なときには役に立つことを、人々に示すことができました」


FETOメンバーがシリア難民のようにギリシャへ逃げている

フェトフラー・テロリスト組織(FETO)のメンバーが、身元を隠し、シリア難民のようにギリシャに逃げているそうです。FETOは2016年7月15日の未遂クーデターを組織したと考えられています。

 Hurriyet

トルコから逃げようとするクーデター容疑者たちは、トルコ北西部エディルネ県のスバシュ村、カドゥドンドゥルマ村、カラユスフル村、セレム村に集まって、マリツァ川対岸の、ギリシャのソフル村とディメトカ村に渡っているそうです。これはヨーロッパに行こうとするシリア難民が使うルートと同じです。

スバシュ村の住民の話によると、「ギリシャに渡ろうとする連中は暗くなるまで、村の林の中で待ち、灌漑用水路や野原や小道をたどって、1000~1500メートル離れたマリツァ川へ行きます。そこで2人の人間運び屋が、彼らを小舟に分乗させて、ギリシャへ連れて行きます。ギリシャに着くと、彼らは他のFETOのメンバーたちと落ち合い、コモティーニ地方の安全な家に定住します]ということです。

この問題について詳しいあるガイドは、スバシュ村やカドゥドンドゥルマ村の周辺の警戒は非常に厳しいと言い、人間運び屋はゴムボートを使っているのだろうと言っています。

・・・私、ギリシャ東部のコモティーニなど、ギリシャ国籍のトルコ人が多く住むところを旅したことがありますが、トルコ語がフツーに話され、トルコの田舎の村と同じ雰囲気でした。コモティーニに逃げ込めば、彼ら、暮らしていけそうな気がしますね。海を渡るより、川を渡るほうが危険ははるかに少ないし。


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「トルコ=シリア国境の壁が半分以上完成した」住宅開発局

2017年02月26日 | 国内
2月26日 トルコ=シリア国境に建設されている511キロのコンクリート壁の半分以上が完成したと、国営住宅開発局(TOKI)が言いました。

 Hurriyet

TOKIのエルギュン・トゥラン局長は、「シャンルウルファ、ガジアンテプ、キリス、ハタイ、マルディン、シュルナクの国境沿いの県に、290キロの壁が完成しました」と言いました。「あと220キロの壁の建設作業は進行中ですが、るだけ早く完成させます」

トルコ=シリア国境は900キロにおよび、シリアでは2011年から内戦がつづいています。壁の建設はTOKIが防衛省と財務省から調整を任されています。トルコは、国境のトルコ側では、コンクリートの壁を築き、シリア側では、トルコ軍が連合軍とともに、2016年8月から始まった「ユーフラテスの盾作戦」によって、国境の警備を強固にしています。「ユーフラテスの盾作戦」は、安全を確保し、アメリカ主導の連合軍を支援し、トルコと国境を接する北部シリアからテロを一掃することを目標にしています。

国境の壁について、トゥラン局長は、幅2メートル、高さ3メートル、重さ7トンの、移動可能なブロックの上に、高さ1メートルの有刺鉄線を張ると、言っています。「壁の外側には、260キロの道路を造ります。壁が完成したら、国境は安全になります」

TOKIはまた、防衛省と財務省と調印して決めた約束に従って、パトロールのための道路と監視塔を建設すると、局長は明言しました。国境の安全を守るための対策のひとつとして、政府は、内務省の管轄下に、プロの国境パトロール隊を結成することを計画しています。

国境の監視は、現在、内務省が行っていますが、他の省や中央行政団体も、税関、旅券審査、医療検査のような、さまざまな部門で関与しています。国境の防備と監視業務は、トルコ陸軍と憲兵隊と沿岸警備隊が行っています。


シャンルウルファの岩墓がツーリストに公開される

 南東部シャンルウルファの洞窟で発見された、2000年昔の岩墓の発掘が終了し、ツーリストに公開されることになりました。

 Hurriyet

多くの文明の故郷である歴史的都市シャンルウルファは、トルコの信仰と文化の主要な観光スポットです。古代の洞窟は、掘立小屋が立っていた、シャンルウルファ市カレ・エテーイ地区とクズルコユン地区の環境整備作業中に発見されました。掘り出された洞窟の中で113基の岩墓が見つかりました。現在作業が行われている岩墓室内で、多くの人物画を描いた、4層のモザイクが発見されました。

