トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

イマームたちが性的健康問題までお勉強することに

2015年05月31日 | 国内
6月1日 イマームがモスクに礼拝に来る人々に、道徳だけでなく健康問題まで指導できるように、保健省がイマーム教育を始めることになりました。イマームとはイスラムの導師、金曜日にモスクでお説教する、いわば聖職者です。

 Hurriyet

癌、結核、肥満、精神的健康、クリミア=コンゴ出血熱、薬品の使用法、妊婦への助言から性的健康まで、多くの健康問題について、イマームたちが学びます。イマームに与えられる資料は、男女の生殖器やバスコントロールに関する知識にも触れています。

資料には、「パートナーは安全な性生活のために、互いに忠実でなければなりません。また、互いの快感について話合い、互いの限界を尊重し合う必要があります」「パートナーは互いの体について知り、最初の性交渉は互いにやさしく、理解しあってアプローチしなければなりません」などという件もあります。

肥満問題について、「20歳以上の30%は肥りすぎ。食事の後は、テレビやコンピュータの前にすわるより動いたほうがよい。週に5日は、少なくとも30分は歩こう」と、資料にあります。また、結核については、「毎年900万人が発病し、150万人が結核で死んでいる。紫外線を浴びると、結核菌は短時間で死ぬ」と書かれています。


アヤソフィアのモスク変更を要求する人々が朝の祈り

全国の信心深いムスリムが、イスタンブル征服562周年記念日に、アヤソフィアの前で祈りを捧げ、アヤソフィアをモスクに変えるよう要求しました。

 Hurriyet

5月31日朝、全国から来た男女が、アナトリア青年協会(AGD)が組織したイベントの一環として、「くさりを破れ、アヤソフィアを開け」をモットーに、アヤソフィア博物館の前に集まり、博物館をモスクに変えるよう要求して朝の祈りを捧げました。

6世紀、トラレスのアンテミオスとミレトスのイシドロスが設計したキリスト教の教会アヤソフィアは、現在、ユネスコの世界遺産になっています。イスタンブルの征服者として知られるメフメト2世率いるオスマン軍がこの都を征服した1453年まで、アヤソフィアはキリスト教正教の中心でした。

916年間、教会だったアヤソフィアは、メフメト2世の命によって、征服を象徴する“勝利のモスク”に改装されました。教会のモザイクは漆喰で覆われましたが、20世紀、みごとに修復されました。アヤソフィアは482年間、モスクとして使われていました。

オスマン帝国崩壊後、1935年、アヤソフィアは共和国によって博物館に改装されました。


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トルコ軍がエルドアン大統領の指示でオスマン軍に変身

2015年05月31日 | 国内
5月31日 イスタンブル征服562周年紀念のイベントに、トルコ軍がエルドアン大統領の指示でオスマン軍の衣装に装って出席しました。
 
 Hurriyet

イスタンブルの第1陸軍本部は478人を“征服軍”に仕立てました。記念日の式典では、この隊員に、メフテルとして知られるオスマン軍楽隊84人が加わりました。今年の式典は征服記念日より1日後の5月30日に、イスタンブルで行われました。

メフテルの後から行進する“征服軍”の衣装はイスタンブル市が提供しました。歴史的衣装の一式は部隊によっていろいろで、14種あるそうです。

 Hurriyet

エルドアン大統領は2014年8月、大統領に就任してすぐ、アンカラの新築の大統領宮殿に引っ越しましたが、この宮殿に外国からの賓客を迎えるとき、大統領は、さまざまな時代の伝統の軍服を着た俳優たちを並ばせました。


「民主主義、経済、シリア政策、ぜんぶダメ」と野党がAKPを非難

有力3野党は、5月30日の選挙デモで、民主主義、悪化する経済、ヘタクソなシリア政策に関して、政権与党・公正発展党(AKP)を非難しました。

 Hurriyet

「奴隷制を終わらせるために、わがHDPに“イエス”と言ってください」と、親クルド政党・人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首は、イスタンブルのクズルチェシュメ広場でのキャンペーンで何千人の支持者に訴えました。

デミルタシュ氏は国を分裂させる政府を非難し、エルドアン大統領とダヴトオール首相の話を聞くために近くの広場に来たAKPの支持者たちに、「皆さんも私たちの兄弟姉妹だ」と強く言いました。「皆さんは私たちの敵ではありません。私たちはともに暮らしています。皆さんも同じことを言う勇気がありますか?」

