昭和維新の春の空 正義に結ぶ益荒男が
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花
道程 ( みちのり ) 11
叛亂部隊
前頁 叛乱部隊 ( 28日 ) の 続き
昭和11年 ( 1936年 ) 2月
29日
午前2時頃 安藤部隊、幸楽~山王ホテルへ移動
清原少尉、對馬中尉より包囲部隊が攻撃してくると聞き文相官邸の西側地区を警戒
午前2時頃 中橋部隊、1箇分隊を残し帰営す
午前2時30分 鈴木少尉、近衛聯隊から攻撃すると告げられる
午前3時過ぎ 陸軍省新聞班の大久保弘一少佐が偕行社を訪れ、
軍事参議官らに下士官兵らへ向けた帰順勧告文の作成と配付を提案、攻撃開始の延期を要請す
午前3時頃 農相官邸で仮眠の磯部、鈴木少尉に起される・・「 奉勅命令が下ったらしいです 」
・・・村中孝次 「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に従わねばならん 」
・・・「 あの温厚な村中が起ったのだ 」
・・・兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」
午前3時30分~4時頃 野中部隊、新国会議事堂へ
清原3中隊は参謀本部、陸軍省
常盤隊は平河町附近を警備
午前5時頃 鈴木少尉、 ラジオで奉勅命令を聞く
午後5時30分 戒厳司令部、戒厳区域の一切の交通を停止す
午前6時頃 小藤大佐、山王ホテルへ来る ・・・「 声をそろえて 帰りたくない、中隊長達と死にます 」
午前6時20分 武力鎮圧の旨ラヂオ発表さる ・・・兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」
磯部、夜明 ラジオで奉勅命令を聞く
午前6時25分 戒厳司令部、武力鎮圧の告諭を発す
『 反乱部隊は奉勅命令に抗する叛乱部隊 』 ・・・「 断乎、反徒の鎮圧を期す 」
午前7時10分 戒厳司令部、麹町区、千代田区の一部住民に対して避難命令を出す
午前7時30分頃 田中隊、一酸化炭素中毒に・・・10時頃蘇生す
午前8時 「 下士官兵ニ告グ 」 のビラを三宅坂上空で撒く
午前8時頃 栗原中尉、陸相官邸へ
午前8時頃 安藤大尉、山王ホテル前の都電軌道上で伊集院少佐と対決す ・・・丹生部隊の最期
午前8時頃 山王ホテル前に戦車来て投降勧告、上空よりビラ撒き ・・・丹生誠忠中尉 「 昭和維新は失敗におわった。 まことに残念である 」
午前8時30分 坂井部隊、帰順・・・坂井、高橋、麦屋、陸相官邸に
午前8時55分 「 兵に告ぐ 」 を繰返しラジオで放送す ・・・・兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」
午前9時頃 坂井、高橋、麦屋、 野中、常盤、鈴木、清原他、陸相官邸へ
午前9時 小藤大佐、首相官邸へ来る
午前9時30分頃 警視庁方面の反乱部隊の一部が帰順、以後、各方面での基準が相次ぐ
午前9時30分 丹生部隊帰順決定
午前10時頃 香田大尉、安藤大尉と協議、帰順する丹生部隊を呼び戻す ・・・「 声をそろえて 帰りたくない、中隊長達と死にます 」
磯部浅一、鉄道大臣官邸~首相官邸へ 栗原中尉と会う
磯部浅一、首相官邸~陸相官邸へ戻る 途中農相官邸附近で坂井中尉と会う
午前10時 中橋部隊の残余1箇分隊、帰営 ・・中橋中尉は陸相官邸へ
午前11頃 歩三第7中隊 常盤少尉、中隊全員に別離の訓示 ・・・常盤稔少尉、兵との別れ 「 自分たちは教官殿と一心同体であります 」