作業は県の文化・観光部、博物館、シャンルウルファ市の共同で行われています。ニハト・チフトチ市長は、シャンルウルファは文化の都であり、多くの文明の故郷だと言っています。「市内のそれぞれの発掘現場で、さまざまな時代の美術品が出土しています」

「環境整備作業中に、カレ・エテーイ地区で72、クズルコユン地区で61の洞窟が出土しました。洞窟の内部には岩墓がありました。これらの岩墓はAD1世紀、エデッサのアブガル王の時代のものです。古代墓地の床では、この時代の人物を描いたモザイクも発見されました。当時ここで暮らしていた家族が、この洞窟に埋葬されたのでしょう」と、チフトチ市長は言いました。「シャンルウルファを一種の“屋外博物館”に変える計画です」

「カレ・エテーイ地区は3,4か月以内に観光用に公開します。私たちは、シャンルウルファは洞窟の都市だと、ずっと言ってきました。洞窟は昔の居住地でした。ですから、洞窟内には、古代文明の痕跡が残っているのです。アーチや、ゲートや、床のモザイクによって、洞窟は私たちに、当時の生活様式や、哲学、豊かさ、建築、信仰などを教えてくれるのです。

クズルコユン地区の作業は6か月つづいていますが、「さらに詳細な調査のために、あと1年は必要」ということです。シャンルウルファ博物館の考古学者ベキル・チェティン氏は、この地方はエデッサのネクロポリス(古代墓地)で知られていたと言って。


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イスタンブルでホロコーストの犠牲者の記念式典が行われた

2017年02月25日 | 国内
2月25日 第2次世界大戦の悲劇、ストルマ号事件の犠牲者を記念して、2月24日、イスタンブルのサライブリュヌ(宮廷岬)で式典が行われました。ルーマニアのユダヤ人が乗った船が、イスタンブルで2か月間、停船を余儀なくされた後、ソ連の潜水艦に沈められ、750人がなくなった事件です。

 Hurriyet

イスタンブルのヴァシプ・シャヒン知事と、ユダヤ系トルコ人のチーフ・ラビ、ウシャク・ハレヴァ師が、悲劇の犠牲者のための式典に出席しました。トルコは2015年から、この日を公式の記念日とするようになりました。犠牲者の親族のユダヤ人たち、シャヒン知事、ハレヴァ師がスピーチし、哀悼と祈りを捧げました。式の終わりに、シャヒン知事とハレヴァ師は、750人が犠牲となった海に花輪を投じました。

トルコ外務省のヒュセイン・ミュフテュオール報道官も式典に出席し、「ホロコーストで命を落とした方々を忘れません。ホロコーストは人類史上、類例のない残酷な事件でした」と語りました。75年昔、ストゥルマ号で亡くなった人々は、ホロコーストから逃れてきたのです。ルーマニアのユダヤ人750人を乗せたブルガリアのストルマ号は、ナチを逃れ、パレスチナをめざしていましたが、イスタンブルで故障し、サライブリュヌで停泊せざるを得なくなりました。

船上のユダヤ人たちは、ドイツのトルコ政府への圧力のため、9週間、下船できず、パレスチナ行きもイギリスの反対で許可されませんでした。イスタンブルのユダヤ人社会が彼らを援助し、船のユダヤ人たちも限られた食料で、最後まで生き延びようとしていました。


クーデター共謀軍人の送還を拒否するギリシャを、トルコ外相が非難

2月25日、メヴリュト・チャヴシュオール外相が、2016年7月のクーデターに関与したと思われる8人の元軍人の送還を拒否するギリシャを非難しました。

 Hurriyet

「ギリシャが起訴されている反逆者の送還を拒否していることは、よき隣国同士の友好的な関係に反する」とチャヴシュオール外相は言いました。クーデター以後、不法にギリシャに入ったトルコ市民の数は、クーデター後に盗んだヘリでギリシャに逃げ込み、亡命を求めている8人の元軍人を含めて、100人になっています。

トルコ政府はくり返し8人の元軍人の送還を要請し、彼らを公正に裁くと約束しています。しかし、1月、ギリシャの最高裁は彼らの送還を拒否する判決を下しました。「残念ながら、今回のギリシャの対応に驚いてはいない。いま刑務所にいるPKK(クルド労働者党)の親玉も、ギリシャに隠れていた」とチャヴシュオール外相は言い、収監されているPKKのリーダー、アブドゥラ・オジャランに言及しました。オジャランは1999年に捕らえられ、収監されました。