Hurriyet

広場に祈りの時間を告げる声が流れてくると、デミルタシュ氏はこれに敬意を表して、スピーチを一時中断しました。広場ではトルコ国旗とHDPの旗のほか、イラクのクルド自治政府(KRG)の旗や非合法クルド労働者党(PKK)の旗も振られ、近代トルコの創設者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像も飾られていました。


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トルコを訪れる外国人が、4月、8.1%減少した

2015年05月28日 | 観光
5月29日 観光省のデータによると、トルコを訪れる外国人の数が、4月、前年同期に比して8.1%減少しました。

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「4月の外国人旅行者数は243万人になり、2014年に比して8.1%の減少」と、5月27日の観光省の発表です。4月の外国人旅行者の42.6%はイスタンブルから入国し、25.5%はアンタリヤから入国しました。

1月~4月の外国人旅行者数は696万人で、2014年同期に比して0.5%の減少です。1月~4月の外国人旅行者の48%はイスタンブルから入国し、16.6%はアンタリヤとエディルネから入国しています。


エルドアン大統領が宗教庁トップの高級車をローマ法王に比して弁護

トルコ宗教庁(ディヤネット)のトップであるメフメト・ギョルメズ師が、ぜいたくな車に乗っていることに野党から批判の声が上がっていますが、エルドアン大統領がローマ法王も装甲車や自家用飛行機に乗っていると、ギョルメズ師の高級車を正当化しました。

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エルドアン大統領(左)と宗教庁トップのギョルメズ師


「メフメト・ギョルメズ師はトルコの宗教指導者にとどまりません。彼は中東の、またイスラム世界の宗教指導者でもあります。その点を考えてみるべきです」と、エルドアン大統領は、100万リラ(43万5000ドル)と推定される高級車に関する質問に応えて言いました。

大統領はまた、大統領オフィスから宗教庁のトップに装甲メルセデスが届けられたのは、自分の発案によるものだと説明しました。「ローマ法王は私用の飛行機と乗用車と装甲車を使っていますが、批判する人はいません」と大統領は反論し、ギョルメズ師は飛行機でこなさなければならないスケジュールを持っていると言いました。

オスマン時代には、新しいスルタンを認証する権威を持ち、法的な顧問役の長でもあったシェイフイスラムという最高聖職者がいましたが、1924年、それにかわって生まれたのがディヤネットです。今日、ディヤネットは、毎週モスクに届けられる説教を起草し、全国85000のモスクを統括しています。


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ルノーの労働争議は合意に達し、生産が再開した

2015年05月27日 | 国内
5月28日 フランスの巨大企業「ルノー」のブルサの工場では、給料と労働条件に関する争議でストライキがつづいていましたが、5月27日、争議は労使の合意で終わったと、会社側が発表しました。(5月21日、24日の頁参照)

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「自動車業界に波紋をおよぼした争議が、この合意で終焉することを望む」と、ルノーとオヤクの共同企業「オヤク・ルノー」は声明書で言いました。工場の操業は5月27日朝、再開しました。同社は、労働者に週休1000トルコリラ(370ドル)を支払い、1か月以内に労働条件の改善の検討を終えると言っています。

経営陣はまた、成績を基盤にした年次ボーナスも支給することを認めました。「重要なのは、この争議で、労働者のだれも、法的に訴えられたり懲戒処分を受けたりしていないことだ」と会社側は言っています。

労働争議は5月14日、「オヤク・ルノー」と、イタリアのフィアットとトルコのコチ・ホールディンが所有する「トファシュ」のブルサ工場で始まり、その後、「フォード」のトルコ部門や「フォード・オトサン」など、自動車部品メーカーにひろがりました。

現在、エスキシェヒルの「フォード・オトサン」のイノニュ工場以外、自動車工場のほとんどは、労使間の交渉が終わり、生産が再開しました。フォード・オトサンの経営陣は26日、文書で労働者に抗議活動を止めるよう要請しました。


スペイン政府がトルコのユダヤ人のスペイン国籍を認める

1492年のスペインの宗教弾圧で、異教徒である多くのユダヤ人がスペインから追放されたのは、ご存じのとおり。追放されたユダヤ人をオスマン帝国の時のスルタンが船団まで差し向けて迎え入れたことも、トルコ通ならご存じでしょう。その歴史に基づいて、トルコに住むユダヤ人に、お望みならスペイン国籍をあげましょうという法案が、まもなくスペイン議会を通過するようです。
15世紀末のことを、今頃になって・・・スペインて、おもしろい国ですね。


