あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

相澤三郎 ・ 上告趣意書 1

2018年05月30日 09時20分05秒 | 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

相澤事件についての陸軍省の第一回公式發表 ( 昭和十年八月十二日午後四時三十分 )
には
「 凶行の動機は未だ審らかならざるも、
 永田中將に關する誤れる巷説を妄信したる結果なるが如し 」

と 述べられたこと、・・・リンク→
新聞報道・犯人は相澤中佐 
また相澤は斬殺後新任地臺灣に赴任する豫定だったこと、
さらに
「 今回の行賞の方は未だ不明であります 」
という 第一回の取調での應答などからして、
當時から相澤の精神狀態に疑問を持つ人がかなりいた。
それに加えて裁判で弁護人の一部に
相澤の精神の正常ならざることを理由に無罪とする法廷戰術が唱えられたりして、
愈々この疑問は流布された。
しかし 『 陸軍省發表 』 の執筆者が當時の軍事課高級課員武藤章中佐であること、
臺灣へ赴任することも、・・・
「 今回の行賞 」 とは満洲事變 ( 相澤は満洲には出征しんかったが、彼の所屬していた第八師團は出征した )
の恩賞を言っているのだと、・・・色々と問題があるが、
これらの諸説、批判に相澤自ら答えているのが、
この遺書ともいうべき 『 上告趣意書 』 である。
・・・現代史資料23 国家主義運動3 資料解説 から


相澤三郎

上告書
豫備役陸軍歩兵中佐 相澤三郎
(昭和十一年五月三十日) 

上告の目的
建國精神を明徴し臣節を全くせんとするにあり

上告趣意書
私は宗教も哲学も其の他の学問も甚だ淺薄であることを自覺するのであります
然し人生観、宇宙観、社會観等漸次實父より受けました倫理観、
殊に 天皇信仰に關しては思を深くし、
幼年、靑年、壯年、老年期と進みつつも一貫蓄積したる思想と之に基く活動とは
次第に白熱化するものがありました
而して 白熱に至る情態、環境程度等は大體に於て世評に委ねますが、
兎に角最近は神に捧げて然も孤獨なる楽みに云ふべからざる感謝の涙をしぼったものでありました
彼の福山在勤中毎朝の如く大勝に跨って蘆田川の中州堤防上を疾駆し、
其の突端にて乗馬大勝に秣飼ひつつ靜かに淸澄たる氣分に祈りしものは果して何でありましたか、
決して 「吾思ふ故に吾あり」 では物足りませんで 「神を信ずる故に吾あり」 否もっと切實に
「神の御側に吾あり」 の祈りでありました
私の昼夜通して人知れず祈りました露はれは、唱歌となって發しました
此の唱歌が私の何を發露して居るかは私の家族共のみが獨り少しづつ感じたことと思ひます
而して 此の境涯に明らかに進みましたのは
昭和九年春、中耳炎より疽毒を併發して重態になりました時分から、
或る時暗示のもとに人知れず心の中に潜めて來たものであります
私の切なる祈りに堪へかねてでありましょう、
私の妻に時々 「あなたは初めから獨りで居ったらよかった」 と繰り返されました
此の可憐な愛情に胸を張り裂く懊を抑へつつ之を押し切って唯々邁進し、
毎朝の如くに蘆田川中州突堤端に立ったのでありました
福山聯隊將校集會所にて昭和十年春西郷重徳閣下と井上淸純閣下とが御出で下さいまして、
吾等は 明治天皇の御聖徳を拝聽したことがありました
此の時は思わず両閣下と共に感迫って泣いたことも心の中に潜めつつあった一事の発發露でありました
然し 思想に隔りある將校團員には何の態度が御解りにならなかったと思ひます
將校團にては神を信ずる故に吾ありの叫に關して全く無關心の將校のみの様でありましたから、
