トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

トルコ軍の戦車がシリア国境に配備された

2014年09月30日 | 国内
9月30日 トルコ領内にシリアからの迫撃砲が落下したため、トルコ軍の戦車がシリア国境に配備されたと、アナドルニュースが報じました。月曜、シリアからの迫撃砲弾が2発、東南部シャンルウルファ県の町スルチのムルストプナル地区に落下したため、少なくとも35台の戦車がスルチに配備されたそうです。

 Sabah

コバニ周辺でのイスラム国(ISIS)とクルドのペシュメルガとの戦闘はエスカレートしています。トルコの国境の町スルチで、日曜、人家に迫撃砲が落ち、3人が負傷しました。トルコ軍はすぐ砲撃で応じました。国境のトルコ軍の戦車は銃口をシリアに向けています。

トルコ軍は国境から安全な距離をとった地点で、コバニ(シリアではアイン・アルアラブと呼ばれる町)周辺の戦況を監視しています。コバニに攻め入ってくるISISを逃れて、16万人以上のクルド人住民がトルコに逃げ込んでいます。

最近の激しい砲撃船戦で、町の上空には砲煙が立ち込めています。ISISはカニ・クルダ地区を砲撃し、その破裂弾が、トルコへ向かって逃げる人々の車の列に命中しています。ムルストプナル国境ゲートから近い野戦病院に負傷者たちが運ばれていますが、救急車で国境を越え、トルコ領内に運ばれてくる負傷者もいます。

・・・トルコのシリア国境沿いは、すでに半ば戦場と化したようです。とんでもない事態になってきましたね。


「宗教コースを廃止したら、ドラッグがひろがる」エルドアン大統領

「学校の宗教教育を廃止したら、若者の間にドラッグや暴力や人種差別がひろがるだろう」と、エルドアン大統領が言いました。社会と若者を“有害な習慣”から守るNGO「イエシルアイ(緑新月会)」が、9月29日に開催したシンポジウムでの発言です。

 Hurriyet

エルドアン大統領は「子供たちが宗教と道徳の教育を受けなかったら、他のもので“ギャップ”を埋めようとする」と言って、学校での宗教教育を擁護しました。「若者たちがドラッグや組織暴力に走れば、そこからテロにつながっていく。学校での宗教教育は“ドラッグ中毒、テロ、暴力、人種差別、反ユダヤ主義、イスラム嫌いに対する戦いの力になる”」

エルドアン大統領はまた、「世界中で1億8000万人がドラッグを使い、7500万人が依存症になっている。トルコの7600万人の人口の2.7%が、少なくとも1度は不法薬物を使っている。テロはいま、現に世界の平和を脅かしている」と言いました。「人々はみな、結果を語るが、原因を語らない」

・・・日本にもヘンな人がふえてきましたが、宗教教育したらヘンな人、減りますかね。


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4日間の断水にカドキョイの住民怒る

2014年09月29日 | 国内
9月29日 イスタンブルのアジア側カドキョイ区モダの住民たちが、4日間の断水に怒って、タオルをかぶって抗議デモをし、28日、区は給水を始めました。

 Hurriyet
 
容器を持って給水車に行列する人々。カドキョイのモダで


断水はソーウトルチェシュメ地区にある配水管が破裂したのが原因だったそうです。カドキョイ地区は4台の排水車を区の中心に送って対応、地元民が群がりました。区の補修作業員が28日には修理を完了しました。

・・・こんなノンキなニュースもたまにはいいですね。


「トルコはクルド難民のためにもっとキャンプを建てる」社会安全保障相

ファルク・チェリキ社会安全保障相は土曜、ISISの攻撃を逃れてきたクルド人たちに会うために、ユムルタルク国境ゲートを訪れました。

 Sabah

チェリキ大臣は、クルドの町コバニからトルコへ逃げてくるすべての難民を歓迎すると言い、政府は新たにキャンプを建設して難民にシェルターを提供するとくり返し言いました。「トルコは、エルドアン大統領の指示により、難民の車にも家畜にも国境を開きます」

シリアのクルド人たちは、9月19日にトルコが国境を開いて以来、流入しつづけています。


ヒッタイトの都でローマ時代の痕跡発見

幅20メートル、長さ40メートルのローマ時代の建造物が、ヒッタイト文明の都ハットゥーシャの発掘で発見されました。発掘隊長アンドレアス・シャクナー助教授によると、ハットゥーシャの発掘は1906年に始まり、108年間つづいているそうです。