トルコに住むユダヤ人の反応もさまざま。EU圏を自由に動けるように、スペイン人ンになっちゃおうかなといういう人も、父祖代々生きてきたトルコこそ、わが祖国、スペイン人になんかなりたくないという人もいます。NYタイムスが取材したトルコのユダヤ人の法案に対する反応もいろいろ・・・

イスタンブルで働くグラフィック・デザイナーのラフさん(25)。「トルコの国粋主義者の嫌がらせを受けたくないから姓は言わない。トルコには仕事のチャンスがないし、いろんな理由で移住したい。ユダヤ人社会に対する差別は微々たるものだけど」NYタイムスによると、移住したいというユダヤ人は少なくないそうです。

ユダヤ人向け週刊紙「シャロム」のコラムニスト、セリン・ナシさんは「トルコ政府はユダヤ人との関係を改善するために、積極的な行動をとってきました」と言っています。ブルサ・ユダヤ人財団会長のレオン・エンネカヴェさん(70)は、「いや、むしろ、私たちユダヤ人社会は、トルコで大事にされ、尊敬されてて来ましたよ」


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シャンルウルファで古い教会を修復中

2015年05月26日 | 観光
5月27日 東部シャンルウルファ県に残る古い教会が200余年を経て、よみがえろうとしています。「南東アナトリア・プロジェクト(GAP)行動計画」が教会を観光ポイントにしようと修復が始まりました。

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教会は市の中心から10キロのゲルミュシュ山脈の麓にあります。碑文がないため、正確な時代はわかりませんが、19世紀の初めに建立されたと推測されます。教会の近くには、世界最古の社のひとつ、あのギョベクリテペがあります。

シャンルウルファの観光ガイド会議所の会長カミル・テュルクメンさんは、オスマン時代、ゲルミュシュ村にはアルメニア人が住んでいたと言っています。「この教会は外国人ツーリストに注目され、訪れる人もいるのですが、教会はまだ整備されていません。できるだけ早く修復するべきです」

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元村長のマンスル・オズデミルさん(85)は、村人たちは教会を保護しようとしたが、“宝探し屋”が来て、荒らしてしまったと言いました。「昔はアルメニア人の何家族かが住んでいたが、その後、シリアに行ってしまった」

オズデミルさんが父親に聞いたところでは、「オスマン時代末期、村の若者たちは独立戦争に参加し、年寄りと女性が村に残った。戦争に行かないアルメニア人も、ここに住んでいた。そこへフランス人とロシア人が来て、村人たちを皆殺しにした。若者たちが戦争から帰ってくると、彼らは村から逃げて行った」

・・・オスマン末期には、記録に残らない、いろんなことがあったのですね。


アヤソフィアをモスクに変えようと何百人もがイスタンブルでデモ

イスタンブルの歴史的アヤソフィア博物館をモスクに変えようと、5月24日、何百人もがデモをしました。

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「アヤソフィアはモスクとして再開させるべきだ」と書いたプラカードを持った人々が、歴史的スルタナメット地区のアヤソフィアの前に集まりました。このプロテストには人道主義的救援団体(IHH)を含む多くのNGOが参加していました。

6世紀にミレトスのアンテミオス・トラレスとイシドロスが、キリスト教会として設計したアヤソフィアは、いま、ユネスコの世界遺産になっています。イスタンブルの征服者として知られるスルタン・メフメット2世率いるオスマン軍が、この都を征服した1453年まで、アヤソフィアは正教キリスト教の中心でした。

916年間,教会であったアヤソフィアを、メフメット2世は“勝利のモスク”とするよう命じ、ムスリムの征服の象徴としました。教会のモザイクは漆喰で覆われましたが、20世紀、修復に成功しました。

アヤソフィアは征服後の482年間、モスクとして使われてきました。オスマン帝国が崩壊した後、アヤソフィアは共和国によって博物館に変えられました。


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AKPの議員と握手するのを拒否した理髪師がなぐられた

2015年05月24日 | 国内
5月26日 23日、公正発展党(AKP)の議員が差し出した手を握らなかった理髪師が、議員の支持者に殴られました。

 Hurriyet
殴られたゲンチさん(左)と防犯カメラの写真


イスタンブル選出のAKPのヒュセイン・ビュルゲ議員は、選挙運動の一環として、イスタンブルの中心ベイオール地区の商店主たちを訪問、理髪師のムスタファ・ゲンチさんに握手の手を差しのべましたが、ゲンチさんはそれに応じませんでした。

