前頁 憲兵報告・公判状況 44 『 北一輝 』 の 続き
第九回公判狀況
二 ・二六事件公判開廷狀況ニ關すル件報告 ( 第五公判廷 )
十月十五日午前八時五十分、 被告北輝次郎、西田税、亀川哲也出廷、
同九時吉田裁判長以下着席、直チニ開廷ヲ宣シタル後、被告北輝次郎ノ補充事實審理ニ入ル
北輝次郎
法務官 「 被告等ノ事實審理ハ前回迄ニ大體終了セルガ、
今日ハ再ビ補充訊問ヲ行フ
被告北ノ檢察官ノ公訴事實ニ對スル意見如何 」
前回迄ニ公訴事實ニ對スル意見ノ點ハ申述ベマシタガ、
若干訂正ヲ要スル點ガアリマスノデ申述ベマス。
(1) 日本改造法案大綱ガ不逞思想ナリト云フ點、
(2) 前回事實審理ノ際ニ各軍事參議官、陸軍大臣等ガ叛亂罪ニ問ハレルベキ點云々ト申述ベタ點、
(3) 西田ヨリ今般ノ事件ガ統帥權干犯カト云ハレタル事ニ就イテノ回答ノ點
法務官 「 簡単ニ申述ベヨ 」
日本改造法案大綱ハ大正八年ニ書キマシテ、
最近十數年見テ居リマセンノデ詳シイ事ハ不明デアリマスガ、
三年間ノ憲法ノ停止ト云フ事ガ國體ニ相容レザル不逞思想ト云フ事ハ不當ト存ジマス。
神武天皇即明治大帝即今上天皇デアリマス。
明治大帝ハ國家ノ非常時ニ際シ不文法ヲ成文法トナシ、欽定憲法トナシ賜ヒタルモノデアリ、
今上天皇ガ國家非常ノ際ニ天皇大權ノ發動ニ依リ國家ノ改造ヲナシ賜フベク、
憲法中一部ヲ停止シ、戒嚴令ヲ執行シ、他ノ不逞ナル者ヲ抑壓スルニアリマス。
法務官 「 天皇ハ憲法ニ依リテ戒嚴令ヲ宣布シ、憲法ノ一部ヲ停止シ得ルハ憲法ニ明記シアルガ、
被告ノ著書ニハ憲法ヲ停止シ、戒嚴令ヲ布告スト書キアル點ガ不逞ト云フニアリ 」
日本改造法案大綱ヲ著述セル時代ハ、全世界ガ共産主義ノ惡魔ニ犯サレ、
欧州ニ英國、東洋ニ日本ノ只二ツノ君主國ヲ存スルノミデアルノデ、
必ズ全世界ニ革命ガ起ル事ヲ考ヘ、
國體及政府ヲ擁護スル爲メ資本主義經濟機構ノ改革ヲナスベク、
天皇大權ノ發動ニ依り國家ノ改造ヲ行フ際、
不逞者ガ貴衆両議院ニ依リ改造ヲ阻止スルノヲ抑壓スル爲メ、
憲法ヲ停止シ、戒嚴令ヲ執行シ、天皇ガ國家ヲ改造セラレルノデアリマス。
天皇ハ憲法ノ上ニアリマスノデ、憲法ヲ停止スルコトハ、何等拘束セラレル必要ハナイト存ジマス。
尚、憲法ノ一部改正ノ必要ハナイト考ヘテ居リマス。
元老、重臣ガ死亡シタル際、組閣ニ關シ御下問ニ奉答スルハ樞密院デ好イト思ヒマス。
ソレニ伴ヒ樞密院令、貴族院令等ノ個々ノ改造、修正ヲナセバ好イト思ヒマス。
法務官 「 憲法ノ改正及一部停止ト云フ事ハ天皇大權ニ依リ出來得ル様ニ憲法中ニ規定シアルモノニテ、
被告ノ著書ハ憲法ヲ停止シ總ベテヲ實行スルニ依リ、不逞思想ト云ヒ得ルモノデアル 」
絶對ニ不逞思想デハアリマセンガ、法務官ガ左様申サレルノデアレバ、承認致シマス。
丁度朝鮮人ノ様ニ取扱ハレテ居ル様ナ感ガ致シマス。
先日申上ゲマシタ各軍事參議官及陸軍大臣ガ反亂者ヲ援助シタト云フ事ハ、
西田ガ何ニモ知ラザルニ、西田ヲ嬲なぶリ殺ロソウト云フ様ナ
