昭和維新の春の空 正義に結ぶ益荒男が
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花
道程 ( みちのり ) 10
叛乱部隊
前頁 蹶起部隊 ( 27日 ) の 続き
昭和11年 ( 1936年 ) 2月
28日
午前3時 小藤大佐、鈴木大佐、山口大尉、柴大尉、戒厳司令部に於て戒厳司令官と会見 、意見具申す
山口大尉、午前6時迄戒厳司令部に留まる
・・・彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか
・・・山口一太郎大尉の四日間 4 「 奉勅命令が遂に出た 」
午前5時8分 奉勅命令 が発令さる
早朝 西田税宅へ原宿署の特高が押掛ける・・澁川追い返す→ 澁川、幸楽へ向かう
うちに 原宿署の特高が来たのです。
そしていきなり玄関に上がり込んだのです。
「 西田さんいますか 」
「 おりません 」 と言いましたら
「 家宅捜索をする 」 と言って、それで私と押し問答しましたときに澁川さんが出てきたのです。
令状を持ってないのに土足で踏み込むとは何ごとか、家宅侵入罪で訴えてやる、
そんなもの出ているはずがないから、いま首相官邸に電話をかけて聞くから待っておれ、
と言ったら、原宿署の特高が逃げて帰っちゃったんです。
半信半疑で来たんですね。原田警部という方でしたが、逃げて帰ったんです。
それから澁川さんが様子が変だというので出られたのです。 ・・・西田はつ
午前6時頃 村中、香田大尉、陸相官邸に小藤大佐に会う
朝 磯部浅一、憲兵隊神谷少佐と戒厳司令部へ行く ( 農相官邸 → 軍人会館 )
磯部浅一、香椎司令官に面談叶わず、石原大佐、満井中佐と会談 ・・・行動記 ・ 第二十 「 君等は 奉勅命令が下ったらどうするか 」
朝 香田大尉、村中、對馬中尉、外1名、第一師団司令部で佐藤正三郎少将と会う
午前6時頃 第5中隊小林美文中尉、 幸楽の安藤大尉に面会 ・・・小林美文中尉 「 それなら、私の正面に来て下さい。弾丸は一発も射ちません 」
午前6時45分 山本又少尉、単身戒厳司令部を訪れる
午前7時頃 山口大尉、偕行社に真崎、荒木に会う
午前7時10分頃 山本又少尉、新国会議事堂へ至り蹶起将校を集める
午前7時30分頃 満井中佐、香椎司令官の斡旋で川島陸相、杉山参謀次長に会見を申入れる ・・・満井佐吉中佐の四日間
午前8時頃 戒厳司令部で満井中佐と川島陸相、古荘陸軍次官、今井清軍務局長、
杉山参謀次長、香椎戒厳司令官、安井戒厳参謀長、林銑十郎大将、荒木大将ら軍首脳が協議
昭和維新断行か否かの上奏案が読上げられるが、杉山参謀次長の強硬な反対で却下さる ・・・撤回せる上奏案
午前8時頃 小藤大佐、奉勅命令の原本と第一師団命令 ( 一師戒令第三号 二月廿八日午前六時三十分発令 ) 受領す
午前8時45分 磯部、神谷憲兵少佐と同行し戒厳司令部へ・・大臣に面会希望・・許されず
午前9時頃 陸相官邸に蹶起将校集合 野中、香田、山口、對馬、清原、鈴木、他多数
午前9時20分頃 神谷憲兵少佐に案内され磯部、戒厳司令部に赴く
午前9時20分頃 幸楽へ集合の呼びかけ
鈴木少尉、村中と共に自動車で幸楽へ
「 部隊を離れてはいかん 」 と、安藤大尉に叱られ村中の自動車で文相官邸に戻る