 Hurriyet

今年終わった発掘で、ハットゥーシャの北の部分で、記念碑的建造物が出土しました。「今年の作業で最も驚くべきことは、ローマ時代を掘り出したことです。私たちは科学と観光の分野でのギャップを埋める建造物に到達したのです。私たちはここに墓地があったことはわかっていましたが、居住地がどこだったかはわかりませんでした。今年の発掘はラッキーでした」

この建造物はAD2世紀のものだと、シャクナー助教授は言いました。「私たちは建築技術から時代を知りました。2枚のコインからもわかりました」
建物がなんに使われていたか,教会だったかもしれないとシャクナー助教授は言っています。「このエリアの広さから考えて、この建物はさまざまな目的のための集会所だったと思われます。この建造物を解明することによって、このエリアの文化の発展に関する知識のギャップが埋められるでしょう」

 
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「わが党はトルコ軍の外地派兵に反対する」とCHP党首

2014年09月28日 | 国内
9月28日 最大野党・共和人民党のクルチュダルオール党首は「わが党はトルコ軍を隣国に送る作戦には反対する」と言いました。

 Hurriyet
 
ボルのメンゲンの料理フェスティバルに出席したクルチュダルオール党首(中央)


エルドアン大統領は9月26日、トルコはイスラム国に対する地上作戦に参加する用意があると、明確に意志表示しています。「関係諸国はいま陸上作戦を計画している」と大統領は言っています。

シリアとイラクへの地上作戦にトルコがかかわる可能性について記者団に尋ねられたクルチュダルオール党首は、「わが党はトルコ陸軍(TSK)を他国の領土に侵入させたくない。わが党はトルコ軍を戦争に参加させたくない」と言いました。

クルチュダルオール党首はまた、政府とエルドアン大統領を批判して言いました。「トルコは多くの問題を抱えている。イスラム国というトラブルがある。イスラム国は多くの人々を殺し、トルコを脅かしている。49人のトルコ市民が人質になっていたため、政府は最近まで、彼らをテロリストと呼ぶこともできなかった。トルコは中東でも、西洋でも尊厳を失っている・・・」

・・・そりゃあ、だれだって戦争はしたくないけど、イスラム国がシリア国境を越えてきたらどうするの?


政府は10歳以上の女生徒のスカーフ着用を許可

9月27日、公立小中学校の服装規制を変更する政府法令が官報に発表され、10歳以上の女生徒がスカーフを着用して授業に出ることが許可されることになりました。

 Hurriyet
 
女生徒は5年生(10歳)からスカーフ着用が許可される。


規制によると;-生徒はメーク、タトゥー、ピアスは許可されない。生徒は顔を隠して登校してはならない。政治的シンボルや写真、文字を表示したスカーフ、ベレー,帽子、バッグなどを使用してはならない。髪を染めない。タトゥ-やメークをしない。ピアスをしない。髭をはやさない・・・という新しい規制が官報に掲載されました。

今度の制は、幼稚園や小学校の生徒はスカーフを着用してはならないとしていますが、この禁止令は5年生(10歳)まで、すなわち11歳からはスカーフを着用してよいということになっています。また、男女共学の廃止を求める保守的な教職組合もあるそうです。

・・・自分からスカーフをかぶりたがる子供はいないでしょうが、11歳の女の子にスカーフを被せる親が出てきたら嫌ですね。


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周辺諸国不穏の中、トルコのツーリズムは好調

2014年09月27日 | 観光
9月27日 2014年1月~8月にトルコを訪れた人の数は、昨年同期に比して7%アップしたとトルコ観光相は言っています。

 
Sabah

オメル・チェリキ観光相は土曜、「今年1月から8月の間に2570万人のツーリストが訪れているが、昨年同期は2370万人でした。世界観光機構は今年の世界の観光の成長は4~5%と予想していますが、トルコは7%を超えました。トルコの観光は周辺の国々が不穏な状況にあるにもかかわらず、記録を破りつづけています」と言いました。

トルコを訪れるツーリストのトップはドイツ人、次いでロシア人、イギリス人が2位3位です。

・・・トルコの隣国シリアとイラクがイスラム国(ISIS)にかきまわされている不穏な状況下にあって、トルコ観光が好調というのはすごいですね。


「トルコは対ISIS連合に必要なことはなんでもする」とエルドアン大統領

エルドアン大統領は「トルコは対イスラム国(ISIS)地上作戦に参加する用意がある」という明確な意志を示しました。「関係諸国は地上作戦を計画している」とエルドアン大統領は言い、10月2日、トルコ国会で、今後のトルコの行動範囲の拡大について票決すると述べました。