1996年、ギリシャとトルコは、エーゲ海の小島カルダク島の領有権をめぐって、あわや武力衝突になりかけましたが、今年もまたぞろ、両国間の緊張が高まってきています。


トルコの女性フリー・ダイバーが世界記録を出した

世界のフリー・ダイビングの女性チャンピオン、デルヤ・ジャンが、氷に蔽われた湖で、120メートルの無呼吸水平ダイビングで、ギネス世界記録を破りました。

 Hurriyet

ジャンは、35センチの氷に蔽われた、オーストリアのヴァイセンゼー湖に潜り、息つぎをせずに、120メートルを1分47秒で泳ぎました。ジャンはフランスの無呼吸ダイビング選手オーロル・アッソの112.3メートルの記録を破りました。彼女はこの新記録をトルコの女性たちに捧げたいと言っています。デルヤ・ジャンは12月、アンタリヤ県のフリー・ダイビングで、2つの世界新記録を出しています。


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トルコ法相がアメリカ司法長官に、ギュレン送還に関する書簡を送った

2017年02月23日 | 国際
2月23日 ベキル・ボズダー法相が、アメリカのジェフ・セッションズ司法長官宛てに、在米の説教師フェトフラー・ギュレンの送還に関して書簡を送りました。ギュレンは2016年7月の未遂クーデターの首謀者と考えられています。

 Hurriyet

書面で、ボズダー法相は、ギュレン送還に関して、トルコのアメリカへの期待をくり返したと、法務省情報源がHurriyet紙に語りました。法相はまた、ギュレンンの送還は両国の関係の進展に大いに貢献するだろうとも書いています。

トルコ政府は送還の前に、ギュレンを一時逮捕するよう要請し、トランプ政権との新たなイニシアティブの一環として、要請の根拠となる追加資料も送っていると、ボズダー法相は言っています。ボズダー法相によると、ギュレンがクーデターに関与している追加証拠の中には、コードネーム“シャプカ”証人の証言もあるそうです。クーデター計画はギュレンの指示の下、アンカラのさる別荘で準備され、主要な容疑者の1人アディル・オクシュズによってアメリカに送られたと、シャプカは証言しています。

ボズダー法相は、ギュレンの一時逮捕と送還手続きを早急に終わらせることは、両国の協定によって行われるはずと強調して言います。書簡では、ボズダー法相は、セッションズ司法長官の就任を祝い、新政権下での両国の友好関係の継続をトルコ政府は期待していると言いました。

トルコはアメリカ政府の要請に応じて、アメリカに証拠を示し、ギュレンの送還を要請しています。2016年8月末、アメリカ側が関連資料を調査するためトルコを訪れました。ボズダー法相も、この問題を話し合うため、2016年10月、訪米しています。


トルコは世界第10位の交通渋滞国

トルコは交通渋滞のひどさで世界第10位になりました。INRIXの調査によると、2016年、トルコのドライバーたちが交通渋滞で過ごした時間は、平均34時間だそうです。

 Sabah

都市のレベルで見ると、イスタンブルが、世界の交通渋滞都市の第15位。ドライバーが交通渋滞で過ごした時間は平均54時間でした。トップはロサンジェルスで104時間、次がモスクワ(91時間)、ニューヨーク(89時間)、サンフランシスコ(83時間)、ボゴタ(80時間)。

レポートによると、イスタンブルのドライバーは、混む日は、ドライブ時間の25%は待ち時間で、すいている日は20%が待ち時間だそうです。INRIXはこの調査のために、1064都市と38か国の、3億のソースからデータをとっているということです。


アナトリア最大の隊商宿が60年ぶりに修復される

中央アナトリアのアクサライとコンヤを結ぶ道筋にあるスルタンハヌ・キャラバンサライ(隊商宿)は、アナトリア最大の隊商宿として知られていますが、60年ぶりに修復が行われることになりました。スルタンハヌは800年昔、セルチュク朝スルタン・アラアッディン・ケイクバトが、「シルク・ロード」を旅する人々の安全な宿泊施設として建てたものです。

 Hurriyet

「歴史的キャラバンサライ修復と環境整備プロジェクト」が、600万リラの予算で、来月から始まります。このプロジェクトでは、建物内に、絨毯織り場や、テキスタイルの工房、絨毯博物館も設けられる計画です。