不思議位に思はれしものと恥かしくありました
私は時には鬱積したる赤誠を以て徹底的に將校團員に職務上或は修養上に關し警告を廔々重ねましたが、
奇狂赤坊等の辭を冠せられ歯牙にさへかけて呉れませんでした一笑に葬り去らるゝのみならず、
却って危險視せられまして、靑年訓練簡閲點呼等には其の職務は一回も担ふたことを得ませんでした
私は南洲の天を相手にせよと申されました遺訓も能く解するばかりでなく、
靑年將校時代から常に此の眞意を心に修めやしなひつつありましたが、
生物の生存慾に妨げられつつありまして、
吾を顧みるとき一日として神に完全に答へ兼ね相濟まざるの苛責を持續しつつあった者であります
勿論人間と雖生物の一種でありまして、
其の本能たる生存感がつき纏ふなやみは享有するものなることは否定することは出來ませんが、
生存慾にとどまり玆に重點を置けば社會のことが律せらるゝこととなりますと、
現在の如く人類は行き詰まると思われます
即ち 人生の目的はどこまでも道徳倫理的に無窮に活動嚮上することに目標を明確にしなければなりませぬ
然るにややもすれば此の確乎不抜なるものがあることを忘れがちなことは、
誠に情けない現在までの人類吾等であると思ひます
私は此の人生の目的を確認する時に於て
吾等臣民は常に悠久に進歩發展し來った種族であることを有難く思ひます
而して 多民族の如く生存慾の爲めにあらゆる方便に浮身をやつして萍泛常なく、
絶へず爭闘を續けつつあるものより速かに雷同せらるることなく迷ふことなく、
浸々として一歩一歩過去より現在に、現在より未來に淸淨化し
以て神の課題を一歩一歩解決しつつ行くことを希ひてやみません
神の課題に進む原動力は正義感であります
此の正義感は人間行動の準縄でありまして、玆に 天皇信仰の益々確乎たるものを把握するに至りました
即ち 建國精神、萬世一系皇統無窮等凡てに於て昭々たる歴史と尊き御實相とは
現下地球上に於ける人類の等しく欽迎するところでありまして、
益々吾等臣民は世界萬民の大神の御身代たる 陛下の大御心に洽く潤ふことが
神より受けし課題の解決の第一前提だと思はれます
私は此の奉公守護の念願をなしつつ昭和二年八月少佐に進級の光榮を坦ひ、
體操學校服務として東京に在住することとなりました
而して 此の頃より社會の實相殊に農民の窮乏等を目撃するに至りましては、
嘗て幼年學校漢文教課中に教はりました菅公の君冨春秋臣漸老恩無涯報猶遅の詩に
云ふべからざる臣情を袖に絞ったのでありました
尚時には頼三樹等の獄中の詩等を誦し、
荒涼たる沙漠を狂人となって一物も身に纏ふことなく眞理を求めつつ、
神を求めつつ力走せざればやまざる如き感慨を起したことも再々でありまして、
早晩身を挺して大君の御爲め盡さなければならない時が到來するのではないかとの
暗示を胸間な把握する様になりました
是れ昭和維新運動と全く無關係の時既に吾獨りの懊みでありました
私の昭和維新とは理論の究明と社會の實相とによって理性に重點準拠したものでありません
勿論是等客観的の智識は皆無ではありませんでしたが、
其の源は 天皇信仰の主観が遂に從來一意専心軍務につとめつつありし私が、
我等同胞内に物質精神界を通して大御心に浴し得ざる不幸の者が漸次増加するに反し、
數ならぬ身を以て安住することが、
どーしても相濟まない様な懊みが漸次真劔化して來たのでありました
私は両親の訓めのみならず、佛道により殊の外殺生を嫌ひし者であります
而して 人と議論口論等は殆んどやったことはない者であります
而して 身を挺すると云ふことは決してクーデターとか云ふ殺伐なことを意味したものでありません
勿論 昭和六年十月には某宮殿下の令旨と某元帥の指令とあった由は、