 Hurriyet

エルドアン大統領はニューヨークの国連会議からの帰途、機内で記者団に語りました。

「49人のモスルの領事館の職員らは、101日間の拘留の後、解放された。しかし、102日前の状況に戻ったわけではない。われわれはこの状況を再評価するべきだ。トルコと関係諸国は話合いを行っている。トルコは分担すべき必要な義務を果たす。トルコは軍事的立場をとらないだろうと言われているが、それは違う。わが国の国境を他国が守ってくれるだろうか?ノーだ。わが国は自身でわが国の国境を守る」

・・・ISISは撲滅すべきだけれど、トルコ国境が戦場になるなんて、こわ過ぎです。


ヴァチカンでメヴラーナの旋回舞踏が行われた

 ファルク・ヘムディ・チェレビ率いるメヴレヴィ・グループが9月24日、ヴァチカンのカンチェッレリア宮で式典を行いました。まもなく任期が終わる駐ヴァチカン・トルコ大使ケナン・ギュルソイ氏も出席し、イベントの最後に、お別れのスピーチをしました。

 Hurriyet

聖なるカトリックの宮殿でメヴレヴィの式典が行われたのは、ヴァチカンの歴史で3度目です。このイベントは国際メヴラナ財団が組織し、トルコ文化観光相が後援しました。
ファルク・ヘムデム・チェレビは、13世紀の詩人で法学者、神学者、スーフィーの神秘家であったメヴラーナ・ジャラッディン・ルーミの22代目の子孫です。

ローマ教皇庁の東方教会集会の長であるレオナルド・サンドリ枢機卿も、観衆とともにこの式典を見ました。ルーミの哲学が語られた後、10月にメフメト・パチャジュ氏と交代することになっているギュルソイ大使が、「これは私にとって、この席で見られる最後の文化イベントになりました」と挨拶しました。


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「シミット売りがイスタンブル中心街にもどってくる」と市当局

2014年09月26日 | 国内
9月26日 このところ、イスタンブルの中心部からシミット売りの姿が消えていましたが、市当局によると、近くまたシミット売りを見かけるようになるということです。市はシミット売りの屋台登録を整理するため、中心部に出ていた85の屋台を一時的に休業させていましたが、9月29日からまた、もとの場所で営業が始まると発表しました。

 Hurriyet

市内の街路でシミットを売る登録された業者は1396人いると市当局は言っています。市内パトロール隊(Zabita) のタイフン・カラアリ隊長は、「市は不法シミット売りの取り締まりをしていましたが、まもなくシミットを売ることで生計を立てている人たちが、もとの場所に戻ってきます」と言いました。

シミット売り会議所のアリ・ユジェル会長は、「市はこの4,5年間、この問題をほおっていたが、シミット売りの認可は区長が出している」と言っています。ユジェル会長によると、イスタンブルには8000人のシミット売りがいて、250人が中心街から排除されたということです。

朝食にシミットを買うのは多くのトルコ人の習慣であり、どこの大通りにも、地下鉄駅にも、繁華街にも、シミット売りの姿があるのがトルコです。

・・・安くて、おいしいシミットが、どこでも買えるのも、トルコの魅力のひとつですね。


イスタンブル大学でISISに抗議する学生をイスラミストが攻撃した

26日、イスタンブル大学の学生たちがイスラム国(ISIS)の残虐性を非難する集会をしていたところ、ジハーディストのシンパたちが学生たちを攻撃し、学生の1人が負傷しました。学内の休憩室に、釘を打ちつけた棒を持って乱入してきた攻撃者たちは、「ムスリム青年組織」と関係があるようです。

Hurriyet

学生の1人が、攻撃者が投げたソーダの瓶が頭に当たって負傷しました。攻撃者の中の3人は、攻撃後、逮捕されました。彼らは「ISISは中東から出て行け」というパンフを引きちぎりました。

これに対し、何百人もの学生が大学の科学学部のまえで、親イスラム国に反対する抗議デモを始めました。学生たちは攻撃後、声明を出して、「学生として、われわれはギャング団ISISによる血の虐殺を止めさせるために集まった。彼らはロジャバやコバネで子供たちを殺し、女性をレイプした。黒い覆面をした20人は、釘を打った棒で、われわれを攻撃した」と訴えました。

学生たちはまた、攻撃を止めさせるためになにもしなかった大学の警備員と警察を非難しました「AKP(公正発展党)は、ロジャヴァの人々を殺すために、トラックに積んだ銃をイスラム国に送っている。AKPが虐殺を行っている彼らを支援しているとしたら、この攻撃はAKPの政策かもしれない」

・・・学生たちはイスラム国にはもちろん反対だが、現政権AKPにも反対という立場なのですね。しかし、いくらなんでも、現政権が首切りテロリスト集団を支援していることはないと思いますけど・・・。 