環境省の文化・自然遺産部・副部長のジェンギス・テキンソイ氏は、「スルタンハヌは、わが国の希少な歴史的建物のひとつです。この美術的建物と地域のために、修復は極めて重要です。専門家がこのプロジェクトのためのプレゼンを行いました。入札と査定は地方行政が関与します。まだ入札が行われていないので、なにもわかりませんが、修復は今年から始め、3年間で終わらせる予定です」と言っています。

修復が完成すれば、キャラバンサライは文化的にも、観光的にも、社会的にも知られ、地域にも大きく貢献するだろうと、テキンソイ氏は言いました。

年間、50万のツーリストが訪れる
スルタンハヌ地区のファフリ・ソラク区長は、キャラバンサライの修復は60年前に行われたきりだったが、今度の修復でオリジナルの状態になると言いました。「キャラバンサライには年間50万人の内外のツーリストが訪れています。一部欠けている正面の石の門は完璧に修復されます。屋根から2階への水漏れもなくなります」

・・・私、スルタンハヌは2回も行っています。最初は1人で、2度目は友人グループといっしょに。コンヤに行ったら、ぜひ行ってみるといいですよ。あ、修復中はクローズになるかな?


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女性兵士のスカーフ着用が許可される

2017年02月23日 | 国内
2月23日 防衛省の軍規を拡大する新しい規則によって、女性兵士は制服の一部としてスカーフを着用できるようになるでしょう。

 Hurriyet

新しい修正案によると、参謀部と、司令本部と支部の女性将校と下士官は、キャップやベレーの下で、制服と同色無地のスカーフで頭を包んでもよいことになります。この規則は女性士官学校生にも適用されるでしょう。官報に発表された時点で、新ルールは有効になります。

内務省は2016年8月に、女性警官がキャップやベレーの下で、制服と同色の無地のスカーフで頭を包むことを許可する修正案を出しています。現政権・公正発展党(AKP)は、エルドアン大統領が首相だった2013年9月、公務でのスカーフの禁止令を廃止しました。しかし、当時は、治安職員、裁判官、検事、軍人には、この規則から除外されました。

2013年には、女子学生も国家施設内でのスカーフ着用を許され、1年後には、この規則は高校にも適用されました。政府はまた、大学のキャンパス内でのスカーフ着用の禁止令を廃止しました。公務員のスカーフ禁止令の廃止は、何十年も政治の場で論争になってきました。

2013年後期には、スカーフを着用した女性議員が、14年間で初めて、国会の本会議に出席しました。1999年には、美徳党(いまは存在しない)から選出されたメルヴェ・カワクチュ議員が、スカーフを着用して登院し、宣誓式で議員立にやじられて、誓言できませんでした。


「北シリアでIS戦闘員56人を殺害」トルコ軍発表

2月22日の作戦で、トルコが支援する軍と、アメリカ主導の連合軍の空爆によって、イスラム国(IS)戦闘員56人が、シリアの町アルバブ周辺で殺害されたと、2月23日、トルコ軍が発表しました。

 Hurriyet

トルコの砲兵隊が、ISの建物や車両など104のターゲットを砲撃し、アルバブの住宅エリアの大半を支配したと、トルコ軍はくり返し声明しました。

2016年8月、トルコ軍が自由シリア軍(FSA)とともに作戦を開始して以来、トルコ国境から30キロのISの本拠地が、トルコ軍の主要ターゲットでした。ジハーディストの11人は連合軍の空爆で殺害され、その他はアルバブの作戦中、トルコ軍の砲撃と戦闘で殺害されました。


イランの投資家がイスタンブルの高層ビルのアパート47戸を売却した

イランのビジネスマン、メフルダド・サファリ氏が、イスタンブルの高層ビルの高級アパート47戸を9060万ドルで売却しました。

 Hurriyet

キレル不動産投資信託は、イスタンブルの株式取引所「ボルサ・イスタンブル」で売却を確認しています。45歳のバイヤー、サファリ氏は、イランにも外国にも不動産投資をしていると、キレル不動産投資信託のニハト・キレル会長は言っています。

「メフルダド・サファリ氏は、以前、わが社のサファリ・プロジェクトのアパート1戸を借りていました。彼の子供たちはイスタンブルの学校に通っています。彼の親族たちは、彼がわが社から買ったアパートに住んでいます。残りのアパートは転売するか、賃貸するのでしょうね」と、キレル氏は言いました。売却は2月20日に行われたと、キレル氏は言っています。

