あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

獄中日記 (二) 八月六日 「 天皇陛下の側近は国民を圧する漢奸で一杯でありますゾ 」

2017年07月04日 05時39分37秒 | 磯部淺一 ・ 獄中日記


磯部浅一 
八月二日
シュウ雨雷鳴盛ン、
明日は相澤中佐の命日だ、
今夜は待夜だ、
中佐は眞個の日本男児であつた

八月三日
中佐の命日、讀經す、
中佐を殺したる日本は今苦しみにたへずして七テン八倒してゐる、
悪人が善人を はかり殺して良心の苛責にたへず、
天地の間にのたうちもだえているのだ、
中佐程の忠臣を殺した奴にそのムクヒが来ないでたまるか、
今にみろ、
今にみろ、

八月四日
北一輝氏、
先生は近代日本の生める唯一最大の偉人だ、
余は歴史上の偉人と云はれる人物に対して大した興味をもたぬ
いやいや興味をもたぬわけではないが、
大してコレハと云ふ人物を見出し得ぬ、
西郷は傑作だが 元治以前の彼は余と容れざる所がある、
大久保、木戸の如きは問題ならぬ、
中世、上古等の人物についてはあまりにかけはなれていのでよくわからぬ、
唯 余が日本歴史中の人物で最も尊敬するは楠公だ、
而して 明治以来の人物中に於ては北先生だ

八月五日
佐幕派の暴政時代、南朝鮮総督、杉山教育總監、西尾次長、寺内大臣
宇佐美侍従武官、鈴貫、牧野、一木、湯浅、西園寺等々、
指を屈するにいとまなし、
今にみろッ
今にみろッ
今にみろッ
今にみろッ
今にみろッ
必ずテンプクしてやるぞ

八月六日
一、天皇陛下 陛下の側近は國民を圧する漢奸で一杯でありますゾ、
 御気付キ遊バサヌデハ日本が大変になりますゾ、
今に今に大変な事になりますゾ、
二、明治陛下も皇大神宮様も何をして居られるのでありますか、
 天皇陛下をなぜ御助けなさらぬのですか、
三、日本の神々はどれもこれも皆ねむつておられるのですか、
 この日本の大事をよそにしてゐる程のなまけものなら日本の神様ではない、
磯部菱海はソンナ下らぬナマケ神とは縁を切る、
そんな下らぬ神ならば、日本の天地から追ひはらつてしまふのだ、
よくよく菱海の言ふことを胸にきざんでおくがいい、
今にみろ、
今にみろッ

八月七日
明日は同志の四十七日だ、今日もシュウ雨雷鳴アリ

八月八日
同志の四十七日、讀經
一、吾人は別に霊の國家を有す、
 日本國その國權國法を以て吾人を銃殺し、尚飽き足らず骨肉を微塵にし、
遠く國家の外に放擲ほうてきすとも、遂に如何ともすべからざるは霊なり、
吾人は別に霊の國家、神大日本を有す
一、吾人は別の信念の天地を有す、
 日本國の朝野 悉く 吾人を國賊反徒として容れずと雖も、
吾人は別に信念の天地、眞大日本を有す
一、吾人に霊の國家あり、信念の天地あり、現状の日本吾にとりて何かあらん、
 此の不義不法堕落の國家を吾人の眞國家神日本は膺懲せざるべからず
一、大義明かならざるとき國土ありとも眞日本はあらず、
國體亡ぶとき國家ありとも神日本は亡ぶ
一、捕縛投獄死刑、
 嗚呼 吾が肉体は極度に従順なりき、
然れども魂は従はじ、永遠に抗し無窮に闘ひ、尺寸と雖も退譲するものに非ず、
國家の權力を以て圧し、軍の威武を以て迫るとも、
独り不屈の魂魄を止めて大義を絶叫し、破邪討奸せずんば止まず

    ○

余は日本一のスネ者だ、世をあげて軍部のライサンの時代に
「 軍部をたほせ、軍部は維新の最後の鞏固な敵だ、
 青年将校は軍部の青年将校たるべからず、
士官候補生は軍の士官候補生たる勿れ、
革命将校たれ、革命武学生たれ、
革命とは軍閥を討幕することなり、上官にそむけ、軍規を乱せ、
たとひ軍旗の前に於てもひるむなかれ 」
と 云ひて戰ひつづけたのだ、
スネ者、乱暴者の言が的中して、今や吾が同志は一網打盡にやられてゐる、
もう少し早く此のスネモノ菱海の言ふことを信じてゐさへしたら、
青年将校は二月蹶起に於てもつともつと偉大な働きをしていたらふに。

    ○

この次に來る敵は今の同志の中にゐるぞ、
油断するな、似て非なる革命同志によつて眞人物がたほされるぞ
革命家を量る尺度は日本改造方案だ、
方案を不可なりとする輩に対しては斷じて油斷するな、
たとひ協同宣戰をなすともたえず警戒せよ、
而して 協同戰闘の終了後、
直ちに獅子身中の敵を処置することを忘れるな