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人質だった1人が人質になった日のことを語った

2014年09月25日 | 国内
9月25日 「モスルのトルコ領事館は1000人のイスラム国の戦闘員に囲まれました。彼らは爆発物を満載した小型トラック3台で乗りつけました」と、人質だった1人が、49人が人質になった日のことを語りました。

 Hurriyet

特務警官ヴェイセル・ジャンさんはイスラム国(ISIS)の戦闘員に人質にされ、9月20日、101日ぶりに、他の人質とともに解放されました。ジャンさんは故郷ガジアンテプの自宅でドーアンニュースの取材に応じました。

その日、館内にいた職員は、当時外相だったダヴトオール首相の命令に従って、抵抗せずに降伏しました。「戦闘員たちは私たちにメモを配って、われわれは“血の報復”をしようとしているのだと告げました。襲撃のとき、1人の戦闘員が殺されたのです」とジャンさんは語りました。

 Hurriyet
 
ISISに乗っ取られるまえのモスルのトルコ領事館


「襲撃の日、彼らは領事館の扉の前に来て、1人のテュルクメンの戦闘員が、私たちに扉を開けろと言いました。私たちがそれはできないと言うと、彼らは、私の推測では500キロ以上の爆発物を満載した3台の小型トラックを領事館の前に停めました。私たちはおよそ1000人の戦闘員に囲まれていました。

彼らのほとんどは銃を持っていました。家々の屋根にはバズーカ砲を持った戦闘員たちがいました。総領事はダヴトオール首相と電話で話しました。私たちは首相の命令で、衝突を避け、降伏しました」
その後、人質たちはモスル市内で8回も移動させられ、空爆の危険にも曝されながら生きのびたのです。

・・・降伏はダヴトオール外相(当時)の指示だったのですね。赤ちゃんまでいたのですから、それが正しい選択だったと思います。



荒れ果てた歴史的シルケジ駅が修復されることになった

 イスタンブル・エミニョニュ地区にあるシルケジ鉄道駅は、年月で荒れ果て、危険な状態になってきたため、修復のための入札が行われようとしています。最近、建物の前面の時計塔から大きな石が落ちたため、建物前面ぜんたいがシートで被われました。

 Hurriyet

シルケジ駅はオスマンのスルタン・アブデュルハミド2世によって建てられましたが、現在は使用されていません。この建物は歴史的建築物として美術的価値があるため、修復は規制に従って行われなければなりません。駅当局は、修復のための入札の予定はまだ準備中で、決まっていないと言っています。

この駅舎は1888年2月11日、ドイツの建築家アウグスト・ジャスムンドの設計で始まり、1890年に完成しました。トルコ国鉄(TCDD)は2011年、駅の修復を行うと発表しましたが、その後なにも行われていません。

駅舎の敷地はほぼ20,000平米あるので、駅構内にホテルを造る計画だそうです。修復が遅れているのは、このホテル計画のためのようです。


シリア空爆後、アメリカはトルコ在住アメリカ市民に警戒を要請

アメリカ当局はトルコ在住アメリカ市民に、イスラム国(ISIS)戦闘員に警戒するよう警告を出しました。アンカラのアメリカ大使館は、シリアやイラクと国境を接する東部と東南部の諸県は、とくに攻撃を受ける危険があると言っています。

 Hurriyet


「シリアのISISをターゲットにした軍事行動が始まって、アメリカ市民は、アンカラのアメリカ大使館のテロ攻撃を想いだしています」とアメリカ大使館は声明で言いました。「多国籍集団と地元集団双方からの、アメリカ市民に対するテロ攻撃の可能性は高まっています」

アメリカ軍と同盟国軍の航空機は、9月23日24日、ISISの拠点に激しい空爆を行いました。しかし、空爆によって、トルコ国境に近いクルド自治区でのISIS戦闘員たちの前進を止めることはできませんでした。

トルコはシリアと900キロに及ぶ国境を共有しています。トルコは彼らの報復を恐れ、アメリカ主導の軍事行動の最前線になることにはためらいがあります。



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シリア難民の大流入にトルコの国境の町は大騒ぎ

2014年09月24日 | 国際
9月24日 シリア国境に近いトルコの小さな町スルチは、イスラム国(ISIS)の脅威から逃れてくるシリア人の大流入の対処に苦闘しています。国営の援助機関AFADが緊急支援に当たっています。

 Sabah

シリア北部の町々を占拠したISISの血なまぐさい攻撃を逃れたシリア人たちは、トルコに助けを求めてきたのです。コバニとその周辺の村々からトルコへ逃げてきたシリア人の数は13万8000人を超えたと、月曜、ダウトオール首相が発表しました。