イスタンブル・サファイアは、イスタンブルでも、トルコでも、最も高いビルで、市の中心部レヴェントにあります。サファイア・ビルは2010年に建設され、ヨーロッパでは4番目に高い建物です。ビルは54階建て、地上からの高さは238メートル、尖塔を含めると、高さ261メートルになります。設計はタバンルオール建設社、ショッピングモールと住居を兼ね、キレル不動産投資信託が管理しています。

・・・イランの投資家、テロつづきのイスタンブルに見切りをつけたということでしょうか。イスタンブルの真ん中に、あのバカ高いビルができたときは、バカみたいと思いましたけど。


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トルコ各地でIS容疑者35人拘束

2017年02月22日 | 国内
2月22日 イスタンブルの対テロ警察が、2月22日、イスラム国(IS)と関係あると疑われる35人を拘束したと、アナドル通信が報じました。

 Hurriyet

警察は、イスタンブルの低所得地域2か所の住居41戸を同時手入れし、容疑者らを拘束しました。容疑者の国籍等はまだ不明。

昨年、ISとクルド労働者党(PKK)による一連のテロ攻撃を受けたトルコは、全国で対テロ作戦を展開しています。2月初旬、29県で行われた警察の大捜査では、ISと関係あると思われる容疑者750人が拘束されました。35人がなくなった、元旦早朝のイスタンブルのナイトクラブのテロでは、ISが犯行声明を出しています。

1月30日に全国で始まった同時作戦では、約820人のIS容疑者が拘束されたと、2月6日、内務省が発表しました。警察は2月5日、748人を拘束しました。警察はまた、多くの組織の資料、デジタルの資料、無免許の拳銃2丁、ライフル4丁、カートリッジ372個を押収しました。

警察は、29県の同時手入れは、じゅうぶんな調査をしてから行ったと、声明で言っています。容疑者たちはシリアやイラクと結束していました。容疑者たちはトルコでのテロ攻撃を計画し、また戦闘員募集のための宣伝活動も行っていたそうです。


クーデターに抵抗した下士官殺害の裁判が始まった

 クーデターに抵抗した兵士殺害の裁判が始まりました。彼は特殊部隊の司令部が襲撃されたとき、クーデターに反対し、クーデター派の兵士たちに殺害されました。

 Hurriyet

2月21日、アンカラの第14重罪裁判所で、オメル・ハリスデミル下士官殺害のケースで、18人の容疑者の裁判が始まりました。ハリスデミル下士官は司令官の命令で、アンカラの特殊部隊本部の外で、クーデター派の司令官だったセミフ・テルジ将軍を射殺し、その後、クーデター派の兵士たちに殺害されました。2016年7月のクーデターはフェトフラー・テロリスト組織(FETO)が首謀者と考えられています。

クーデター後、ハリスデミル下士官は偶像視され、生まれた子に彼の名をつける親が続出し、多くの人々が彼の墓に参りました。公園や学校にも彼の名がつけられ、彼を記念する商品も売り出されました。

スーツを着た容疑者たちは、カメラの砲列の前を歩いて、裁判所に連行されました。裁判官が容疑者の本人確認をするときも、彼らの後ろには盾を持った警官が警備に当たっていました。ハリスデミル下士官を故意に殺害し、政府転覆を企てたとして告発されている18人は、終身刑判決に直面しています。また、武装テロ組織のメンバーであったとして、15年の禁固刑がプラスされると思われます。


アダナ警察が18世紀のキリストのイコンを押収

18世紀のものと思われるイエス・キリストのイコンが、南部アダナ県で警察に押収されました。

 Sabah

イコンは、市の中心のチェック・ポイントで止められた車の中で見つかり、2人の容疑者は拘束されました。容疑者の1人は、イコンは父親からもらったものだと言っています。

イコンは長さ1.78メートルの布地に描かれ、ギリシャ語で“司教”を意味する“アルキエレウス(Archiereus)”と書かれています。イコンは調査のため、アダナ博物館に送られました。


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女を旅行鞄に入れ密入国を試みたグルジア人が拘束された

2017年02月22日 | 国内
2月21日 北東国境のアルトゥヴィン県の警察が、2月20日、2人のグルジア人を拘束しました。男性容疑者が女性容疑者を旅行カバンに入れて密入国させようとしたのです。

 Hurriyet

アルトゥヴィン県ホパ地区のサルプ国境ゲートで、警察チームが、挙動不審な男S.A.が持っていた旅行カバンに入っていた女を発見しました。警察は2人を調べ、女は、3か月前、ビザが切れて、国外追放されていたM.M.だとわかりました。国境警察は2人の容疑者を拘束しました。