八月九日
死刑判決理由主文中の
「 絶對に我が國体に容れざる 」 云々は、
如何に考へてみても承服出来ぬ
天皇大權を干犯せる國賊を討つことがなぜ國體に容れぬのだ、
剣を以てしたのが國體に容れずと云ふのか、兵力を以てしたのが然りと云ふのか
天皇の玉體に危害を加へんとした者に対しては忠誠なる日本人は直ちに剣をもつて立つ、
この場合剣をもつて賊を斬ることは赤子の道である、
天皇大權は玉體と不二一体のものである、
されば大權の干犯者 ( 統帥權干犯 ) に対して、
純忠無二なる眞日本人が激とし、この賊を討つことは当然のことではないか、
その討奸の手段の如きは剣によらふが、彈丸によらふが、
爆撃しようが、多數兵士と共にしようが何等とふ必要がない、
忠誠心の徹底せる戰士は簡短に剣をもつて斬奸するのだ、
忠義心が自利私慾で曇っている奴は理由をつけて逃げるのだ、唯それだけの差だ、
だから斬ることが國體に容れぬとか何とか云ふことには絶對にないのだ、
否々、天皇を侵す賊を斬ることが國體であるのだ、
國體に徹底すると國體を侵すものを斬らねばおれなくなる、
而してこれを斬ることが國體であるのだ、
公判中に右の論法を以て裁判官にせまつた、
ところが彼等は
ロンドン条約も 又 七、一五 も統帥權干犯にあらず、
と 云って逃げるのだ
余は斷乎として云った、
「 二者とも明かに統帥權の干犯である、
現在の不備なる法律の智識を以てしては解釈が出来ぬ、
法官の低級なる國體観を以てしては理解が出来ぬ、
この統帥權干犯の事實を明確に認識し得るものは、
ひとり國體に対する信念信仰の堅固なるもののみである、
余の云ふことはそれだけだが、一言つけ加へておくことがある、
法官は統帥權干犯に非ずと云ふが、何を以て然りとなすか、余は甚だしく疑ふ、
現在の國法は大權干犯を罰する規定すらない所の不備ズサンなるものではないか、
法律眼を以てロンドン条約と七、一五の大權干犯を明かにすることは出来ない筈ではないか、
ついでに云っておく、
本公判すら全く吾人の言論を圧したるヒミツ裁判で、
立權國日本の天皇の名に於てされる公判とは云へないではないか、
軍司法権の歪曲、司法大權の乱用とも云ふ可き事實が、現に行はれつつあるではないか、
統帥權の干犯が行はれなかつたと斷言出来る道理がないではないか」 と
理に於ては充分に余が勝ったのだ、
然し如何にせん、
徳川幕府の公判廷で松陰が大義をといてゐる様なものだ、
いやそれよりもつとひどいのだ、天皇の名をもつて頭からおさへつけるのだ、
天皇陛下にこの情を御知らせ申上げねばいけない、
國體を知らぬ自恣僭上の輩どもが天皇の御徳をけがすこと、今日より甚だしきはない、
この非國體的賊類どもが吾人を呼んで
「 絶対に我が國體に容れず 」 云々と 放言するのだ、
余は法華經の勧持品を身讀體讀した

八月十日
「 私は決して國賊ではありません、
日本第一の忠義者ですから、村長が何と云っても、
區長が何と云っても、署長が何と云っても、地下の衆が何と云っても、
屁もひり合わないで下さい、
今の日本人は性根がくさりきつてゐますから、眞実の忠義がわからないのです、
私共の様な眞實の忠義は今から二十年も五十年もしないと、世間の人にはわかりません 」
守 が学校でいぢめられてゐる様な事はないでせうか、それも心配です
「 叔父は日本一の忠義者だと云ふことを、よくよく守に教へてやつて下さい 」
私の骨がかへつたら、とみ子と相談の上、都合のいい所へ埋めて下さい
「 若し警察や役場の人などがカンシュウ等して、カレコレ文句を云ふ様な事があつたら、
決して頭をさげたらいけません、
若しそれに頭をさげる様でしたら、私は成佛出来ません、
村長であらふと區長であらふと、
磯部浅一の霊骨に対しては
指一本、文句一言云はしては磯部家の祖先と、磯部家の孫末代に対してすまないのです、
葬式などはコソコソとしないで、堂々と大ぴらにやつて下さい、
負けては駄目ですよ、
決して負けてはいけませんぞ、
私の遺骨をたてにとつて、
村長とでも ケイサツとでも 總理大臣とでも 日本國中を相手にしてでも
ケンカをするつもりで葬式をして下さい 」
「 磯部の一家を引きつれて、どこまでも私の忠義を主張して下さい 」
右は家兄へ宛てた手紙の一節だ、
而して括弧内は刑務所長によつて削除されたる所だ、
吾人は今何人に向っても正義を主張することを許されぬ、家兄へ送る手紙、
しかも遺骨に関する事すら許さぬのだ、
刑務所長の曰く
「 コノ文を許すと所長が認めたことになる 」 と、
認めたことになるから許さぬと云ふのは認めぬと云ふことだ、
吾人の正義を否定すると云ふことだ 

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