トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

仲間の裁判を前に、ジャーナリストらがでも行進

2017年10月30日 | 国内
10月31日 28日、全国で拘束されているジャーナリストたちとの連帯を訴えて、イスタンブルで200人が行進しました。

 Hurriyet

グループはイスタンブル・カドキョイ地区のメフメト・アイヴァルタシュ公園に集まり、「ジャーナリストたちに自由を」と書いたプラカードをひろげました。

最大野党・共和人民党(CHP)のバルシュ・ヤルカダシュ議員、アリ・シェケル議員、オヌルサル・アドゥギュゼル議員、人民民主党(HDP)の副議長フィリス・ケレステジオール議員のほか、ジャーナリストや、現在逮捕されているジャーナリストの家族も、行進に参加しました。

グループはカドキョイのアスム・ギュンデュス通りを行進し、「いますぐ正義を、いますぐ自由を」「自由な報道は権利だと、恐れず叫ぼう」と、スローガンを叫び、「アフメト(シュク)は獄を出て、また書くだろう」と、獄中のジュムフリエト紙の記者にも触れました。

カドキョイの中心の雄牛像まで、30分間、行進した後、ジャーナリストのギュルシャー・カラダーさんがグループを代表して声明を読みあげました。「私たちはここに、ともにいます。私たちが歩んだ一歩一歩は、その発言のために獄にあり、忍耐と意志で耐えている私たちの友人たちのためです。ジャーナリストの投獄は事実を隠蔽し、嘘があばかれるのを妨げます。それは権利と法と正義を踏みにじるものです」

この行進は、批判的な日刊紙「ジュムフリエト」の第4回審問の3日前に行われました。審問は10月31日、イスタンブルのチャーラヤン裁判所で行われます。9月25日の審問では、裁判所は著名なジャーナリスト、カドリ・ギュルセルさんの釈放を命じましたが、アフメト・シュク記者とムラト・サブンジュ編集長を含む4人はまだ逮捕されたままです。

17人の「ジュムフリエト」職員は、非合法組織クルド労働者党(PKK)や、革命人民の自由党フロント(DHKP-C)、フェトフラー・テロリスト組織(FETO)とともに、テロ容疑で告発されました。トルコ・ジャーナリスト協会によると、現在、160人のジャーナリストが獄中にいるそうです。


ショッピングモール・テロのIS容疑者はオーストリア市民だった

10月29日、「トルコ共和国の日」にイスタンブル・バイラムパシャのショッピングモールで爆弾テロを計画していたイスラム国(ISIL)戦闘員の中の2人(1人は女)は、トルコ出身のオーストリア市民だったと、警察が発表しました。

 Hurriyet

警察は最初、イスタンブル市内でISのアジト2軒を見つけて手入れを行い、そこで見つかった証拠から他の2軒のアジトを見つけました。この手入れで4人のIS戦闘員が捕まりました(10月30日の頁参照)。

・・・警察が見つけなかったら悲惨な事件が起こっていたかも。ラッカは落ちても、ISの残党はまだまだいます。油断できません。


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イスタンブル警察がISの大テロ攻撃をくいとめた

2017年10月30日 | 国内
10月30日 イスタンブル警察がイスラム国(ISIL)の大爆弾攻撃をくいとめ、アジトで2人のジハーディストを捕えました。

 Hurriyet

警察によると、10月28日、イスタンブル・バイラムパシャ地区のショッピングモールの駐車場で、爆発物を積んだ自動車とバイクを見つかりけました。10月27日夜、イスタンブルのエセンユルト地区とアルナヴトキョイ地区の2つの建物で連続して爆発があり、火事が起こったため、対テロ警察は作戦を開始しました。

「化学物質、金属ボール、釘、ねじ、遠隔操作器、電子回路、ケーブル、バッテリーなど、爆弾製造に使われる材料が、アルナヴトキョイとエセンユルト地区の2軒の家で、対テロ隊と爆弾処理班によって発見された。爆弾処理班は、爆発による火事が消された後、調査を行った。アパートにはだれもいなかった。対テロ警察と情報職員が、事件に関与した者を捕えるための共同作戦を始めた」と、警察は声明書で言いました。

