「八重の水仙」 ご近所で (15―4―2)
4月17日(金)今年は隣保の「幹事」が廻ってきまして、夜に総会がありました。
ただ、その場に座っているだけなのに、疲れてしまいました。夜出かけることが
ないからでしょうか?
お隣の席は、わが友の家のお嫁さんですし、向えに座っているのは、次男の友
達で、次期会長といわれている息子世代ですしね~。世代交代の感をひしひし
受けました。
マンションが増えますが、隣保に入ろうとはしないそうですね。何処でもの傾向
だと思うのですが、やっぱり地域の一員である限り、加入はすべきだと思ってま
すけど。
愛川欣也さんが「在宅死」を選ばれてから、「在宅死」か「病院死」かが書かれ
ることが目につくようになりました。
4年におよぶ「在宅患者」の世話を経験した私としては、「「看る人の大変さを思
えば、私は病院に入りたい」と思っていました。それが近頃揺らいできます。「家
で死にたいから」という贅沢な気持ちではありません。
病院に入れば「どんな患者も生かし続ける」という大病院の医師の意見に逆らえ
ないからです。「胃瘻=いろう=小さな穴を開け、直接胃にチューブで栄養をい
れる」「酸素吸入」等の「チューブ」に繋がれ、意識が無くとも営々と生かしつづけ
られるのが嫌だからです。それを断れば、即、退院を迫られる、今の病院の体制
が嫌だからです。
在宅であれば、無駄な処置はせなければ、数日で終えられる命を無駄に生きたく
ないと思うのです。
ただ明るい方向性としては希望は介護保険の充実によって、訪問看護、医師の
往診も可能になってくるということです。
医師側も「どんな患者も生かし続ける」というような、これまでのやり方は見直す
べきだと書かれていました。そう成れば、今の保険料の膨大な無駄もなくなるの
ではないでしょうか?
早急にそのような方向に改善され、安心して、「入院死」できるようにと願ってい
ます。