午前 村中、香田、對馬、第一師団司令部へ赴く ・・・リンク→行動記・第二十一 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう
午前10時頃 澁川善助、幸楽に到着・・坂井部隊と行動を共にする
午前10時頃 村中孝次、安藤大尉に吉報を持ってくる。
「 闘いは勝った。われらに詔勅が下るぞ、全員一層の闘志をもって頑張れ 」
午前10時10分頃 戒厳司令官 ・ 香椎浩平 「 私の決心は 変更いたします。討伐を断行します 」
午前10時40分頃 第一師団長堀丈夫中将、戒厳司令部に招致せらる
其の後、香椎司令官の承諾を得て皇軍相撃を避ける為に陸相官邸に向かう
午前11時頃 杉山参謀次長参内、本庄侍従武官長に反乱部隊の武力討伐方針が決定した旨を報告
午前11時頃 田中中尉、車輌隊を指揮して首相官邸へ
正午 清原少尉、陸相官邸に集合・・・幸楽の安藤大尉の許へ・・・蔵相官邸へ戻る、夜三宅坂の警備
正午過 戒厳司令部に反乱将校は自決し、下士官兵は原隊復帰するとの報告が入る
正午頃 村上大佐、幸楽の安藤大尉を訪ね 「 維新大詔 」 の原稿を見せ撤退を諭す
午後1時~2時頃 陸相官邸で 栗原、野中、磯部、山下少将、鈴木大佐、山口大尉、柴大尉、現状打開に付懇談す
「 勅使の誤差遣を願ふ 」 ・・・行動記 ・ 第二十一 「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう 」
川島陸相、山下少将、本庄侍従武官長を訪問し、蹶起将校が自刃するための勅使派遣を要請する
大御心 ・・「 自殺するなら勝手に自殺するがよかろう 」
午後1時頃 村中孝次、安藤大尉に 「 今までの形勢はすっかり逆転した。もう自決する以外道はなくなった 」 と告げる
午後1時頃 安藤部隊、白襷をして戦闘準備す
村中、新国会議事堂南角路上で堀第一師団長の自動車と遭遇す
午後2時頃 文相官邸の鈴木少尉の処へ清原少尉来る → 清原少尉に促されて鈴木少尉、円タクで警戒区域を巡回す
午後2時頃 磯部、田中隊と栗原部隊の一部を率いて閑院宮邸附近を警戒
・・・行動記 ・ 第二十二 「 断乎 決戦の覚悟をする 」
午後2時40分頃 秩父宮邸で森田大尉が現状報告す
秩父宮殿下ノ歩兵第三聯隊ニ賜リシ御言葉
一、今度ノ事件ノ首謀者ハ自決セネバナラヌ。
二、遷延スレバスル程、皇軍、国家ノ威信ヲ失墜シ、遺憾ナリ。
三、部下ナキ指揮官 ( 村中、磯部 ) アルハ遺憾千万ナリ。
四、縦令軍旗ガ動カズトスルモ、聯隊ノ責任故、今後如何ナルコトアルモミツトモナイコトヲスルナ。
聯隊ノ建直シニ将校団一同尽瘁セヨ。
午後3時頃 安藤部隊、下士官兵遺書を書く
午後4時 (2時) 頃 坂井部隊、幸楽を出て参謀本部へ
参謀本部を占領敵わず、陸軍省、参謀本部を配備 ・・坂井中尉、澁川善助は陸相官邸へ
午後 蹶起部隊本部から行動部隊下士官兵に檄文を配布
午後4時 戒厳司令部に蹶起将校、下士官兵は帰順せずとの報告が入る
午後4時30分頃 西田税、首相官邸の栗原中尉に電話す
午後4時30分頃 安藤大尉、府立一中を視察す
夕方 栗原中尉、西田税宅へ電話する
首相官邸から電話がかかってきまして
「 いろいろ長い間お世話になりましたけれども、奥さん、これが最後です 」
・・・西田はつ 回顧 西田税 2 二・二六事件
午後5時30分 第一師団参謀長 舞伝男大佐、歩三聯隊長渋谷大佐、森田大尉、