その後、ショッピングモールに停めてあった自動車とバイクは、上記の2軒の住所と関係があることが判明しました。午後4時頃、ISメンバーと思われる4人(1人は女)が捕らえられました。容疑者の1人は逃げようとして警察に脚を撃たれ、病院に運ばれました。「遠隔操作できる手づくり爆発物や自爆ベスト、短銃2丁、多くの弾丸が、自動車とバイクから押収された」と警察は言っています。

10月28日、全国で対ISIL作戦が行われ、首都アンカラでは49人が拘束されました。この調査では55人の外国籍者がターゲットになり、49人の外国籍者が拘束されました。容疑者の中には、以前、国外でISに参加して戦い、10月29日の共和国の日にテロを計画していた者らもいると、警察は見ています。

西部イズミル県でも、2度の手入れが行われ、戦闘員容疑者10人が拘束されました。28日朝の最初の手入れでは、5人のシリア人が拘束され、29日の2度目の手入れでは5人が捕らえられました。イズミルで拘束された者らは、イスタンブルで捕まった者らと関係があり、戦闘員がジハーディストらに爆発物を渡していると思われます。IS関連の多くの書類とデジタル資料が、容疑者の家で見つかりました。

北西部ブルサ県では、対IS作戦で、シリア人やアフガン人、18歳以下の子供を含む38人が拘束されました。7地区の15か所の住居が、機動隊と特殊部隊の支援による手入れを受け、IS関連の多くの書類が押収されました。エルズルムでも、29日、作戦が行われ、22人の容疑者が拘束されました。


トルコは共和国建国94周年を祝った

1923年、新たに生まれた国会が共和国宣言をしてから、今年で94年、トルコ全国で94周年を祝う式典や集会が行われています。

Hurriyet

公的式典は、10月29日朝、アタテュルクの霊廟アヌトゥカビルで始まり、国家のトップや外交官たちが、共和国の日を祝うためにアンカラに集まりました。

式典には、レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領、イスマイル・カフラマン国会議長、ビナリ・ユルドゥルム首相、最大野党・共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール議長、愛国者運動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ議長、フルシ・アカル参謀総長、その他国家の要人や外交官らが出席しました。

「わが共和国に活力を与える精神は、94年昔から今日まで、しっかりとつづいている」とエルドアン大統領はアヌトゥカビルで記帳しました。「あなたがわれわれに残してくれた遺産であるトルコ共和国は、勇気と犠牲に満ちた、困難な闘争の結果である」

「われわれは共和国の94周年を祝い、かつての軍人たち、とくに武器を持って戦ったあなたや、その仲間たちの想い出を記憶し、われらが殉教者たちへの神の御恵みを願う」と大統領は記帳しました。霊廟参拝後、公式式典は、アンカラ・ベシュテペの大統領宮殿でのレセプションになりました。エルドアン大統領は宮殿のレセプションに国家要人たちを招きましたが、CHPのクルチュダルオール議長は出席しませんでした。

1923年10月29日、アンカラに新たに設立された国会は、共和国としてのトルコを宣言し、その名を“トルコ共和国”とすると明言しました。その後、国会で選挙が行われ、アタテュルクが満場一致でトルコ共和国の初代大統領に選ばれました。それ以来、トルコは毎年、10月29日を共和国の日として祝ってきました。


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ギュレン調査で公務員6人が停職になった

2017年10月27日 | 国内
10月29日 10月27日、内務省はフェトフラー・テロリスト組織(FETO)の調査で、副知事や区長を含む公務員6人を停職にしたと、アナドル通信が報じました。

 HUrriyet

停職になった人々の中には、東部ヴァン県の副知事を初め、ギレスン県アルルジャ区長、エラズー県アーウン区長、アマシヤ県ギョイニュジェク区長、アドゥヤマン県サムサト区長もいます。カスタモヌー県の区長候補も停職になりました。

アンカラの裁判所は、元沿岸警備隊司令官を含む25人に、FETO関連で終身刑の判決を下しました。2016年7月15日夜、北西部コジャエリ県ギョルジュク地区の海軍基地で起こった事件には、28人の容疑者が関わっていました。アンカラの高等犯罪裁判所は、元沿岸警備隊司令官ハカン・ウステムを含む25人の容疑者に、憲法に違反したとして終身刑を宣告しました。民間人3人は釈放されました。

トルコ政府は、FETOと在米イスラム説教師フェトフラー・ギュレンを、未遂クーデターを組織したとして告発しています。未遂クーデターによって、250人が死亡し、2200人が負傷しています。