午前11時頃 栗原、村中、磯部 丹生、竹嶌、對馬、田中、山本、山王ホテルへ集まる
栗原、磯部、安藤に会し協議、 協議の結果部隊は原隊復帰とす 香田は陸相官邸へ
林少尉、池田少尉、陸相官邸へ・・・丹生中尉 「 手錠までかけなくても良いではないか 」
正午近い頃 清原少尉、第三中隊を引率し歩兵第三聯隊に帰営 ・・・帰順 ・ 沿道の群集 「万歳! 蹶起部隊万歳!」
正午頃 栗原中尉、兵に解散命令下す・・・一人陸相官邸へ
正午 安藤大尉以外の全将校、陸相官邸に集合 ・・・「 お前たちの精神は、この山下が必ず実現して見せる 」
山本又、腹痛甚だしく鉄相官邸にて休養後安藤大尉を山王ホテルに訪ふ、爾後山王神社に到り其の裏林に明す、
磯部、村中、田中 陸相官邸へ戻ったところ拘束さる
午後0時30分 安藤大尉、自決せんとす ・・・行動記 ・ 第二十四 「 安藤部隊の最期 」
午後0時50分 叛乱部隊将校、免官
午後1時頃 丹生部隊 ( 歩一第十一中隊 ) 神谷曹長引率で帰営 ・・・丹生部隊の最期
丹生中尉は陸相官邸に到る・・・丹生中尉 「 手錠までかけなくても良いではないか 」
午後1時30分 野中部隊 ( 歩三第七中隊 ) 帰営の途に就く ・・・野中部隊の最期 「 中隊長殿に敬礼、頭ーッ右ーッ 」
午後2時過 陸相官邸で野中大尉自決 ・・・野中四郎大尉の最期 『 天壌無窮 』
午後2時30分頃 安藤大尉のもとに野中大尉自決の報が入る ・・・リンク→叛徒の名を蒙った儘、兵を帰せない
午後3時頃 安藤大尉自決
・・・「 中隊長殿、死なないで下さい ! 」
・・・「 何をいうか、この野郎、中隊長を殺したのは貴様らだぞ!」
・・・ 『 農村もとうとう救えなかった 』 2
午後3時 戒厳司令官事件の集結を宣言す
午後3時頃 田中中尉、安田少尉、陸相官邸に
午後5時 安藤部隊、帰営
午後5時 陸相官邸、石原大佐 「 君等は自首したのか 」
午後6時 将校以下全員 衛戍刑務所に収容さる
同志将校は
各々下士官兵と劇的な訣別を終わり、
陸相官邸に集合する。
余が村中、田中 と 共に官邸に向ひたる時は、
永田町台上一体は既に包囲軍隊が進入し、勝ち誇ったかの如く、喧騒極めている。
陸相官邸は憲兵、歩哨、参謀将校等が飛ぶ如くに往来している。
余等は広間に入り、
此処でピストルその他の装具を取り上げられ、軍刀だけの携帯を許される。
山下少将、岡村寧次少将が立会って居た。
彼我共に黙して語らず。
余等三人は林立せる警戒憲兵の間を僅かに通過して小室にカン禁さる。
同志との打合せ、連絡等すべて不可能、余はまさかこんな事にされるとは予想しなかった。
少なくも軍首脳部の士が、
吾等一同を集めて最後の意見なり、希望を陳べさして呉れると考へてゐた。
然るに血も涙も一滴だになく、自決せよと言はぬばかりの態度だ。
山下少将が入り来て 「覚悟は」 と 問ふ。
村中 「天裁を受けます」 と 簡単に答へる。
連日連夜の疲労がどっと押し寄せて性気を失ひて眠る。
夕景迫る頃、
憲兵大尉 岡村通弘(同期生)の指揮にて、数名の下士官が捕縄をかける。
刑務所に送られる途中、
青山のあたりで 昭和十一年二月二十九日の日はトップリと暮れてしまふ。
・・・行動記 ・ 第二十五 「 二十九日の日はトップリと暮れてしまふ 」
「 これからが御奉公ですぞ。しっかり頑張ろう 」
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