明かに天意のある實證と解し誤りたることもありましたが
(決して、某中佐の一本の電報にて出京したものであると檢察官殿は論告の際述べられましたが、違ひます)
彼の昭和七年三月私記中に於て檢察官殿は、
歩兵學校召集佐官中無斷靑森に歸国して満洲に出征することを願ひ出でたるにあらずやと
思ふて居られましたが、 是は決してそーではありませんで、
召集佐官中三月、十月事件の眞相を知るに及んで且つ又軍民一體に關し甚だ憂慮に堪へざるものありましたので、
從來心に潜め養ひつつあった思想が遂に思案の結果、
軍職を返上して僧侶となり諸國を行脚して懺悔善導せんと堅き決心をなした爲めでありました
斯くの如き私は心に常に恥かしい話で恐懼な考へかもしれませんが絶えず 
御側に御仕へしある如き観念を以て軍職に及ばずながら努めて參りましたもので、
此の時代に至っては相濟まない、申譯ない、
と自己の良心に益々呵責が募って 至上の御事を考へ奉る時に此の事で一杯になるのでありました
私の精神は他人の筆舌に於て申上げ得ざる程微細に動いたのであります
故に若い友人と交を結ぶ様になりましても、自ら議論は勿論意見さへ述べることは欲しませんでした
又若い友人の内には純情に徹底しない人もありましたかも知れませんが、
それよりも、もっともっと到底私の及ばない、純眞の人もありまして、
私は此等の純情に接するは別に維新の方法とか或は理論とか云ふ研究修養等の敎化的でなく、
前記の通り沙漠を焼きつく想を胸に抑へつつ
裸體で泣きながら神を求めつつ走る眞情のもだえの驛場上の同じ旅人でありました
即ち信仰の交はりでありました
それは 天皇信仰でありました
斯くの如くにして信仰上私は実實に絶大なる責任を自然に深く感ずる様になりまして
其の進路上に横はる障碍は何物をも突破する様々な、せなければならない様な白熱化が生じました
而して 其の障碍が偶々本事件だったのでありました
即ち本件が統帥權干犯なりと信じました時は、是に身を挺身するのが拙者相澤の神より授かりし職分と思ひました
それでありますから此の事を解決せずして赴任することは良心の苛責に堪へません、
神の御前に卑怯の極印を与へらるゝのでありまして、
今迄幼少の時より實父の敎訓を遵守して參りました拙者相澤が安佚生存慾のため樂な職務に天命を排して、
それを看過して此の有難過ぎる命 即ち 物質上豊かならんと考へらるゝ職務に此儘就くは、
恰も進で艱難にあたりつつ來りし尊きものを一切放棄し、玆に信仰の活動より生存慾の餓鬼道に陥るものにして、
自刃する以上の罪惡なりと深刻なる思索を經、且つ又過去に於て幾度か戰場に屍を晒すべく望みましたが、
武運つたなく未だ一回も満洲の地さへ踏んだことのないのは、
今日を神が御与へ下さる爲めであると信じ此の事が拙者相澤の天職なりと確信しました
然も陸軍上層部の各種の姑息掩蔽妥協等の事實、殊に政治的野心のための幕僚の運動、
軍隊の實情の低下等あらゆる點を想起し、
玆に多年御側に御仕へしある観念は遂に結局此の統帥權干犯は恰も絶大なる魔力に擁せられて、
永田將軍が猛虎の勢力に乗じ、狂態以て其の先頭に禁闕に迫らんとされし此の重大時期に際し、
辱くも 拙者相澤が御守衛の任に當たり居る光榮を担ひありしを以て
勇躍して魔力の中心を一刀の下に潰滅せしめんとするの境涯なのでありました
決して若い友人、其の他の文章に深く共鳴したので實行したのではありません
決行は勿論客観的には以上のことが加味して決行の動機を起したことは是認しますが、
拙者相澤の主観と申しますか思想と申しますか信念と申しますか、
夫は他人の批判に委ねますが、
其の根底には生來より蓄積して來ました 天皇信仰より來りたるものでありまして、