オスマン時代の砲弾が海中から引き上げげられた

南部アンタリヤ県のコンヤアルト海岸で、考古学者たちの努力によって、オスマン時代の砲弾が引き上げられました。

 Hurriyet

セルチュク大学の水中考古学部と「水中調査・応用センター」が、文化観光省の許可を得て、海底のあちこちに沈んでいる砲弾を引き上げる作業を行いました。重さ4000キロから1000トンの8個の砲弾は、リフティング・バルーンに結びつけられ、海中から引き上げられました。砲弾はアンタリヤ博物館に収められました。

アンタリヤ博物館のムスタファ・デミレル館長は、昨年、地中海のアンタリヤからメルシンまでの海岸線で、オスマン時代のガレー船や、砲弾、戦艦の錨を発見したと言いました。「私たちは密輸や損壊を防ぐために、それらを引き上げました」

セルチュク大学の「水中調査・応用センター」のハカン・オニス所長は、水中で発見されたものは少なくとも3隻の難破船のものだろうと言っています。「先月、私たちは、おそらくオスマンの戦艦のものだった砲弾を引き上げました。船は300年前、嵐で沈みました。砲弾が沈んでいることは20~25年前からわかっていて、アンタリヤ博物館にも記録されています。砲弾の重さはまちまちですが、かなりの重さがあります」

オニス所長は、4年前に同じ地域で、最初のブロンズの砲弾を引き上げたと言いました。砲弾はアンタリヤ博物館が汚れを落とし、修復するということです。


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この9か月間で7100万人がイスタンブル空港を利用

2017年10月27日 | 観光
10月28日 2017年の1月から9月の間に、7110万人がイスタンブルのアタテュルク空港とサビハ・ギョクチェン空港を利用したが、これは昨年に比して300万人の増加になると、10月26日、アナドル通信が報じました。

 Hurriyet

国家空港総局(DHMI)のウエブサイトの情報によると、今年の1月から9月までに、7110万人がイスタンブルの2大空港を利用し、乗客数は昨年の6870万人から300万人増加しました。

2017年1月から9月の間に、1460万人がアタテュルク空港の国内ターミナルを利用し、3310万人が同空港の国際ターミナルを利用しました。この数字は、総計4760万人の乗客がアタテュルク空港を利用し、乗客数は昨年同期に比して140万人増えたことを示しています。


トルコ軍参謀総長が“イスラムのテロ”ということばに異議を表明

“イスラミック・テラー(イスラムのテロ)”という言葉は受け入れがたく、政治的・軍事的指導者間では使用すべきではないと、トルコ軍の参謀総長フルシ・アカル将軍が、アメリカ訪問中に言いました。

 Hurriyet

NATOとEUの代表を初め、70か国の軍のトップが出席した「ワシントン対過激組織協議会」で、アカル将軍は、イスラムという宗教をテロリスト組織と並列に言うのは“不適切”だと言いました。

ヴァージニア州フォート・ベルヴォア空軍基地で行われた協議会では、イスラムとテロの連想を阻止すること、そのためには共同の努力が必要であることが討議されました。スピーチで、アカル参謀総長は中東の安全保障へのトルコの貢献について述べ、また、在米のイスラム説教師フェトフラー・ギュレンのフェトフラー・テロリスト組織(FETO)に対するトルコの戦いを説明しました。


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トルコとイラクが対テロ戦での協力で合意

2017年10月26日 | 国際
10月27日 エルドアン大統領はイスラム国(ISIL)をおおかた排除したイラク中央政府を賞賛し、トルコは、クルド労働者党(PKK)を含むすべてのテロリスト・グループとの戦いに参加する用意があると明言しました。

 Hurriyet

エルドアン大統領は、10月25日、イラクのハイダル・アルアバーディ首相との会談後、トルコ政府は、イラクのカンディル山脈とシンジャル地方にいる(PKK)との戦いで、イラクに協力する用意があると言いました。エルドアン大統領はまた、トルコは、キルクークの油田からトルコへの原油パイプラインを再開して、イラク政府を全面支援する用意があると言いました。

トルコとクルド自治領との国境閉鎖に関する話合いは、目下進行中です。クルド自治政府は、先月、独立の国民投票を行いましたが、トルコもイラクもこれに強く反対しています。