トルコのシャンルウルファ県の町スルチは、シリアのコバニからも近い、人口7万人の町ですが、いま、シリア人の突然の大流入が社会問題を起こしています。シリア人はとりあえず、公園や空きビル、倉庫にすわりこんでいます。

シリアのクルド人たちの大群がトルコ国境に群がりはじめたのは9月19日からです。何千何万の人々が、飢えと渇きに耐えながら徒歩でたどりついたのです。トルコはこの人道上の危機に国境を開いていますが、トルコにはすでに130万人のシリア難民が入国しているのです。

 Sabah

トルコ首相府の緊急・災害管理局(AFAD)は、食物もなく、着の身着のままでたどりついた人々に、支援を始めています。AFAD当局はすでに支援物資を送り、新たな難民の登録センターを設置しました。行き場所のない人々のための一時的な施設も設営します。月曜、AFAD当局の発表によると、シリア人たちは医療と治安上のチェックを受け、食物と水が配布されたそうです。

トルコの慈善団体と国連も、スルチのシリア人に援助を提供しています。スルチの町役場にも、国連からコンタクトがあったということです。


トルコのアーティストたちがヤジディ難民の支援をビデオで呼びかけ

トルコ人アーティストたちがヤジディ教徒難民の支援キャンペーンにビデオで協力しています。ヤジディ教徒たちはイスラム国(ISIS)の虐殺を逃れて、イラクのシェンガルからトルコに逃れてきています。

 Hurriyet
 
人気女優メルテム・ジュムブルさんほか多くの有名人がヤジディ難民支援のビデオ・キャンペーンに協力しています。


You Tube とソシアルメディアに流されたビデオは、ヤジディたちの苦しみを知らせることを目的にしています。ヤジディ教徒たちは、スンニー派ムスリムの過激派が異教としている昔の宗教を信じています。“シェンガルに声をかけよう”というスローガンを掲げたキャンペーンは、「シェンガルからガザへ、団結と共闘」によって組織されました。

キャンペーンに参加している35人のアーティストの中には、女優のシェブネム・ソンメズさん、メルテム・ジュブルさん、ヌル・シュレルさん、俳優のオルハン・アルカヤさん、エンギン・ギュナイドゥンさん、カシュのシェヴァル・サムさんらがいます。

トルコに入国したヤジディの数は3万人に増えました。イラクのクルド人自治区のキャンプにも、家を追われたヤジディたちが大勢避難しています。


イスタンブルの中心で、嵐で建築現場の足場が崩れ5人負傷

9月23日、イスタンブルの中心ベイオール地区で、嵐で建築現場の足場が崩壊し、子供を含む5人が負傷しました。

 Hurriyet

「竜巻が起こったのかと思いました。建築現場の足場が崩れて、雨のように降ってきたんです。足場は私たちの上に、垂直というより、水平に落ちてきた感じでした」とタクシー運転手。彼の車も足場の直撃を受けました。車2台がひどい被害を受けました。

メルテル地区では、やはり建築現場で、木の板が飛ばされ、旋回しました。数台の車が衝突したため、このあたりの道路は一時閉鎖されましたが、幸い怪我人は出ませんでした。
トルコはいま、建築ブームですが、最近、建設中の安全対策が論議の的になっています。9月6日、イスタンブルの建築現場で、新しいビルのエレベーターが突然、32階から地上へ落下し、乗っていた作業員10人が死亡しました。


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「アメリカはISIS対策にトルコの助力を求めている」ケリー国務長官

2014年09月23日 | 国際
9月23日 アメリカのジョン・ケリー国務長官は「トルコは49人の人質を取り戻した。アメリカはいまこそISISとの戦いにトルコも乗り出すことを期待している」と発言しました。3か月間ISISの人質になっていた46人のトルコ人と3人のイラク人は、9月20日、無事トルコに帰国しました。

 Hurriyet

「トルコはNATOのめんばーであり、会議にも出席している。トルコはISISとの戦いに力を貸すべきだ」とケリー長官は言っています。「ISISは“人質を使ってトルコと取引する必要があった”」。

・・・アメリカは空爆基地としてトルコを使いたいのでしょう。もう人質は取り返したんだから、心おきなくISISと戦えと言いたいんでしょうね。しかし、トルコが陸戦基地になんかなったらたいへんですよ~。


49人の人質解放はシリア反政府派のISIS人質解放と交換だった

シリアの反政府派リワ・アルタウヒドが、モスルのトルコ領事館の49人の人質と交換に、人質にとっていたイスラム国のメンバー50人を釈放したそうです。2月にアレッポーで殺されたイスラム国(ISIS)のリーダー、ハジ・バクルの妻子も、トルコ人人質と交換に解放されたイスラム国のメンバーの中にいたと、ある情報源がHurriyet 紙に語りました。