殊に最近は漸次 「神を信ずるが故に吾あり」
との境涯が昭和九年春大病後より深刻に不抜のものが心底に白熱化し來りましたためと自分で思ひますが、
決して其の間の消息は十分他人に説明できません
永田將軍を殺害して臺灣に赴任すると思ふとは一兵卒と雖考へざることなりと檢察官殿は申されましたが、
私は此の事を決行しないで赴任不可能でありまして、
此の事決行後に於て始めて赴任することは神の御前に於ても耻ぢざるに至ったのでありまして、
この一點に於ても一般の人は勿論、檢察官でさへ御了解下さることを得ませんでありますから、
御判斷を御願ひ申すのが無理だと思ひます
然し決してそーでないのでありますから、
故意に頑張るのでありませんから本心を屈て諾々たることは出來ません
前に申上げました通り私は、 殺伐な人間でないのでありますが、
全く世人の夢にも考へないことを決行しました心境 は 幾ら説明申上げても
御了解なさるる人は唯私の尊敬する友人
----------------等が私の眞情を了解して下された位かとも思われます
陛下の御爲めに賊を亡ぼす以上の道徳はありません
而して 大賊は常にあるものではありません
之を退治する境涯な置かれたる人生の活動は無上の光榮であります
陛下の御使命を亡ぼすものは外にありません、御側に近き者に偶々あります、
宦官は獅子心中の虫であります、
外敵は防ぎ易く、御側に近い賊は斷ちがたくあると思ひます
どーして此の様な全く性格に反したことを平氣で決行したかと申しますれば、
夫は信仰が導て呉れたのであります
最近徹底して天地創造の大神の御身代は 陛下にあらせらるゝこと確乎把握しました
其の根底を聊か申上げます
扨 此の地球の生成中に吾等人類は餘程遅れて生存の神命を授かったものと思われます
而して 史上に人跡を止めましてから僅かに六七千年位にしかならない様であります
其の優良人種は中央亜細亜附近に發育して夫れが東西に進んだ様に思はれます
即ち 天孫民族は多民族と異なり生存慾のみに滞ることなく神の課題を把握しつつ
孜々として道徳的進化發展に精進しつつ遂に萬里の東進、
玆に東海を開拓されました偉業は神意に適ひ、
今玆に尊き御實體を拝することを得まして正に神國と唯々申上ぐるの外はないのであります
神國とは神様の御國と云ふのでは意味は不十分だと思ひます
即ち 神の御命のまにまに進化發展し參りました、神意に適ふ御國と云ふことに思ひます
恭しく惟みまするに皇國の成立、建國の精神、萬世一系、
君臣の分定まり、君臣父子の情、四海同胞大御心は神勅、
而して 臣民は及ばずながら生存慾のみに滞ることなく、
養生以て奉仕向上し來りました眞に神格を有する皇國一體は、
現下世界を擧げて自他共に地球上唯一絶對と信ずるに立ち至りつつありますこしは、
深く深く心に相互に刻みたいのは實に私の切望であります
今尚又暫く 世界人類發達の過去竝に現在を靜観しますれば、
其の大勢は殊に文化に誇る欧米人種に於ては生存慾に滞ること多く、
其の文化は従って生存競爭の具に専ら供せらるゝが如き悽惨狀を呈し、
遂に此の傾向は世界を風靡し最近は地上、地中、海上、海中は勿論空中を利用征服し、
瓦斯、毒瓦斯のみならず、光線を殺人にさえ試みるに至りましたことは是れ決して神の課題にありませんで、
正に是れ人類發展途上の一脱線なりと斷言致します
又一方生存慾の一現象として冨を貪り享樂を欲する關係上、
貧富の差の現象に各種の間隙を生じまして、
玆に經濟の逼迫を招來し、
爲に生存慾の強烈なる爭闘は遂に共産共存せんとする妥協點を志して其の牙城、
正に世界人類の脅威となるに至りつつありまして、
全く欧米先進民族と稱する各人種の現狀は
人類末期近き爛熟時代に到達したるものにあれずやと一應思はせられます