イスタンブルでアナトリア最古のトルコ人の足跡を発見

 オメル・エルビル記 Daily Hurriyet

イスタンブル・ベシクタシュ地区バルバロス通りのすぐ近くの地下鉄建設現場で、イスタンブル史を書きなおさせるような、新たな発見がありました。

Hurriyet

地下鉄工事の穴掘り作業中に、イスタンブル最古、3500年昔の墓場が発見されました。これまでに35基の墓が出土しています。初期トルコ・アルタイの文化圏である北黒海地方のステップ〈草原)文化圏で、ケルン埋葬(石を積み上げる埋葬法)が発見されたことは、科学世界にとって大きな驚きです。

ベシクタシュのこの考古学的発掘によって、有名なマンジケルトの戦いの歴史に関する疑問が解明されるかもしれません。1071年、この戦いの後、トルコ人はアナトリアに侵入してきたとされています。しかし、この墓場は、BC1200年から1500年の間、ブロンズ時代末期と鉄器時代初期のものです。

ケルン埋葬
文化観光省の特別の許可を得て、私たちは、イスタンブル考古学博物館のゼイネップ・クズルタン館長とともに、ベシクタシュの発掘現場入りました。現場では多くの作業員と考古学者たちが働いていました。発掘現場には多くの丸い石の山がありました。クズルタン館長は、これはイスタンブルで最古の墓場だと言いました。

丸い形の石の山はケルン型の墓だそうです。昔のトルコ・アルタイ文化圏で、死者を埋葬した方法です。考古学者たちは、この埋葬を行った民族はわからないと言いましたが、科学情報によれば、トルコ人は10世紀までケルン埋葬を行っていたということです。墓の中の人骨を人類学者が分析すれば、イスタンブルの最古の住民のオリジンもわかるでしょう。

中央アジアとステップ文化の研究書には、初期ブロンズ時代に見られるケルン埋葬は、オグス族やフン族、ギョクテュルク族のようなトルコ系部族が行っていたとあります。

火葬も存在した
ケルン埋葬はバルカン地方でも行われていました。これはブロンズ時代に、ステップ文化圏からの移民の波があったことを示すものです。ベシクタシュの発見は移民の動きとの関連を示しています。

イスタンブルでは人々は水辺に定住していました。イスタンブルのケルン埋葬は、市郊外のシリヴリ地区で、イスタンブル考古学博物館による発掘中に、最初に発見されました。これからシリヴリのケルン埋葬とベシクタシュで見つかったケルン埋葬の関係の調査が行われます。

ベシクタシュではこれまで35基の墓が発見されましたが、その人骨の中には火葬されているものもありました。骨の色から、人骨は700~800度の高温で焼かれたと思われます。墓の中で、まるで母親の子宮にいるように丸まった姿勢の成人の骨もありました。北黒海ステップ文化圏では、埋葬に両方のタイプが存在していたことはわかっています。

「ここの埋葬には2種類あり、一つは火葬で、もう一つは胎児の姿勢による埋葬法です。火葬のほうが多く、遺体は焼かれた後、残った骨と灰が埋葬され、石で蔽われました。このタイプの埋葬はBC1100年から1200年に行われました。14基の墓内の炭素の分析とDNAテストの結果で、多くのことが明らかになるでしょう」とクズルタン館長は言っています。


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バクー=トビリシ=カルスを結ぶ列車が来週スタートする

2017年10月24日 | 国際
10月26日 トルコとアゼルバイジャンとジョージア(カルス=バクー=トビリシ)を結ぶ鉄道の最初の列車が、10月30日、スタートすると、トルコのアフメト・アルスラン運輸相が、10月23日、言いました。

 Hurriyet

最初の列車には、トルコのエルドアン大統領とアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領、ジョージアのギオルギ・クヴィリカシヴィリ首相が乗って、アゼルバイジャンのバクーからトルコ東部のカルスへ向けて出発すると、アルスラン運輸相がアナドル通信に語りました。「これによって、鉄のシルクロードがよみがえり、歴史はくり返されるでしょう」

テスト運転は成功したと、運輸相は言っています。「鉄のシルクロードは、3国にとって、さらに価値あるものになるでしょう。この鉄道は地域経済の発展を助け、産物を目的の市場へ届けます」と運輸相は言いました。「貨物車は年間5000万トンの貨物を運び、トルコとアジア、コーカサス、ヨーロッパ間の輸送をより容易にするでしょう」