法務官殿ノ御言葉デアリマシタノデ申上ゲタ ノミデ、
軍事參議官ノ方々及陸軍大臣ノ趣旨ハ良ク解スル事が出來マスノデ、
不穏當デアルト考ヘ、取消致シマス。
事件ヲ起ス事ガ統帥權干犯カト西田カラ問ハレタ事ハ、
當時 『 ボウー 』 トシテ居リマシタノデ、詳シク考ヘマセンデシタ。
五 ・一五事件ガ反亂デアリ、今度ノ事件ガ統帥權干犯トハ考ヘラレマセン。
矢張リ反亂罪トシテ取扱フベキト存ジマス。
陸軍ノ爲メ參考迄申上ゲマスガ、
上官ノ命ナク行動ヲ爲シタルコトガ統帥權干犯デアルト致シマスト、
色々ト困難ナ問題ガ惹起スルト想ヒマス。
左様ナ事ハ軍律違反トシテ取締ルベキデアリ、
亦、國憲ニ抗シタル際ハ反亂罪デ處分スベキデアルト考ヘマス。
中隊長ガ單独ニ兵ヲ頓営ヨリ出し或ル場所ニ行ツタ事モ
統帥權干犯トシテ取扱ナケレバナラナイ様ナ事ガアルト思ヒ、
兵隊ガ單独デ行動シタ事モ詳シク申セバ統帥權干犯トナルノデアリ、
此等ハ全部軍紀軍律違反トナルベキデアル。
此ノ點ヨリシテモ今度ノ事件ハ反亂ナルモ、統帥權干犯デハナイト思フ。
法務官 「 今度ノ事件ハ純然タル統帥權干犯デアル
軍律違反ハ別ニ規定ヲ以テ處分シテ居ルノデアル
將校ガ上司ノ命ナク兵ヲ動シタル事ハ明ニ統帥權干犯デアル 故ニ今般ノ事モ干犯デアル 」
法務官ハ兵ヲ動シタル事ト、事件ヲ起シタル事ヲ混同シテ考ヘルカラ左様ニナルト存ジマス。
兵ヲ動カス事ト事件ヲ起シ人ヲ殺害スル事ハ別個ナル問題ト存ジマス。
今デハ統帥權干犯ナリトモ考へ、亦 干犯デモナイト考ヘテ居リマス。
何レガ正ナルカ不明デアリマス。
法務官 「 靑年將校ノ首謀者ガ改造法案ノ信奉者デアリ、
今事件ニ際シ改造法案ニ立脚シテ処理シヨウトナシタル事ヲ承認スルカ 」
警視廳ニ於テ靑年將校ノ大部分ガ改造法案ノ小册ヲ保持シアリテ、
今事件ヲ同法案ニ依リ目的達成ヲナスベク努力シアリタリト 聞カサレタノデ、
詳シイ事ハ知リマセンガ、豫審廷ニ於テ承認シタノデアリマス。
法務官ノ御趣旨ノトオリ承認致シマス。
法務官 「 他ニ何カ申述ベル事ハナイカ 」
自分ハ靑年將校等ヲ直接指導シタノデハナク、叛亂援助シタノデモナイ。
亦、自分ノ著書ガ今迄一度モ不逞ナル思想トシテ取扱レタル事ナキモ、
靑年將校等ヲ誤ラセタト申サレルナラバ、
其ノ罪ハ極刑ヲモ覺悟シテ居ルガ、
不逞思想デアリ、
亦、靑年將校ノ直接指導ヲナシタル點ニ於テハ承服デキマセン。
西田税
北ノ補充審理ヲ終了シ、西田税ノ補充審理ニ入ル
法務官 「 権察官ノ公訴事實ニ對スル意見如何 」
(1) 北氏ノ日本改造法案ガ不逞ナル思想ト云フ事ハ承認出來マセン。
(2) 順逆不二法門出版ノ件ハ知リマセん。
其他怪文書ヲ作製シタ云々ノ點デアリマス。
(3) 二十五日龜川邸ニテ村中ニ面接、金ヲ渡シタル點ノ龜川ノ申述ノ相違點ニ就イテデアリマス。
日本改造法案大綱ハ大正十五年私ガ北氏ヨリ原稿ヲ貰受ケテ、出版致シマシタ。
其後、昭和七年ニ某海員組合ノ幹部ガ資金五百圓ヲ出シ、
日本改造法案ノ小册ヲ一千部印刷シ船員ニ配布シタキトノ事アリテ、
