あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

道程 ( みちのり ) 12 昭和維新 ( 昭和11年3月1日~12月31日 )

2021年06月02日 13時44分39秒 | 道程 ( みちのり )


道程 ( みちのり ) 12
昭和維新
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昭和11年

事件直後  大御心、
陸軍はこの機会に厳にその禍根をいっそうせよ 
3月2日  軍法会議に事件送致、予審開始
3月3日  午後3時5分  山本又、東京憲兵隊に出頭
3月4日  西田税逮捕さる
3月5日  午後3時30分頃  河野大尉自決
3月8日  「 私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 」 ・・西田税、警察での陳述
3月20日  磯部、冨美子を入籍す
4月28日  公判始まる
5月1日  第二回公判  村中孝次
5月2日  第三回公判  村中孝次
5月3日  帝国議会開院式  勅語 「「 今次東京ニ起レル事件ハ、朕ガ憾ミトスル所ナリ 」 
5月4日  第四回公判  村中孝次、對馬勝雄、渋川善助、磯部浅一
5月5日  第五回公判  磯部浅一
5月6日  第六回公判  磯部浅一、香田清貞
5月7日  第七回公判  香田清貞、丹生誠忠
5月7日  相澤中佐 ・ 判決 『 被告人を死刑に処す 』
5月8日  相澤中佐、上告 ・・・相澤三郎 ・上告趣意書 1 相澤三郎 ・上告趣意書 2 
 5月10日の報道
5月10日  第八回公判  丹生誠忠、栗原安秀
5月11日  第九回公判  林八郎、池田俊彦
5月12日  第十回公判  對馬勝雄、竹嶌継夫
5月13日  第十一回公判 
中橋基明、中島莞爾
5月15日  第十二回公判 
安藤輝三、坂井直
5月16日  第十三回公判 
坂井直
5月18日  第十四回公判 
麦屋清済、高橋太郎
5月19日  第十五回公判 
安田優
5月20日  第十六回公判 
常盤稔、清原康平
5月21日  第十七回公判 
清原康平、鈴木金次郎、田中勝
5月23日  第十八回公判 
山本又
5月25日  第十九回公判 
渋川善助、村中孝次
5月26日  第二十回公判 
今泉義道
5月30日  第二十一回公判 
憲兵報告
6月1日  第二十二回公判 
磯部浅一
6月4日  第二十三回公判 
『 論告求刑、香田清貞以下二十三名』  ・ 最期の陳述 
6月5日  求刑
6月28日 ( 日 )  朝来雨降ル
6月29日 ( 月 )  降雨
6月30日 ( 火 )  雨、午後降リ止メド梅雨模様ナリ。
7月1日   ( 水 )  日中ハ降ラズ、夜ニ入リテ雨
7月2日   ( 木 )  終日雨降ル
7月3日   ( 金 )  相澤中佐の死刑執行 ・・・昭和11年7月3日 (二十) 相澤三郎中佐 
  朝来雨模様ナリシガ、午後久シブリニテ日光ヲ仰グ
  夜  荒木大将、弔問す
  『 新井勲 』  公判
7月4日   ( 土 )  薄日、午後曇   
『 柳下良二 』 公判
7月5日   ( 日 )  朝来曇天、公判ノ頃暫時日照ス氣  二・二六事件 『 判決 』
  第二十四回公判  『 判決、香田清貞以下二十三名 』  
  眞崎大将、相澤中佐を弔問す
7月6日   ( 日 )  朝細雨、本降リトナリ終日止マズ
  丹心録 「 吾人はクーデターを企図するものに非ず 」 ・・・村中孝次 ・ 丹心録 

 判決報道、7日
7月7日   
( 火 )  晴  
7月8日   ( 水 )  晴
7月9日   ( 木 )  晴、午頃ヨリ急ニ雨トナル
7月10日 ( 金 )  曇雨、夕ヨリ晴ル  山口一太郎 公判
 磯部、公判廷で真崎大将と対決す
 大谷憲兵大尉、村
中に面会す ・・・白兎 「古ヨリ 狡兎死而走狗烹 吾人ハ即走狗歟 」 
7月11日  山口一太郎 公判


7月11日 ( 土 )  最後の宴 
天皇陛下万歳

7月12日 (日 )  朝、晴  15烈士死刑執行
午前7時  香田清貞、安藤輝三、竹嶌継夫、對馬勝雄、栗原安秀
午前7時54分  丹生誠忠、坂井 直、中橋基明、田中 勝、中島莞爾
午前8時30分  安田 優、高橋太郎、林八郎、澁川善助、水上源一

これで維新は成ったなァ―。
君、お経はいらないよ、
すべての神仏がお迎えにきておられるから、
ボクのお経は必要ないよ

・・・
長恨のわかれ 貴様らのまいた種は実るぞ! 