826キロにおよぶこの鉄道は、アゼルバイジャン、ジョージア、トルコの政府間の合意によって建設されつつあります。


「イドリブ作戦はほぼ終わった。次はアフリンだ」エルドアン大統領

「トルコ軍のシリア・イドリブ作戦はほぼ終わった。次の攻撃目標はアフリンになるだろう」とエルドアン大統領は言い、シリア・クルド人民防衛隊(YPG)の支配下にあるシリアのアフリン県に言及しました。

Hurriyet

「アフリンはわが国にとって脅威であり、わが国はこのような脅威を決して容認しない」とエルドアン大統領は、10月24日、公正発展党(AKP)の議員団に語りました。トルコは、ロシアとイランとの3か国協定の一環として、シリアに休戦地帯を設けるために、10月8日、イドリブ作戦を開始しました。

10月13日、トルコはシリアに最初の監視所を設けたと発表しました。シリア体制派と反体制グループ間の休戦を監視するために、14の監視所が設けられる予定です。「われわれはいつも“ある夜、突然やる”と言ってきたが、実際、われわれは、ある夜、突然、攻撃を開始した」とエルドアン大統領は言いました。


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「トルコは早く正常化するべきだ」トルコ・ビジネス界代表

2017年10月23日 | 国内
10月25日 トルコは早く正常化へ向かうべきだと、トルコの主要なビジネス・グループ「トルコ・ビジネス・産業協会」(TUSIAD)のエロル・ビレジク議長が言いました。

 Hurriyet
「緊急事態令はもう止めて正常化したほうがよい」


「民主主義の普及なしに、経済的利得は持続しないことを、私たちは知っています。法と民主主義と自由の社会にならなければ、職を生み出し、適切な投資や、実力ある企業を惹きつけることはできません」と、10月23日、ビレジク議長はジュムフリエト紙に語りました。「私たちは早く正常化に向かうべきです」

トルコ国会は10月17日、昨年7月の未遂クーデター後に出された緊急事態令を、もう3か月延長しました。TUSIADにとって、優先すべき問題は、税金、労働力、教育だと、ビレジク議長は言いました。「私たちは外国のビジネス・グループから、トルコを訪れたり旅行するための面倒な手続きや、健康保険、契約調印などのむずかしい制度について、苦情を言われています」

ビレジク氏はまた、最近、政府が、宗教上の地方公務員“ムフティ”が市町村の職員とともに結婚を取り仕切る権利を認めたことについてコメントしました。「結婚は家族法の問題であり、社会的な事柄です。私たちは結婚を世俗主義の枠内の問題と見ています。私たちは宗教職員が結婚に関与しないよう望んでいたのですが」とビレジク氏は言いました。


「トルコは未遂クーデター以来、81人の送還を求めている」ドイツ紙

トルコは2016年7月の未遂クーデター以来、ドイツに81人の送還を求めていると、ドイチェ・ヴェレ(DW)紙が10月23日報じ、左翼政党の議員グループの質問に対するドイツ法務省の答えを批判しました。

Hurriyet

ドイツ法務省は、テロ容疑者が何人いるか、ドイツ政府はトルコの要請に従ったかどうかなどの情報は発表していません。報道によると、送還を要請されている人々の多くは殺人と傷害の罪で告発されているそうです。トルコがドイツに送還を要請している人は60人いますが、テロ容疑者は、その中の8人です。

トルコは、2016年7月15日夜の未遂クーデターに関わったと思われる多くの容疑者を擁護しているとして、ドイツをくり返し非難しています。未遂クーデターで、兵士と市民200人以上がなくなりました。

メヴリュト・チャヴシュオール外相は、昨年11月、トルコ政府は4000人以上のクルド労働者党(PKK)メンバー容疑者の送還を要請していると言いました。エルドアン大統領も、犯罪容疑者を送還しないドイツ政府に、くり返し焦燥を表明しています。

「私はドイツに、PKKに関する4500部の書類を送ったが、われわれはその返答を得ていない」と、エルドアン大統領は、10月19日、イスタンブルでのスピーチで言いました。