 Hurriyet
 
地面に掘った穴にシートを敷いて休息をとっている自由シリア軍の戦闘員たち。南部イドリフのワディ・アルダイフ・キャンプ戦線で。


自由シリア軍から分かれ、シリア大統領バシャル・アルアサドと戦っているリワ・アルタウヒドは、話合いの後、イスラム国のメンバーの解放に同意しました。取引の一部として、トルコ人人質は、シリアとの国境ゲートに近い、トルコのアクチャカレのそばで解放されました。

情報源によると、トルコ人人質は9月5日午前8時にラッカに着きましたが、20日早朝にイスラム国のメンバーが引き渡されるまで解放されなかったということです。

エルドアン大統領は9月21日のスピーチで、トルコ人人質の解放のための交換について肯定も否定もすることを拒否し、解放は外交努力の賜物であり、身代金は支払われていないと言いました。最も重要なことは、方法のいかんを問わず、市民を救出することにあると、大統領は力説しました。

「取引とはどういう意味か私にはわからないが、物質的取引ではなく、外交上の取引が行われたのは事実だ。解放は外交の成功であり、政治的交渉の結果だ」とエルドアン大統領は言っています。

・・・人質の交換ということだったのですね。イスラム国が理由もなく解放するとは思えませんから。トルコ政府とシリアの反体制派とはどういう取引があったのでしょうか。


オスマン朝で最初に鋳造されたコインが展示される

古都ブルサで、オスマン朝初のコインが鋳造された鋳造所の修復が進んでいます。オスマン朝の第2代スルタン・オルハン・ガジの治世、1300年代につくられた鋳造所です。修復が終われば、鋳造所は博物館となり、オスマン初のコインも展示されます。

 Hurriyet
 
現在、修復中のブルサの鋳造所。修復が終われば博物館として公開されます。


ブルサのレジェプ・アルテペ市長は「ブルサは全市がユネスコの世界遺産になっています。貨幣の鋳造は国家の最も重要なシンボルのひとつです。ブルサにはマウセン地区プナルバシュ大通りと、“スルタンの門”の隣りと、2つの鋳造所があります」と言っています。鋳造所が博物館になったら、コイン鋳造に使われた道具も展示されるそうです。

・・・古都ブルサにもうひとつ、見どころができますね。でも、博物館の公開予定日はまだ決まっていないようです。


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「アメリカのイラク空爆は人質を殺しかねない」救出された総領事

2014年09月22日 | 国際
9月22日 イスラム国(ISIS)の人質として101日を過ごしたユルマズ総領事は、最近のアメリカの空爆で、トルコ人人質たちが閉じ込められていた建物を警備していたジハーディスト2人が死亡したと言いました。

Hurriyet
 
NTVで人質体験を語るオズテュルク・ユルマズ総領事


「私たちが捕らえられていたエリアのすぐそばに爆弾が落とされた。割れた窓ガラスでケガをした人もいる」とオズテュルク・ユルマズ領事は9月20日のNTVの生放送で語りました。他の人質も、「私は瓦礫の下敷きになった。ガラスが私の頭に当たって割れた。外にいたISISの戦闘員2人は死んだそうだ」と、NTVに語りました。
アメリカはISISの前進を阻止するため、先月末から北イラク空爆を始めています。

ユルマズ総領事はまた、「私は命を賭けて、彼らの要求を拒否した」と明言しました。「彼らは私の頭に銃を突きつけ、彼らの宣伝のための写真撮影に応じるよう強要しました。私は“われわれは女性と子供と国旗を汚されるより、殺されることを選ぶ”と言いました」

 Sabah
 
お嬢ちゃんたちを抱いて、総領事の顔に笑みがよみがえった


戦闘員たちは“人質の気力をそぐために”人質たちに宣伝用ビデオを見るよう強要しました。トルコ人たちが見せられたビデオの中には、アメリカ人ジャーナリスト、ジェイムス・フォリイさんとスティーヴン・ソトロフさんの斬首ビデオもありました。

「肉体的虐待はなかったが、脅迫はつねに受けていた。彼らは異なる文化を持っている。簡単に彼らを理解することはむずかしい。私は長い時間かけて、それを知ったに過ぎない。彼らは100回コーランに誓い、そのそばから100回嘘をつく」と総領事は言いました。

 
シャンルウルファからアンカラへ向かう機内でダヴトオール首相から人質たちに歓迎のバラが贈られた。


「ISISは人質たちの収容場所を8回も変えました。戦闘員たちは“もうモスル市街にいる”と言って、私たちをだまそうとしましたが、私たちはずっとモスル市内にいました。
私は外務省で19年間働いてきました。今、私は家族といっしょに数日休みたいですが、その後はまた仕事に復帰したいと思っています」とユルマズ総領事は言っています。