エルドアン大統領暗殺計画に参加した兵士たちの裁判が始まった

2016年7月の未遂クーデターで、エルドアン大統領の暗殺を企てたとして告発された44人の兵士たちの裁判が、2月20日、始まりました。

 Hurriyet

厳重な警備の中、被告たちは、エルドアン大統領と家族が危うく難を逃れたリゾ-トから遠くないムーラの裁判所に連行されました。ほとんどが軍人の容疑者44人はすでに逮捕されていますが、まだ逃亡中の3人は欠席のまま裁かれることになります。

起訴状によると、ムーラの検察は、47人の容疑者を、大統領暗殺の企て、憲法違反、武装テロリスト組織のメンバーだったことなど多くの罪状で告発しています。エルドアン大統領の元副官を含む容疑者たちは、刑務所から裁判所へ連行されるとき、国旗を振り、死刑を要求する200人ほどの群衆に出会いました。「われわれは彼らの死刑を望みます」と、プロテスターの1人、61歳のズハル・アイハンさんは言いました。

裁判所の周辺には非常線が張られ、警察の狙撃兵が建物の屋上から見張っていました。ムーラの裁判所は大勢の被告を扱うには小さすぎるため、裁判は隣の商工会議所の会議室が使われました。起訴状によると、容疑者のうちの37人は襲撃に直接参加したとして告発され、その他は襲撃に協力したとして告発されています。

審問中、このケースの主要な容疑者である在米の説教師フェトフラー・ギュレンと、他の数人の容疑者を担当させられた弁護士たちが、クライアントを弁護したくないと言いました。エミルシャー・バシトー裁判長は、弁護士の問題は後日、解決すると言いました。新たに弁護士が任命されるでしょう。

バシトー裁判長はまた、この裁判は4日間つづき、24日は休み、28日に再開され、3月15日までつづくと言いました。


Hurriyet紙が移民や子供が働くイスタンブルの“搾取工場”を取材

イスタンブル・ファティフ区のキュチュクパザルが“搾取工場”のセンターになっています。工場では外国人の子供たちが、ひどい条件下で働かされています。

 Hurriyet

歴史あるシュレイマニエ・モスクの裏、キュチュクパザルの小路にある大きな商業ビルが、いま、テキスタイルの作業場になって、大勢のシリア人、パキスタン人、イラク人、テュルクメニスタン人が働いています。何十かあるこれら作業場は、偽ブランド・バッグをつくり、ほとんどはイラクに輸出しています。

シャツをつくっている地下の“搾取工場”のひとつで、Hurriyet紙は、エアコンも窓もない部屋で働いている子供たちを見ました。10~14歳の子供3人を含む25人が、リビングルーム2つほどの狭いスペースで働いていました。子どもの1人はアイロンをかけ、2人は荷造りをしていましたが、休みもせずに働いていました。

“搾取工場”で働くのはほとんどが移民で、トルコ人はほとんどいません。子供たちはトルコ語をほとんど話せないので質問にも答えられません。トルコ人の子供も、答えたがらず「ボスに言って」と、マネジャー室を指さしました。マネジャーは匿名を条件に話しました。「ビジネスをつづけていくために頑張っているんです。多くの作業員を解雇せざるを得ませんでした。この工場では、成人には最低1300リラ(360ドル)払っています」

子どもの作業員について尋ねると、マネジャーは2分ほど沈黙した後、「子供は“小遣い銭程度”です。彼らは正式に働いているわけではありませんから。彼らは私の友人の子供たちで、ここで仕事を学んでいるんです」と答えました。

アイロンかけをしていた作業員の1人は、「サラリーは、こなした仕事の量による」と言いました。彼らの給料は1か月800~1000リラで、子どもはもっと少ないということです。「サラリーは年齢と仕事で決まります。アイロンかけは600リラくらい。使い走りはせいぜい400リラ」と、彼は言い、1日12時間くらい働くとも言いました。


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「エスキシェヒルとアンタリヤが高速列車で結ばれる」交通相

2017年02月20日 | 国内
2月20日 エスキシェヒルとアンタリヤを結ぶ高速鉄道プロジェクトが実現するだろうと、2月19日、アフメト・アルスラン交通・海事・通信相が発表したと、ドーアンニュースが報じました。