   アンカラ市長が辞意を表明

アンカラ市長メリフ・ギョクチェク氏が、10月28日、その職を辞すと語りました。

 Hurriyet
23年間、お疲れさま


「私は、土曜日、アンカラ市委員会を召集し、委員たちに辞任を表明し、別れを告げる」と、ギョクチェク市長はツイッターで発表しました。エルドアン大統領は、以前、“金属疲労”が来た市長たちは、追い出される前に辞職すべきだと言いました。

ギョクチェク市長は1994年、アンカラ市長に選ばれ、2000年代初め、公正発展党(AKP)に入党しました。彼は2004年、2009年、2014年、3回連続アンカラ市長に再選されました。


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今年上半期、ロシア人ツーリストは10倍に増えた

2017年10月23日 | 観光
10月24日 トルコを訪れるロシア人ツーリスト数が、今年上半期、10倍になったと、ロシアのアレクサンドル・ノヴァク・エネルギー相が、10月21日、ロシア24TVのインタビューで言ったと、タス通信が報じました。

Hurriyet

「トルコを訪れるツーリスト数は、今年、制約が解除されたため、確実に増えました。半年間で、すでに160万人がトルコを訪れていると思われます。昨年の同期はたった16万8000人でしたから、10倍になったことになります」とノヴァク・エネルギー相は言いました。

ツーリズムは相互関係の発展のために重要なことです。ロシアはまた、トルコからのツーリストの増加にも関心があると、エネルギー相は付言しました。トルコとロシアの関係の正常化と、治安の懸念が目に見えて緩和されたことが、トルコ観光を復活させました。

今年1月から8月までに、計330万人のロシア人がトルコを訪れていますが、これは891.6%の増加です。2016年の同期、トルコを訪れたロシア人の数は33万6165人でした。


カッパドキアのトレイル・ランニングでリトアニア人が優勝

リトアニア人のトレイル・ランナーのゲディミナス・グリニウスさん(38)が、トルコの「サロモン・カッパドキア・ウルトラ・トレイル」で優勝しました。(トレイル・ランニングは山野を走る中長距離走で、「山岳走レース」とも呼ばれます。)

 Hurriyet

10月21日、グリニウスさんは114キロのレースで240人のライバルを斥け、10時間56分でフィニッシュしました。トラックは高度3350メートル、変化に富んだコースでした。「すばらしかった。世界遺産の遺跡を走ったんだ。家族や友人たちの応援がパワーをくれた」と、グリニウスさんは語りました。彼はトレイニング・キャンプに参加するために、3度、カッパドキアを訪れたそうです。

「皆さん、カッパドキアへ来てください。こんなトレイルはほかではできない。トレイル・ランナーはここを体験しなくちゃ」と、彼は言っています。今年の大会には64か国から1684人が参加しました。

60キロの部門では、ドイツのランナーが5時間14分でフィニッシュ。30キロの部門では、トルコのアフメト・アルスランさん(31)が3時間15分でフィニッシュしました。

「カッパドキアは自然の景観がすばらしい。世界中の人々に、このユニークな体験をシェアしてもらいたい」と、カッパドキアのユルギュップのファフリ・ユルドゥス町長は言いました。大会のスポンサー会社サロモン・グループの報道係ジェイラン・アテシュさんは「レースの参加者が、去年より50%増えたことが自慢です」と言いました。


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チャナッカレのボズジャ島が車乗り入れを禁止に

2017年10月21日 | 観光
10月23日 夏になると車で押しかけるツーリストで道路が混雑するのを嫌ったボズジャ島(ボズジャアダ)の行政が、地元民の車以外、島内の車の通行の禁止を計画中です。

 Hurriyet

ボズジャ島はトルコで3番目に大きな島で、北エーゲ海の人気の観光地であり、トルコで唯一の村のない地区です。ボズジャ島のハカン・ジャン・ユルマズ区長は、島は面積38平方キロ、全国的に人気の観光地のひとつだと言いました。

ボズジャ島は近年、観光業が盛んになってきましたが、島は何百年来、ブドウとワインの産地で、自然の美しさが大切にされていました。「トルコでは観光地として人気が出ると、経済的にもしばらく活気づくが、やがて飽きられてしまうケースが多い」と、ユルマズ区長は言いました。「そんなことがボズジャ島で起こって欲しくありません。だから、私たちは、ブドウの栽培と自然で健康な生活を守っていこうと努めているのです」