然し 人間はさの様なくだらないものとして神は生命を人生に課題せられませんと確くと信じます
玆に於て建國の御精神と幾多の難關を突破して今日に至りました命脈、
神業守護の遺跡を昭々斷乎把握顯彰することが 私共の最も緊要なる責務と信じます
抑々前述の把握顯彰は文武官共に思想の根底をなすものでありますから、
何れの担當すべき領域に屬すると限定すべきものでありません
然し 一國文教の中樞たる文部は甚大なる責任を世界
否 宇宙に負ふべきものと信じますが、何の有様でしょう
柳澤正樹著皇道345に於て左のことが記されてあります
「大學は國家の須要なる學術の理論及び應用を享受し竝に其蘊億を研究するを以て目的とし、
兼て人格の陶治及國家思想の涵養に留意すべきものとす」 とは大學令第一條の示すところである
然るに今やこの大学は殆んど赤化運動の源となりつつあり、
清浄なるべき学界を騒がすこと再三ならず、これを聞くに至っては慨然たらざるを得ない
世にも稀なる国士的典型なりし九州帝国大学教授河村幹雄博士は遂に其の志業を遂げずして逝いた
博士は 「新尊皇攘夷論」 の中に次ぎの如く語って居る、
「設備完全、経費潤沢、学生に教授に一国の人材を網羅して居る大学・・・・・・
実に一国文教の中心であるべき筈の最高学府から
国体を破壊し国家の基礎を覆さんと企図する様な不埒なる者が続出して来ると云ふ奇怪なる事実は
一体どーしたのであります・・・・・・・の極端なる実行、
共産党と手を聯ね実行運動に関して捕はるる者は百人中一人位の少数でありますが、
然しそー云ふ連中と同じ思想を持って居るものはざらにあります
そーゆふ連中が帝国大学から出て、行政官になり司法官になり教育者にもなって行くのであります
私が確実に知った範囲でも帝国大学から出て多年帝国政府の官吏として服務してゐる人にして
共産党の人達と思想の全く同じ人が沢山あります」
昨年起りました美濃部博士問題、
或は統帥権干犯問題等が上層部此等には何等の衝動をも与ふることなく、
益々安寧秩序或は統制の美名の下に却って其の牙城を鞏固になさんとする傾向あるは、
其の根底を矢張り生存慾の滞る為めの活動と存じます
是れ世界を風靡する魔力によって我吾天孫民族の一部も亦侵されつつあることを否定することは出来ません
斯くの如くして天孫民族も今や上層階級の一部が強烈なる皇国破壊に努力しつつあるものと悲しまざるを得ません
此の魔力の根底は勿論思想にあります
而して たとひ皇室を否定せんとする思想を持つものであっても口に緘して語らず
唯漸次名実共に天皇機関説をなして憚らないで、
陰然勢力を扶植しつつある有様は決して皇国進展の常態ではありません
一時的現象になって終末をつけることを祈ります
之が為め我等天孫民族は緊褌一番建国精神を服膺し、祖先の偉業を継承し、人類の課題達成に向ひ、
中途挫折放棄潰滅することなきを祈願して止まざる次第であります
尚 頁を分ちて要点を詳述します
第一 統制に就て
統帥権を確立せずして統制を専らせんとさるることは、皇軍を破壊することと思ひます
即ち統制とは方法でありますから、方法は目的を明らかにしなければ方法は確立致しません
目的を確立する為めには、目的を生じる原理本源に立脚しなければなりませんと思はれます
此の際は是非国体原理に基き其の実の上に統制せらるるべきものであります
方法を先に帰納せんとすることは不可能であります
砂上の楼閣であります
若し私の信ずる如く本事件が統帥権干犯でありましたならば、
夫を不問に付して幾ら統制し、軍を形の上に於て整ひても何かの機械に誠に脆いものと思はれます
何故夫に非常に恐れるかと申しますと、