ビュルゲ議員の支持者たちとゲンチさんの間で口論が始まり、エスカレート、ゲンチさんは殴られ、負傷しました。ゲンチさんの理髪店の防犯カメラが、この事件を撮影していました。
1人の男が、ビュルゲ議員の訪問にケチをつけたとゲンチさんをなじり、群衆をけしかけたと、ゲンチさんは主張しています。


アダナのAKP候補者が選挙運動中、胃を刺された

現政権・公正発展党(AKP)の候補者ラマザン・デミル氏が、南部アダナ県アラダー地区で胃を刺されました。

 Hurriyet

23日、アダナのAKP候補デミル氏は、選挙運動中、身元不明の男2人に胃を3回刺されました。デミル氏は最初、応急手当のため、アラダー保健センターに運ばれ、その後、救急車でアダナ・ヌムネ教育研究病院に運ばれました。容態は良好ということです。

警察は2人の容疑者を拘束しました。2人は興奮状態だったと、24日、アナドルニュースが報じました。オメル・チチェキ文化観光相は、ツイッターでこの事件を発表した1人。「わがAKPの候補者が刺されました。この攻撃を非難します。彼の早急な回復を祈ります。私は救急隊の連絡を取って容態を聞きましたが・・・」

AKPの要人たちがアダナの病院を見舞いに訪れています。事件には裏があると言う人々も。


ブルサのギュルス区長襲撃者が警察に自首

西部ブルサ県で区長に発砲した市警の警察官が、23日、中央アナトリアのヨズガト市で警察に自首しました(5月21日の頁参照)。

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警官F.B.は20日、ブルサ市ギュルス区のジュネイト・ユルドゥス区長と警備員イエネル・シムシェクさんに発砲し、負傷させました。警察はF.B.を審問のためブルサに送りました。AKPのユルドゥス区長は病院でいまも重態、警備員のシムシェクさんは危機を脱したそうです。

市警勤務の警官だった襲撃者は、午後3時頃、ユルドゥス区長のオフィスに押し入り、発砲して、区長と警備員を負傷させました。メフメト・ムエッジンオール保健相は襲撃を確認し、負傷した区長の早急な回復を祈ると言っているそうです。


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南北キプロスのリーダーが笑顔でグラスを合わせた

2015年05月24日 | 国際
5月25日 ギリシア・キプロスとトルコ・キプロスのリーダーが、分断された首都ニコシアの旧市街をともに歩き、カフェでスナックや飲物を楽しみました。分断された島の再統合のための話し合いは順調に動き出したようです。

 Hurriyet
ギリシア・キプロスのアナスタシアデス大統領とトルコ・キプロスのアクンジュ大統領、いい雰囲気ですね。なぜかノーネクタイの服の色まで同じ。


1974年、東地中海に浮かぶこの島が分断されて以来、両サイドの指導者がこのようにともに過ごしたのは初めてのことです。ギリシア・キプロスのニコス・アナスタシアデス大統領とトルコ・キプロスのムスタファ・アクンジュ大統領は、国連が管理する緩衝地帯で会った後、両サイドのカフェでともにすわり、コーヒーとお菓子を楽しみ、ウオッカに似た伝統ドリンク「ジヴァニア」を飲みました。

アナシタシアデス大統領も、アクンジュ大統領も、「希望のメッセージを発信したい。平和のために懸命に努力する」と言いました。


今度はISIL参加志願のフランス人が拘束された

5月22日、シリアのジハーディストに参加しようとトルコに到着したフランス国籍者を拘束し追放したと、トルコ当局が発表しました。

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イラク軍とシーア派戦闘員が、イラク・ファルージャ市郊外にいるISILの戦闘員に迫撃砲を発砲しはじめました。


B.T.という男は、5月21日夜、ミラノからの便で、イスタンブルのサビハ・ギョクチェン空港に到着したと、AFPが報じました。国境警察が彼に疑念を持ち、足止めし、尋問しました。「長い面談の後、B.T.はアダナへ行き、シリアのテロリスト集団に参加するつもりだったと告白した」と当局は言っています。

男は空路で出国した国イタリアへ送還され、フランス当局へ通告されました。トルコ政府はこれまで、13,500人の外国市民を追放しましたが、彼らの18%はヨーロッパと北米出身です。これまで98か国からの外国人が、ISILに参加しようとトルコにやってきました。