「この島を車のない島のモデルにしたいのです。シャトルバス路線と公共交通を整備すれば、問題は解決できます。バスは環境に優しい車にしたい。今年から、8人乗りのゴルフ・カーで、お客様を港からホテルへ送っていますが、反応はよいようです。これからの3年間、環境に優しいシャトルバスで、島のどこにでも行けるようにしていきます」と、ユルマズ区長は言っています。
 

「拘禁中のPKKの指導者は尊敬すべき人物ではない」アメリカ

トルコのアメリカ大使館が、10月21日、拘禁されている非合法組織クルド労働者党(PKK)の指導者アブドゥラ・オジャランは、“尊敬に価する人物ではない”と言い、オジャランの肖像の大きなバナーが、シリアのラッカの広場に掲げられていることに触れました。

 Hurriyet

「すべてのシリア人の勝利であるラッカ解放に対するわが国の姿勢ははっきりしている。緊張が高まったり、攻撃的と見られる行動は避けて欲しい」と、アメリカ大使館は声明文で言いました。声明文は、テロとの戦いで、アメリカはトルコと密接に協力していることを強調し、「PKKは外国テロリスト組織のリストに載っている組織であり、オジャランはPKK関連のテロ活動のために、トルコの刑務所に入っている。彼は尊敬に価する人物ではない」と付言しました。

東部の都市ラッカは、今週初め、シリアのクルドYPGなどの軍によって奪還されましたが、彼らは中央広場に、拘禁されているPKKのリーダー、アブドゥラ・オジャランの肖像の巨大なバナーを掲げました。アメリカ国防総省は10月20日、バナーを掲げたことを非難しました。

「ラッカの解放にあたって、PKKの指導者であるアブドゥラ・オジャランの肖像を掲示することを非難する」とアメリカ国防総省の報道官エイドリアン・ランキン・ギャロウエイ少佐はアナドル通信に語りました。同じ日、アメリカ主導の反ISIL連合も、分裂のシンボルであるオジャランの掲示は認められないと言いました。

エルドアン大統領も10月20日、オジャランのポスターの掲示に関して、アメリカを非難しました。「彼らはラッカに、テロリストの親玉のポスターを下げた。アメリカはこれをどう説明するのか? アメリカも、EU諸国も、PKKをテロリスト組織だと言っている。しかし、彼らはフランスで、国営放送局の生放送中、テロリストの親玉のポスターがビルに掲げられているのを映している。警察もなにもしていない。彼らはこれをどう説明するのか?」


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ギョベクリテペが来年、ユネスコ世界遺産に正式登録か

2017年10月21日 | 
10月22日 世界最古の居住地として知られるギョベクリテペが、来年、ユネスコの世界遺産に登録されると期待されています。

 Hurriyet
シャンルウルファ博物館で見られるギョベクリテペの模型


南東部シャンルウルファ県オレンジク近くにあるギョベクリテペは、シャンルウルファ市の中心から18キロ、1963年、イスタンブル大学とシカゴ大学のチームが、この地域の地表調査中に発見しました。現在、4000平米の防御屋根の建設など、ギョベクリテペのための最後の準備が行われています。まもなく完成する屋根は、古代居住地の長期保存に役立つでしょう。

ギョベクリテペを守るためのキャンペーンも、政府、地方行政、観光局、NGOなどによって行われています。当局も、これらキャンペーンの支持で、ギョベクリテペは来年、ユネスコ世界遺産に登録されると考えています。

遺跡は屋根の建設のため、現在、閉鎖されていますが、トルコ最大の博物館、シャンルウルファ博物館で、ギョベクリテペの模型を見ることができます。


トルコ軍がイドリブの初の監視所を設置

トルコ軍は10月20日、アスタナ協定に従ってシリア国内に休戦地帯をつくるために、シリア軍と反体制派との休戦を監視する、イドリブ初の監視所を設置したと発表しました。

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トルコ軍は、10月13日、最初の監視所を設置し、さらに監視所を増やすと声明書で発表しました。トルコはシリア国内に、500の軍を有する14の監視所を設けると思われます。トルコ軍は、9月15日、トルコ、ロシア、イランがアスタナで結んだ協定に従って、越境作戦を開始しました。

イドリブの休戦地帯では、トルコがイドリブ県内の休戦を監視し、ロシアはイドリブの外から監視します。イドリブ作戦は、アスタナ協定の保障国3か国が合意した契約のルールの範囲内で行われると、トルコ軍は声明文で言っています。


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