ISISに追われたシリアのクルド人7万人がトルコに逃げ込んだ

ISISの攻撃を逃れてきたシリアのクルド人推定7万人が、この2日間でトルコに入国し、さらに何千人がまもなく押し寄せてくると思われると、国連難民弁務官事務所(UNHCR)が警告しています。
「北シリアのコバネ市の戦いで、さらなる難民が出ると思われるため、トルコ政府当局とUNHCRは、さらなる難民の到来に備えている」という声明をUNHCRが出しました。

 Hurriyet
 
怒涛のごとく押し寄せるシリアのクルド人難民。その数、2日間で10万人。


「トルコが難民を快く受け入れ、また、突然、暴力的に家を追い出された人々を支援するトルコを推賞したいと思います」と、アントニオ・グッテレス国連難民高等弁務官は言いました。ISISが最近、コバネを攻撃し占拠したため、シリア人がトルコのシャンルウルファ県に大群となって押し寄せています。

コバネには、国内から逃げてきたシリアのクルド人が20万人ほどいました。ISISはテルアブヤドとコバネの人民防衛連合(YPG)と衝突をつづけています。少なくとも7万人の人々が2日間でトルコに入国したことは確実で、実際の数字は10万人以上だろうと、UNHCRのトルコ代表キャロル・バチェラー氏は、昨日、ロイターに語りました。

また一方では、300人以上のクルド人戦闘員が、クルドの国境の町に迫ってくるのを押し返すために、トルコからシリアへ入ったと、シリアの紛争を監視するグループが、9月20日、報告しました。


イスタンブル警察が大規模手入れで犯罪取り締まり

土曜夜、イスタンブルの39区で14,500人の警官が全市手入れを行い、610人の容疑者を逮捕し、大量の武器とドラグを押収しました。イスタンブル警察によると、この手入れは“犯罪防止と指名手配容疑者逮捕”が目的で、午後8時から深夜まで行われました。

 Sabah

警察は408人の指名手配容疑者と犯罪活動に関与した者202人を含む610人の容疑者を逮捕したそうです。対テロ班、情報班、組織犯罪班、対麻薬班、特別作戦隊、機動隊その他、トルコ国家警察イスタンブル支署の警察官が、予定されていた犯罪多発地区やバー、ナイトクラブなどを、夜を徹して捜索しました。

警察の声明によると、大量の薬物、58点の無免許・非合法の武器、7台の盗難車が、この手入れで押収され、非合法活動に使われていた162の作業場が発見されました。交通警察も今回の手入れに参加し、1042人の運転者に罰金を課しました。
警官たちは街路、とくにタルラバシュのような悪名高い犯罪地区をパトロールし、疑わしい人物と車を調査しました。麻薬中毒者が不法に使用している空きビルも手入れの対象になりました。

イスタンブル警察のセラミ・アルトゥノク署長は、手入れ中、記者団に、「この手入れの目的は、イスタンブルの人々がこの都市を安全だと思ってもらうのを目標にしています」と言いました。「この手入れで一般市民もイスタンブル警察が犯罪防止に努力していることを知ってくれるでしょう。皆さんに警察を信じてもらいたい。私たちは治安のために24時間働いているのです。イスタンブルはもっと住みやすく、もっと安全になるでしょう」

イスタンブルには1500万人が住み、ツーリストと移民も多くいますが、世界の大都市とくらべて比較的安全です。犯罪発生率も、防犯カメラの導入で、近年、かなり減少してきています。繁華街の物売りに化けた私服警官も、ひったくり、その他の小犯罪の摘発に貢献しているそうです。


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人質解放 続報! 101日ぶりに家族と会った

2014年09月20日 | 
9月21日 イラクのモスルでイスラム国(ISIS)に捉えられていた49人の人質が解放されました。人質たちは南部のシャンルウルファまで出迎えに行ったダヴトオール首相とともに、アンカラのエセンボア空港に降り立ち、万感の思いで待っていた家族たちと会いました。

 Sabah

ダヴトオール首相は空港の大群衆の前で、「情報機関が作戦を成功させて人質を取り戻し、われわれはこのすばらしい瞬間を迎えることができました」と言いました。また首相は、人質になっていたオズテュルク・ユルマズ総領事と領事館職員たちの忍耐に感謝し、「あなたがたは捉われている間も、わが国ために奉仕していたのです」と言いました。「とくに、わが国の情報局と、このミッションを遂行するために協力してくれた軍に感謝したい」