其際削除セラレテ居ル個所ヲ全部植字シ、内務省警保局ニ願出タルニ、
當時ノ警保局檢閲課長ノ言ハ、昔ハ削除個所モ多カツタルモ現在ニテハ何モ支障ナク、
只皇室費云々ノ個所ハ皇室ニ關スル事項ナルヲ以テ削除スベシトノ事ニテ、
其ノ個所ヲ削除シ、一千部發行シ、三百部ヲ自分ガ取リ、他ヲ本人ニ渡シマシタ。
當時檢閲願出ニ使用シマシタ改造法案ノ原本ガ自分ノ処ニアリマスノデ、明瞭デアルト存ジマス。
亦、憲兵司令部發行ノ思想彙報中ニモ
権藤成卿ノ自治民範ト共ニ日本改造法案ノ解説ガアリマスガ、
全面的ニ支持シテ居ル様ニ記憶シテ居リマス。
此ノ様ニ當局ガ承認シテ居ル事ガ不逞思想トシテ取扱ハレル事ハ絶對ニナイト存ジマス。
靑年將校等ニシテモ、良ク日本改造法案ヲ解シテ居る者ハ、何人モナイト存ジマス。
若干ノ解釋ハスルカモ知レナイガ、詳シイ説明ガ出來ナイト斷言致シマス。
自分ハ十五年間改造法案ヲ熟讀シテ實行ニ移シテ居ルモノデアリマス。
法務官 「 日本改造法案ハ靑年将校間ニ金科玉條トシテ取扱ハレアル事ヲ承認スルカ 」
現在日本ノ國家改造ノ參考書トナルモノハ日本改造法案ノ外ニナキヲ以テ、
靑年將校モ相當讀ンデ居ルト言フ事實ハ承認出來マス。
順逆不二法門ハ一度見タ事ガアリマスガ、其ノ内容ハ北氏ノ支那革命外史ヨリ引用シタルモノ多ク、
詳シク讀メバ學問ノ無イ者ノ著書タル事明瞭ニシテ、
自分ノ全然關係ナキモノナルガ、多分金澤方面ヨリ發行セラレテ居ルト考ヘマス。
其他ノ著書及怪文書モ全然知リマセンガ、克ク送ツテ來マスガ、
大概ハ焼キ棄テテ居リマス程度ノモノデアリマス。
法務官 「 金澤方面ニ於テ發行セラレルトノ事ハ如何ナル點ヨリ申スカ 」
村中等ノ關係者ガ一度怪文書ヲ金澤デ發行シタル事モアリ、
亦、印刷屋ノ小僧ニモ逢ツタ事ガアルカラ、今度モ金澤方面デハナイカト推察スルモノデアリマス。
法務官 「 村中ガ發行セシメテ居ル事實ハ明瞭ナルガ、被告ト村中トノ關係ハ特別ナルヲ以テ、
被告ニ全然關係ナイト云フ事ハ出來ナイ
北ノ著書ト相違シテ居ル部分多キナラバ、ナゼ村中等ニ一應ノ抗議ヲナサザリシヤ 」
村中ガ關係シテ居ル事ガ即チ自分ガ指導シテ居ルト考ヘルハ、不當デアルト存ジマス。
一度前ニ注意シタ事ハアリマスガ、現在ノ自分ハ善惡ノ外ニ 『 シカタガナイ 』
ト云フ事モ加味サレタ生活ヲシテ居リマスノデ、追及ハ致シマセンデシタ。
此ノ點ハ官吏ヤ軍人ニハ克ク解スル事ガ出來ナイト存ジマス。
浪人生活ハ非常ニ複雑ナモノデアリマス。
法務官 「 順逆不二法門ガ今般ノ關係者及靑年將校等ニ愛讀セラレテ、
相當事件惹起ニ對スル力トナツテ居ルノダ 」
龜川氏宅ニテ二十五日夕 村中ト落合ヒマシテ種々話シ、
村中ガ歸ル時ニ玄關先ニテ七個中隊カラ出ルノデ、
軍隊デ食事ノ事ハ給与シテ呉レルダラウト申シマシタノデ、
日本銀行及三井銀行等ヲ襲撃云々ノ龜川氏ノ陳述ノ點ハナイト存ジマス。
裁判長 「 今次事件蹶起ノ原動力ハ如何ナル処ニアリシヤ 被告等ガ原動力トナツテ居ルノデハナイカ 」