 Hurriyet

中央アナトリアのエスキシェヒル県と地中海岸のアンタリヤ県間の新路線は、エーゲ海地方のアフィヨンカラヒサル県を通ると、交通相は言いました。アルスラン交通相はエスキシェヒルのアズミ・チェリキ知事を訪ね、エスキシェヒルは重要な交通の交差点だと力説し、列車や高速道路、空路のプロジェクトを実現してきたことを賞賛しました。

「今日では多くの人々が高速列車で旅行しています。エスキシェヒル、ビレジク、コジャエリ、イスタンブルが高速列車で結ばれます」とアルスラン交通相は言いました。「エスキシェヒルと、温泉で知られるボルも高速列車で結ばれます。この線は重要な観光センターとして知られるギョイニュクも通ります」


シャンルウルファのテロを命じたPKK上級戦闘員は死んでいた

17日、南東部シャンルウルファのクルド労働者党(PKK)による車爆発テロは、警備員と11歳の少年が犠牲になりましたが(昨日の頁参照)、このテロ攻撃を命令したPKKの上級戦闘員は、同じ17日、南東部マルディン県の作戦中に、死亡していました。

 Hurriyet

PKKの上級戦闘員ヤシャル・ウイグル(コードネーム=ベフザト)は、17日、午後6時半頃、治安部隊によって殺害されましたが、その2時間後、シャンルウルファのヴィランシェヒルで車爆発テロが起こりました。ハベルテュルク紙によると、PKKのマルディンの司令官だったと言われるウイグルは、シャンルウルファのテロ攻撃を命じた2人の1人でした。

もう1人の上級戦闘員イシャク・オズチャクトゥは、治安部隊を逃れ、ディヤルバクル・リジェ地区の農村地帯に隠れていると言われます。警察はまた、ウイグルが殺されたシェルター内で、カチューシャ・ミサイルを発見したと発表しました。ミサイルは、イスタンブル、アンカラ、イズミル、コジャエリで使用する予定で、PKK戦闘員が偵察していたそうです。

ウイグルとオズチャクトゥは、トルコ各地で少なくとも150人を殺害したテロ攻撃の背後にいたと言われています。17日のシャンルウルファのテロでは、外ネコに餌をやりに、ちょっと家を出た11歳の少年が犠牲になりました。痛ましいことです。


放置されたアルテミスの神殿が水浸しに

 イズミル県セルチュク地区のアルテミスの神殿が、放置され、水浸しになっています。この神殿は世界七不思議のひとつとされ、ユネスコの文化遺産にもなっていて、毎年、多くのツーリストが訪れていました。

 Hurriyet

有名なエフェスの遺跡を見にこの地へ来るツーリストが、この神殿も訪れていたのですが、いまは案内板も錆びています。神殿エリアに人影もなく、放置された原っぱのようです。発掘のために掘られた穴に雨水が溜まり、危険な状態です。

エフェス博物館当局は、歴史ある神殿の現状は不満だと言い、第一歩として、文化観光省の許可に従って、神殿周辺の環境を整備する計画を立てることが必要だと語りました。まずこのエリアの水を除き、かつてここにあった神殿の姿を訪れる人に伝えるために神殿の模型をつくりたいと、博物館当局は言っています。

神殿はBC560~550年、リュディアの王クロイソスの時代に建てられました。神殿の建設は10年つづきましたが、BC4世紀、ギリシャのへロストラトスによって破壊されました。彼は羊飼いでしたが、有名になりたくて、神殿に放火したのです。神殿はその後、同じ敷地に再建され、まえより3メートル高くなりました。神殿の面積は55.10m×115m、大理石の彫像で知られ、ヘレニスティック時代の最大の神殿でした。しかし、AD262年頃、ゴート族の侵入で破壊され、その後、修復されませんでした。

エフェススの最初の考古学的発掘は、1869年、ブリティッシュ博物館のJ.T.ウッドによって始まりました。発掘で見つかった多くの出土品はブリティッシュ博物館に持ち去られました。オーストリアのウイーン博物館にも、このアルテミス神殿から出土した物がたくさんあります。

エフェススの博物館には、2体の大きなアルテミスの彫像が展示されています。出土品がイギリスとオーストリアに持ち去られた後のエリアには、大理石の断片と柱と滑車が残っているだけです。神殿が立っていた土地は、1893年に発掘を始めたウイーン大学のオットー・ベンドルフ教授の子孫のものです。トルコ文化観光省はアルテミス神殿の利用権を持っています。


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カッパドキアでバルーン落下。オランダ人ツーリスト1人死亡

