ポインセチア サンチカタウンへの階段の飾り (08-12-11)
美容室で待っている間に画報を見ていました。私にとっては本当に久し振りに、桐島洋子さんかれんさん親子の写真が載っておりました。随分久し振りです。お元気なんだな~と安心しました。
桐島さんの本をよく読んだものです。そして彼女の、バイタリティーと頭の良さに圧倒されたものでした。
この記事を書くつもりで、ネットでしらべました。年上だと思っていた彼女が3歳年下だったことを知りました。「ブログ」もあることを知りましたし、70歳になった今年から「森羅塾」と言う私塾を中目黒に開いておられることも知りました。
1回が平均1万円と一寸高いように思いますが、桐島さんの手料理と、ミャンマーの子供達への寄付金も含まれているといいますから、高くないかもしれません。遠方から来られる人は近くに一泊3千円で泊まれる素人宿もあるそうです。
私だと交通費も掛かりますから、再々と言うわけにも行きませんが、一度は参加してみたいと思ってしまいました。写真を見ますと、参加者は案外若い方が多いような気がします。月2回の会合が4回(同じ講座が増えていると言う意味)に増えているところを見ますと、楽しい会なのだろうと思います。
高峰秀子さんの写真(近影はなし)とお話も載っていました。デコちゃんは私よりお年上ですが、お元気で居られるのかと時々思い出していました。映画も良く見ましたが、日本で始めての天然色映画(カラー映画)もデコ子ちゃんでした。
この方の本も3~4冊読見ました。骨董品にも趣味があって、丸の内にお店を持たれたことがあったと思います。骨董に関する本もあって、その中には「なんでも鑑定團」の中島誠之助さんの若き日の事も載っていたと思います。
近状がわかればな~と思いネットで調べましたが、昔の映画のことばかりで、今の高峰さんについては載っていませんでした。
もう1人桐島さんと同じようにバリバリと仕事をしていた方で心に残っていた方が居ました。俵萌子さんです。11月27日に77歳で亡くなりましたね。乳がんに罹ったことから、そちらの方面でも活躍しておられました。
お父さんの故郷である群馬県に魅せられて、赤城山の麓に居を構えられた。交通の不便なそこに行く為に運転免許も取られた。そのあたりのことまでは作品を読んで知っていた。陶芸に凝って「萌子美術館」を持たれことまでは知っていまた。
何時も写真では赤い服を着て笑っておられた。若い頃のお顔は余り好きではなかったが、晩年のお顔はとても良いお顔でした。だから一度お会いしたいと思っていました。有名人だからと言うのではなく、心に響くものが在った方だからです。テレビでしかお会いしたことはないのですが、どういうわけですか、この方の声をはっきりと覚えているのです。
一度群馬県の美術館に行ってみたいと思いながら果たせませんでした。12月1日に閉館になってしまったのです。
したい見たいと思うことは出来うる限り、できる間にしておくべき年代に来ているのだと俵さんの死亡記事を見たときに思いました。自分はまだ元気でも、会いたい相手が旅立たれることもあるのだと知ったのです。
友人にも言えることです。出来るだけ機会を作って、会って、話して、笑って、楽しい時間を共有したいと思う今日この頃です。
(920回)