神国は神の課題によって無窮に道徳的に発展するのでありますから、悠久に大義名分を立てます
従って大義名分を不問に付し然も之に悖って皇国が進展すると云ふことは、天人共に承知しません
何時か必ず大義に立脚して復古せられます
故に若し本事件に於て名分上不可なることがあって復古する様な時期が来ましたらば、
之は皇軍のみならず皇国の為め実に由々しき問題を招来するものと思はれてなりません
外国は此の事を不問にします、即ち目的精神が常に生存慾に止まるからであります
其の結果は国は亡びて、代は変っても人民は生存に都合よくあれば問題にしませんからであります
呉れぐれも此の点を御照鑑下さいまして誠に恐懼でありますが凡ての私情を滅却せられて、
唯々 陛下の御為め神に誓って神聖なる如くなし下され、皇国に御尽し下さらんことを願ひます
尚 統制に関聯して横の連絡は不可なりと申さるる方がありますが、
縦と云横と云ひみな目的達成の手段に過ぎませんから、其目的によって十様と思はれます
例へば統帥の大綱の如きは縦の大道でありまして、此の大道中に軍は戦闘を以て帰順となすと云ふところで、
縦横十文字少しも間隙なき如く一致協力するため、個人と云はず、部隊と云はず、心身戦闘法等を自力、
他力、あらゆる手段方法によって精練せられなければならないと思ひます
而して 其の真情を究明することなくして禁止することは、劃一主義の弊に陥り、
他国が其の国体に基きて軍隊を養ひつつある精神に同化せらるることとなり、
遂には皇軍の精神教育に甚大なる矛盾を来すことになりはせぬかと考へられます
一時の状勢に眩惑して或る方便を無造作に用ひらるることは、
将来のっぴきならぬ場面に到達しはせぬかとも考へられます
大正二年の勅裁を経たる陸軍省部規定の如き、
或は外国と不平等条約撤廃の目的を以て国体を無視して急遽作製せられました現行法律等が、
今や国基を覆さんとする場面に到着したるも、依然として唯々識者の焦心に止まり、
蕩々として外国人の踏み来りし魔力の轍に身を投ぜんとするに等しき直面にすら、
どなたも、どーすることもできないことは誠に誠に陛下に申訳ないことと悲痛の極みであります
尚附言致します
夫は某は上の人は「ロボット」であると歎ぜられます
又他の某は縦の条うより通ぜよと申されます
全く其の通りで、上の方が 「ロボット」 の時もありましょーし、そーでない時もありましょーが、
是は人間だから当然のことと思ひます
故に歴代の 天皇が鐘を懸けて民訴を求められたり、直言を求められたり、
直諫を求められたりする御話は再々であります
而して 欽定憲法に於ても明かに其の通り御示し下さってあります
是れ人情の弱点等で縦のみに行かないことがあります
丁度戦場に於ては独断、専行の様なものと同じことと思ひます
手段方法と云ふものは縦横十文字だと思ひます
此のことは吾等臣民は道徳的に活動するのでありますから不思議でも不法でもなく、
君臣一体の有難き大御心に溶合すれば問題にすることさへ何等かの滞りでないかと思はれます
漸次其の如き障壁をとり除くのは現在吾等臣民の道徳的進歩上の一つの問題でないかと思はれます
第二
明治維新は二十年の歳月を要したり
又幾多の犠牲を要したり
未だ時機にあらず、時機到来せば恰も 「オデキ」 の破るる如く容易に顕現せらるるものなりと申されます
此事について申上げます
三百年の徳川幕府の基礎は一朝にして動かないことは能く承知してゐます
又現下の社会機構が余程根強ひものがありまして、
到底徳川幕府の末期夫れ以上強固なものがあることも頷かれますから、
億兆一人と雖も、所を得るに至るまで整ふには二十年以上かも知れません
然し玆に考へなければならないことは、
世界の大勢は日本国内に於ても相当欧米流に上下の軋轢は深刻となりました