7月13日 
山口一太郎、新井勲、柳下良二 公判
7月16日  
『 論告求刑、山口一太郎、新井勲、柳下良二 』

7月29日  山口一太郎、新井勲、柳下良二、判決

「 おおい、ひどいやね。おれと村中さんを残しやがった 」 
磯部浅一 ・ 行動記 
・ 
磯部浅一 ・ 獄中手記 
・ 
磯部浅一 ・ 獄中日記
磯部浅一 ・ 獄中からの通信 
8月1日  獄中日記 (一) 八月一日 「 何にヲッー! 殺されてたまるか 、死ぬものか 」 
8月6日  獄中日記 (二) 八月六日 「 天皇陛下の側近は国民を圧する漢奸で一杯でありますゾ 」 
8月28日  獄中日記 (五) 八月廿八日 「 天皇陛下何と云ふザマです 」 

10月1日  
第一回公判  北一輝、西田税、亀川哲也  
10月2日  第二回公判  西田税 
10月3日  第三回公判  西田税
10月5日  第四回公判  北一輝
10月6日  第五回公判  北一輝
10月13日  末松太平、志村陸城、杉野良任、公判
10月15日  第九回公判  北一輝、西田税、亀川哲也
10月19日  第十回公判  北一輝、西田税
10月20日  第十一回公判  北輝次郎、西田税、亀川哲也
10月22日  第十二回公判  『 論告求刑・判決、北一輝、西田税、亀川哲也 』
10月22日  北、西田、死刑の求刑  
西田税 「 このように乱れた世の中に、二度と生れ変わりたくない 」 
12月21日  菅波三郎、公判 ・・・
反駁 ・ 菅波三郎 「 昭和皇政維新法案は澁川が書いたのです 」 

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道程 ( みちのり ) 13 昭和維新 ( 昭和12年1月1日~8月19日 )

2021年06月02日 05時33分59秒 | 道程 ( みちのり )


道程 ( みちのり ) 13
昭和維新
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昭和12年


1月18日  斎藤瀏少将、満井佐吉中佐、菅波三郎大尉、判決  



2月20日   
磯部浅一と妻 登美子
「 憲兵は看守長が 手記の持出しを 黙認した様に言って居るが、そうではないことを言ってくれ 」

7月7日  盧溝橋事件、日中軍事衝突~支那事変へ
獄中の西田もこれをよく知っていた。
「 軍閥が政権をにぎったから、もう駄目だ。
奴らはこんな大きな戦争を起して、後始末に困るだろう。
自分で始めたんだから自分の手で始末をつけねばならん。
それが奴らのような下積みの庶民の心を踏みにじる奴にはようできんだろう。
元も子もなくしてしまう馬鹿な奴らだ 」 ・・・
西田税 「 家族との今生の別れに 」 


8月14日  
北一輝、西田税 判決 ・首魁 死刑 

8月16日 
家族との最後の面会
西田税 ・ 家族との最後の面会 
西田税 ・ 妻 初子との最後の面会 
村中孝次 ・妻 静子との最後の面会 
磯部浅一 ・ 妻 登美子との最後の面会 
北一輝 ・ 妻 鈴子との最後の面会 


8月19日  北、西田、村中、磯部の死刑執行
・ 昭和12年8月19日 (三) 村中孝次 
・ 
昭和12年8月19日 (四) 磯部浅一 
・ 昭和12年8月19日 (二十一) 西田税 

陸軍省は午前十一時五十分
「 曩さきに東京陸軍軍法会議に於て死刑の言渡を受けたる
村中孝次  磯部浅一  北輝次郎 ( 一輝 )  及 西田税の四名は
本十九日 その刑を執行せられたり 」
と 発表した。

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