イラクとシリアと1300キロの国境を共有するトルコは、外国戦闘員の流れをじゅうぶんに阻止していないという外国の批判に憤慨し、否定しています。


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シリア国境でIS参加志願の15歳のスエーデン人少女を拘束

2015年05月22日 | 国内
5月24日 トルコ当局は、イスラム国(ISIL)に参加するためにシリア国境を越えようとしていた15歳のスエーデン人少女を拘束しました。

 Hurriyet

スエーデン警察のフレドリック・マルム氏はスエーデンのメディアに、少女の家族が娘の失踪を警察に通報し、スエーデン警察がトルコ当局に通報して、少女は拘束されたと語りました。マルム氏によると、少女は家族とともにスエーデンへ帰国の途にあるということです。

トルコはシリアと800キロの国境を共有しています。トルコはこの何か月か、シリアやイラクに入ろうとする外国人戦闘員の流れを止めるために、各国との協力を強化しています。

・・・15歳の少女はおそらくウエブでISILの男に誘われたのでしょうね。彼女はまだ見ぬボーイフレンドに会いに行くつもりだったのかも・・・。


政府と会社が自動車産業労働者に抗議活動を止めるよう促している 

トルコの合弁会社「オヤク・ルノー」の生産活動が停止しているため、フランスの自動車メーカーの「ルノー」のユーラシア責任者ジャン・クリストフ・クーグラー氏は記者団に、「トルコは有望な市場で、ルノーは長期にわたってこの市場に賭けてきたが、労働闘争は、自動車部品の有力な生産者でであるトルコのみならず、世界の産業をも脅かすものだ」と語りました。

 Hurriyet

トファシュとフォードの連合「フォード・オトサン」と「オヤク・ルノー」は全国的な労働争議のために生産がストップしています。労働条件と給料に関する争議は、トルコの自動車産業の中心であるブルサ周辺に集まる多くの部品メーカーにもひろがっています。

「トファシュ」と部品メーカー「ジョシュクノス」の従業員は、21日の労資の話合いの後、職場に復帰しましたが、トルコの自動車生産の大きな部分を占める他の工場では、抗議活動がつづいています。

フィクリ・ウシュク産業相は、生産の早急な再開を望むと言い、生産をつづけながらでも、労働者の要求を討議することはできるはずと言っています。ウシュク産業相は、イスタンブルの「オートショウ2015」で、争議はトルコの輸出に損失を与えているが、これまでの生産の損失は回復できるだろうと言っています。「労資間の要求と期待は生産をつづけながら、交渉できるはずです」


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中学の校長が生徒の頭で黒板を消した、ハハハ

2015年05月21日 | 国内
5月23日 アンカラの中学の校長先生が、生徒が教室の黒板を消しておかなかった罰に、生徒の頭で黒板を消しました。それをこっそりビデオに撮っていた生徒がいたので問題に・・・。

 Hurriyet
アンカラの中学、なかなか立派な建物ですね。


「黒板を消しておけと言っただろう。なぜ消さなかった?」というシュレイマン・イーイト校長は声を荒げ、1人の生徒の耳を引っ張り、生徒の頭で黒板を消しました。イーイト校長はイマーム養成高校の副校長をしていましたが、最近、この中学の校長に任命されました。

イーイト校長は、3月12日、学校のウエブサイトに、キャンパス内に礼拝室を2つ設けたと発表して、メディアの注目を集めました。ムスリム以外の生徒もいる公立中学に、モスクを設けることに関して、とくにイスタンブルやイズミルでは論議を呼んでいます。

・・・日本にもとんでもない教師がいますが、この校長もかなりとんでもない人らしい。でも、無責任に言えば、生徒の頭で黒板拭いちゃう発想は笑えますね。


トルコはロヒンギャ難民に支援船を送り、100万ドルを提供する

トルコは海上を漂流しているロヒンギャ人とベンガル人難民に、人道的支援を提供するために、国際移民機関(IOM)と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に、支援船を送り、100万ドルを提供すると誓約しました。

 Hurriyet
インドネシアの看護士が、小舟でインドネシアにたどり着いたロヒンギャの移民女性の手当てをしています。


エルドアン大統領は5月20日、マレーシアのナジプ・ラザク首相に電話し、アンダマン海に漂流している難民について語り合い、トルコはこの問題について責任を果たす用意があると明言しました。アナドルニュースによると、エルドアン大統領はラザク首相に、トルコはマレーシア、インドネシア、タイランドの難民のための努力を高く評価すると言いました。

