ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

手紙 親愛なる子供達へ

2009年08月04日 | 徹子の部屋から
     我家のペチュニアたち この頃の暑さに花数は減っています







今日は何ヶ月振りでしょうか、鈴木先生のクラスに入りました。本当に久し
振りでアチコチから「ま~ぁ久し振り!」の声が掛かります。あの人もこの人
もお元気で良かった…と私の心も喜びました。

懐かしいステップも、新しいステップもまだまだ遅れる事無く付いていけそ
うでホットしました。でも身体は文句を言いました。「ストレッチをサボって
いるね!」って。日頃動かさない筋肉を伸ばすものですから「アッ!痛タタ
タ~!」て悲鳴を上げます。やっぱり歩くだけでは駄目なんですね。身体を
柔軟に保つ為には、ストレッチは欠かせないようです。頑張ってストレッチ
クラスに入りましょう。

終わりに鈴木先生が、「忘れ物はありませんか、タオル、水筒は忘れてい
ませんか?」と注意しておられるのを聞き流してロッカールームに…。ハタ
と気が付きました、私はもっと大きな忘れ物です。靴、靴を忘れたんです。
弁解しますとね、「フラダンス」も「インドムービーダンス」も素足なんです。
だから脱いだ靴を持ち帰るなんて事はすっかり忘れていました。嫌~ね。



今日久し振りに「徹子の部屋」を生で見たのです。そこで樋口了一さんが
「手紙 親愛なる子供へ」を歌っておられるのを聞いたのです。勿論「手
紙」の事は知っていましたし、詩は読んだ事がありました。でもメロディー
が付いて歌っているのは初めて聞きました。

樋口さんの友人のメールに作者不明で(ポルトガル語で書かれていた)入っ
てきたそうです。日本語に訳したものを見せられて、樋口さんが少し言葉を
追加して、細々と歌っていたのです。それが共感を呼び、口コミで広がって
いったのです。「千の風になって」を売り出した方の目に止まり、CDになっ
たそうです。

詩自体も、胸の詰まる思いをするのですが、歌となりますと尚更で、胸に染
み込む感じでした。私自身がこの手紙の主の年代だからだと思うのですが。

年老いた親が、愛しいわが子に、だんだん弱っていく自分を見ても、それは
老いるという事なので見守って欲しい。そして色んな例を上げてこうなっても
よ、と語っているのです。

最後の4行が本当に身につまされました。

    あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
    
    私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

    貴方の生まれてくれた事で私が受けた多くの喜びと

    貴方に対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

特に2行目は「私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい」この言葉は
自分ではどうする事も出来ない老いていく自分の最後に付き合って欲しいと
言う、親なら、何方でも子に願う言葉ではないだろうか。

徹子さんは「日本人はこうも赤裸々に言葉を書けない…」と言っておられた。
そうかも知れないが、それなら何故この詩は日本に送られてきたのでしょう
か?ポルトガル語で書かれていたというのが、ネックにはなりますが、ポル
トガル圏に長く住んでいる日本人で、この詩は、心は日本人しか解ってもら
えないと思った人が送ってきたと言う考えは間違いでしょうか?

実際の詩を載せてないので、解り難いかも知れませんが興味を持たれまし
たら「手紙 親愛なる子供達へ」と引きますと、「詩」も「歌」も直ぐ出て参り
ます。読んでみてください。




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