今度ノ事件ニ際シマシテ自分モ非常ニ考ヘサセラレテ居ル事ハ、
只今裁判官殿ノ御尋ノ點デアリマシテ、
靑年將校等ノ個人的性格ヲ承知シテ居ルダケニ非常ニ不可解デアリマス。
栗原中尉ハ實行力ハアリマセンガ、只強ガリノミ申シマスシ、
亦、愼重派タル香田、安藤大尉ガ參加セシ事
及 野中大尉ノ思想ヲ誰レガアレ迄ニ指導シタカト云フ點ト、
香田大尉ハ栗原中尉ヲ御兩親ノ關係的立場ヨリ監督シテ愼重ニ考ヘテ居ツタガ、參加シタ事。
磯部ハ非常ニ過激ナ男デアリマスガ、軍人デハアリマセンノデ直接指導力ハナイト存ジマスシ、
亦、村中氏ハ彼等ノ間ニ於テ一番穏健派デアルト考ヘラレマス。
一體誰レガ今般ノ事件ノ導火線トナツタカ不可解デアリマス。
結局、現代ノ世相ト第一師團ノ渡満ト云フ事ガ原因ヲナシタノデハナイカト存ジマス。
自分達ハ抑壓セントセシモ抑壓スル事出來ズ、傍観ト云フ様ナ立場ニアリマシタノデ、
全然指導シタリ原動力トナツタ事ハアリマセン。
龜川哲也
法務官 「 先程西田ノ申述ベタ資金ヲ与ヘタル當時ノ狀況如何 」
先日事實審理ノ際ニ申述ベマシタ通リデアリマシテ、
日本銀行襲撃ト云フ事デ、大變ナ事ニナルト考へ、与ヘタノデアリマス。
法務官 「 二十六日朝 鵜澤聡明ヲ西園寺公ノ処ニ後繼内閣ノ件ニ就キ進言ニヤラシメタル事ハ、
被告ガ二十五日西田、村中等ト協議セル際、
元老、重臣ヲ襲撃スルト云フ事ヲ知リナガラナシタルモノニテ、其ノ主旨ノ諒解ニ苦シム 」
公訴却下ト云フ事デ
二十六日ニ西園寺公ヲ鵜澤博士ニ訪問シテ貰フ事ニナツテ居リマシタノデ、
二十六日朝大變ト考ヘ、
品川驛ニテ中止スル様申シマシタガ、
聽キ入レマセンノデ、
行クニ就イテハ後繼内閣ハ軍部内閣ヲ上奏スル事ヲ進言シテ貰フベク依頼致シマシタ。
法務官 「 鵜澤博士ヲ西園寺公ノ処ニヤルハ殺シニヤルト同様ナモノデ、
二十六日朝襲撃スル事ヲ被告ハ承知シテ居ルノデハナイカ 」
何モ考ヘズニ、鵜澤博士ノ言フ儘ニ西園寺公ノ下ニ行ク様ニ申シタノミデアリマス。
法務官 「 各手段ヲ盡シテモ阻止スベキガ人間デハナイカ。 亦ハ襲撃中止ヲ承知シテ居ツタノカ 」
襲撃中止ハ承知シテ居リマセン。
裁判長 「 被告ノ陳述ヲ先日來聞イテ居ルト、
二十五日夜ヨリ二十六日夕迄ノ行動ガ普通ノ人ノ行爲トシテハ諒解ニ苦シム
他人ノ云フ事 及 證言陳述ハ皆勘違イデアル、自分ノミ正シイト申スモ、
受取ル事ハ出來ナイ 其ノ眞意ヲ陳述スベキダ 」
事實ヲ申上ゲルノミデ、他意ハアリマセン。
被告龜川ノ陳述ハ全部虚僞ナリト法務官裁判官ヨリ論難セラレ、
事實審理ヲ終了、
引續キ被告西田税ニ對スル承認ノ證言 及 證據品調ニ入リタルモ、
被告西田ハ證言ヲ承認し、
午後四時三十五分補充審理及 證據調ノ一部ヲ終了、閉廷せり
次回ハ十九日午前九時開廷ヲ申渡シタリ
( 了 )
次頁 ・ 憲兵報告・公判状況 49 『 北一輝、西田税 に 続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から