 Sabah

ダヴトオール首相は19日、チャンカヤ宮殿で若者たちにスピーチし、「トルコは海上に漂流するムスリムであるロヒンギャの援助に、国際移民機関(IOM)とともにベストを尽くしている。トルコ軍の船が現地に向かっている」と語りました。


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南東部でPKKが憲兵とその友人を誘拐した

2015年05月21日 | 国際
5月22日 憲兵とその友人の2人が、南東部で非合法組織クルド労働者党(PKK)に誘拐されました。

 Hurriyet

「分離主義テロリスト組織のメンバーが、特別憲兵伍長とその友人の2人を、ムシュ県のメルケズ・メスジトリ村とボスタンケント村の間で誘拐した。事件の捜査は始まっている」と、トルコ参謀本部が20日、発表しました。ドーアンニュースによると、事件は18日に起こったそうです。

誘拐された憲兵伍長は、エルズルム県で家族を訪ねた後、幼友達とムシュのバルタジュ村へ行った帰途でした。友人はテレビ技術者で、テレビ送信機のメンテナンスの仕事で、この地域に会社から派遣されていました。憲兵隊は捜査作戦を開始しました。

PKKはトルコ、アメリカ、EUに、テロリスト組織と認定されていますが、2013年以来、その戦闘員とトルコ治安部隊の大きな武力衝突はありませんでした。2013年のネヴルスの祭で、収監されているPKKの指導者アブドゥラ・オジャランが初めて、PKKのメンバーに休戦を求め、40年間の武力闘争を終わらせ、クルド人の権利のための政治闘争を始めるべきときだと言いました。

交渉のプロセスが始まる前は、PKKは南東部で、公務員や労働者や兵士を日常的に誘拐していました。

・・・指導者オジャランが休戦を呼びかけているのに、今頃また、誘拐をする連中は、もはやPKKのメンバーとは言えないと思いますが・・・。


トルコはシリア国境を警備するジェット機を増やした

トルコ=シリア国境をパトロールするトルコのジェット戦闘機の数が増えました。最近まで2機から6機のF16-sがシリア国境をパトロールしていましたが、19日、司令部はその数を10機に増やしました。

 Hurriyet 

司令部の発表によると、19日、シリアのSA型対空防御システムが、トルコの2機のF16機に45秒間レーダーを固定しました。司令部はこれを“嫌がらせ”としています。
同じ19日、ギリシアのジェット戦闘機も、エーゲ海上でトルコの2機のF4-s機に2分間レーダーを固定しました。トルコ機はただちに同じ方法で“返礼”しました。

最大野党・共和人民党(CHP)のギュルセル・テキン事務局長は、今月初め、政府は6月7日の総選挙前にシリアで軍事作戦を始める計画だと主張しました。政府当局は先週、この主張を厳しく否定しましたが、その後16日、トルコのジェット機がシリアの軍用機を撃墜しました。

ダヴトオール首相とイスメト・ユルマズ防衛相は、当初、撃墜したのはシリアのヘリと発表しましたが、その後、トルコ軍は無人機ドローンだったと発表しました。


クリミア・タタールの追放記念日にエルドアン大統領が電話した

 1944年のクリミア・タタール人の大量追放71周年記念の5月19日、エルドアン大統領はクリミア・タタールの指導者ムスタファ・デミレフ氏に電話をしました。

 Hurriyet
クリミア・タタールの指導者ムスタファ・デミレフ氏(右)


「トルコは、わが兄弟クリミア・タタール人と手を握り合っています。クリミア・タタール人が体験した追放は歴史の“暗い頁”であり、われわれはこの“非人間的な”事件を決して忘れません」と大統領は語りました。大統領はまた、追放中に亡くなった犠牲者たちへの弔意を告げました。

「トルコはウクライナ問題が始まったときから、クリミア・タタール人の平穏と幸福と安全を最優先に考えてきました」と、エルドアン大統領は言い、昨年3月のロシアによるクリミア併合にも言及しました。

大統領はまた、クリミア・タタール人が追放された日を記念することを禁じたロシア当局を批判し、“受け入れがたい”と言いました。デミレフ氏はエルドアン大統領に、トルコのクリミア・タタールに対する配慮と支援に感謝しました。

1944年、ヨゼフ・スターリンの支配下のソ連で、25万人のクリミア・タタール人が、住み慣れたクリミアの家を追われ、貨車に乗せられ、何千キロも離れた中央アジアに移民させられました。


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