2017年02月19日 | 観光
2月19日 カッパドキアで、強風にあおられて熱気球が落下し、オランダ人ツーリストが死亡しました。54歳のジェンセン・ベニイ・カールさんは、午前8時半頃、20人のツーリストたちと一緒にバルーンに乗り込みました。

 Hurriyet

バルーンはネヴシェヒル・ギョレメ地区のカラダーに着陸するため降下しはじめましたが、着地時に強風にあおられたと、交通・海事・通信省は18日、声明で発表しました。カールさんはバルーンのバスケットから落ち、岩に頭を撃ち、からだも骨折したそうです。彼は病院に運ばれ、緊急治療を受けましたが、亡くなりました。

交通省から事件の調査チームが現地に送られたと、声明は言っています。


「平和交渉は再開する」トルコ・キプロス大統領

せっかくキプロス平和交渉が進んでいるときに、ギリシャ・キプロス議会が、2月16日、公立学校で“エノシス”記念日を祝うことを決議したため、再統合交渉は横道へ脱線してしまいましたが、トルコ・キプロス大統領は、「われわれは2つの地域と2つのコミュニティの連邦国家建設を支持し、再統合交渉を決してあきらめない」と言いました。

 Hurriyet

交渉が再開される「次の木曜(23日)まで1週間ある。われわれは次のステップを待つ。われわれはこの島に解決と平和を望んでいる」と、ムスタファ・アクンジュ大統領は言い、ギリシャ・キプロス人は信頼回復に努めるべきだと付け加えました。

1950年の国民投票で、ギリシャ系キプロス人の96%が、キプロス島のギリシャへの併合に賛成票を入れましたが、この国民投票の日を記念日とすることをギリシャ・キプロス議会が認めたため、南北間にまたも緊張が高まってしまったのです。(ギリシア系キプロス人の、島をギリシャに併合しようという運動をエノシスと言います。)

国連のエスペン・バース・アイデ特使は「2月16日の、アクンジュとアナスタシアデス両大統領の会談は突然に打ち切られ、愉快なものではなかったが、来週に予定されている次のラウンドは行われる」と言っています。「両大統領が“交渉はもう終わりだ”とは言っていないことに、ほっとしています」とアイデ特使は言っています。

17日、両大統領は、前日のアナスタシアデス大統領の“退出事件”で、激しい舌戦になりました。「アナスタシアデス大統領は、会談中、エノシス問題が討議されているとき、アイデ特使の調停も聞かず、“言うことはなにもない”と言って、ドアをバタンと閉めて、出て行った」と、アクンジュ大統領は主張しています。

アナスタシアデス大統領はこれを否定し、彼の報道官は正面切って、アクンジュ大統領を非難しました。AFPによると、アナスタシアデス大統領は声明を出し、「いずれにしろ、私は不必要な非難合戦はしたくない」と言っているそうです。

1974年の軍事クーデター後、トルコが保証国として介入して以来、東地中海の島キプロス島は、北のトルコ・キプロスと南のギリシャ・キプロスに分断されたままです。キプロス再統合のベスト・チャンスと言われた2015年5月以来、南北キプロスは、まとまるかと見えてまとまらない平和交渉をつづけてきました。


チャムルジャのモスクのドームに世界最大のフィニアルが置かれた

18日、イスタンブルのアジア側、チャムルジャの丘に建設中のモスクのドームのてっぺんに、世界最大のフィニアル(ドームの頂点に置かれる装飾)が据えられました。フィニアルの長さは7.77メートル、重さは4.5トン。

 Sabah

あるトルコの会社が製作したステンレススティールのフィニアルは、特殊加工によって黄金色にされました。ドームができて、トルコ最大のモスク建設プロジェクトは78%完成したと、当局は言っています。モスクは6万人の礼拝者を収容できます。プロジェクトで働く職員の1人、エルギン・キュリュク氏は、「建設現場では700人が働いています。プロジェクトは2017年中に終わると思います」と言いました。

図書館、トルコ・イスラム美術博物館、設計作業場、会議室など含む建設プロジェクトは、2013年から始まり、2人の女性建築家バハル・ムズラクさんとハイリエ・ギュル・トトゥさんが設計を担当しました。予算はおよそ1億5000万リラ(6650万ドル)。

モスクの尖塔は107.1メートルあり、メジナのモスクより高いそうです。昨年7月、ラマザンの最も聖なる夜に、開館礼拝が行われました。


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