是は生存慾に基くものと、全く信仰より来るもの等各種の思想に於て、
革新維新等の渇望は国外の事情に拍車づけられて急速に熾烈化しつつあります
此の社会情勢の推移する根源は、
第一に欧米人の逼迫せる経済活路を東洋に求めんとする彼等の野心が日本を亡ぼさんとする策謀と、
神を無視し生存慾に徹底せんとする赤化主義にして、我が建国精神を亡ぼさんとする策動であります
第二には全く自動的たる建国精神に基く信仰の勃興にして、
第一の他動的に比例して反撥するのみならず、絶大なるものあらん
然し赤化は生存慾にとどまるのでありますが、
其の極点を理想としてゐるものでありますから、之に乗ぜられない様に深甚の注意を必要とします
決して自己陶酔だけの観念では不可だと信じます
扨 昭和維新とは具体的のものを築きあげることに考へたならば、少々誤りと思はれます
尤も明治維新は政権返上でありましたから、其の準備に二十年かかりましたろーが、
大御心のまにまに正しく活動すると云ふのでありまして、
決して物を改めるのでなく、自らを改めるのでありますから、何の時間も空間もないのであります
此の本を改めて始めて色々な事業が順序を追ひ改められて行くのが、其後の活動であります
此の自らを改めることと、自らを改めた後ある目標に到達することとを混同して、
玆に時間を以て凡て客観的に見ることは甚だ危険だと思ひます
自分を能く赤裸々に見て鏡に照し得る精進心のない人には、真の社会の実相は不可解と存じます
誠に残念なことと毎度申し上げましたが、
統帥権干犯なりや否やの基になる省部規定を軍事機密なるの理由を以て不問にし、
其の結果国本を紊しますことは千載の遺痕を皇軍に刻するものでありまして、痛心に堪へません
いちど勅裁を経たるものを此儘消滅にでも致しましたならば、
完全に皇軍は外国思想によって成長し来った学界、官界、財閥等に蹂躙せらるることとなります
神を信仰しない人には斯の如き窮地に於て迷はれます、実に遺憾千万であります
若し此の事が今日の如く深入りせざる本件の当初、根本大佐の如く何物か懺悔せられ、
夫れが陸軍首脳部に及ぼしたのでありましたら、
実によく何等わだかまりも事故もなく首脳部の懺悔によって従来皇軍首脳部に於て行はれし大罪等も、
大赦の恩命を拝受し明朗なる皇軍の実体を顕現することを得たことと思はれます
誠に残念であります
勿論色々懺悔に困難なる理由もありましたろーが
陛下の御事を考へたならば潔ぎよく懺悔が出来たことだったと思ひます
返すがえすも私の祈願念願を無にされたのは残念でありました
惨たる現下皇軍の有様を見ては、無限の涙を絞るものであります
夢にも考へなかった斯の如き実に悲惨な結果とは、夢にも考へませんでしたが、
果して之れが神の使命として御使として拙者相沢の奉仕でありましたろーか
否神の使命を使したる拙者相沢の奉仕を妨げる悪魔の仕業であると信じます
永田将軍の英霊は千載の後まで悪魔になやまされます
此の悪魔は何でありましょうか、其の悪魔に躍るものは、--権力だと思ひます
感じ来りますと実に皇国の惨状目もあてられません、誰も 陛下の御共に泣かないのでしようか、
実に申訳ない次第であります
第三 我国は神国なれば混乱に陥ることなしと
勿論我国は神国でありますが、その神様は日本のみの神様でなくて天地創造の神であります
即ち天地創造の神様は人類は勿論、生物無生物に至るまで皆それぞれ使命を御授け下さいまして、
之に向ひ皆己を全くせんと活動しつつあります
唯人類には万物に長じたる使命をも御授け下さいまして
普通の生物に有し得ざる無窮に向上発展すべき理想をも御与へ下されました
此の理想の目標は決して生存慾を満たすことなく、無窮に活動して道徳的向上の完成にあります