人質の問題は、彼らが6月11日に捉われて以来、つねに政府の議題だったと、首相は力説し、トルコがISISに秘密に協力しているという話を全否定しました。
「トルコはISISから逃れてくる人々を、人種、宗教、言語のべつなく、受け入れつづけます」と首相は明言しました。

6月11日、モスルで人質になったのは、外交官、領事館職員、その家族の46人のトルコ市民と、領事館で働いていた3人のイラク市民です。


トルコ総領事は頭に銃を突きつけられてもISISに抵抗した

 Hurriyet
 
ユルマズ総領事の顔には明らかな打撲の跡が痛ましい


イスラム国(ISIS)から解放されたトルコ人人質の1人は、「オズテュルク・ユルマズ総領事は命を賭けてISISの要求に抵抗した」と言いました。

「総領事は大変な事態に直面したのです。ISISの戦闘員が2度も3度も、総領事の頭に銃を突きつけて、声明を発表するよう強要しました。しかし、彼は銃を突きつけられても、彼らの望みに応じませんでした」と、解放された人質の1人が、シャンルウルファからアンカラへの機内で、CNNトルコに語りました。

「彼らは最初の日から私たちに、撮影されることを強要しました。しかし、総領事は“撃つなら撃て。だが、私はトルコの誇りを傷つけることは許さない”と、命がけで言いました」
他の人質アルプテキン・エシルギュンさんも「総領事は頭に銃を突きつけられても、声明をしなかった」と証言しています。

 Hurriyet
 
ユルマズ総領事の勇気を讃え、ねぎらうダヴトオール首相

トルコ人の人質が拷問や虐待を受けることがあったかという質問に、「確かに、なくはなかった」と、人質の1人は応えています。人質になっていた領事館の警備職員アルパルスラン・イエルさんは、トルコ人はムスリムだから、他の人質よりはよく扱われた。しかし、外では戦いがつづいているのだから、快適とはいえなかった」と、エシルギュンさんはアナドルニュースに語りました。

・・・ユルマズ総領事はISISの要求する内容の声明をヴィデオカメラの前でしゃべるのを
命がけで拒否したのです。すごいサムライですね。


「新党を結成する気はない」とギュル前大統領

div style="padding-left:30px"> アブドゥラ・ギュル大統領は、エルドアン新大統領が、彼が議長として公正発展党(AKP)に復帰することを妨害したが、新しい政党を結成する気はないと、くり返し言いました。

 Hurriyet

「私が新党を結成するだろうという推測記事は何度も読んだが、根拠はない。私はすでに、この問題について声明を出しています」と、19日、ギュル現大統領は記者団に語りました。

7年間大統領を務めたギュル氏は、8月28日、その職をエルドアン氏に譲りました。ギュル氏はまた、自身が設立者の1人であるAKPに、議長として帰る意向を明らかにしていました。しかし、エルドアン新大統領はダヴトオール前外相を議長と首相の座につけました。

「私は過去の大統領たちと同様な行動をとります。私は(党内の)友人たちに助力し、大統領と政府内の友人たちを支援します。政府、首相、閣僚は、国民と国家に奉仕するよう定められています。私は彼らを誇りに思い、彼らの成功を支援します」とギュル前大統領は言いました。

「私は私の大事な兄弟であるエルドアン氏が、私の残した旗を掲げて進むだろうと確信しています。トルコはまちがいなく、強く、豊かで、幸福な国として歩みつづけるでしょう」と彼は言いました。
ギュル前大統領は最近、大統領職を離れて初めて、故郷をカイセリに旅行し、群衆の盛大な歓迎を受けました。


400年前の貯水池が発掘作業に貢献

ヴァンのホシャップ城の発掘作業で出てきた城内の400年前の貯水池は、すでにツーリストの注目を集めています。発掘隊長はヴァン・ユズンジュユル大学のメフメット・トップ教授です。貯水池は城内の階段を下りたところにあるそうです。

 Hurriyet

今年の作業は、城の北東部のハーレムと展望テラスを中心に行われたそうです。発掘チームは城の上層部、入口への道、パイプ、陶器の破片などを掘り出しました。トップ教授は、貯水池はこの城内での最も重要な発見だと言っています。

「当時の人々はこのような貯水池を設けて、必要な水を確保していたことが明らかになりました」とトップ教授は言いました。この貯水池はなんと、教授たち発掘隊の水確保にも貢献してくれたそうです。

「私たちはタンカーで水を運び、貯水池を満たしました。貯水池の発見は私たちにもすばらしいチャンスになったのです」と教授。発掘隊は400年前の貯水池に満たした水を生活用水として使ったそうです。
・・・発掘隊の方々、暑いとき、400年前の貯水池をプールがわりに泳いだんじゃないかしら。


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