農相 ( 文相 ) 官邸に野中大尉 ( 傍に村中 )、幸楽の安藤大尉を訪ね帰順を説得
・・・「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」
午後6時 香田大尉、陸相官邸に小藤大佐を訪問情況を聞く → 香田大尉、第一師団司令部に於て師団長に面接
午後6時 陸軍大臣通達
陸密一三三号
事件に関する件 ( 二月二十八日午後六時 )
昭和十一年二月二十八日
陸軍大臣 川島義之
第一師団長殿
今次三宅坂占拠部隊幹部行動ノ動機ハ、
国体ノ真姿顕現ヲ目的トスル昭和維新ノ断行ニアルト思考スルモ
其行動ハ軍紀を紊リ国法ヲ侵犯セルモノタルハ論議ノ余地ナシ、
当局ハ輦轂れんこくノ下、同胞相撃ツノ不祥事ヲ可也避ケ、
為シ得レバ流血ノ惨ヲ見ズシテ事件ヲ解決セントシ、
万般ノ措置ヲ講ジタルモ未ダ其目的ヲ達セズ
痛ク宸襟ヲ悩シ奉リタルハ寔ニ恐悚恐懼ノ至リニ堪エズ、
本職ノ責任極メテ重且大ナルヲ痛感シアリ
陛下ハ遂ニ戒厳司令官ニ対シ最後ノ措置ヲ勅命セラレ
戒厳司令官ハ此勅令ニ反スルモノニ対シテハ仮令流血ノ惨ヲ見ルモ断乎タル処置ヲ執ルニ決心セリ
事此処ニ至ル、順逆ハ自ラ明瞭ナリ、
各師団長ハ此際一刻モ猶予スルコトナク所要ノ者ニ対シ、
要スレバ適時断乎タル処置を講ジ後害を胎サザルニ違算ナキヲ期セラレ度
夜になって 磯部、常盤、鈴木隊と行動を共にす
坂井 ・清原隊が陸軍省、参謀本部附近、磯部が陸相官邸附近、野中部隊は新議事堂に配備す
宵 磯部、同期生宇田に電話す・・・ 「 しかし 今となっては駄目かもしれんな 」
午後7時20分頃 山本又少尉、戒厳司令部へ
夜 幸楽での演説 ・・・栗原中尉、安藤大尉、中橋中尉、6中隊下士官
・・・幸楽での演説 「 できるぞ! やらなきゃダメだ、モットやる 」
・・・中橋中尉 ・ 幸楽での演説 「 明朝決戦 やむなし ! 」
・・・下士官の演説 ・ 群集の声 「 諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ 」
午後8時 香椎戒厳司令官、29日午前5時以降に攻撃できるように準備せよとの命令
午後8頃 北一輝、憲兵隊に逮捕さる
午後9時頃 近歩四の山下大尉、磯部と会見
・・・私の想い ・ 二・二六事件 「 昭和維新は大御心に副はず 」
・・・行動記 ・ 第二十三 「 もう一度、勇を振るって呉れ 」
丹生隊 終日 山王ホテル ・・・村中孝次 「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に従わねばならん 」
夜半 香田大尉、山王ホテルへ →村中、對馬、山口と共に安藤大尉の幸楽に集合
澁川善助 「 全国の農民が可哀想ではないんですか 」
夜 磯部浅一、山本又少尉、村中、鈴木隊と共に鉄相官邸に宿泊、 常盤少尉は文相官邸
午後10時 堀第一師団長、小藤大佐に対して蹶起部隊への指揮を外すと命令
・・・「 小藤大佐ハ爾後占拠部隊ノ将校以下を指揮スルニ及バズ 」
午後10時頃 常盤少尉、酒肴を持って文相官邸の鈴木少尉の室へ
午後11時 戒厳司令部 「 戒作命第14号 」 を発令
「 29日午前5時までに準備完了し、住民を避難させたあと午前9時を期して叛乱部隊を攻撃と命令す 」
次頁 叛乱部隊 ( 29日 ) に 続く