尚言を換へて申せば、神を信じ漸次生物の慾求を脱却して神の子となりきるのであります
抑々神は人類の中に甲乙差別せられません
差ありと考ふるは吾思ふ故に吾あるからでありまして、此の自我を極め神を信ずる故に吾あり、
となるが、此の地球上人類の目標であります
所で神の子になりきると云ふのは、皆聖人になれと云ふのかと申しますと、
それは決してそーではありません
生死のみに屈托せず生存慾を脱却して正しく活動することに専らなることであります
各個、各個が自ら神を信じ自から以て他に及ぼすと云ふことであります
此の神の子となりきって自己の拡大を無窮に向上しますのは
世界に唯一なる我が 皇室の御側に完全に奉仕しました真粋の大和民族であります
何となれば我が 皇室は万世一系であらせらるることは千載に規定の事実でありまして、
養正世界宣布を建国の精神となされ、 君臣の分定まり、君は慈父の情を垂れ給ひ、
四海同胞として一視同仁、正に神の御前には何等差別ないものであるとの御意であります
即ち神の課題と申すのは別に不可思議なことがあるのではありません、
ちゃんと神代より 天皇が御示して下さいましたことが、天地創造の神の課題であります
故に吾等は正しきを養ひ常に 陛下の御前に奉仕しあるものと思ひ 陛下の勅の通り学び行ひ、
世界人類までも兄弟姉妹となし皆神の子となって
天皇陛下を親と崇め世界人類が一大家族の如くなるのが、目標であります
右の如くでありますから、全く我国は神の国即ち神様の御身代りの直接御指導下さる国と云ふのであります
然し決して外国は全く神の御国でないとは考へません
矢張り神様の国でありますが、日本とは異なった方面に任務を授かり、
物質、唯心両方面の文化を逐次我が国に輸出し、我が国の源を養ひ発展するに絶大の貢献したのであります
殊に近代欧州文明は実に世界の文化に貢献しました
云はば此の地球を一家に帰納すべく接近せしめた偉大なる功績は、
結局儼然として存せらるる我が 大君を中心家長として
万民等しく神の子となるに一致するべく努力したものであると思はれます
そーでありますから決して我国は神国であるから混乱に陥らないと云ふのではなく、
我国は神様が基礎を御定めになった国で、
欧米も神の国ではありますが、基礎に課題を完成する為めに種々貢献すべき国と云ふことであります
以上をよく考へれば、
今迄で敵であったと思ふて居たのは案外絶対無二の兄弟であることを覚える時はあると信じます
外国人已にそーであります
況や 陛下の御側に御仕へする吾等でありますから、速かに神を信じて尊皇絶対になって頂きたくあります
そーして生存慾より一歩前進し神の国に安じて御仕え下されたい、之が所謂自力更生であります
世界人類が此の更生期であります
若し日本人にして更生し得ざる時は世界人類は凡て更生し得ざるかも知れません
そーすると人類は最早地球上の末期ではないかと思はれます
決して人間には予言、予知することの機能を神は御与へになって居りませんから、不明であります
斯の如くにして神の御意に適ふ様に勤めなかったならば、其の先は全く不明であります
不明の先を勤めずして、希ふことは無理と思はれます
従って神の御国だから決して混乱にならぬと考ふるは一寸冒険だと思はれます
殊に生存慾に拘泥して利己主義に陥り他を願みることさへ不可能となりましたならば、
目下欧米の悪戦苦闘の努力に対し何物かを神に御与へになるかも知れません
神は至正公平であられます

相澤三郎 ・上申書 2 へ続く
現代史資料23 国家主義運動3 から


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